「どうやら」我々の自由意志は、天啓のように無から湧いて出るものではなく、
脳と身体の構造から、ある入力をある状況下で行うと一定の出力を行うシステムであるようだ。
ただしある入力が一度通ると構造が変化するため、限りなく前回と同じ入力が再度入っても同じ出力が出るとは限らない。
その構造は外環境や身体の状況によっても絶えず変化するため、その出力は多少気まぐれに見える。
これを我々は自由意志と誤認する。

この構造は脳内では成功体験、失敗体験によって変化・補強されていく。これを記憶と呼ぶ。
記憶というものは「どうやら」ある体験から沸き起こる認識ニューロン群の発火のパターン総体のことらしい。
これが一度通ると補強され(これをクオリアと呼ぶ人もいる、)次回似た入力が入った際に発火しやすくなる(=思い出す)。
水が低いところに流れるように、入力に対する出力はこのような構造によって決定される。