個人版のチューリング・テストがあったとしよう。個人Aを知人や家族がテストして本人と認識できるかというテストだ。そこで問われるのは人格と記憶になるだろう。

自我の連続性というのは意識を失ったり昏睡状態に陥ったりした後意識を取り戻しても、一時的に記憶喪失になった後記憶を取り戻しても連続性が保たれる。
しかし記憶喪失の間、「ここはどこ、私は誰」という状態はその連続性から切り離されている。
個人版チューリング・テストには合格できないだろう。

これは自我が記憶に依拠しているもので、記憶がなければ別人と言えるということではないのか。
また、毎日就寝時に我々は一度自我を失うが、目覚めたときに記憶を走査して連続性を(たぶんそうだろう)と曖昧なまま追認しているだけではないのか。