そもそも国が決める容積率に何か根拠があるのかといえば、国土交通省のさじ加減一つである
本来、容積率は安全性を基準に決めるべきものだと私は考える。安全性は時代とともに変化する。
頑丈な素材が開発され、優れた工法や耐震技術が生み出されれば、安全の基準も変わってしかるべきだろう。
地域差もある。この地域、この場所だったら、どういう工法や技術を使えば安全に建てられるのか、
信頼できる専門家に判断してもらって、それを基準にそれぞれの自治体が決めたほうが、安全性に適った容積率になるはずだ。

そもそも容積率がなぜ重要かといえば、それが不動産の価値を決めるからである。不動産の市場価値は、商業的に貸し出し可能なスペースがどれくらいあるかで決まる。
土地の面積に対して容積率400%なら延べ床面積(建物すべての階の床面積の合計)は4倍、800%なら8倍。そこに投資してペイするかどうかで、
その建物の商業的な価値が弾き出される。今の時代は、容積率次第でその土地が生み出す富が規定されるのだ。そうした観点からすれば、
日本の都市では容積率によって創出される富がまだまだ少ない。容積率が低すぎるのである

世界ではそれぞれのコミュニティで容積率などの建築基準を決めている。街の景観を守るためにドイツでは庭木を勝手に切れないし、
スイスのインターラーケンでは観光地のイメージを損ねないように「2階の窓からゼラニウムの花が表に垂れるように植えなさい」というルールがあったりする

結局は役人のさじ加減の範疇で収まっている。役人の目こぼし程度の緩和ではなく、もっと大胆に権限を自治体に委譲するくらいでないと、
成長戦略にはならない。「容積率、建蔽率、高さ制限など、すべてにおいて、都道府県に権限を委譲せよ
権限を中央から各自治体に委譲するといっても、安全基準や街並み基準などは従来よりも厳しくすべきだろう