【妙案】関西限定で方言札を復活させよう

1名無す
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2025/11/30(日) 06:36:02.56ID:gVjnvslU
いいね!
2名無す
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2025/11/30(日) 13:49:53.67ID:cZLaqKeI
標準語を自認&喧伝で実際には関東弁の奴(ら)を済ませてからだな。
3名無す
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2025/12/01(月) 12:07:23.98ID:WIKSTGqF
贅六くんも本心では東京名古屋が正当な日本文化の継承者で東大阪や尼崎が異端だとわかってるんだよ
ただ意地になってるだけだと思う

アジア集団の遺伝系統近縁樹
https://i.imgur.com/z2V9vIk.png
北京--韓国--兵庫県尼崎市--愛知県北名古屋市--日本人--東京都--岩手県花巻市--沖縄県

ビルマ戦には沖縄出身の兵士もいた
沖縄出身の兵士は読み書きのできない者が多かったというが陽気で素直な性格の若者が多かったので
北九州出身の荒々しい兵士から成る菊部隊の中に入っても上手く溶け込んでいたという
ビルマ戦ではケチで金に汚く臆病でアキマヘンと逃げ出す近畿地方出身の兵隊は九州の将兵から嫌われていた
4名無す
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2025/12/01(月) 12:09:03.10ID:WIKSTGqF
関西の軍隊は日本最弱で特に京都大阪の軍隊は雑魚だった
いつも口癖のようにあきまへんわあと愚痴りながらベソかいていたらしいが他の
地域の兵士からはな~んだ贅六かと呆れられてたとかw

ビルマに派遣されて来た安兵団と祭兵団は、ともに関西地域で編成された兵団で、弱兵の見本のようにいわれていた。
正直な話、ビルマの戦線でY兵団(安)とM兵団(祭)といえば、弱兵団の見本のようにいわれ、敵からも見方からも侮られるというところがあった。
所属する部隊名を訊かれて、「Yです」「Mです」といおうものなら、「なあんだYか」「なあんだMか」とその言葉の中に、一種の侮蔑の響きがあった。
『死守命令』198、320頁←福岡・菊兵団の戦記
5名無す
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2025/12/01(月) 12:09:30.08ID:WIKSTGqF
大阪で子育てしたらアホの子供にしか育たんしな
そやかて学校の先生はアホ大阪人なんやで
クラスの子供達もアホ大阪人の子供や
近所のオッチャンやオバちゃんもアホ大阪人
大阪に転勤で行っても大阪に住んだらアカんということや
6名無す
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2025/12/01(月) 12:10:06.49ID:WIKSTGqF
敵来ればアカンと逃げる淀師団(大阪府)
8連隊(大阪) 37連隊(大阪)
クーニャンを犯して殺す垣師団(京都府)
9連隊(伏見) 20連隊(福知山)

NHK戦争証言より
うちの部隊にも何名か大阪人がいましたよ。もうこんな「ぜえろく」っていってみんなから蹴飛ばされてたけどね
(自動車第34連隊の坂本芳次さん)
7名無す
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2025/12/01(月) 12:10:47.86ID:WIKSTGqF
「安はやすやす祭り上げ、龍と勇がしのぎを削る」。
これはビルマ戦線の元兵士、なかでも龍(久留米)や勇(仙台)の元兵士がよく口にするフレーズ。
彼らは、「ビルマ戦線に祭(京都)と安(京都)がノコノコやって来たから負けたんだ」と事あるごとに話のネタにした。
勇兵団は東北人らしく寡黙で忍耐強く戦争がうまい。
龍と勇が雲南戦場で激しく競い合いながら戦果を挙げている最中に、祭と安が足を引っ張った。
当時、関西地区の安と祭は「弱兵」の代名詞。京都弁や大阪弁は軟弱だとバカにされていた。
大阪人は金儲けの話しかしないと嫌悪する者も大勢いた。
大阪連隊の歩兵第8連隊は、「またも負けたか8連隊」とバカにされた。
戦時中だけでなく戦後も戦友会や慰霊祭で酒が入ると関西兵の悪口が口に出た。

菊兵団「あー、あん奴どんが、二言目には『あきまへん、あきまへん』しか言わんでくさ...」
8名無す
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2025/12/01(月) 12:11:53.46ID:WIKSTGqF
関西、大阪と京都は他人に厳しく自分や身内に甘いの典型

昭和19年7月1日 5846高地
▽末田光大尉(宇都宮214連隊第2大隊長)
「安さん(京都53師団)のお陰でうちの部隊はすっかり装備が新しくなりました。
林の高地に行く途中いろんな装具が落ちてるんです。みんな安さんのものです。内地から持ってきたばかりだからピカピカした新品です。
けしからん、と憤慨しながらみんな自分のと取りかえて喜んでいましたがね。
そのうちに小銃まで落ちている。機関銃が捨ててあったのには驚きましたね。それも眼鏡のついた新式の重機が四梃も放り出してありました。
自分のところにはもうガタになったのがたった一梃しかない時なので早速いただきましたがね。ひどい兵隊ですよ」
▼岡本岩男中佐(宇都宮33師団参謀、岡山県出身)
「しかし安(京都53師団)の逃げっぷりはええぞ。
戦車でも出てくると一ぺんにインオウロあたりまで逃げてしまう。出ろ、というとしばらくして出てくるがすぐまた下がる。
そして言うことがええ。弓の兵隊はんはよう辛抱してはります。
そのくせ米だけは持ってきたもんじゃけえ、毎日飯盒に半分貰って昼間から食べておる。
それが2、3日するとこんな給与ではあきまへんわ、というから弓(宇都宮33師団)の兵隊は半月も米の飯など渡っておらんぞ、と脅すと"へえ"と度肝を抜かれた顔をしておるんじゃ」
▽作間喬宜大佐(宇都宮214連隊長、山口県出身)
「安(京都53師団)は今どのくらいいるのか。追及者は来ないのか」
▼岡本岩男中佐(宇都宮33師団参謀、岡山県出身)
「連隊長以下動ける兵隊だけで30名ぐらいなものでしょう。
安(京都53師団)は始めの予定では千名ぐらい来ることになっていましたが、かれこれ三百も来たでしょうか。もうあとは来ないでしょう。
恐ろしく戦意のない素質の悪い部隊です」
文春文庫『インパール』358~359頁
9名無す
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2025/12/01(月) 12:13:45.90ID:WIKSTGqF
大阪弁を喋っていると人間性が腐る
あのキモいイントネーションが
思考回路に影響してると思う
おかま言葉の大阪弁をやめない奴は本当に異常なんだよ

「バタアン、コレヒドール攻略 野戦重砲の砲手」 茨城県・安達義夫元陸軍兵長(野戦重砲兵第8連隊=東京世田谷)
昭和17年1月3日、正午頃であった。パラックの道路上で待機中の我が高橋部隊のそばを、野砲の兵隊(←大阪の部隊)が我々の前進方向と反対方向に、足早に悲愴な面持ちで口々に「とてもあきまへん」「あかん、あかん」と関西弁で叫びながら、走って行った。これはただ事ではない様子であった。
 その時ちょうど、高橋部隊長(高橋克己大佐)がそこに来られ、「ここが関東男児の意気の見せ所だ」と叫んだので、我々は命令を受け、前方の水のない草むらの多い砂地の河原の中に陣地を進出し、約五分間で放列布陣をした。
…(中略)自分の持ち場である放列を離れることなく、この場を死所と定め、第一、第二、第四分隊と共に砲撃を続行して、全面の敵を撃退した。
なお壮烈な戦死をされた我が分隊の三人の勇士は、間もなく看護兵並びに中隊段列の兵士により放列陣地の戦友に見送られながら後送されていった…」
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