>>177
あなたは、「思考+感情+感覚=自我」と考えていることから、
「自我が同一のAとBは別離していても同じ認知思考を行うはずだが、同じものが別になったら別になっちゃうから同じじゃないとだめ」
という言葉遊びに絡め取られているだけ。まずその前提から、この命題を扱うことはできない。

対してコピー可能と考える者は、身体=感覚がまずあり感情や思考はそこから生成される従属現象でしかないから、身体のコピーが(実体だろうがシミュレーションだろうが)完全にできれば、思考はその身体から自然と出力されると考えている。
そしてその身体は同一時刻に同一地点に存在できないから、感覚に対する入力も違い、感覚が違えば思考・感情は違うものになるのは自明という考え方である。

それどころかベンジャミン・リベット以降の見地に立てば、
感覚とそのフィードバック(行動)は思考とは別に決定されており、思考や感情はフィードバックシステムに付随するオマケでしかない。