横浜の新幹線駅はもともと菊名が候補だったが、山あいで地形的にむずかしいので、
現在の新横浜の駅にの位置になった。しかし実際は戦前の弾丸列車計画の駅の位置。
そのとき、土地の買収をめぐって、ごちゃごちゃがあった。
このあたりのことは本に書かれ小説にもなった。

そんなこともあって地元住民の一部にも影響を与えて、横浜市は開発計画を立てたが、
篠原側の地主が買収に応じないまま今に至ったと思われる。
しかし時代もしだいに代わり、この辺がしおどきと言う事でしょうか。

新横浜の北側(にぎやかな側)の土地に関わったのは、西武だったことが最近になって、
報道された。しかし西武は、新横浜の発展の寄与してきた部分が大きく(プリンスホテル、
ペペ、横浜アリーナ、スケートセンターなど)、その分の恩恵はもたらしているとひとまずいえる。
そしていま、今度東急が新横浜に入ってくる。
東急は、東急沿線で渋谷、横浜に次ぐ、第三の大拠点として期待してきたようだ。
おなじく新横浜に駅ができる相鉄も計画があるかもしれない。

どう変わっていくのか楽しみです。