>>769
諭吉は生まれて1年間しか大阪には居なかったし、その後父が死んだため故郷の中津藩にもどって成人まで暮らした

成人後、兄を頼って大阪に出て来て適塾門下生と成るが大阪時代の事は後々の踏台となるに過ぎない

江戸に出て直ぐに大阪で学んだ蘭学は古臭く役に立たん事を悟り独学で英語を学び始めて光明が見えてきたのが福沢諭吉の開運の始まり。

その後アメリカやヨーロッパに渡り見識をつけて東京に慶應義塾を作ることになる

大阪での古臭い蘭学は踏台に過ぎなかったのでした