ネットワークを介してるA.B.C.Dはおそらく同一意識として存在できるだろう

それを踏まえて自分が推察するのは、
切り離されたA.B.C.Dの意識でも「自分である(あった)」と認識できれば、家族を想うように、昔の自分を想うようにエンパシーを感じられるはずだということ

合わせて言うと、現時点でも誰しもか分裂した自分は持っている
家族と居る自分、友人と居る自分、職場での自分、独りで居る自分

さらに言うならば、我々のように5chに書き込んでいる自分、twitter、インスタ、Facebookに顕在する自分というのはそれぞれのプラットフォームに合わせ、TPOに合わせほぼ同時に並列して、同一でない自分というのを創出しているわけである

自分で思うほど自我というのは単一的ではなく、(ささやかではあるけども)多次元に同時に存在できるという可能性を証明している