>>287
「日本出土の朝鮮半島系土器の再検討 −弥生時代を中心に−」
読めば読むほど,邪馬台国が北部九州(畿内連合王権に飲み込まれた)
としか思えません。

畿内と北部九州はもともと深い交流があり庄内式土器なども徐々に広まったが
北部九州が(現在の中国にあたる)「魏」の手下になったことで
「日本(西日本)各王権の共通の敵」になり,弥生終末期に飲み込まれ
古墳時代には畿内勢力が北部九州に常駐(というか駐屯)した。
畿内側の布留式土器や前方後円墳,三角縁神獣鏡などがダイレクトに広まり
反対に鉄器や絹生産技術者が畿内をはじめ全国に広まった。
これは北部九州が庄内土器期に畿内の傘下に入ったからではなく,
布留式土器期に畿内側に全面降伏したから
という説に精密に合致します。