高層●みなとみらいに憧れる大阪っぺ●低層 [無断転載禁止]©2ch.net

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1名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2016/08/09(火) 12:06:29.07ID:/3QmZi5D
横浜に酷いコンプレックスを燃やす大阪人
横浜の人は相手にもしていないのに、、

一方的に相手を意識して、、福岡の人みたい
2019/01/06(日) 22:57:50.74ID:Ig8yWUIJ
ハイブリッド芝 整備着々 生まれ変わる日産スタジアム
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190105-00032439-kana-spo

 2019年ラグビーワールドカップ(W杯)で決勝会場となる横浜市港北区の日産スタジアムが、ハイブリッド芝を導入するなど生まれ変わろうとしている。
02年にはブラジルが5度目の優勝を飾ったサッカーW杯日韓大会の決勝が行われており、
世界中を熱狂させる2大大会のファイナルの舞台になるのは、仏パリ近郊のサンドニの「スタッド・ド・フランス」に次ぎ、世界2例目だ。
ハマが誇る7万2千人収容の巨大スタジアムは開業22年目で迎える一戦を経て、今度こそフットボールの“聖地”となれるか。

 10月27日に開催されたニュージーランド(NZ)代表とオーストラリア代表の定期戦「ブレディスロー杯」。
昨季の世界最優秀新人賞を獲得したリコ・イオアネ選手が力強い突破で横浜の大観衆を魅了し、世界最強とされるNZ代表「オールブラックス」が快勝した。21歳のスーパースターは「今まで戦った競技場で一番だね。
走りやすく最高のパフォーマンスを引き出してくれた」と日産スタジアムのピッチを褒めたたえた。

 だが、そんな賛辞にも、開業当初からグリーンキーパーを担う柴田智之さん(53)は「満足できない。
まだ最高のグラウンドを選手に届けられていないから」と、黙々と芝の手入れを続けている。

 サッカーW杯がロシアで開催され、Jリーグが中断されていたことし6月。
20年余り手入れしてきた同スタジアムの天然芝をすべてはがし、新たに天然芝の中に人工芝を混在させて強度を高めた「ハイブリッド芝」に張り替えた。
ピッチの回復は早くなったが、課題は品種が変わった天然芝の生育。
柴田さんは「20年の経験をもとに横浜の気候やスタジアムの立地を生かし、どう芝を育てるか」と知恵を絞る。

 決勝会場に決まる前、同スタジアムでラグビーが開催されたのは開場した1998年の数試合のみだった。
2015年9月、前回のイングランド大会で日本代表が強豪・南アフリカ代表を破る大金星を挙げて日本中が熱狂する中で、決勝の代替会場に選出された。
当初予定されていた新国立競技場の計画が二転三転してラグビーW杯に間に合わなくなったためだ。

 「サッカーとは文化が全く違うラグビー決勝を迎えるのか、と素直な驚きだった」。
当時、イングランド大会を視察していた柴田さんは振り返る。
五輪、サッカーW杯に次ぐ世界最高峰のスポーツイベントの決勝が到来することになり、急ピッチで対応を進めた。

 翌16年にトップリーグの試合を初開催、17年11月には初めて日本代表戦が実施されたが、スクラムや密集でのプレーで、芝がめくれるなど大きく損傷。

国際統括団体・ワールドラグビー(WR)からは「大会スポンサーへの敬意でテレビ映りも大事」などと指摘を受け、ハイブリッド芝導入は不可避だった。

 日産スタジアムでは20年東京五輪の男子サッカー決勝も予定され、3大大会の決勝が行われれば世界初の快挙だ。

 02年のサッカーW杯では日本代表が横浜で初勝利を飾って躍進し、決勝ではロナウド選手(ブラジル)が2ゴールを決めて歓喜の舞台となった。
だが、残念ながら同スタジアムがその後、日本サッカーの“聖地”になったとは言い難い。

 だからこそ、来秋はビッグチャンスだ。
世界ランキング7位のスコッドランド代表と横浜でぶつかる日本代表が再び世界を驚かせ、11月2日の決勝で名勝負が生まれれば…。
柴田さんは「名誉だし大きな重圧も背負う。世界最高のグラウンドを作るため、ラグビーW杯がスタート地点になる」と、そのための舞台づくりに力を注ぐ。
2019/01/07(月) 23:06:15.63ID:hHl6AA2a
神奈川の私鉄、年末年始の輸送人員は微増 好天で客足好調
カナロコ by 神奈川新聞1/7(月) 19:30配信
https://headlines.yahoo.co.jp/cm/main?d=20190107-00032477-kana-bus_all

神奈川県内に路線を持つ大手私鉄5社(京王電鉄、小田急電鉄、東京急行電鉄、京浜急行電鉄、相模鉄道)が7日公表した年末年始(12月31日〜1月3日)の定期外輸送人員の合計は、前年同期比0・7%増の995万5千人だった。
天候に恵まれたほか、前年の天候不良による反動もあって増加した。

 定期外輸送人員は、定期券ではなく、普通券や回数券などで乗車した客の数。最多だったのは東急で、前年と変わらず288万2千人。
次いで小田急が1・6%増の236万2千人。京王は0・2%増の205万3千人。京急は0・9%増の202万人だった。

 相鉄は5社の中で最も伸び率が高く、2・1%増の63万8千人。
同社は「昨年4月に開業したジョイナステラス二俣川に多くの買い物客が訪れたことが要因」とした。
2019/01/08(火) 12:16:04.69ID:x6axbNqw
「横浜の誇りに」 横浜DeNA岡村社長が年頭あいさつ
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190108-00032487-kana-base

横浜DeNAベイスターズの岡村信悟社長が7日、横浜市中区の球団事務所で職員ら約200人に年頭あいさつし、
「横浜に支えられ、横浜とともにあり、横浜の誇りとなるベイスターズとハマスタを目指して、ことし一年邁進(まいしん)していく」と誓いを立てた。

 昨季は3年ぶりにクライマックスシリーズ進出を逃したが、球団史上初めて主催試合での年間観客動員数が200万人を突破。
横浜スタジアムは現在改修中で、今春からは4千席増えて3万3千人収容が可能となる。
岡村社長は「これまでよりもっと大勢のファンに来ていただいて、ホーム試合で圧倒的なエネルギーをもらいたい。その結果が優勝争いにつながってくる」と呼び掛けた。

 今季は球団創設70年目の節目。
球団内には記念事業を行うための専門チームを立ち上げ、第1弾として3月10日のオープン戦を下関で開催することも決まっている。
岡村社長は「チームだけではなく球団、球場全体でいろいろな工夫をしてファンの皆さんに新しい体験をしてもらえる興業をやりたい」と意欲を見せた。
2019/01/14(月) 12:57:20.71ID:rYN8sjEw
カジノ業者が横浜に熱視線…だが「ハマのドン」はNO
https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/ann?a=20190113-00000023-ann-bus_all

 今年に入って各地でカジノを誘致する動きが激しくなるなか、「ハマのドン」と呼ばれる人物の発言が大きな波紋を呼んでいます。

くわしくは動画で…

テレビ朝日
最終更新:1/13(日) 17:32
2019/01/14(月) 13:02:37.11ID:rYN8sjEw
日本大通り・県庁前歩行者天国で「マグカル開放区」 パフォーマンスを自由に発表 /神奈川
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190113-00000004-minkei-l14

神奈川県は1月13日、神奈川県庁前の日本大通りの路上で音楽やダンス、大道芸などのパフォーマンスを自由に発表できる空間を提供する「マグカル開放区」をスタートした。(ヨコハマ経済新聞)

神奈川県庁前(港郵便局前交差点〜開港資料館前交差点)の日本大通りは、2018年10月から、毎週日曜日の9時から17時まで歩行者天国を実施している。

 「マグカル開放区」は、日本大通りがイベントや行事で使用されない日曜日に、音楽やダンス、ジャグリングなどのパフォーマンスを自由に発表できる空間を提供する取り組み。
県内各地の特産品の販売やキッチンカーの出店なども行われる。 

 初日の11日は、FMヨコハマのDJ・光邦、MITSUMIの二人が進行役を担当。
マグカル解放区の解放宣言として「日本大通りを開放いたします。ばっこーん」という解放宣言の後に、バンドの演奏が始まった。

 ポップス、ジャズ、ラテン、ゴスペルなどの音楽演奏のほか、よさこい&ヒップホップ、フリースタイルダンス、クラウン、ショーダンスなどが出演した。

 神奈川県文化課の大場勇人課長は「マグカル解放区は自由にパフォーマンスしていただける空間。
日本大通りのにぎわいをつくり、更なる活性化を図ることが目的。
いろいろな表現を披露する場として活用していただきたい」話している。

 マグカル解放区は、文化芸術の魅力で人を引きつけ、地域のにぎわいをつくり出す、神奈川県の取組「マグカル(マグネット・カルチャー)」の一環。
開催時間は日曜日の10時から16時30分までで、1コマ30分で貸し出す。出演日は無料。
公式ウェブサイトで申込を受け付けている。
2019/01/14(月) 17:42:46.11ID:olVYS+EF
横浜市内新成人は3万7,643人 横アリで国内最大規模の成人式 /神奈川
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190114-00000005-minkei-l14

横浜アリーナ(横浜市港北区新横浜3)で1月14日、「成人の日を祝うつどい」が開催された。(港北経済新聞)

 毎年市内の新成人十数人で組織される「成人の日」記念行事実行委員会らが主催する同イベント。
全国でも最大規模となる横浜市の成人式は、市内の地区ごとに午前(=第1回。神奈川区・西区・保土ケ谷区・旭区・港北区・緑区・青葉区・都筑区)と午後(=第2回。
鶴見区・中区・南区・港南区・磯子区・金沢区・戸塚区・栄区・泉区・瀬谷区)の2回に分けて行う。

 今年の対象者は1998(平成10)年4月2日から1999(平成11)年4月1日までに生まれた横浜市内在住者3万7,643人。
昨年に比べ、約600人増加した。

 当日は朝から、新横浜駅周辺の歩道橋・道路は交通規制され、会場周辺は華やかな着物やスーツ姿の新成人であふれた。
今年の式典のテーマは「開国」。
社会や経済の環境が大きく変化していくこれからの時代、新成人の活躍が期待される。
2019/01/15(火) 14:44:34.02ID:5H4+mEnS
修繕中の日本丸 市民に公開
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190114-00010002-tvkv-l14

修繕が進められている帆船日本丸の様子が市民に公開されました。

横浜市みなとみらい地区の帆船日本丸はいま、20年ぶりにドックの水を抜いて大規模な修繕が行われています。
13日と14日の2日間、その様子が市民に公開され、あわせておよそ480人がドックや船を見学しました。
参加者は普段は入れない場所で、港町・横浜の歴史に思いをはせている様子でした。
日本丸の大修繕は、15日から本格的な作業が始まります。

tvkニュース
2019/01/16(水) 08:06:36.94ID:b1FbeXwo
大さん橋ホールでビールの祭典「ジャパンブルワーズカップ2019」 
国内外のクラフトビールが大集合

 クラフトビールの祭典「JAPAN BREWERS CUP(ジャパンブルワーズカップ)2019」が1月25日〜27日に、横浜港大さん橋国際客船ターミナル(横浜市中区海岸通1)で開催される。
主催はJAPAN BREWERS CUP実行委員会。

 ビールの品評会とビールフェスティバルが融合した同イベントは、2013年に初開催され、今回で7回目となる。
国内外のビールメーカーから44ブースが出展し、約300種のビールが1杯300円から楽しめる。

 開催に先立ち24日には、国内外の現役のビール職人約80人を審査員に迎えて、クラフトビールの審査会が行われる。
出品ブルワリーがエントリーしたクラフトビール約250種類を、ピルスナー、IPA部門、濃色系、小麦系、ペールエール系の5部門で審査する。
審査結果は26日18時45分に発表する。

 出展者は、アウグスビール、アウトサイダーブルーイング、Anglo Japanese Brewing Co.、伊勢角屋麦酒、いわて蔵ビール、AQ BEVOLUTION、えぞ麦酒、Evergreen Imports、奥入瀬ビール、奥能登ビール 日本海倶楽部、OH!LA!HO BEER、京都醸造、
KOBATSUトレーディング、KOBO Brewery、湘南ビール、スワンレイクビール、TAIHU BREWING、DHCビール、TDM 1874??
Brewery、T.Y HARBOR BREWERY、Devil Craft Brewery、栃木マイクロブルワリー、NAGANO TRADING、
那須高原ビール、254 BeeR、沼津クラフト、箱根ビール、Pivovar Matuska、Far Yeast Brewing、富士桜高原麦酒、BRUSSELS、BRIMMER BREWING、南横浜ビール研究所、宮崎ひでじビール、妙高高原ビール、盛田金しゃちビール、八ヶ岳ブルワリー タッチダウン、
ヤッホーブルーイング、横須賀ビール、横浜DeNAベイスターズ、横浜ビール、横浜ベイブルーイング、
Repubrew、ロコビア、Y.MARKET BREWING、WARM HEART LLC.(土産ビール販売)。

 フードは、「鶏肉専門店 梅や」、「重慶飯店」、「charcoal grill green」「ビアバー・ブーシェル」、「横浜漁酒場 まるう商店」が出展。

ステージでは、横浜DeNAベイスターズのマスコット「DB.スターマン」や、「ポールダンス team MIEKO」、
「フラワーマンバンド」、「ハモニカクリームズ」、「KNU」などがパフォーマンスや演奏を披露する。

 JAPAN BREWERS CUP実行委員長で横浜ベイブルーイング(中区福富町東通2)代表の鈴木真也さんは「多くのブルワリーからエントリーを頂き、年々ビールのクオリティーもあがっている。
ビアコンペティション受賞ビールも豊富に用意する。
地元飲食店の料理やステージパフォーマンスも楽しんでいただきたい」と話している。

 会場は大さん橋ホール。開催時間は25日=16時〜22時、26日=11時〜21時、27日=11時〜19時。
入場料は500円。
ビール・フードは300円から。
2019/01/16(水) 22:33:46.05ID:nDUvvWai
赤レンガ倉庫で冬のフードフェスティバル「酒処 鍋小屋2019」 
写真映えする「ジェニ鍋」も /神奈川
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190116-00000033-minkei-l14

多彩な鍋と100種類以上の日本酒が味わえる冬のフードフェスティバル「酒処 鍋小屋2019」が1月18日〜27日に、横浜赤レンガ倉庫イベント広場(横浜市中区新港1-1)で開催される。(ヨコハマ経済新聞)

「鍋小屋」は、横浜赤レンガ倉庫と海が見える開放的な空間で鍋を囲んで交友を深めていただきたいと2016年から開催されている冬のフードフェスティバルで今年で4回目となる。
今回は、こだわりの鍋に加え、日本各地から厳選した日本酒の銘柄を100種類以上をそろえる。

 特設テント会場の鍋小屋は、赤ちょうちんや菰樽(こもだる)が並び、昭和レトロな雰囲気が感じられる空間で、土鍋で作る鍋を提供する「作る鍋エリア」と、鍋を選んで食べ比べが楽しめる「一杯鍋エリア」で構成。
普段食べる機会が少ない日本各地の「ご当地鍋」や、写真を撮りたくなるフォトジェニックな「ジェニ鍋」を用意する。

 会場では横浜中華街にある120年以上の歴史をもつ「一石屋酒店」が取り扱う日本酒など販売。
日本酒の飲み比べが楽しめるセットは数量限定で提供。
1日100人限定の「ちょい呑みセット」は、平成31年に因んで31種類の日本酒から3杯ちょい呑みが楽しめる。

 会期中は、イベント連動館内キャンペーンとして、横浜赤レンガ倉庫1号館、2号館内のショップ・レストラン23店舗で、鍋やお酒、煮込み料理にちなんだメニューやアイテムを販売する。

 主催する横浜赤レンガ倉庫では「おすすめの鍋は、鮭、ホタテ、甘えび、渡り蟹など北海道の冬の味覚を存分に味わえる『石狩鍋』や、
モッツァレラチーズとスイートバジル、トマトを丸ごと1個使用し、ピッツァのように仕上げた『鍋マルゲリータ』など」としている。
2019/01/22(火) 12:57:46.89ID:mpxFwJnE
すみれが横浜・野毛に2月中旬オープン!
札幌の味噌ラーメン、ラー博から卒業
https://hamakore.yokohama/sumire-yokohama-noge-open-info/

すみれと言えば先日、新横浜ラーメン博物館(ラー博)から卒業したばかりですが、もしかしたら今回の店舗出店が卒業に関係しているのかも。

ラー博卒業後、札幌に行って食べるしか方法がなかったため、大好きなすみれのラーメンを再び“横浜の地”で食べられる日が来ることに本当に本当に喜びを隠せません。

■ オープン予定日
2019年2月中旬(予定)

■ 公式サイト
http://www.sumireya.com/

ラー博からの卒業を惜しんでいた方は、今年2月中旬(予定)より再び食べられるようになるので新情報を引き続きお待ちください。
新たな情報が分かり次第、追記にてお知らせいたします。
2019/01/22(火) 13:44:23.85ID:nQQo3ryK
野毛町2丁目の一区画がマンション建設の為ほぼ更地になりましたが、県道沿いにある不動産屋の建物がポツンと残っています。
店のブログでも移転の予定は無いと明言し、どういった意図があるの?
https://hamarepo.com/story.php?story_id=7055

当初は一体となって再開発する予定だったが、交渉が決裂して断念。
一時期は「居座って土地の値段を上げようとしている」とまで噂された。
今のところ店舗を移転する予定はない
2019/01/23(水) 21:45:58.03ID:bIHZ9Q/D
横浜市営地下鉄の延伸が決定
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190123-00010002-tvkv-l14

横浜市営地下鉄のあざみ野駅から川崎市北部の新百合ヶ丘へ地下鉄を延伸することを横浜市と川崎市が発表しました。

横浜市の林文子市長と川崎市の福田紀彦市長は、横浜市営地下鉄のあざみ野駅から川崎市北部の新百合ヶ丘までのおよそ6キロの区間で地下鉄延伸の事業化を共同で行うと覚書を交わしました。
延伸区間には新たに4駅が設置される予定で、1日におよそ8万人の需要が予測されています。
現在、川崎市内では3つのルートが検討されていて、中でも多方面に向かうバス路線との連携が見込める、東側のルートが有力とされています。
工事や用地取得などにかかる費用のうち、地方が負担する分は、2市が半分ずつ負担するということです。
今後川崎市民へのパブリックコメントを経て、来年の3月までにルートを決定し、2030年の開業を目指します。
2019/01/27(日) 09:56:44.04ID:2XubDOyW
ハマスタへ歩行者デッキを整備 
横浜市庁舎との回遊性向上
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190126-00032966-kana-l14

横浜市は、同市中区のJR関内駅近くの現市庁舎街区と横浜スタジアムを結ぶ歩行者用デッキを整備する方針を決めた。デッキを経由して日本大通り方面と大通り公園方面を行き来する人の流れを生み出すことで、線路を挟んで海側と内陸側に分かれた地域の回遊性を高める狙い。 

 市は2020年の市庁舎移転を控え、今月から同街区を再開発する事業者を公募。「国際的な産学連携」や「観光・集客」に資する提案を募り、現市庁舎は再活用と解体の双方を認める。
同街区を海側と内陸側との結節点にするため、市がデッキを設置することを提案の前提条件にし、駅側に抜ける動線をつくることを求めている。
事業者を9月に選定し、再開発施設は21年1月ごろに着工、その2〜4年後の完成が見込まれる。

 一方、スタジアムは20年春の完成を目指し、増築・改修工事が進められている。
外周2階部分に高さ5メートルほどの回遊デッキが設けられる予定で、試合開催時以外は開放される見通し。
歩行者はスタジアムの外周を回って日本大通りや中華街方面へと向かうことができるようになる。

 歩行者用デッキはこの二つの事業に絡めたもので、再開発施設とスタジアムの回遊デッキとをつなぐ計画だ。
高さ5・5メートル、幅6メートル程度で、場所は現市庁舎前のスクランブル交差点付近を想定。
再開発施設と同時期の完成を目指す。
25日に発表した19年度当初予算案で、測量などの関連費約2千万円を計上した。

 同日の会見で、林文子市長は「回遊性を向上させ、現市庁舎街区のにぎわいを周辺地域に広げていきたい」と説明した。
2019/01/27(日) 10:04:21.14ID:DZ16FYg5
羽沢地区新駅開業まで約1年
https://www.townnews.co.jp/0117/i/2019/01/24/466490.html

 相鉄・JR直通線の開通までいよいよ1年近くとなった。
開通に伴い、羽沢南2丁目に建設中の新駅「羽沢横浜国大駅」が開業する。
同路線はJR東海道貨物線と繋がり、都心へのアクセス向上が期待される。

 同線の開通は都市鉄道の利便性の向上を目的とした神奈川東部方面線事業の一つ。
独立行政法人鉄道建設・運輸施設整備支援機構が路線・駅の整備主体、相鉄鉄道と東京急行電鉄が営業主体として事業に関わっている。

 新設される路線は、西谷駅から羽沢横浜国大駅を経由し、
新宿方面へと繋がる相鉄・JR直通線と西谷駅から新横浜駅(仮称)を経由し渋谷・目黒方面へ繋げる相鉄・東急直通線となる。

 同事業は、2005年の都市鉄道等利便増進法を受け、実施された。
乗り換え回数の減少や速達性を上げることで新宿や渋谷方面、新幹線の発着駅である新横浜駅へのアクセスの向上が狙いだ。

 当初は、15年までの開業を目指していたが、用地取得の難航による工事の遅れなどで開業時期が順々に延ばされてきた。
16年には相鉄・JR直通線が19年度下期、相鉄・東急直通線が22年度下期までの開業になる見通しが立った。

 相鉄・JR直通線の開通に伴い、「羽沢横浜国大駅」が開業する。
1月20日に同場所へ訪れると黒と橙を基調とした駅舎が建ち、駅名が刻まれていた。
羽沢地区自治連合会の岐部文明会長は「都心へのアクセス向上により、人の交流が多くなり地域の活性化が期待できる。
いち早く開通してほしい」と期待を話す。
2019/01/28(月) 12:04:47.24ID:SOiKi6Cx
JR横浜駅、中央南と南コンコースを結ぶ改札内通路を2020年新設
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190124-00000144-impress-sci

JR横浜駅に、中央南コンコースと南コンコースをつなぐ新しい改札内通路が整備される。
使用開始は2020年夏ごろを予定。

新設する改札内通路からホーム(3番線から10番線の4ホーム)に向かうエレベーターを4基設置。
中央南改札と南改札からホームまでのバリアフリー化を図る。
現在、改札内で上記ホームにつながるエレベーターが整備されているのは、中央北コンコース内のみ。

また、通路内には待ち合わせに利用できる広場と、通路や広場に面した店舗ができる。
2019/01/28(月) 12:13:06.38ID:SOiKi6Cx
相鉄・JR直通線工事でもフル活用!輸送力向上の「打ち出の小槌」
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190128-00192066-diamond-bus_all

今年末にも開業見込みといわれる「相鉄・JR直通線」の工事が大詰めを迎えている。
といっても、実は線路を新設するのはたった2.7kmの区間のみ。
そのほかは、既存の貨物線などを縫うように走る電車なのだ。
実は東京圏や大阪圏などの大都市圏では、この「貨物線の旅客転用」が輸送力アップの秘密兵器として活躍している。(鉄道ジャーナリスト 枝久保達也)

● 相鉄・JR直通線工事が大詰め 線路新設は2.7kmのみ

 相模鉄道西谷駅とJR東海道貨物線横浜羽沢貨物駅を結ぶ「相鉄・JR直通線」の工事がいよいよ大詰めを迎えている。
工事は2010年3月から始まり、当初2015年4月開業を予定していたが、貨物列車の運行を確保しながらの工事に手間取り、開業時期が2度延期。
現在は「2019年度下期開業」を目指して工事が進められている。
正式な発表はされていないが、昨年末から年初にかけて2019年12月の開業を軸に調整中と複数紙が報じており、今度は“三度目の正直”となりそうだ。

 現時点で公式発表されている運転計画は、最大で1時間4本程度の列車がJR新宿駅方面に直通するということだけだが、
報道によると「相鉄・JR直通線」はJR埼京線と相互直通運転を行い、朝ラッシュ時間帯を中心に川越線まで乗り入れる計画だという。
もっともこれは、JR大宮駅の案内板に「相鉄線方面」の準備がされたり、
相鉄が直通用に新造した12000系車両の行先表示に川越線の駅名が収録されていることから、
鉄道ファンの間では「公然の秘密」として知られている。

 この直通運転計画のキモは、新規に建設されるのは相鉄西谷駅と貨物線の横浜羽沢駅を結ぶ約2.7kmのトンネルだけで、
その先はさまざまな路線を渡り歩いていくことにある。
まず横浜羽沢駅から新川崎駅付近まで走行するのが、1979年に開業したJR東海道貨物線で、
一部を除いて旅客列車は使用しない貨物専用線である。

 貨物線は新川崎駅付近で横須賀線に合流する。
鶴見から武蔵小杉を経由して品川に向かうこの線路も、元々は貨物線だった。現在は東京から大船まで別々の線路を走る東海道線と横須賀線だが、
大昔は横須賀線の列車も貨物列車も全て東海道線の線路を共有していた。
さすがに線路が足りなくなったので、1929年に貨物線を新設して貨物列車を分離した。
現在の形になったのは1980年。
旅客列車の本数を増やすために横須賀線が東海道線から独立して貨物線を使うことになり、貨物列車は新設の貨物線に玉突きされたというわけだ。
2019/01/28(月) 12:21:30.54ID:uDybsmaa
DeNA・ラミレス監督、12球団最速で開幕オーダーを披露
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190121-00000546-sanspo-base

DeNAのラミレス監督が21日、新潟市内でトークショーを行った。

 壇上では今季の展望などを語り、現時点での3月29日の中日との開幕戦(横浜)の先発オーダー案を披露。
「これからキャンプやオープン戦があるので、何があるか分からないが」と前置きした上で名前を並べた。

 1右 梶谷

 2中 桑原

 3二 ソト

 4左 筒香

 5三 宮崎

 6一 ロペス

 7捕 伊藤光

 8遊 大和

 9投手

 ラミレス監督といえば8番に投手を置く独特のラインアップが“代名詞”だったが、今季からは9番・投手でいく方針だ。
また二塁のソトに関しては「(外野)の梶谷や神里の状態による。彼らの打撃を生かすにはソトを二塁に置くのがいいと思っている」と構想を語った。
リードしたまま終盤に突入した場合は、二塁に守備固めの柴田を入れ、ソトを右翼に回すという。
2019/01/29(火) 12:07:14.08ID:dIAhxiSc
平成と横浜・みなとみらい 「モノクロの世界がカラーに」
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190122-00032881-kana-bus_all

 「平成」が幕を開けた1989年。横浜・みなとみらい21(MM21)地区に立った少年は、そのまぶしさに心躍らせていた。
色彩豊かな街並み、初めて目にする技術の数々。
目に飛び込む全てが新しい。
光り輝く未来を思い描き、自身の明るい将来を重ねた。

 MM21地区のお披露目を兼ねて、191日間にわたって開催された「横浜博覧会(YES'89)」。
時はバブル景気真っ盛り。
華々しく開幕した3月25日を境に、異国情緒あふれ夜霧が似合う港町から、流行の先端を走る未来都市へと変貌を遂げようとしていた。

 博覧会のテーマは「宇宙と子供たち」。
横浜市制100周年、横浜港開港130周年を記念して催された。
企業や自治体が33館のパビリオンを出展し、20カ国・地域が参加。
開幕直後から市民らが大挙として詰めかけ、入場者数は国際博覧会並みの1333万7千人を記録した。

 三菱グループが立体映像を上映したパビリオン「三菱未来館」の入場を待つ長い列で、少年は期待に胸をふくらませていた。
当時中学3年生の小山慶和さん(44)=横浜市磯子区=は、宇宙へと飛び出してゆく迫力あるコンピューター・グラフィックスの画面に言葉を失った。

 JR桜木町駅から会場までは、当時珍しかった「動く歩道」が新たに整備された。
小山さんは大勢の人に前後を挟まれながら「会場に向かうまでのアトラクションとして乗っていた」。

 それまでの桜木町は三菱重工業の造船所で働く「労働者の街」という印象が強く、小山さんには近寄りがたい雰囲気があった。
それだけに、色とりどりのパビリオンが並ぶ横浜博の会場で見た最新技術に胸が高鳴り、「モノクロだった世界が突然、カラーになったような感覚」。
ものづくりの素晴らしさに触れて、高揚感を覚えた。

 横浜博終了後、MM21地区の大規模開発が始まった。
臨海部では港や海を彷彿(ほうふつ)させる斬新なデザインの建築物や街路が整備され、都市型観光地として華やいだ雰囲気に包まれていった。

 長らく米軍に接収されていた新港ふ頭だったが、横浜冷蔵倉庫(中区新港町)が94年に返還。
臨海部の開発が加速し、戦後横浜に色濃く残っていた「フェンスの向こうのアメリカ」のイメージは薄れていった。

 昭和から平成へと移る激動の時代。小山さんは造船所から横浜博、そしてビジネス都市へと街が生まれ変わる場面に立ち会うことになる。

 小山さんは横浜博の開幕と同じ89年に完成した横浜ベイブリッジに感激し、巨大な構造物を作りたいと三菱重工業横浜製作所(横製)に入社した。
念願かなって横浜ベイブリッジ下層の国道357号部分の構造に関わる製作に携わり、その後、社内報を担当。
資料調査や関係者への取材を通して造船所の歩みを調べ、記録していった。

 印象に残る出来事は、MM21地区のみなとみらいセンタービル建設現場で2008年、造船所で建造された「山汐(やましお)丸」のいかりが発掘されたことだ。
高層ビルが林立する中、造船所時代の記憶を呼び起こす「タイムカプセル」のようだった。
国の重要文化財として保存されている2基のドックなど、地区内に残る造船所時代の面影を社内報で分かりやすく紹介した。

 その後、火力発電などを担う事業会社「三菱日立パワーシステムズ」に転籍し、
18年4月からは、横浜ランドマークタワーや横浜美術館に隣接する三菱重工横浜ビルで広報を担う。
くしくも造船所の跡地に建てられた高層ビル。眼下には、中学生時代に胸躍らせたMM21地区が広がる。

 横製時代に先輩とともに手掛けた社内報は宝物だ。
「薄れゆく造船所時代の記憶と思い出が記録できてよかった。新たな時代になっても、この街の物語を伝え続けたい」 

 ◆六大事業とMM21事業 六大事業とは
(1)横浜都心部強化
(2)港北ニュータウン建設
(3)金沢地先埋め立て事業
(4)高速鉄道(地下鉄)建設
(5)高速道路網建設
(6)ベイブリッジ建設−の各事業。(1)の中核的プロジェクトであるMM21事業は、横浜の自立性の強化▽港湾機能の質的転換▽首都圏の業務機能の分担を目的とし、「24時間活動する国際文化都市」などの都市像を掲げている。
2019/01/31(木) 21:48:46.14ID:jLkQ6ScN
ダイエー横浜西口店が2月11日に完全閉店。
2023年完成見込みの商業施設にはイオンが入居予定
https://hamarepo.com/story.php?story_id=7069

建物の老朽化を理由に閉店。2019年4月から解体工事を行い2023年完成を目途に現在の本館部分に商業施設(イオンが入居予定)、新館部分に賃貸用住宅を建設する。
商業施設の1階部分は食料品売場を設ける予定
2019/02/05(火) 22:54:30.01ID:ylGCmXby
アフリカ開発会議の会場、パシフィコ横浜に決定
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190205-00033210-kana-l14

 8月に横浜市内で開催される「第7回アフリカ開発会議(TICAD7)」の会場が、横浜・みなとみらい21(MM21)地区のパシフィコ横浜に決まった。
2008年、13年に続き3回目で、アフリカ54カ国の元首・首脳級や国際機関の関係者らが参加予定。

 パシフィコ横浜によると、1月31日付で外務省から決定の通知を受けた。期間は8月28〜30日。
13年の第5回開催時は、約4500人が参加した。

 TICADは、アフリカの開発をテーマとした国際会議。
日本政府が主導し、国連や国連開発計画、アフリカ連合委員会、世界銀行と共同で開催している。

 1993年に日本で始まり、5年ごとのペースだったが、13年以降は3年に1度、日本とアフリカで交互に開催されている。
2019/02/05(火) 22:58:28.47ID:ylGCmXby
平成と横浜・みなとみらい 「モノクロの世界がカラーに」
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190122-00032881-kana-bus_all

 「平成」が幕を開けた1989年。横浜・みなとみらい21(MM21)地区に立った少年は、そのまぶしさに心躍らせていた。
色彩豊かな街並み、初めて目にする技術の数々。
目に飛び込む全てが新しい。
光り輝く未来を思い描き、自身の明るい将来を重ねた。

 MM21地区のお披露目を兼ねて、191日間にわたって開催された「横浜博覧会(YES'89)」。
時はバブル景気真っ盛り。
華々しく開幕した3月25日を境に、異国情緒あふれ夜霧が似合う港町から、流行の先端を走る未来都市へと変貌を遂げようとしていた。

 博覧会のテーマは「宇宙と子供たち」。
横浜市制100周年、横浜港開港130周年を記念して催された。
企業や自治体が33館のパビリオンを出展し、20カ国・地域が参加。
開幕直後から市民らが大挙として詰めかけ、入場者数は国際博覧会並みの1333万7千人を記録した。

 三菱グループが立体映像を上映したパビリオン「三菱未来館」の入場を待つ長い列で、少年は期待に胸をふくらませていた。
当時中学3年生の小山慶和さん(44)=横浜市磯子区=は、宇宙へと飛び出してゆく迫力あるコンピューター・グラフィックスの画面に言葉を失った。

 JR桜木町駅から会場までは、当時珍しかった「動く歩道」が新たに整備された。
小山さんは大勢の人に前後を挟まれながら「会場に向かうまでのアトラクションとして乗っていた」。

 それまでの桜木町は三菱重工業の造船所で働く「労働者の街」という印象が強く、小山さんには近寄りがたい雰囲気があった。
それだけに、色とりどりのパビリオンが並ぶ横浜博の会場で見た最新技術に胸が高鳴り、「モノクロだった世界が突然、カラーになったような感覚」。
ものづくりの素晴らしさに触れて、高揚感を覚えた。

 横浜博終了後、MM21地区の大規模開発が始まった。
臨海部では港や海を彷彿(ほうふつ)させる斬新なデザインの建築物や街路が整備され、都市型観光地として華やいだ雰囲気に包まれていった。

 長らく米軍に接収されていた新港ふ頭だったが、横浜冷蔵倉庫(中区新港町)が94年に返還。
臨海部の開発が加速し、戦後横浜に色濃く残っていた「フェンスの向こうのアメリカ」のイメージは薄れていった。

 昭和から平成へと移る激動の時代。小山さんは造船所から横浜博、そしてビジネス都市へと街が生まれ変わる場面に立ち会うことになる。

 小山さんは横浜博の開幕と同じ89年に完成した横浜ベイブリッジに感激し、巨大な構造物を作りたいと三菱重工業横浜製作所(横製)に入社した。
念願かなって横浜ベイブリッジ下層の国道357号部分の構造に関わる製作に携わり、その後、社内報を担当。
資料調査や関係者への取材を通して造船所の歩みを調べ、記録していった。

 印象に残る出来事は、MM21地区のみなとみらいセンタービル建設現場で2008年、造船所で建造された「山汐(やましお)丸」のいかりが発掘されたことだ。
高層ビルが林立する中、造船所時代の記憶を呼び起こす「タイムカプセル」のようだった。
国の重要文化財として保存されている2基のドックなど、地区内に残る造船所時代の面影を社内報で分かりやすく紹介した。

 その後、火力発電などを担う事業会社「三菱日立パワーシステムズ」に転籍し、
18年4月からは、横浜ランドマークタワーや横浜美術館に隣接する三菱重工横浜ビルで広報を担う。
くしくも造船所の跡地に建てられた高層ビル。眼下には、中学生時代に胸躍らせたMM21地区が広がる。

 横製時代に先輩とともに手掛けた社内報は宝物だ。
「薄れゆく造船所時代の記憶と思い出が記録できてよかった。新たな時代になっても、この街の物語を伝え続けたい」 

 ◆六大事業とMM21事業 六大事業とは
(1)横浜都心部強化
(2)港北ニュータウン建設
(3)金沢地先埋め立て事業
(4)高速鉄道(地下鉄)建設
(5)高速道路網建設
(6)ベイブリッジ建設−の各事業。(1)の中核的プロジェクトであるMM21事業は、横浜の自立性の強化▽港湾機能の質的転換▽首都圏の業務機能の分担を目的とし、「24時間活動する国際文化都市」などの都市像を掲げている。
2019/02/05(火) 23:01:09.47ID:ylGCmXby
平成と横浜・みなとみらい 「モノクロの世界がカラーに」
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190122-00032881-kana-bus_all

 「平成」が幕を開けた1989年。横浜・みなとみらい21(MM21)地区に立った少年は、そのまぶしさに心躍らせていた。
色彩豊かな街並み、初めて目にする技術の数々。
目に飛び込む全てが新しい。
光り輝く未来を思い描き、自身の明るい将来を重ねた。

 MM21地区のお披露目を兼ねて、191日間にわたって開催された「横浜博覧会(YES'89)」。
時はバブル景気真っ盛り。
華々しく開幕した3月25日を境に、異国情緒あふれ夜霧が似合う港町から、流行の先端を走る未来都市へと変貌を遂げようとしていた。

 博覧会のテーマは「宇宙と子供たち」。
横浜市制100周年、横浜港開港130周年を記念して催された。
企業や自治体が33館のパビリオンを出展し、20カ国・地域が参加。
開幕直後から市民らが大挙として詰めかけ、入場者数は国際博覧会並みの1333万7千人を記録した。

 三菱グループが立体映像を上映したパビリオン「三菱未来館」の入場を待つ長い列で、少年は期待に胸をふくらませていた。
当時中学3年生の小山慶和さん(44)=横浜市磯子区=は、宇宙へと飛び出してゆく迫力あるコンピューター・グラフィックスの画面に言葉を失った。

 JR桜木町駅から会場までは、当時珍しかった「動く歩道」が新たに整備された。
小山さんは大勢の人に前後を挟まれながら「会場に向かうまでのアトラクションとして乗っていた」。

 それまでの桜木町は三菱重工業の造船所で働く「労働者の街」という印象が強く、小山さんには近寄りがたい雰囲気があった。
それだけに、色とりどりのパビリオンが並ぶ横浜博の会場で見た最新技術に胸が高鳴り、「モノクロだった世界が突然、カラーになったような感覚」。
ものづくりの素晴らしさに触れて、高揚感を覚えた。

 横浜博終了後、MM21地区の大規模開発が始まった。
臨海部では港や海を彷彿(ほうふつ)させる斬新なデザインの建築物や街路が整備され、都市型観光地として華やいだ雰囲気に包まれていった。

 長らく米軍に接収されていた新港ふ頭だったが、横浜冷蔵倉庫(中区新港町)が94年に返還。
臨海部の開発が加速し、戦後横浜に色濃く残っていた「フェンスの向こうのアメリカ」のイメージは薄れていった。

 昭和から平成へと移る激動の時代。小山さんは造船所から横浜博、そしてビジネス都市へと街が生まれ変わる場面に立ち会うことになる。

 小山さんは横浜博の開幕と同じ89年に完成した横浜ベイブリッジに感激し、巨大な構造物を作りたいと三菱重工業横浜製作所(横製)に入社した。
念願かなって横浜ベイブリッジ下層の国道357号部分の構造に関わる製作に携わり、その後、社内報を担当。
資料調査や関係者への取材を通して造船所の歩みを調べ、記録していった。

 印象に残る出来事は、MM21地区のみなとみらいセンタービル建設現場で2008年、造船所で建造された「山汐(やましお)丸」のいかりが発掘されたことだ。
高層ビルが林立する中、造船所時代の記憶を呼び起こす「タイムカプセル」のようだった。
国の重要文化財として保存されている2基のドックなど、地区内に残る造船所時代の面影を社内報で分かりやすく紹介した。

 その後、火力発電などを担う事業会社「三菱日立パワーシステムズ」に転籍し、
18年4月からは、横浜ランドマークタワーや横浜美術館に隣接する三菱重工横浜ビルで広報を担う。
くしくも造船所の跡地に建てられた高層ビル。眼下には、中学生時代に胸躍らせたMM21地区が広がる。

 横製時代に先輩とともに手掛けた社内報は宝物だ。
「薄れゆく造船所時代の記憶と思い出が記録できてよかった。新たな時代になっても、この街の物語を伝え続けたい」 

 ◆六大事業とMM21事業 六大事業とは
(1)横浜都心部強化
(2)港北ニュータウン建設
(3)金沢地先埋め立て事業
(4)高速鉄道(地下鉄)建設
(5)高速道路網建設
(6)ベイブリッジ建設−の各事業。(1)の中核的プロジェクトであるMM21事業は、横浜の自立性の強化▽港湾機能の質的転換▽首都圏の業務機能の分担を目的とし、「24時間活動する国際文化都市」などの都市像を掲げている。
2019/02/06(水) 17:18:33.38ID:AAzBP2RY
日産のゴーン前会長を起訴
https://news.yahoo.co.jp/list?t=carlos_ghosn
被告の報酬91億円 日産計上へ経済 2/5(火) 14:53

日産社長 仏政府側と直接会談経済 2/2(土) 14:02
日産とルノー 会談定期実施へ経済 2/1(金) 8:59
ゴーン被告 日経に「策略だ」経済 1/30(水) 20:01

日産 トップ会談で溝埋まるか経済 1/30(水) 15:22

報酬巡り日産を調査 米証取委経済 1/28(月) 14:31

菅氏 ゴーン被告の捜査は適切経済 1/28(月) 13:04

ゴーン被告の退職金 仏けん制経済 1/28(月) 9:57

仏大統領 新会長が日産会長も経済 1/27(日) 7:49

日産など3社連合トップ会談へ経済 1/26(土) 9:27

日産社長 ルノーと連携を確認経済 1/25(金) 12:57

ゴーン被告辞任に高額補償金?経済 1/25(金) 7:24

ゴーン被告辞任に高額保証金?経済 1/25(金) 2:55

ルノー新経営陣 日産も期待感経済 1/24(木) 23:49

ルノー会長にミシュランCEO経済 1/24(木) 21:58

ゴーン被告「追放」 波乱含み経済 1/24(木) 20:45

ルノー ゴーン会長兼CEO退任経済 1/24(木) 16:17

ゴーンCEOが辞意 仏紙報道経済 1/23(水) 0:33

ルノー 会長とCEOに2氏検討経済 1/22(火) 20:31

ゴーン被告の保釈 再び認めず経済 1/22(火) 12:31

送金の正当性 日産側「ウソ」経済 1/22(火) 8:13

ルノーと統合案 駆け引き激化経済 1/21(月) 21:17

ゴーン被告 声明で保釈訴える経済 1/21(月) 9:38

日産ルノー統合案 仏閣僚否定経済 1/21(月) 5:26

ルノー統合案 日産は不快感経済 1/20(日) 22:38

長期勾留 人権団体が調査検討国内 1/20(日) 19:34

仏 ルノーと日産の統合を要求経済 1/20(日) 11:00

日産三菱BV非開示報酬が目的経済 1/18(金) 23:03

ゴーン被告に10億円不正報酬経済 1/18(金) 15:53

ゴーン被告 2回目の保釈請求経済 1/18(金) 10:59
2019/02/06(水) 17:24:41.13ID:AAzBP2RY
アフリカ開発会議の会場、パシフィコ横浜に決定
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190205-00033210-kana-l14

8月に横浜市内で開催される「第7回アフリカ開発会議(TICAD7)」の会場が、横浜・みなとみらい21(MM21)地区のパシフィコ横浜に決まった。

2008年、13年に続き3回目で、アフリカ54カ国の元首・首脳級や国際機関の関係者らが参加予定。

 パシフィコ横浜によると、1月31日付で外務省から決定の通知を受けた。
期間は8月28〜30日。
13年の第5回開催時は、約4500人が参加した。

 TICADは、アフリカの開発をテーマとした国際会議。
日本政府が主導し、国連や国連開発計画、アフリカ連合委員会、世界銀行と共同で開催している。

 1993年に日本で始まり、5年ごとのペースだったが、13年以降は3年に1度、日本とアフリカで交互に開催されている。
2019/02/07(木) 13:39:40.26ID:tGmqQSUM
大坂なおみモデル「GT―R」が完売 ゴーン会長ショックの日産に明るい話題
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190128-00000072-spnannex-spo

女子テニスの全豪オープンで初優勝した大坂なおみ(21)の名前が付いた日産自動車のスポーツカー「GT―R」の特別モデルに予約が殺到している。
大坂が同社アンバサダーに就任した際に造られた「大坂なおみ選手 日産ブランドアンバサダー就任記念モデル」で、昨年末に受け付けを開始。
同社によると、既に予約が販売予定の50台を上回り、キャンセル待ちの状態という。
予約は2月中旬まで受け付けている。

ボディーカラーは、白と黒、ミッドナイトオパールの3色。
内装などに、大坂の意見を取り入れて設計された。価格は約1260万円。
26日まで本社ギャラリー(横浜市)に展示され、多くの人が詰め掛けた。
訪れた人によると「大坂さんのモデルと館内放送されると、たくさんの人が集まってカメラのシャッターを一斉に切っていた」という。

 実は大坂は、幼い頃から日産車との縁が深い。
昨年9月に行われたアンバサダー就任式では「私の父がずっと日産車を運転していた」と明かした。
おっとりした語り口とは対照的に?スポーツカー好き。
好きな車について「GT―Rの白」と発言し、その場で同社専務の星野朝子氏が「GT―R、差し上げましょう」と約束した。

 後日、メタルシルバーの「GT―R NISMO」(約1900万円)をプレゼントされ大喜び。
同じ型式のGT―Rは、本社と東京・銀座の同社ギャラリーで展示されている。GT―Rに見入っていた40代男性は「大坂さんのようにパワフルで強い女性が乗ると、より格好良く見える」と話した。

 全米に続く4大大会連覇の実績に加え、面白発言や愛らしい性格も相まって大坂人気は急上昇。
前会長のカルロス・ゴーン被告(64)の逮捕など、暗いイメージを吹き飛ばしたい日産にとって“大坂モデル人気”は願ってもない明るい話題だ。
2019/02/07(木) 13:51:44.21ID:9pb7w8ps
関内ホールで「ヨコハマ映画祭」授賞式 役所広司さん、東出昌大さん、松坂桃李さんらが登壇 /神奈川
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190205-00000062-minkei-l14

関内ホール(横浜市中区住吉町4)で2月3日、「第40回ヨコハマ映画祭」が開催され、主演男優賞を受賞した役所広司さんや東出昌大さんをはじめとする俳優たちや映画関係者らが登壇した。(ヨコハマ経済新聞)


受賞式には、主演男優賞の役所広司さん(「孤狼の血」)や東出昌大さん(「寝ても覚めても」「菊とギロチン」「OVER DRIVE」)、
最優秀新人賞の唐田えりかさん(「寝ても覚めても」)、木竜麻生さん(「菊とギロチン」「鈴木家の嘘」)、特別大賞の山崎努さん(「モリのいる場所」)らが出席。

 「寝ても覚めても」「鈴木家の嘘」「孤狼の血」の3作品の上映に加え、各賞受賞者や映画評論家をゲストに招いた表彰式を実施し、
昨年リニューアルした関内ホールの大ホール1階、2階の赤い座席が映画ファンで埋め尽くされた。

 作品「孤狼の血」で型破り、かつ人間味あふれる刑事役を熱演し、同映画祭史上初となる3度目の主演男優賞に輝いた役所さんは、
「ヨコハマ映画祭の賞は、我々映画を作っている者にとっては特別な賞。
映画を撮っているときは賞のことを誰も考えていないが、撮り終わり上映が終わってまたご褒美をいただけるのは本当に励みになる」と語り、
今回演じた大上役について「魅力的な男で演じるのが楽しかった」と振り返った。

 同映画祭実行委員長の北見秋満さんは「1年1年が勝負の映画祭だが、アンテナを張りここに来てくれる皆さんがヨコハマ映画祭の本当のサポーターだと思っている。
今回は、山崎努さんが特別大賞を受賞されたときのスタンディングオベーションをはじめ、4人の男優によるバトンタッチなどいろいろなアイデアを実現した。来年もおもしろい映画祭にするのでぜひ足を運んでほしい」とあいさつ。
映画祭終了後も、熱気さめやらぬ会場には「第40回ヨコハマ映画祭」の横断幕をカメラに収めるファンの姿が見られた。

 ヨコハマ映画祭は、スポンサーや自治体からの支援を受けず、学生や会社員など日本映画ファンがボランティアで主催する映画祭として知られる。
審査員を務めるのは映画評論家や映画ライターなどの映画関係者と一般映画ファンらで、今年度は38人が審査にあたった。
2019/02/07(木) 13:59:29.10ID:r83XMpwh
平成と横浜・みなとみらい 「モノクロの世界がカラーに」
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190122-00032881-kana-bus_all

 「平成」が幕を開けた1989年。横浜・みなとみらい21(MM21)地区に立った少年は、そのまぶしさに心躍らせていた。
色彩豊かな街並み、初めて目にする技術の数々。
目に飛び込む全てが新しい。
光り輝く未来を思い描き、自身の明るい将来を重ねた。

 MM21地区のお披露目を兼ねて、191日間にわたって開催された「横浜博覧会(YES'89)」。
時はバブル景気真っ盛り。
華々しく開幕した3月25日を境に、異国情緒あふれ夜霧が似合う港町から、流行の先端を走る未来都市へと変貌を遂げようとしていた。

 博覧会のテーマは「宇宙と子供たち」。
横浜市制100周年、横浜港開港130周年を記念して催された。
企業や自治体が33館のパビリオンを出展し、20カ国・地域が参加。
開幕直後から市民らが大挙として詰めかけ、入場者数は国際博覧会並みの1333万7千人を記録した。

 三菱グループが立体映像を上映したパビリオン「三菱未来館」の入場を待つ長い列で、少年は期待に胸をふくらませていた。
当時中学3年生の小山慶和さん(44)=横浜市磯子区=は、宇宙へと飛び出してゆく迫力あるコンピューター・グラフィックスの画面に言葉を失った。

 JR桜木町駅から会場までは、当時珍しかった「動く歩道」が新たに整備された。
小山さんは大勢の人に前後を挟まれながら「会場に向かうまでのアトラクションとして乗っていた」。

 それまでの桜木町は三菱重工業の造船所で働く「労働者の街」という印象が強く、小山さんには近寄りがたい雰囲気があった。
それだけに、色とりどりのパビリオンが並ぶ横浜博の会場で見た最新技術に胸が高鳴り、「モノクロだった世界が突然、カラーになったような感覚」。
ものづくりの素晴らしさに触れて、高揚感を覚えた。

 横浜博終了後、MM21地区の大規模開発が始まった。
臨海部では港や海を彷彿(ほうふつ)させる斬新なデザインの建築物や街路が整備され、都市型観光地として華やいだ雰囲気に包まれていった。

 長らく米軍に接収されていた新港ふ頭だったが、横浜冷蔵倉庫(中区新港町)が94年に返還。
臨海部の開発が加速し、戦後横浜に色濃く残っていた「フェンスの向こうのアメリカ」のイメージは薄れていった。

 昭和から平成へと移る激動の時代。小山さんは造船所から横浜博、そしてビジネス都市へと街が生まれ変わる場面に立ち会うことになる。

 小山さんは横浜博の開幕と同じ89年に完成した横浜ベイブリッジに感激し、巨大な構造物を作りたいと三菱重工業横浜製作所(横製)に入社した。
念願かなって横浜ベイブリッジ下層の国道357号部分の構造に関わる製作に携わり、その後、社内報を担当。
資料調査や関係者への取材を通して造船所の歩みを調べ、記録していった。

 印象に残る出来事は、MM21地区のみなとみらいセンタービル建設現場で2008年、造船所で建造された「山汐(やましお)丸」のいかりが発掘されたことだ。
高層ビルが林立する中、造船所時代の記憶を呼び起こす「タイムカプセル」のようだった。
国の重要文化財として保存されている2基のドックなど、地区内に残る造船所時代の面影を社内報で分かりやすく紹介した。

 その後、火力発電などを担う事業会社「三菱日立パワーシステムズ」に転籍し、
18年4月からは、横浜ランドマークタワーや横浜美術館に隣接する三菱重工横浜ビルで広報を担う。
くしくも造船所の跡地に建てられた高層ビル。眼下には、中学生時代に胸躍らせたMM21地区が広がる。

 横製時代に先輩とともに手掛けた社内報は宝物だ。
「薄れゆく造船所時代の記憶と思い出が記録できてよかった。新たな時代になっても、この街の物語を伝え続けたい」 

 ◆六大事業とMM21事業 六大事業とは
(1)横浜都心部強化
(2)港北ニュータウン建設
(3)金沢地先埋め立て事業
(4)高速鉄道(地下鉄)建設
(5)高速道路網建設
(6)ベイブリッジ建設−の各事業。(1)の中核的プロジェクトであるMM21事業は、横浜の自立性の強化▽港湾機能の質的転換▽首都圏の業務機能の分担を目的とし、「24時間活動する国際文化都市」などの都市像を掲げている。
2019/02/07(木) 13:59:56.19ID:r83XMpwh
平成と横浜・みなとみらい 「モノクロの世界がカラーに」
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190122-00032881-kana-bus_all

 「平成」が幕を開けた1989年。横浜・みなとみらい21(MM21)地区に立った少年は、そのまぶしさに心躍らせていた。
色彩豊かな街並み、初めて目にする技術の数々。
目に飛び込む全てが新しい。
光り輝く未来を思い描き、自身の明るい将来を重ねた。

 MM21地区のお披露目を兼ねて、191日間にわたって開催された「横浜博覧会(YES'89)」。
時はバブル景気真っ盛り。
華々しく開幕した3月25日を境に、異国情緒あふれ夜霧が似合う港町から、流行の先端を走る未来都市へと変貌を遂げようとしていた。

 博覧会のテーマは「宇宙と子供たち」。
横浜市制100周年、横浜港開港130周年を記念して催された。
企業や自治体が33館のパビリオンを出展し、20カ国・地域が参加。
開幕直後から市民らが大挙として詰めかけ、入場者数は国際博覧会並みの1333万7千人を記録した。

 三菱グループが立体映像を上映したパビリオン「三菱未来館」の入場を待つ長い列で、少年は期待に胸をふくらませていた。
当時中学3年生の小山慶和さん(44)=横浜市磯子区=は、宇宙へと飛び出してゆく迫力あるコンピューター・グラフィックスの画面に言葉を失った。

 JR桜木町駅から会場までは、当時珍しかった「動く歩道」が新たに整備された。
小山さんは大勢の人に前後を挟まれながら「会場に向かうまでのアトラクションとして乗っていた」。

 それまでの桜木町は三菱重工業の造船所で働く「労働者の街」という印象が強く、小山さんには近寄りがたい雰囲気があった。
それだけに、色とりどりのパビリオンが並ぶ横浜博の会場で見た最新技術に胸が高鳴り、「モノクロだった世界が突然、カラーになったような感覚」。
ものづくりの素晴らしさに触れて、高揚感を覚えた。

 横浜博終了後、MM21地区の大規模開発が始まった。
臨海部では港や海を彷彿(ほうふつ)させる斬新なデザインの建築物や街路が整備され、都市型観光地として華やいだ雰囲気に包まれていった。

 長らく米軍に接収されていた新港ふ頭だったが、横浜冷蔵倉庫(中区新港町)が94年に返還。
臨海部の開発が加速し、戦後横浜に色濃く残っていた「フェンスの向こうのアメリカ」のイメージは薄れていった。

 昭和から平成へと移る激動の時代。小山さんは造船所から横浜博、そしてビジネス都市へと街が生まれ変わる場面に立ち会うことになる。

 小山さんは横浜博の開幕と同じ89年に完成した横浜ベイブリッジに感激し、巨大な構造物を作りたいと三菱重工業横浜製作所(横製)に入社した。
念願かなって横浜ベイブリッジ下層の国道357号部分の構造に関わる製作に携わり、その後、社内報を担当。
資料調査や関係者への取材を通して造船所の歩みを調べ、記録していった。

 印象に残る出来事は、MM21地区のみなとみらいセンタービル建設現場で2008年、造船所で建造された「山汐(やましお)丸」のいかりが発掘されたことだ。
高層ビルが林立する中、造船所時代の記憶を呼び起こす「タイムカプセル」のようだった。
国の重要文化財として保存されている2基のドックなど、地区内に残る造船所時代の面影を社内報で分かりやすく紹介した。

 その後、火力発電などを担う事業会社「三菱日立パワーシステムズ」に転籍し、
18年4月からは、横浜ランドマークタワーや横浜美術館に隣接する三菱重工横浜ビルで広報を担う。
くしくも造船所の跡地に建てられた高層ビル。眼下には、中学生時代に胸躍らせたMM21地区が広がる。

 横製時代に先輩とともに手掛けた社内報は宝物だ。
「薄れゆく造船所時代の記憶と思い出が記録できてよかった。新たな時代になっても、この街の物語を伝え続けたい」 

 ◆六大事業とMM21事業 六大事業とは
(1)横浜都心部強化
(2)港北ニュータウン建設
(3)金沢地先埋め立て事業
(4)高速鉄道(地下鉄)建設
(5)高速道路網建設
(6)ベイブリッジ建設−の各事業。(1)の中核的プロジェクトであるMM21事業は、横浜の自立性の強化▽港湾機能の質的転換▽首都圏の業務機能の分担を目的とし、「24時間活動する国際文化都市」などの都市像を掲げている。
2019/02/07(木) 14:00:19.54ID:r83XMpwh
平成と横浜・みなとみらい 「モノクロの世界がカラーに」
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190122-00032881-kana-bus_all

 「平成」が幕を開けた1989年。横浜・みなとみらい21(MM21)地区に立った少年は、そのまぶしさに心躍らせていた。
色彩豊かな街並み、初めて目にする技術の数々。
目に飛び込む全てが新しい。
光り輝く未来を思い描き、自身の明るい将来を重ねた。

 MM21地区のお披露目を兼ねて、191日間にわたって開催された「横浜博覧会(YES'89)」。
時はバブル景気真っ盛り。
華々しく開幕した3月25日を境に、異国情緒あふれ夜霧が似合う港町から、流行の先端を走る未来都市へと変貌を遂げようとしていた。

 博覧会のテーマは「宇宙と子供たち」。
横浜市制100周年、横浜港開港130周年を記念して催された。
企業や自治体が33館のパビリオンを出展し、20カ国・地域が参加。
開幕直後から市民らが大挙として詰めかけ、入場者数は国際博覧会並みの1333万7千人を記録した。

 三菱グループが立体映像を上映したパビリオン「三菱未来館」の入場を待つ長い列で、少年は期待に胸をふくらませていた。
当時中学3年生の小山慶和さん(44)=横浜市磯子区=は、宇宙へと飛び出してゆく迫力あるコンピューター・グラフィックスの画面に言葉を失った。

 JR桜木町駅から会場までは、当時珍しかった「動く歩道」が新たに整備された。
小山さんは大勢の人に前後を挟まれながら「会場に向かうまでのアトラクションとして乗っていた」。

 それまでの桜木町は三菱重工業の造船所で働く「労働者の街」という印象が強く、小山さんには近寄りがたい雰囲気があった。
それだけに、色とりどりのパビリオンが並ぶ横浜博の会場で見た最新技術に胸が高鳴り、「モノクロだった世界が突然、カラーになったような感覚」。
ものづくりの素晴らしさに触れて、高揚感を覚えた。

 横浜博終了後、MM21地区の大規模開発が始まった。
臨海部では港や海を彷彿(ほうふつ)させる斬新なデザインの建築物や街路が整備され、都市型観光地として華やいだ雰囲気に包まれていった。

 長らく米軍に接収されていた新港ふ頭だったが、横浜冷蔵倉庫(中区新港町)が94年に返還。
臨海部の開発が加速し、戦後横浜に色濃く残っていた「フェンスの向こうのアメリカ」のイメージは薄れていった。

 昭和から平成へと移る激動の時代。小山さんは造船所から横浜博、そしてビジネス都市へと街が生まれ変わる場面に立ち会うことになる。

 小山さんは横浜博の開幕と同じ89年に完成した横浜ベイブリッジに感激し、巨大な構造物を作りたいと三菱重工業横浜製作所(横製)に入社した。
念願かなって横浜ベイブリッジ下層の国道357号部分の構造に関わる製作に携わり、その後、社内報を担当。
資料調査や関係者への取材を通して造船所の歩みを調べ、記録していった。

 印象に残る出来事は、MM21地区のみなとみらいセンタービル建設現場で2008年、造船所で建造された「山汐(やましお)丸」のいかりが発掘されたことだ。
高層ビルが林立する中、造船所時代の記憶を呼び起こす「タイムカプセル」のようだった。
国の重要文化財として保存されている2基のドックなど、地区内に残る造船所時代の面影を社内報で分かりやすく紹介した。

 その後、火力発電などを担う事業会社「三菱日立パワーシステムズ」に転籍し、
18年4月からは、横浜ランドマークタワーや横浜美術館に隣接する三菱重工横浜ビルで広報を担う。
くしくも造船所の跡地に建てられた高層ビル。眼下には、中学生時代に胸躍らせたMM21地区が広がる。

 横製時代に先輩とともに手掛けた社内報は宝物だ。
「薄れゆく造船所時代の記憶と思い出が記録できてよかった。新たな時代になっても、この街の物語を伝え続けたい」 

 ◆六大事業とMM21事業 六大事業とは
(1)横浜都心部強化
(2)港北ニュータウン建設
(3)金沢地先埋め立て事業
(4)高速鉄道(地下鉄)建設
(5)高速道路網建設
(6)ベイブリッジ建設−の各事業。(1)の中核的プロジェクトであるMM21事業は、横浜の自立性の強化▽港湾機能の質的転換▽首都圏の業務機能の分担を目的とし、「24時間活動する国際文化都市」などの都市像を掲げている。
2019/02/07(木) 14:00:46.02ID:r83XMpwh
平成と横浜・みなとみらい 「モノクロの世界がカラーに」
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190122-00032881-kana-bus_all

 「平成」が幕を開けた1989年。横浜・みなとみらい21(MM21)地区に立った少年は、そのまぶしさに心躍らせていた。
色彩豊かな街並み、初めて目にする技術の数々。
目に飛び込む全てが新しい。
光り輝く未来を思い描き、自身の明るい将来を重ねた。

 MM21地区のお披露目を兼ねて、191日間にわたって開催された「横浜博覧会(YES'89)」。
時はバブル景気真っ盛り。
華々しく開幕した3月25日を境に、異国情緒あふれ夜霧が似合う港町から、流行の先端を走る未来都市へと変貌を遂げようとしていた。

 博覧会のテーマは「宇宙と子供たち」。
横浜市制100周年、横浜港開港130周年を記念して催された。
企業や自治体が33館のパビリオンを出展し、20カ国・地域が参加。
開幕直後から市民らが大挙として詰めかけ、入場者数は国際博覧会並みの1333万7千人を記録した。

 三菱グループが立体映像を上映したパビリオン「三菱未来館」の入場を待つ長い列で、少年は期待に胸をふくらませていた。
当時中学3年生の小山慶和さん(44)=横浜市磯子区=は、宇宙へと飛び出してゆく迫力あるコンピューター・グラフィックスの画面に言葉を失った。

 JR桜木町駅から会場までは、当時珍しかった「動く歩道」が新たに整備された。
小山さんは大勢の人に前後を挟まれながら「会場に向かうまでのアトラクションとして乗っていた」。

 それまでの桜木町は三菱重工業の造船所で働く「労働者の街」という印象が強く、小山さんには近寄りがたい雰囲気があった。
それだけに、色とりどりのパビリオンが並ぶ横浜博の会場で見た最新技術に胸が高鳴り、「モノクロだった世界が突然、カラーになったような感覚」。
ものづくりの素晴らしさに触れて、高揚感を覚えた。

 横浜博終了後、MM21地区の大規模開発が始まった。
臨海部では港や海を彷彿(ほうふつ)させる斬新なデザインの建築物や街路が整備され、都市型観光地として華やいだ雰囲気に包まれていった。

 長らく米軍に接収されていた新港ふ頭だったが、横浜冷蔵倉庫(中区新港町)が94年に返還。
臨海部の開発が加速し、戦後横浜に色濃く残っていた「フェンスの向こうのアメリカ」のイメージは薄れていった。

 昭和から平成へと移る激動の時代。小山さんは造船所から横浜博、そしてビジネス都市へと街が生まれ変わる場面に立ち会うことになる。

 小山さんは横浜博の開幕と同じ89年に完成した横浜ベイブリッジに感激し、巨大な構造物を作りたいと三菱重工業横浜製作所(横製)に入社した。
念願かなって横浜ベイブリッジ下層の国道357号部分の構造に関わる製作に携わり、その後、社内報を担当。
資料調査や関係者への取材を通して造船所の歩みを調べ、記録していった。

 印象に残る出来事は、MM21地区のみなとみらいセンタービル建設現場で2008年、造船所で建造された「山汐(やましお)丸」のいかりが発掘されたことだ。
高層ビルが林立する中、造船所時代の記憶を呼び起こす「タイムカプセル」のようだった。
国の重要文化財として保存されている2基のドックなど、地区内に残る造船所時代の面影を社内報で分かりやすく紹介した。

 その後、火力発電などを担う事業会社「三菱日立パワーシステムズ」に転籍し、
18年4月からは、横浜ランドマークタワーや横浜美術館に隣接する三菱重工横浜ビルで広報を担う。
くしくも造船所の跡地に建てられた高層ビル。眼下には、中学生時代に胸躍らせたMM21地区が広がる。

 横製時代に先輩とともに手掛けた社内報は宝物だ。
「薄れゆく造船所時代の記憶と思い出が記録できてよかった。新たな時代になっても、この街の物語を伝え続けたい」 

 ◆六大事業とMM21事業 六大事業とは
(1)横浜都心部強化
(2)港北ニュータウン建設
(3)金沢地先埋め立て事業
(4)高速鉄道(地下鉄)建設
(5)高速道路網建設
(6)ベイブリッジ建設−の各事業。(1)の中核的プロジェクトであるMM21事業は、横浜の自立性の強化▽港湾機能の質的転換▽首都圏の業務機能の分担を目的とし、「24時間活動する国際文化都市」などの都市像を掲げている。
2019/02/07(木) 14:01:50.73ID:r83XMpwh
平成と横浜・みなとみらい 「モノクロの世界がカラーに」
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190122-00032881-kana-bus_all

 「平成」が幕を開けた1989年。横浜・みなとみらい21(MM21)地区に立った少年は、そのまぶしさに心躍らせていた。
色彩豊かな街並み、初めて目にする技術の数々。
目に飛び込む全てが新しい。
光り輝く未来を思い描き、自身の明るい将来を重ねた。

 MM21地区のお披露目を兼ねて、191日間にわたって開催された「横浜博覧会(YES'89)」。
時はバブル景気真っ盛り。
華々しく開幕した3月25日を境に、異国情緒あふれ夜霧が似合う港町から、流行の先端を走る未来都市へと変貌を遂げようとしていた。

 博覧会のテーマは「宇宙と子供たち」。
横浜市制100周年、横浜港開港130周年を記念して催された。
企業や自治体が33館のパビリオンを出展し、20カ国・地域が参加。
開幕直後から市民らが大挙として詰めかけ、入場者数は国際博覧会並みの1333万7千人を記録した。

 三菱グループが立体映像を上映したパビリオン「三菱未来館」の入場を待つ長い列で、少年は期待に胸をふくらませていた。
当時中学3年生の小山慶和さん(44)=横浜市磯子区=は、宇宙へと飛び出してゆく迫力あるコンピューター・グラフィックスの画面に言葉を失った。

 JR桜木町駅から会場までは、当時珍しかった「動く歩道」が新たに整備された。
小山さんは大勢の人に前後を挟まれながら「会場に向かうまでのアトラクションとして乗っていた」。

 それまでの桜木町は三菱重工業の造船所で働く「労働者の街」という印象が強く、小山さんには近寄りがたい雰囲気があった。
それだけに、色とりどりのパビリオンが並ぶ横浜博の会場で見た最新技術に胸が高鳴り、「モノクロだった世界が突然、カラーになったような感覚」。
ものづくりの素晴らしさに触れて、高揚感を覚えた。

 横浜博終了後、MM21地区の大規模開発が始まった。
臨海部では港や海を彷彿(ほうふつ)させる斬新なデザインの建築物や街路が整備され、都市型観光地として華やいだ雰囲気に包まれていった。

 長らく米軍に接収されていた新港ふ頭だったが、横浜冷蔵倉庫(中区新港町)が94年に返還。
臨海部の開発が加速し、戦後横浜に色濃く残っていた「フェンスの向こうのアメリカ」のイメージは薄れていった。

 昭和から平成へと移る激動の時代。小山さんは造船所から横浜博、そしてビジネス都市へと街が生まれ変わる場面に立ち会うことになる。

 小山さんは横浜博の開幕と同じ89年に完成した横浜ベイブリッジに感激し、巨大な構造物を作りたいと三菱重工業横浜製作所(横製)に入社した。
念願かなって横浜ベイブリッジ下層の国道357号部分の構造に関わる製作に携わり、その後、社内報を担当。
資料調査や関係者への取材を通して造船所の歩みを調べ、記録していった。

 印象に残る出来事は、MM21地区のみなとみらいセンタービル建設現場で2008年、造船所で建造された「山汐(やましお)丸」のいかりが発掘されたことだ。
高層ビルが林立する中、造船所時代の記憶を呼び起こす「タイムカプセル」のようだった。
国の重要文化財として保存されている2基のドックなど、地区内に残る造船所時代の面影を社内報で分かりやすく紹介した。

 その後、火力発電などを担う事業会社「三菱日立パワーシステムズ」に転籍し、
18年4月からは、横浜ランドマークタワーや横浜美術館に隣接する三菱重工横浜ビルで広報を担う。
くしくも造船所の跡地に建てられた高層ビル。眼下には、中学生時代に胸躍らせたMM21地区が広がる。

 横製時代に先輩とともに手掛けた社内報は宝物だ。
「薄れゆく造船所時代の記憶と思い出が記録できてよかった。新たな時代になっても、この街の物語を伝え続けたい」 

 ◆六大事業とMM21事業 六大事業とは
(1)横浜都心部強化
(2)港北ニュータウン建設
(3)金沢地先埋め立て事業
(4)高速鉄道(地下鉄)建設
(5)高速道路網建設
(6)ベイブリッジ建設−の各事業。(1)の中核的プロジェクトであるMM21事業は、横浜の自立性の強化▽港湾機能の質的転換▽首都圏の業務機能の分担を目的とし、「24時間活動する国際文化都市」などの都市像を掲げている。
2019/02/07(木) 14:02:22.82ID:r83XMpwh
平成と横浜・みなとみらい 「モノクロの世界がカラーに」
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190122-00032881-kana-bus_all

 「平成」が幕を開けた1989年。横浜・みなとみらい21(MM21)地区に立った少年は、そのまぶしさに心躍らせていた。
色彩豊かな街並み、初めて目にする技術の数々。
目に飛び込む全てが新しい。
光り輝く未来を思い描き、自身の明るい将来を重ねた。

 MM21地区のお披露目を兼ねて、191日間にわたって開催された「横浜博覧会(YES'89)」。
時はバブル景気真っ盛り。
華々しく開幕した3月25日を境に、異国情緒あふれ夜霧が似合う港町から、流行の先端を走る未来都市へと変貌を遂げようとしていた。

 博覧会のテーマは「宇宙と子供たち」。
横浜市制100周年、横浜港開港130周年を記念して催された。
企業や自治体が33館のパビリオンを出展し、20カ国・地域が参加。
開幕直後から市民らが大挙として詰めかけ、入場者数は国際博覧会並みの1333万7千人を記録した。

 三菱グループが立体映像を上映したパビリオン「三菱未来館」の入場を待つ長い列で、少年は期待に胸をふくらませていた。
当時中学3年生の小山慶和さん(44)=横浜市磯子区=は、宇宙へと飛び出してゆく迫力あるコンピューター・グラフィックスの画面に言葉を失った。

 JR桜木町駅から会場までは、当時珍しかった「動く歩道」が新たに整備された。
小山さんは大勢の人に前後を挟まれながら「会場に向かうまでのアトラクションとして乗っていた」。

 それまでの桜木町は三菱重工業の造船所で働く「労働者の街」という印象が強く、小山さんには近寄りがたい雰囲気があった。
それだけに、色とりどりのパビリオンが並ぶ横浜博の会場で見た最新技術に胸が高鳴り、「モノクロだった世界が突然、カラーになったような感覚」。
ものづくりの素晴らしさに触れて、高揚感を覚えた。

 横浜博終了後、MM21地区の大規模開発が始まった。
臨海部では港や海を彷彿(ほうふつ)させる斬新なデザインの建築物や街路が整備され、都市型観光地として華やいだ雰囲気に包まれていった。

 長らく米軍に接収されていた新港ふ頭だったが、横浜冷蔵倉庫(中区新港町)が94年に返還。
臨海部の開発が加速し、戦後横浜に色濃く残っていた「フェンスの向こうのアメリカ」のイメージは薄れていった。

 昭和から平成へと移る激動の時代。小山さんは造船所から横浜博、そしてビジネス都市へと街が生まれ変わる場面に立ち会うことになる。

 小山さんは横浜博の開幕と同じ89年に完成した横浜ベイブリッジに感激し、巨大な構造物を作りたいと三菱重工業横浜製作所(横製)に入社した。
念願かなって横浜ベイブリッジ下層の国道357号部分の構造に関わる製作に携わり、その後、社内報を担当。
資料調査や関係者への取材を通して造船所の歩みを調べ、記録していった。

 印象に残る出来事は、MM21地区のみなとみらいセンタービル建設現場で2008年、造船所で建造された「山汐(やましお)丸」のいかりが発掘されたことだ。
高層ビルが林立する中、造船所時代の記憶を呼び起こす「タイムカプセル」のようだった。
国の重要文化財として保存されている2基のドックなど、地区内に残る造船所時代の面影を社内報で分かりやすく紹介した。

 その後、火力発電などを担う事業会社「三菱日立パワーシステムズ」に転籍し、
18年4月からは、横浜ランドマークタワーや横浜美術館に隣接する三菱重工横浜ビルで広報を担う。
くしくも造船所の跡地に建てられた高層ビル。眼下には、中学生時代に胸躍らせたMM21地区が広がる。

 横製時代に先輩とともに手掛けた社内報は宝物だ。
「薄れゆく造船所時代の記憶と思い出が記録できてよかった。新たな時代になっても、この街の物語を伝え続けたい」 

 ◆六大事業とMM21事業 六大事業とは
(1)横浜都心部強化
(2)港北ニュータウン建設
(3)金沢地先埋め立て事業
(4)高速鉄道(地下鉄)建設
(5)高速道路網建設
(6)ベイブリッジ建設−の各事業。(1)の中核的プロジェクトであるMM21事業は、横浜の自立性の強化▽港湾機能の質的転換▽首都圏の業務機能の分担を目的とし、「24時間活動する国際文化都市」などの都市像を掲げている。
2019/02/07(木) 14:02:48.33ID:r83XMpwh
平成と横浜・みなとみらい 「モノクロの世界がカラーに」
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190122-00032881-kana-bus_all

 「平成」が幕を開けた1989年。横浜・みなとみらい21(MM21)地区に立った少年は、そのまぶしさに心躍らせていた。
色彩豊かな街並み、初めて目にする技術の数々。
目に飛び込む全てが新しい。
光り輝く未来を思い描き、自身の明るい将来を重ねた。

 MM21地区のお披露目を兼ねて、191日間にわたって開催された「横浜博覧会(YES'89)」。
時はバブル景気真っ盛り。
華々しく開幕した3月25日を境に、異国情緒あふれ夜霧が似合う港町から、流行の先端を走る未来都市へと変貌を遂げようとしていた。

 博覧会のテーマは「宇宙と子供たち」。
横浜市制100周年、横浜港開港130周年を記念して催された。
企業や自治体が33館のパビリオンを出展し、20カ国・地域が参加。
開幕直後から市民らが大挙として詰めかけ、入場者数は国際博覧会並みの1333万7千人を記録した。

 三菱グループが立体映像を上映したパビリオン「三菱未来館」の入場を待つ長い列で、少年は期待に胸をふくらませていた。
当時中学3年生の小山慶和さん(44)=横浜市磯子区=は、宇宙へと飛び出してゆく迫力あるコンピューター・グラフィックスの画面に言葉を失った。

 JR桜木町駅から会場までは、当時珍しかった「動く歩道」が新たに整備された。
小山さんは大勢の人に前後を挟まれながら「会場に向かうまでのアトラクションとして乗っていた」。

 それまでの桜木町は三菱重工業の造船所で働く「労働者の街」という印象が強く、小山さんには近寄りがたい雰囲気があった。
それだけに、色とりどりのパビリオンが並ぶ横浜博の会場で見た最新技術に胸が高鳴り、「モノクロだった世界が突然、カラーになったような感覚」。
ものづくりの素晴らしさに触れて、高揚感を覚えた。

 横浜博終了後、MM21地区の大規模開発が始まった。
臨海部では港や海を彷彿(ほうふつ)させる斬新なデザインの建築物や街路が整備され、都市型観光地として華やいだ雰囲気に包まれていった。

 長らく米軍に接収されていた新港ふ頭だったが、横浜冷蔵倉庫(中区新港町)が94年に返還。
臨海部の開発が加速し、戦後横浜に色濃く残っていた「フェンスの向こうのアメリカ」のイメージは薄れていった。

 昭和から平成へと移る激動の時代。小山さんは造船所から横浜博、そしてビジネス都市へと街が生まれ変わる場面に立ち会うことになる。

 小山さんは横浜博の開幕と同じ89年に完成した横浜ベイブリッジに感激し、巨大な構造物を作りたいと三菱重工業横浜製作所(横製)に入社した。
念願かなって横浜ベイブリッジ下層の国道357号部分の構造に関わる製作に携わり、その後、社内報を担当。
資料調査や関係者への取材を通して造船所の歩みを調べ、記録していった。

 印象に残る出来事は、MM21地区のみなとみらいセンタービル建設現場で2008年、造船所で建造された「山汐(やましお)丸」のいかりが発掘されたことだ。
高層ビルが林立する中、造船所時代の記憶を呼び起こす「タイムカプセル」のようだった。
国の重要文化財として保存されている2基のドックなど、地区内に残る造船所時代の面影を社内報で分かりやすく紹介した。

 その後、火力発電などを担う事業会社「三菱日立パワーシステムズ」に転籍し、
18年4月からは、横浜ランドマークタワーや横浜美術館に隣接する三菱重工横浜ビルで広報を担う。
くしくも造船所の跡地に建てられた高層ビル。眼下には、中学生時代に胸躍らせたMM21地区が広がる。

 横製時代に先輩とともに手掛けた社内報は宝物だ。
「薄れゆく造船所時代の記憶と思い出が記録できてよかった。新たな時代になっても、この街の物語を伝え続けたい」 

 ◆六大事業とMM21事業 六大事業とは
(1)横浜都心部強化
(2)港北ニュータウン建設
(3)金沢地先埋め立て事業
(4)高速鉄道(地下鉄)建設
(5)高速道路網建設
(6)ベイブリッジ建設−の各事業。(1)の中核的プロジェクトであるMM21事業は、横浜の自立性の強化▽港湾機能の質的転換▽首都圏の業務機能の分担を目的とし、「24時間活動する国際文化都市」などの都市像を掲げている。
2019/02/07(木) 14:03:07.06ID:r83XMpwh
平成と横浜・みなとみらい 「モノクロの世界がカラーに」
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190122-00032881-kana-bus_all

 「平成」が幕を開けた1989年。横浜・みなとみらい21(MM21)地区に立った少年は、そのまぶしさに心躍らせていた。
色彩豊かな街並み、初めて目にする技術の数々。
目に飛び込む全てが新しい。
光り輝く未来を思い描き、自身の明るい将来を重ねた。

 MM21地区のお披露目を兼ねて、191日間にわたって開催された「横浜博覧会(YES'89)」。
時はバブル景気真っ盛り。
華々しく開幕した3月25日を境に、異国情緒あふれ夜霧が似合う港町から、流行の先端を走る未来都市へと変貌を遂げようとしていた。

 博覧会のテーマは「宇宙と子供たち」。
横浜市制100周年、横浜港開港130周年を記念して催された。
企業や自治体が33館のパビリオンを出展し、20カ国・地域が参加。
開幕直後から市民らが大挙として詰めかけ、入場者数は国際博覧会並みの1333万7千人を記録した。

 三菱グループが立体映像を上映したパビリオン「三菱未来館」の入場を待つ長い列で、少年は期待に胸をふくらませていた。
当時中学3年生の小山慶和さん(44)=横浜市磯子区=は、宇宙へと飛び出してゆく迫力あるコンピューター・グラフィックスの画面に言葉を失った。

 JR桜木町駅から会場までは、当時珍しかった「動く歩道」が新たに整備された。
小山さんは大勢の人に前後を挟まれながら「会場に向かうまでのアトラクションとして乗っていた」。

 それまでの桜木町は三菱重工業の造船所で働く「労働者の街」という印象が強く、小山さんには近寄りがたい雰囲気があった。
それだけに、色とりどりのパビリオンが並ぶ横浜博の会場で見た最新技術に胸が高鳴り、「モノクロだった世界が突然、カラーになったような感覚」。
ものづくりの素晴らしさに触れて、高揚感を覚えた。

 横浜博終了後、MM21地区の大規模開発が始まった。
臨海部では港や海を彷彿(ほうふつ)させる斬新なデザインの建築物や街路が整備され、都市型観光地として華やいだ雰囲気に包まれていった。

 長らく米軍に接収されていた新港ふ頭だったが、横浜冷蔵倉庫(中区新港町)が94年に返還。
臨海部の開発が加速し、戦後横浜に色濃く残っていた「フェンスの向こうのアメリカ」のイメージは薄れていった。

 昭和から平成へと移る激動の時代。小山さんは造船所から横浜博、そしてビジネス都市へと街が生まれ変わる場面に立ち会うことになる。

 小山さんは横浜博の開幕と同じ89年に完成した横浜ベイブリッジに感激し、巨大な構造物を作りたいと三菱重工業横浜製作所(横製)に入社した。
念願かなって横浜ベイブリッジ下層の国道357号部分の構造に関わる製作に携わり、その後、社内報を担当。
資料調査や関係者への取材を通して造船所の歩みを調べ、記録していった。

 印象に残る出来事は、MM21地区のみなとみらいセンタービル建設現場で2008年、造船所で建造された「山汐(やましお)丸」のいかりが発掘されたことだ。
高層ビルが林立する中、造船所時代の記憶を呼び起こす「タイムカプセル」のようだった。
国の重要文化財として保存されている2基のドックなど、地区内に残る造船所時代の面影を社内報で分かりやすく紹介した。

 その後、火力発電などを担う事業会社「三菱日立パワーシステムズ」に転籍し、
18年4月からは、横浜ランドマークタワーや横浜美術館に隣接する三菱重工横浜ビルで広報を担う。
くしくも造船所の跡地に建てられた高層ビル。眼下には、中学生時代に胸躍らせたMM21地区が広がる。

 横製時代に先輩とともに手掛けた社内報は宝物だ。
「薄れゆく造船所時代の記憶と思い出が記録できてよかった。新たな時代になっても、この街の物語を伝え続けたい」 

 ◆六大事業とMM21事業 六大事業とは
(1)横浜都心部強化
(2)港北ニュータウン建設
(3)金沢地先埋め立て事業
(4)高速鉄道(地下鉄)建設
(5)高速道路網建設
(6)ベイブリッジ建設−の各事業。(1)の中核的プロジェクトであるMM21事業は、横浜の自立性の強化▽港湾機能の質的転換▽首都圏の業務機能の分担を目的とし、「24時間活動する国際文化都市」などの都市像を掲げている。
2019/02/07(木) 14:03:27.01ID:r83XMpwh
平成と横浜・みなとみらい 「モノクロの世界がカラーに」
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190122-00032881-kana-bus_all

 「平成」が幕を開けた1989年。横浜・みなとみらい21(MM21)地区に立った少年は、そのまぶしさに心躍らせていた。
色彩豊かな街並み、初めて目にする技術の数々。
目に飛び込む全てが新しい。
光り輝く未来を思い描き、自身の明るい将来を重ねた。

 MM21地区のお披露目を兼ねて、191日間にわたって開催された「横浜博覧会(YES'89)」。
時はバブル景気真っ盛り。
華々しく開幕した3月25日を境に、異国情緒あふれ夜霧が似合う港町から、流行の先端を走る未来都市へと変貌を遂げようとしていた。

 博覧会のテーマは「宇宙と子供たち」。
横浜市制100周年、横浜港開港130周年を記念して催された。
企業や自治体が33館のパビリオンを出展し、20カ国・地域が参加。
開幕直後から市民らが大挙として詰めかけ、入場者数は国際博覧会並みの1333万7千人を記録した。

 三菱グループが立体映像を上映したパビリオン「三菱未来館」の入場を待つ長い列で、少年は期待に胸をふくらませていた。
当時中学3年生の小山慶和さん(44)=横浜市磯子区=は、宇宙へと飛び出してゆく迫力あるコンピューター・グラフィックスの画面に言葉を失った。

 JR桜木町駅から会場までは、当時珍しかった「動く歩道」が新たに整備された。
小山さんは大勢の人に前後を挟まれながら「会場に向かうまでのアトラクションとして乗っていた」。

 それまでの桜木町は三菱重工業の造船所で働く「労働者の街」という印象が強く、小山さんには近寄りがたい雰囲気があった。
それだけに、色とりどりのパビリオンが並ぶ横浜博の会場で見た最新技術に胸が高鳴り、「モノクロだった世界が突然、カラーになったような感覚」。
ものづくりの素晴らしさに触れて、高揚感を覚えた。

 横浜博終了後、MM21地区の大規模開発が始まった。
臨海部では港や海を彷彿(ほうふつ)させる斬新なデザインの建築物や街路が整備され、都市型観光地として華やいだ雰囲気に包まれていった。

 長らく米軍に接収されていた新港ふ頭だったが、横浜冷蔵倉庫(中区新港町)が94年に返還。
臨海部の開発が加速し、戦後横浜に色濃く残っていた「フェンスの向こうのアメリカ」のイメージは薄れていった。

 昭和から平成へと移る激動の時代。小山さんは造船所から横浜博、そしてビジネス都市へと街が生まれ変わる場面に立ち会うことになる。

 小山さんは横浜博の開幕と同じ89年に完成した横浜ベイブリッジに感激し、巨大な構造物を作りたいと三菱重工業横浜製作所(横製)に入社した。
念願かなって横浜ベイブリッジ下層の国道357号部分の構造に関わる製作に携わり、その後、社内報を担当。
資料調査や関係者への取材を通して造船所の歩みを調べ、記録していった。

 印象に残る出来事は、MM21地区のみなとみらいセンタービル建設現場で2008年、造船所で建造された「山汐(やましお)丸」のいかりが発掘されたことだ。
高層ビルが林立する中、造船所時代の記憶を呼び起こす「タイムカプセル」のようだった。
国の重要文化財として保存されている2基のドックなど、地区内に残る造船所時代の面影を社内報で分かりやすく紹介した。

 その後、火力発電などを担う事業会社「三菱日立パワーシステムズ」に転籍し、
18年4月からは、横浜ランドマークタワーや横浜美術館に隣接する三菱重工横浜ビルで広報を担う。
くしくも造船所の跡地に建てられた高層ビル。眼下には、中学生時代に胸躍らせたMM21地区が広がる。

 横製時代に先輩とともに手掛けた社内報は宝物だ。
「薄れゆく造船所時代の記憶と思い出が記録できてよかった。新たな時代になっても、この街の物語を伝え続けたい」 

 ◆六大事業とMM21事業 六大事業とは
(1)横浜都心部強化
(2)港北ニュータウン建設
(3)金沢地先埋め立て事業
(4)高速鉄道(地下鉄)建設
(5)高速道路網建設
(6)ベイブリッジ建設−の各事業。(1)の中核的プロジェクトであるMM21事業は、横浜の自立性の強化▽港湾機能の質的転換▽首都圏の業務機能の分担を目的とし、「24時間活動する国際文化都市」などの都市像を掲げている。
2019/02/07(木) 14:03:49.07ID:r83XMpwh
平成と横浜・みなとみらい 「モノクロの世界がカラーに」
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 「平成」が幕を開けた1989年。横浜・みなとみらい21(MM21)地区に立った少年は、そのまぶしさに心躍らせていた。
色彩豊かな街並み、初めて目にする技術の数々。
目に飛び込む全てが新しい。
光り輝く未来を思い描き、自身の明るい将来を重ねた。

 MM21地区のお披露目を兼ねて、191日間にわたって開催された「横浜博覧会(YES'89)」。
時はバブル景気真っ盛り。
華々しく開幕した3月25日を境に、異国情緒あふれ夜霧が似合う港町から、流行の先端を走る未来都市へと変貌を遂げようとしていた。

 博覧会のテーマは「宇宙と子供たち」。
横浜市制100周年、横浜港開港130周年を記念して催された。
企業や自治体が33館のパビリオンを出展し、20カ国・地域が参加。
開幕直後から市民らが大挙として詰めかけ、入場者数は国際博覧会並みの1333万7千人を記録した。

 三菱グループが立体映像を上映したパビリオン「三菱未来館」の入場を待つ長い列で、少年は期待に胸をふくらませていた。
当時中学3年生の小山慶和さん(44)=横浜市磯子区=は、宇宙へと飛び出してゆく迫力あるコンピューター・グラフィックスの画面に言葉を失った。

 JR桜木町駅から会場までは、当時珍しかった「動く歩道」が新たに整備された。
小山さんは大勢の人に前後を挟まれながら「会場に向かうまでのアトラクションとして乗っていた」。

 それまでの桜木町は三菱重工業の造船所で働く「労働者の街」という印象が強く、小山さんには近寄りがたい雰囲気があった。
それだけに、色とりどりのパビリオンが並ぶ横浜博の会場で見た最新技術に胸が高鳴り、「モノクロだった世界が突然、カラーになったような感覚」。
ものづくりの素晴らしさに触れて、高揚感を覚えた。

 横浜博終了後、MM21地区の大規模開発が始まった。
臨海部では港や海を彷彿(ほうふつ)させる斬新なデザインの建築物や街路が整備され、都市型観光地として華やいだ雰囲気に包まれていった。

 長らく米軍に接収されていた新港ふ頭だったが、横浜冷蔵倉庫(中区新港町)が94年に返還。
臨海部の開発が加速し、戦後横浜に色濃く残っていた「フェンスの向こうのアメリカ」のイメージは薄れていった。

 昭和から平成へと移る激動の時代。小山さんは造船所から横浜博、そしてビジネス都市へと街が生まれ変わる場面に立ち会うことになる。

 小山さんは横浜博の開幕と同じ89年に完成した横浜ベイブリッジに感激し、巨大な構造物を作りたいと三菱重工業横浜製作所(横製)に入社した。
念願かなって横浜ベイブリッジ下層の国道357号部分の構造に関わる製作に携わり、その後、社内報を担当。
資料調査や関係者への取材を通して造船所の歩みを調べ、記録していった。

 印象に残る出来事は、MM21地区のみなとみらいセンタービル建設現場で2008年、造船所で建造された「山汐(やましお)丸」のいかりが発掘されたことだ。
高層ビルが林立する中、造船所時代の記憶を呼び起こす「タイムカプセル」のようだった。
国の重要文化財として保存されている2基のドックなど、地区内に残る造船所時代の面影を社内報で分かりやすく紹介した。

 その後、火力発電などを担う事業会社「三菱日立パワーシステムズ」に転籍し、
18年4月からは、横浜ランドマークタワーや横浜美術館に隣接する三菱重工横浜ビルで広報を担う。
くしくも造船所の跡地に建てられた高層ビル。眼下には、中学生時代に胸躍らせたMM21地区が広がる。

 横製時代に先輩とともに手掛けた社内報は宝物だ。
「薄れゆく造船所時代の記憶と思い出が記録できてよかった。新たな時代になっても、この街の物語を伝え続けたい」 

 ◆六大事業とMM21事業 六大事業とは
(1)横浜都心部強化
(2)港北ニュータウン建設
(3)金沢地先埋め立て事業
(4)高速鉄道(地下鉄)建設
(5)高速道路網建設
(6)ベイブリッジ建設−の各事業。(1)の中核的プロジェクトであるMM21事業は、横浜の自立性の強化▽港湾機能の質的転換▽首都圏の業務機能の分担を目的とし、「24時間活動する国際文化都市」などの都市像を掲げている。
2019/02/07(木) 14:04:08.65ID:r83XMpwh
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 「平成」が幕を開けた1989年。横浜・みなとみらい21(MM21)地区に立った少年は、そのまぶしさに心躍らせていた。
色彩豊かな街並み、初めて目にする技術の数々。
目に飛び込む全てが新しい。
光り輝く未来を思い描き、自身の明るい将来を重ねた。

 MM21地区のお披露目を兼ねて、191日間にわたって開催された「横浜博覧会(YES'89)」。
時はバブル景気真っ盛り。
華々しく開幕した3月25日を境に、異国情緒あふれ夜霧が似合う港町から、流行の先端を走る未来都市へと変貌を遂げようとしていた。

 博覧会のテーマは「宇宙と子供たち」。
横浜市制100周年、横浜港開港130周年を記念して催された。
企業や自治体が33館のパビリオンを出展し、20カ国・地域が参加。
開幕直後から市民らが大挙として詰めかけ、入場者数は国際博覧会並みの1333万7千人を記録した。

 三菱グループが立体映像を上映したパビリオン「三菱未来館」の入場を待つ長い列で、少年は期待に胸をふくらませていた。
当時中学3年生の小山慶和さん(44)=横浜市磯子区=は、宇宙へと飛び出してゆく迫力あるコンピューター・グラフィックスの画面に言葉を失った。

 JR桜木町駅から会場までは、当時珍しかった「動く歩道」が新たに整備された。
小山さんは大勢の人に前後を挟まれながら「会場に向かうまでのアトラクションとして乗っていた」。

 それまでの桜木町は三菱重工業の造船所で働く「労働者の街」という印象が強く、小山さんには近寄りがたい雰囲気があった。
それだけに、色とりどりのパビリオンが並ぶ横浜博の会場で見た最新技術に胸が高鳴り、「モノクロだった世界が突然、カラーになったような感覚」。
ものづくりの素晴らしさに触れて、高揚感を覚えた。

 横浜博終了後、MM21地区の大規模開発が始まった。
臨海部では港や海を彷彿(ほうふつ)させる斬新なデザインの建築物や街路が整備され、都市型観光地として華やいだ雰囲気に包まれていった。

 長らく米軍に接収されていた新港ふ頭だったが、横浜冷蔵倉庫(中区新港町)が94年に返還。
臨海部の開発が加速し、戦後横浜に色濃く残っていた「フェンスの向こうのアメリカ」のイメージは薄れていった。

 昭和から平成へと移る激動の時代。小山さんは造船所から横浜博、そしてビジネス都市へと街が生まれ変わる場面に立ち会うことになる。

 小山さんは横浜博の開幕と同じ89年に完成した横浜ベイブリッジに感激し、巨大な構造物を作りたいと三菱重工業横浜製作所(横製)に入社した。
念願かなって横浜ベイブリッジ下層の国道357号部分の構造に関わる製作に携わり、その後、社内報を担当。
資料調査や関係者への取材を通して造船所の歩みを調べ、記録していった。

 印象に残る出来事は、MM21地区のみなとみらいセンタービル建設現場で2008年、造船所で建造された「山汐(やましお)丸」のいかりが発掘されたことだ。
高層ビルが林立する中、造船所時代の記憶を呼び起こす「タイムカプセル」のようだった。
国の重要文化財として保存されている2基のドックなど、地区内に残る造船所時代の面影を社内報で分かりやすく紹介した。

 その後、火力発電などを担う事業会社「三菱日立パワーシステムズ」に転籍し、
18年4月からは、横浜ランドマークタワーや横浜美術館に隣接する三菱重工横浜ビルで広報を担う。
くしくも造船所の跡地に建てられた高層ビル。眼下には、中学生時代に胸躍らせたMM21地区が広がる。

 横製時代に先輩とともに手掛けた社内報は宝物だ。
「薄れゆく造船所時代の記憶と思い出が記録できてよかった。新たな時代になっても、この街の物語を伝え続けたい」 

 ◆六大事業とMM21事業 六大事業とは
(1)横浜都心部強化
(2)港北ニュータウン建設
(3)金沢地先埋め立て事業
(4)高速鉄道(地下鉄)建設
(5)高速道路網建設
(6)ベイブリッジ建設−の各事業。(1)の中核的プロジェクトであるMM21事業は、横浜の自立性の強化▽港湾機能の質的転換▽首都圏の業務機能の分担を目的とし、「24時間活動する国際文化都市」などの都市像を掲げている。
2019/02/07(木) 14:04:31.61ID:r83XMpwh
平成と横浜・みなとみらい 「モノクロの世界がカラーに」
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 「平成」が幕を開けた1989年。横浜・みなとみらい21(MM21)地区に立った少年は、そのまぶしさに心躍らせていた。
色彩豊かな街並み、初めて目にする技術の数々。
目に飛び込む全てが新しい。
光り輝く未来を思い描き、自身の明るい将来を重ねた。

 MM21地区のお披露目を兼ねて、191日間にわたって開催された「横浜博覧会(YES'89)」。
時はバブル景気真っ盛り。
華々しく開幕した3月25日を境に、異国情緒あふれ夜霧が似合う港町から、流行の先端を走る未来都市へと変貌を遂げようとしていた。

 博覧会のテーマは「宇宙と子供たち」。
横浜市制100周年、横浜港開港130周年を記念して催された。
企業や自治体が33館のパビリオンを出展し、20カ国・地域が参加。
開幕直後から市民らが大挙として詰めかけ、入場者数は国際博覧会並みの1333万7千人を記録した。

 三菱グループが立体映像を上映したパビリオン「三菱未来館」の入場を待つ長い列で、少年は期待に胸をふくらませていた。
当時中学3年生の小山慶和さん(44)=横浜市磯子区=は、宇宙へと飛び出してゆく迫力あるコンピューター・グラフィックスの画面に言葉を失った。

 JR桜木町駅から会場までは、当時珍しかった「動く歩道」が新たに整備された。
小山さんは大勢の人に前後を挟まれながら「会場に向かうまでのアトラクションとして乗っていた」。

 それまでの桜木町は三菱重工業の造船所で働く「労働者の街」という印象が強く、小山さんには近寄りがたい雰囲気があった。
それだけに、色とりどりのパビリオンが並ぶ横浜博の会場で見た最新技術に胸が高鳴り、「モノクロだった世界が突然、カラーになったような感覚」。
ものづくりの素晴らしさに触れて、高揚感を覚えた。

 横浜博終了後、MM21地区の大規模開発が始まった。
臨海部では港や海を彷彿(ほうふつ)させる斬新なデザインの建築物や街路が整備され、都市型観光地として華やいだ雰囲気に包まれていった。

 長らく米軍に接収されていた新港ふ頭だったが、横浜冷蔵倉庫(中区新港町)が94年に返還。
臨海部の開発が加速し、戦後横浜に色濃く残っていた「フェンスの向こうのアメリカ」のイメージは薄れていった。

 昭和から平成へと移る激動の時代。小山さんは造船所から横浜博、そしてビジネス都市へと街が生まれ変わる場面に立ち会うことになる。

 小山さんは横浜博の開幕と同じ89年に完成した横浜ベイブリッジに感激し、巨大な構造物を作りたいと三菱重工業横浜製作所(横製)に入社した。
念願かなって横浜ベイブリッジ下層の国道357号部分の構造に関わる製作に携わり、その後、社内報を担当。
資料調査や関係者への取材を通して造船所の歩みを調べ、記録していった。

 印象に残る出来事は、MM21地区のみなとみらいセンタービル建設現場で2008年、造船所で建造された「山汐(やましお)丸」のいかりが発掘されたことだ。
高層ビルが林立する中、造船所時代の記憶を呼び起こす「タイムカプセル」のようだった。
国の重要文化財として保存されている2基のドックなど、地区内に残る造船所時代の面影を社内報で分かりやすく紹介した。

 その後、火力発電などを担う事業会社「三菱日立パワーシステムズ」に転籍し、
18年4月からは、横浜ランドマークタワーや横浜美術館に隣接する三菱重工横浜ビルで広報を担う。
くしくも造船所の跡地に建てられた高層ビル。眼下には、中学生時代に胸躍らせたMM21地区が広がる。

 横製時代に先輩とともに手掛けた社内報は宝物だ。
「薄れゆく造船所時代の記憶と思い出が記録できてよかった。新たな時代になっても、この街の物語を伝え続けたい」 

 ◆六大事業とMM21事業 六大事業とは
(1)横浜都心部強化
(2)港北ニュータウン建設
(3)金沢地先埋め立て事業
(4)高速鉄道(地下鉄)建設
(5)高速道路網建設
(6)ベイブリッジ建設−の各事業。(1)の中核的プロジェクトであるMM21事業は、横浜の自立性の強化▽港湾機能の質的転換▽首都圏の業務機能の分担を目的とし、「24時間活動する国際文化都市」などの都市像を掲げている。
2019/02/07(木) 14:04:54.34ID:r83XMpwh
平成と横浜・みなとみらい 「モノクロの世界がカラーに」
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 「平成」が幕を開けた1989年。横浜・みなとみらい21(MM21)地区に立った少年は、そのまぶしさに心躍らせていた。
色彩豊かな街並み、初めて目にする技術の数々。
目に飛び込む全てが新しい。
光り輝く未来を思い描き、自身の明るい将来を重ねた。

 MM21地区のお披露目を兼ねて、191日間にわたって開催された「横浜博覧会(YES'89)」。
時はバブル景気真っ盛り。
華々しく開幕した3月25日を境に、異国情緒あふれ夜霧が似合う港町から、流行の先端を走る未来都市へと変貌を遂げようとしていた。

 博覧会のテーマは「宇宙と子供たち」。
横浜市制100周年、横浜港開港130周年を記念して催された。
企業や自治体が33館のパビリオンを出展し、20カ国・地域が参加。
開幕直後から市民らが大挙として詰めかけ、入場者数は国際博覧会並みの1333万7千人を記録した。

 三菱グループが立体映像を上映したパビリオン「三菱未来館」の入場を待つ長い列で、少年は期待に胸をふくらませていた。
当時中学3年生の小山慶和さん(44)=横浜市磯子区=は、宇宙へと飛び出してゆく迫力あるコンピューター・グラフィックスの画面に言葉を失った。

 JR桜木町駅から会場までは、当時珍しかった「動く歩道」が新たに整備された。
小山さんは大勢の人に前後を挟まれながら「会場に向かうまでのアトラクションとして乗っていた」。

 それまでの桜木町は三菱重工業の造船所で働く「労働者の街」という印象が強く、小山さんには近寄りがたい雰囲気があった。
それだけに、色とりどりのパビリオンが並ぶ横浜博の会場で見た最新技術に胸が高鳴り、「モノクロだった世界が突然、カラーになったような感覚」。
ものづくりの素晴らしさに触れて、高揚感を覚えた。

 横浜博終了後、MM21地区の大規模開発が始まった。
臨海部では港や海を彷彿(ほうふつ)させる斬新なデザインの建築物や街路が整備され、都市型観光地として華やいだ雰囲気に包まれていった。

 長らく米軍に接収されていた新港ふ頭だったが、横浜冷蔵倉庫(中区新港町)が94年に返還。
臨海部の開発が加速し、戦後横浜に色濃く残っていた「フェンスの向こうのアメリカ」のイメージは薄れていった。

 昭和から平成へと移る激動の時代。小山さんは造船所から横浜博、そしてビジネス都市へと街が生まれ変わる場面に立ち会うことになる。

 小山さんは横浜博の開幕と同じ89年に完成した横浜ベイブリッジに感激し、巨大な構造物を作りたいと三菱重工業横浜製作所(横製)に入社した。
念願かなって横浜ベイブリッジ下層の国道357号部分の構造に関わる製作に携わり、その後、社内報を担当。
資料調査や関係者への取材を通して造船所の歩みを調べ、記録していった。

 印象に残る出来事は、MM21地区のみなとみらいセンタービル建設現場で2008年、造船所で建造された「山汐(やましお)丸」のいかりが発掘されたことだ。
高層ビルが林立する中、造船所時代の記憶を呼び起こす「タイムカプセル」のようだった。
国の重要文化財として保存されている2基のドックなど、地区内に残る造船所時代の面影を社内報で分かりやすく紹介した。

 その後、火力発電などを担う事業会社「三菱日立パワーシステムズ」に転籍し、
18年4月からは、横浜ランドマークタワーや横浜美術館に隣接する三菱重工横浜ビルで広報を担う。
くしくも造船所の跡地に建てられた高層ビル。眼下には、中学生時代に胸躍らせたMM21地区が広がる。

 横製時代に先輩とともに手掛けた社内報は宝物だ。
「薄れゆく造船所時代の記憶と思い出が記録できてよかった。新たな時代になっても、この街の物語を伝え続けたい」 

 ◆六大事業とMM21事業 六大事業とは
(1)横浜都心部強化
(2)港北ニュータウン建設
(3)金沢地先埋め立て事業
(4)高速鉄道(地下鉄)建設
(5)高速道路網建設
(6)ベイブリッジ建設−の各事業。(1)の中核的プロジェクトであるMM21事業は、横浜の自立性の強化▽港湾機能の質的転換▽首都圏の業務機能の分担を目的とし、「24時間活動する国際文化都市」などの都市像を掲げている。
2019/02/07(木) 14:05:16.04ID:r83XMpwh
平成と横浜・みなとみらい 「モノクロの世界がカラーに」
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190122-00032881-kana-bus_all

 「平成」が幕を開けた1989年。横浜・みなとみらい21(MM21)地区に立った少年は、そのまぶしさに心躍らせていた。
色彩豊かな街並み、初めて目にする技術の数々。
目に飛び込む全てが新しい。
光り輝く未来を思い描き、自身の明るい将来を重ねた。

 MM21地区のお披露目を兼ねて、191日間にわたって開催された「横浜博覧会(YES'89)」。
時はバブル景気真っ盛り。
華々しく開幕した3月25日を境に、異国情緒あふれ夜霧が似合う港町から、流行の先端を走る未来都市へと変貌を遂げようとしていた。

 博覧会のテーマは「宇宙と子供たち」。
横浜市制100周年、横浜港開港130周年を記念して催された。
企業や自治体が33館のパビリオンを出展し、20カ国・地域が参加。
開幕直後から市民らが大挙として詰めかけ、入場者数は国際博覧会並みの1333万7千人を記録した。

 三菱グループが立体映像を上映したパビリオン「三菱未来館」の入場を待つ長い列で、少年は期待に胸をふくらませていた。
当時中学3年生の小山慶和さん(44)=横浜市磯子区=は、宇宙へと飛び出してゆく迫力あるコンピューター・グラフィックスの画面に言葉を失った。

 JR桜木町駅から会場までは、当時珍しかった「動く歩道」が新たに整備された。
小山さんは大勢の人に前後を挟まれながら「会場に向かうまでのアトラクションとして乗っていた」。

 それまでの桜木町は三菱重工業の造船所で働く「労働者の街」という印象が強く、小山さんには近寄りがたい雰囲気があった。
それだけに、色とりどりのパビリオンが並ぶ横浜博の会場で見た最新技術に胸が高鳴り、「モノクロだった世界が突然、カラーになったような感覚」。
ものづくりの素晴らしさに触れて、高揚感を覚えた。

 横浜博終了後、MM21地区の大規模開発が始まった。
臨海部では港や海を彷彿(ほうふつ)させる斬新なデザインの建築物や街路が整備され、都市型観光地として華やいだ雰囲気に包まれていった。

 長らく米軍に接収されていた新港ふ頭だったが、横浜冷蔵倉庫(中区新港町)が94年に返還。
臨海部の開発が加速し、戦後横浜に色濃く残っていた「フェンスの向こうのアメリカ」のイメージは薄れていった。

 昭和から平成へと移る激動の時代。小山さんは造船所から横浜博、そしてビジネス都市へと街が生まれ変わる場面に立ち会うことになる。

 小山さんは横浜博の開幕と同じ89年に完成した横浜ベイブリッジに感激し、巨大な構造物を作りたいと三菱重工業横浜製作所(横製)に入社した。
念願かなって横浜ベイブリッジ下層の国道357号部分の構造に関わる製作に携わり、その後、社内報を担当。
資料調査や関係者への取材を通して造船所の歩みを調べ、記録していった。

 印象に残る出来事は、MM21地区のみなとみらいセンタービル建設現場で2008年、造船所で建造された「山汐(やましお)丸」のいかりが発掘されたことだ。
高層ビルが林立する中、造船所時代の記憶を呼び起こす「タイムカプセル」のようだった。
国の重要文化財として保存されている2基のドックなど、地区内に残る造船所時代の面影を社内報で分かりやすく紹介した。

 その後、火力発電などを担う事業会社「三菱日立パワーシステムズ」に転籍し、
18年4月からは、横浜ランドマークタワーや横浜美術館に隣接する三菱重工横浜ビルで広報を担う。
くしくも造船所の跡地に建てられた高層ビル。眼下には、中学生時代に胸躍らせたMM21地区が広がる。

 横製時代に先輩とともに手掛けた社内報は宝物だ。
「薄れゆく造船所時代の記憶と思い出が記録できてよかった。新たな時代になっても、この街の物語を伝え続けたい」 

 ◆六大事業とMM21事業 六大事業とは
(1)横浜都心部強化
(2)港北ニュータウン建設
(3)金沢地先埋め立て事業
(4)高速鉄道(地下鉄)建設
(5)高速道路網建設
(6)ベイブリッジ建設−の各事業。(1)の中核的プロジェクトであるMM21事業は、横浜の自立性の強化▽港湾機能の質的転換▽首都圏の業務機能の分担を目的とし、「24時間活動する国際文化都市」などの都市像を掲げている。
2019/02/07(木) 14:05:39.25ID:r83XMpwh
平成と横浜・みなとみらい 「モノクロの世界がカラーに」
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190122-00032881-kana-bus_all

 「平成」が幕を開けた1989年。横浜・みなとみらい21(MM21)地区に立った少年は、そのまぶしさに心躍らせていた。
色彩豊かな街並み、初めて目にする技術の数々。
目に飛び込む全てが新しい。
光り輝く未来を思い描き、自身の明るい将来を重ねた。

 MM21地区のお披露目を兼ねて、191日間にわたって開催された「横浜博覧会(YES'89)」。
時はバブル景気真っ盛り。
華々しく開幕した3月25日を境に、異国情緒あふれ夜霧が似合う港町から、流行の先端を走る未来都市へと変貌を遂げようとしていた。

 博覧会のテーマは「宇宙と子供たち」。
横浜市制100周年、横浜港開港130周年を記念して催された。
企業や自治体が33館のパビリオンを出展し、20カ国・地域が参加。
開幕直後から市民らが大挙として詰めかけ、入場者数は国際博覧会並みの1333万7千人を記録した。

 三菱グループが立体映像を上映したパビリオン「三菱未来館」の入場を待つ長い列で、少年は期待に胸をふくらませていた。
当時中学3年生の小山慶和さん(44)=横浜市磯子区=は、宇宙へと飛び出してゆく迫力あるコンピューター・グラフィックスの画面に言葉を失った。

 JR桜木町駅から会場までは、当時珍しかった「動く歩道」が新たに整備された。
小山さんは大勢の人に前後を挟まれながら「会場に向かうまでのアトラクションとして乗っていた」。

 それまでの桜木町は三菱重工業の造船所で働く「労働者の街」という印象が強く、小山さんには近寄りがたい雰囲気があった。
それだけに、色とりどりのパビリオンが並ぶ横浜博の会場で見た最新技術に胸が高鳴り、「モノクロだった世界が突然、カラーになったような感覚」。
ものづくりの素晴らしさに触れて、高揚感を覚えた。

 横浜博終了後、MM21地区の大規模開発が始まった。
臨海部では港や海を彷彿(ほうふつ)させる斬新なデザインの建築物や街路が整備され、都市型観光地として華やいだ雰囲気に包まれていった。

 長らく米軍に接収されていた新港ふ頭だったが、横浜冷蔵倉庫(中区新港町)が94年に返還。
臨海部の開発が加速し、戦後横浜に色濃く残っていた「フェンスの向こうのアメリカ」のイメージは薄れていった。

 昭和から平成へと移る激動の時代。小山さんは造船所から横浜博、そしてビジネス都市へと街が生まれ変わる場面に立ち会うことになる。

 小山さんは横浜博の開幕と同じ89年に完成した横浜ベイブリッジに感激し、巨大な構造物を作りたいと三菱重工業横浜製作所(横製)に入社した。
念願かなって横浜ベイブリッジ下層の国道357号部分の構造に関わる製作に携わり、その後、社内報を担当。
資料調査や関係者への取材を通して造船所の歩みを調べ、記録していった。

 印象に残る出来事は、MM21地区のみなとみらいセンタービル建設現場で2008年、造船所で建造された「山汐(やましお)丸」のいかりが発掘されたことだ。
高層ビルが林立する中、造船所時代の記憶を呼び起こす「タイムカプセル」のようだった。
国の重要文化財として保存されている2基のドックなど、地区内に残る造船所時代の面影を社内報で分かりやすく紹介した。

 その後、火力発電などを担う事業会社「三菱日立パワーシステムズ」に転籍し、
18年4月からは、横浜ランドマークタワーや横浜美術館に隣接する三菱重工横浜ビルで広報を担う。
くしくも造船所の跡地に建てられた高層ビル。眼下には、中学生時代に胸躍らせたMM21地区が広がる。

 横製時代に先輩とともに手掛けた社内報は宝物だ。
「薄れゆく造船所時代の記憶と思い出が記録できてよかった。新たな時代になっても、この街の物語を伝え続けたい」 

 ◆六大事業とMM21事業 六大事業とは
(1)横浜都心部強化
(2)港北ニュータウン建設
(3)金沢地先埋め立て事業
(4)高速鉄道(地下鉄)建設
(5)高速道路網建設
(6)ベイブリッジ建設−の各事業。(1)の中核的プロジェクトであるMM21事業は、横浜の自立性の強化▽港湾機能の質的転換▽首都圏の業務機能の分担を目的とし、「24時間活動する国際文化都市」などの都市像を掲げている。
2019/02/07(木) 14:06:03.38ID:r83XMpwh
平成と横浜・みなとみらい 「モノクロの世界がカラーに」
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190122-00032881-kana-bus_all

 「平成」が幕を開けた1989年。横浜・みなとみらい21(MM21)地区に立った少年は、そのまぶしさに心躍らせていた。
色彩豊かな街並み、初めて目にする技術の数々。
目に飛び込む全てが新しい。
光り輝く未来を思い描き、自身の明るい将来を重ねた。

 MM21地区のお披露目を兼ねて、191日間にわたって開催された「横浜博覧会(YES'89)」。
時はバブル景気真っ盛り。
華々しく開幕した3月25日を境に、異国情緒あふれ夜霧が似合う港町から、流行の先端を走る未来都市へと変貌を遂げようとしていた。

 博覧会のテーマは「宇宙と子供たち」。
横浜市制100周年、横浜港開港130周年を記念して催された。
企業や自治体が33館のパビリオンを出展し、20カ国・地域が参加。
開幕直後から市民らが大挙として詰めかけ、入場者数は国際博覧会並みの1333万7千人を記録した。

 三菱グループが立体映像を上映したパビリオン「三菱未来館」の入場を待つ長い列で、少年は期待に胸をふくらませていた。
当時中学3年生の小山慶和さん(44)=横浜市磯子区=は、宇宙へと飛び出してゆく迫力あるコンピューター・グラフィックスの画面に言葉を失った。

 JR桜木町駅から会場までは、当時珍しかった「動く歩道」が新たに整備された。
小山さんは大勢の人に前後を挟まれながら「会場に向かうまでのアトラクションとして乗っていた」。

 それまでの桜木町は三菱重工業の造船所で働く「労働者の街」という印象が強く、小山さんには近寄りがたい雰囲気があった。
それだけに、色とりどりのパビリオンが並ぶ横浜博の会場で見た最新技術に胸が高鳴り、「モノクロだった世界が突然、カラーになったような感覚」。
ものづくりの素晴らしさに触れて、高揚感を覚えた。

 横浜博終了後、MM21地区の大規模開発が始まった。
臨海部では港や海を彷彿(ほうふつ)させる斬新なデザインの建築物や街路が整備され、都市型観光地として華やいだ雰囲気に包まれていった。

 長らく米軍に接収されていた新港ふ頭だったが、横浜冷蔵倉庫(中区新港町)が94年に返還。
臨海部の開発が加速し、戦後横浜に色濃く残っていた「フェンスの向こうのアメリカ」のイメージは薄れていった。

 昭和から平成へと移る激動の時代。小山さんは造船所から横浜博、そしてビジネス都市へと街が生まれ変わる場面に立ち会うことになる。

 小山さんは横浜博の開幕と同じ89年に完成した横浜ベイブリッジに感激し、巨大な構造物を作りたいと三菱重工業横浜製作所(横製)に入社した。
念願かなって横浜ベイブリッジ下層の国道357号部分の構造に関わる製作に携わり、その後、社内報を担当。
資料調査や関係者への取材を通して造船所の歩みを調べ、記録していった。

 印象に残る出来事は、MM21地区のみなとみらいセンタービル建設現場で2008年、造船所で建造された「山汐(やましお)丸」のいかりが発掘されたことだ。
高層ビルが林立する中、造船所時代の記憶を呼び起こす「タイムカプセル」のようだった。
国の重要文化財として保存されている2基のドックなど、地区内に残る造船所時代の面影を社内報で分かりやすく紹介した。

 その後、火力発電などを担う事業会社「三菱日立パワーシステムズ」に転籍し、
18年4月からは、横浜ランドマークタワーや横浜美術館に隣接する三菱重工横浜ビルで広報を担う。
くしくも造船所の跡地に建てられた高層ビル。眼下には、中学生時代に胸躍らせたMM21地区が広がる。

 横製時代に先輩とともに手掛けた社内報は宝物だ。
「薄れゆく造船所時代の記憶と思い出が記録できてよかった。新たな時代になっても、この街の物語を伝え続けたい」 

 ◆六大事業とMM21事業 六大事業とは
(1)横浜都心部強化
(2)港北ニュータウン建設
(3)金沢地先埋め立て事業
(4)高速鉄道(地下鉄)建設
(5)高速道路網建設
(6)ベイブリッジ建設−の各事業。(1)の中核的プロジェクトであるMM21事業は、横浜の自立性の強化▽港湾機能の質的転換▽首都圏の業務機能の分担を目的とし、「24時間活動する国際文化都市」などの都市像を掲げている。
2019/02/07(木) 14:06:25.50ID:r83XMpwh
平成と横浜・みなとみらい 「モノクロの世界がカラーに」
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 「平成」が幕を開けた1989年。横浜・みなとみらい21(MM21)地区に立った少年は、そのまぶしさに心躍らせていた。
色彩豊かな街並み、初めて目にする技術の数々。
目に飛び込む全てが新しい。
光り輝く未来を思い描き、自身の明るい将来を重ねた。

 MM21地区のお披露目を兼ねて、191日間にわたって開催された「横浜博覧会(YES'89)」。
時はバブル景気真っ盛り。
華々しく開幕した3月25日を境に、異国情緒あふれ夜霧が似合う港町から、流行の先端を走る未来都市へと変貌を遂げようとしていた。

 博覧会のテーマは「宇宙と子供たち」。
横浜市制100周年、横浜港開港130周年を記念して催された。
企業や自治体が33館のパビリオンを出展し、20カ国・地域が参加。
開幕直後から市民らが大挙として詰めかけ、入場者数は国際博覧会並みの1333万7千人を記録した。

 三菱グループが立体映像を上映したパビリオン「三菱未来館」の入場を待つ長い列で、少年は期待に胸をふくらませていた。
当時中学3年生の小山慶和さん(44)=横浜市磯子区=は、宇宙へと飛び出してゆく迫力あるコンピューター・グラフィックスの画面に言葉を失った。

 JR桜木町駅から会場までは、当時珍しかった「動く歩道」が新たに整備された。
小山さんは大勢の人に前後を挟まれながら「会場に向かうまでのアトラクションとして乗っていた」。

 それまでの桜木町は三菱重工業の造船所で働く「労働者の街」という印象が強く、小山さんには近寄りがたい雰囲気があった。
それだけに、色とりどりのパビリオンが並ぶ横浜博の会場で見た最新技術に胸が高鳴り、「モノクロだった世界が突然、カラーになったような感覚」。
ものづくりの素晴らしさに触れて、高揚感を覚えた。

 横浜博終了後、MM21地区の大規模開発が始まった。
臨海部では港や海を彷彿(ほうふつ)させる斬新なデザインの建築物や街路が整備され、都市型観光地として華やいだ雰囲気に包まれていった。

 長らく米軍に接収されていた新港ふ頭だったが、横浜冷蔵倉庫(中区新港町)が94年に返還。
臨海部の開発が加速し、戦後横浜に色濃く残っていた「フェンスの向こうのアメリカ」のイメージは薄れていった。

 昭和から平成へと移る激動の時代。小山さんは造船所から横浜博、そしてビジネス都市へと街が生まれ変わる場面に立ち会うことになる。

 小山さんは横浜博の開幕と同じ89年に完成した横浜ベイブリッジに感激し、巨大な構造物を作りたいと三菱重工業横浜製作所(横製)に入社した。
念願かなって横浜ベイブリッジ下層の国道357号部分の構造に関わる製作に携わり、その後、社内報を担当。
資料調査や関係者への取材を通して造船所の歩みを調べ、記録していった。

 印象に残る出来事は、MM21地区のみなとみらいセンタービル建設現場で2008年、造船所で建造された「山汐(やましお)丸」のいかりが発掘されたことだ。
高層ビルが林立する中、造船所時代の記憶を呼び起こす「タイムカプセル」のようだった。
国の重要文化財として保存されている2基のドックなど、地区内に残る造船所時代の面影を社内報で分かりやすく紹介した。

 その後、火力発電などを担う事業会社「三菱日立パワーシステムズ」に転籍し、
18年4月からは、横浜ランドマークタワーや横浜美術館に隣接する三菱重工横浜ビルで広報を担う。
くしくも造船所の跡地に建てられた高層ビル。眼下には、中学生時代に胸躍らせたMM21地区が広がる。

 横製時代に先輩とともに手掛けた社内報は宝物だ。
「薄れゆく造船所時代の記憶と思い出が記録できてよかった。新たな時代になっても、この街の物語を伝え続けたい」 

 ◆六大事業とMM21事業 六大事業とは
(1)横浜都心部強化
(2)港北ニュータウン建設
(3)金沢地先埋め立て事業
(4)高速鉄道(地下鉄)建設
(5)高速道路網建設
(6)ベイブリッジ建設−の各事業。(1)の中核的プロジェクトであるMM21事業は、横浜の自立性の強化▽港湾機能の質的転換▽首都圏の業務機能の分担を目的とし、「24時間活動する国際文化都市」などの都市像を掲げている。
2019/02/07(木) 14:06:48.02ID:r83XMpwh
平成と横浜・みなとみらい 「モノクロの世界がカラーに」
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 「平成」が幕を開けた1989年。横浜・みなとみらい21(MM21)地区に立った少年は、そのまぶしさに心躍らせていた。
色彩豊かな街並み、初めて目にする技術の数々。
目に飛び込む全てが新しい。
光り輝く未来を思い描き、自身の明るい将来を重ねた。

 MM21地区のお披露目を兼ねて、191日間にわたって開催された「横浜博覧会(YES'89)」。
時はバブル景気真っ盛り。
華々しく開幕した3月25日を境に、異国情緒あふれ夜霧が似合う港町から、流行の先端を走る未来都市へと変貌を遂げようとしていた。

 博覧会のテーマは「宇宙と子供たち」。
横浜市制100周年、横浜港開港130周年を記念して催された。
企業や自治体が33館のパビリオンを出展し、20カ国・地域が参加。
開幕直後から市民らが大挙として詰めかけ、入場者数は国際博覧会並みの1333万7千人を記録した。

 三菱グループが立体映像を上映したパビリオン「三菱未来館」の入場を待つ長い列で、少年は期待に胸をふくらませていた。
当時中学3年生の小山慶和さん(44)=横浜市磯子区=は、宇宙へと飛び出してゆく迫力あるコンピューター・グラフィックスの画面に言葉を失った。

 JR桜木町駅から会場までは、当時珍しかった「動く歩道」が新たに整備された。
小山さんは大勢の人に前後を挟まれながら「会場に向かうまでのアトラクションとして乗っていた」。

 それまでの桜木町は三菱重工業の造船所で働く「労働者の街」という印象が強く、小山さんには近寄りがたい雰囲気があった。
それだけに、色とりどりのパビリオンが並ぶ横浜博の会場で見た最新技術に胸が高鳴り、「モノクロだった世界が突然、カラーになったような感覚」。
ものづくりの素晴らしさに触れて、高揚感を覚えた。

 横浜博終了後、MM21地区の大規模開発が始まった。
臨海部では港や海を彷彿(ほうふつ)させる斬新なデザインの建築物や街路が整備され、都市型観光地として華やいだ雰囲気に包まれていった。

 長らく米軍に接収されていた新港ふ頭だったが、横浜冷蔵倉庫(中区新港町)が94年に返還。
臨海部の開発が加速し、戦後横浜に色濃く残っていた「フェンスの向こうのアメリカ」のイメージは薄れていった。

 昭和から平成へと移る激動の時代。小山さんは造船所から横浜博、そしてビジネス都市へと街が生まれ変わる場面に立ち会うことになる。

 小山さんは横浜博の開幕と同じ89年に完成した横浜ベイブリッジに感激し、巨大な構造物を作りたいと三菱重工業横浜製作所(横製)に入社した。
念願かなって横浜ベイブリッジ下層の国道357号部分の構造に関わる製作に携わり、その後、社内報を担当。
資料調査や関係者への取材を通して造船所の歩みを調べ、記録していった。

 印象に残る出来事は、MM21地区のみなとみらいセンタービル建設現場で2008年、造船所で建造された「山汐(やましお)丸」のいかりが発掘されたことだ。
高層ビルが林立する中、造船所時代の記憶を呼び起こす「タイムカプセル」のようだった。
国の重要文化財として保存されている2基のドックなど、地区内に残る造船所時代の面影を社内報で分かりやすく紹介した。

 その後、火力発電などを担う事業会社「三菱日立パワーシステムズ」に転籍し、
18年4月からは、横浜ランドマークタワーや横浜美術館に隣接する三菱重工横浜ビルで広報を担う。
くしくも造船所の跡地に建てられた高層ビル。眼下には、中学生時代に胸躍らせたMM21地区が広がる。

 横製時代に先輩とともに手掛けた社内報は宝物だ。
「薄れゆく造船所時代の記憶と思い出が記録できてよかった。新たな時代になっても、この街の物語を伝え続けたい」 

 ◆六大事業とMM21事業 六大事業とは
(1)横浜都心部強化
(2)港北ニュータウン建設
(3)金沢地先埋め立て事業
(4)高速鉄道(地下鉄)建設
(5)高速道路網建設
(6)ベイブリッジ建設−の各事業。(1)の中核的プロジェクトであるMM21事業は、横浜の自立性の強化▽港湾機能の質的転換▽首都圏の業務機能の分担を目的とし、「24時間活動する国際文化都市」などの都市像を掲げている。
2019/02/07(木) 14:07:11.00ID:r83XMpwh
平成と横浜・みなとみらい 「モノクロの世界がカラーに」
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190122-00032881-kana-bus_all

 「平成」が幕を開けた1989年。横浜・みなとみらい21(MM21)地区に立った少年は、そのまぶしさに心躍らせていた。
色彩豊かな街並み、初めて目にする技術の数々。
目に飛び込む全てが新しい。
光り輝く未来を思い描き、自身の明るい将来を重ねた。

 MM21地区のお披露目を兼ねて、191日間にわたって開催された「横浜博覧会(YES'89)」。
時はバブル景気真っ盛り。
華々しく開幕した3月25日を境に、異国情緒あふれ夜霧が似合う港町から、流行の先端を走る未来都市へと変貌を遂げようとしていた。

 博覧会のテーマは「宇宙と子供たち」。
横浜市制100周年、横浜港開港130周年を記念して催された。
企業や自治体が33館のパビリオンを出展し、20カ国・地域が参加。
開幕直後から市民らが大挙として詰めかけ、入場者数は国際博覧会並みの1333万7千人を記録した。

 三菱グループが立体映像を上映したパビリオン「三菱未来館」の入場を待つ長い列で、少年は期待に胸をふくらませていた。
当時中学3年生の小山慶和さん(44)=横浜市磯子区=は、宇宙へと飛び出してゆく迫力あるコンピューター・グラフィックスの画面に言葉を失った。

 JR桜木町駅から会場までは、当時珍しかった「動く歩道」が新たに整備された。
小山さんは大勢の人に前後を挟まれながら「会場に向かうまでのアトラクションとして乗っていた」。

 それまでの桜木町は三菱重工業の造船所で働く「労働者の街」という印象が強く、小山さんには近寄りがたい雰囲気があった。
それだけに、色とりどりのパビリオンが並ぶ横浜博の会場で見た最新技術に胸が高鳴り、「モノクロだった世界が突然、カラーになったような感覚」。
ものづくりの素晴らしさに触れて、高揚感を覚えた。

 横浜博終了後、MM21地区の大規模開発が始まった。
臨海部では港や海を彷彿(ほうふつ)させる斬新なデザインの建築物や街路が整備され、都市型観光地として華やいだ雰囲気に包まれていった。

 長らく米軍に接収されていた新港ふ頭だったが、横浜冷蔵倉庫(中区新港町)が94年に返還。
臨海部の開発が加速し、戦後横浜に色濃く残っていた「フェンスの向こうのアメリカ」のイメージは薄れていった。

 昭和から平成へと移る激動の時代。小山さんは造船所から横浜博、そしてビジネス都市へと街が生まれ変わる場面に立ち会うことになる。

 小山さんは横浜博の開幕と同じ89年に完成した横浜ベイブリッジに感激し、巨大な構造物を作りたいと三菱重工業横浜製作所(横製)に入社した。
念願かなって横浜ベイブリッジ下層の国道357号部分の構造に関わる製作に携わり、その後、社内報を担当。
資料調査や関係者への取材を通して造船所の歩みを調べ、記録していった。

 印象に残る出来事は、MM21地区のみなとみらいセンタービル建設現場で2008年、造船所で建造された「山汐(やましお)丸」のいかりが発掘されたことだ。
高層ビルが林立する中、造船所時代の記憶を呼び起こす「タイムカプセル」のようだった。
国の重要文化財として保存されている2基のドックなど、地区内に残る造船所時代の面影を社内報で分かりやすく紹介した。

 その後、火力発電などを担う事業会社「三菱日立パワーシステムズ」に転籍し、
18年4月からは、横浜ランドマークタワーや横浜美術館に隣接する三菱重工横浜ビルで広報を担う。
くしくも造船所の跡地に建てられた高層ビル。眼下には、中学生時代に胸躍らせたMM21地区が広がる。

 横製時代に先輩とともに手掛けた社内報は宝物だ。
「薄れゆく造船所時代の記憶と思い出が記録できてよかった。新たな時代になっても、この街の物語を伝え続けたい」 

 ◆六大事業とMM21事業 六大事業とは
(1)横浜都心部強化
(2)港北ニュータウン建設
(3)金沢地先埋め立て事業
(4)高速鉄道(地下鉄)建設
(5)高速道路網建設
(6)ベイブリッジ建設−の各事業。(1)の中核的プロジェクトであるMM21事業は、横浜の自立性の強化▽港湾機能の質的転換▽首都圏の業務機能の分担を目的とし、「24時間活動する国際文化都市」などの都市像を掲げている。
2019/02/07(木) 14:08:55.62ID:PqBcXX4z
平成と横浜・みなとみらい 「モノクロの世界がカラーに」
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190122-00032881-kana-bus_all

 「平成」が幕を開けた1989年。横浜・みなとみらい21(MM21)地区に立った少年は、そのまぶしさに心躍らせていた。
色彩豊かな街並み、初めて目にする技術の数々。
目に飛び込む全てが新しい。
光り輝く未来を思い描き、自身の明るい将来を重ねた。

 MM21地区のお披露目を兼ねて、191日間にわたって開催された「横浜博覧会(YES'89)」。
時はバブル景気真っ盛り。
華々しく開幕した3月25日を境に、異国情緒あふれ夜霧が似合う港町から、流行の先端を走る未来都市へと変貌を遂げようとしていた。

 博覧会のテーマは「宇宙と子供たち」。
横浜市制100周年、横浜港開港130周年を記念して催された。
企業や自治体が33館のパビリオンを出展し、20カ国・地域が参加。
開幕直後から市民らが大挙として詰めかけ、入場者数は国際博覧会並みの1333万7千人を記録した。

 三菱グループが立体映像を上映したパビリオン「三菱未来館」の入場を待つ長い列で、少年は期待に胸をふくらませていた。
当時中学3年生の小山慶和さん(44)=横浜市磯子区=は、宇宙へと飛び出してゆく迫力あるコンピューター・グラフィックスの画面に言葉を失った。

 JR桜木町駅から会場までは、当時珍しかった「動く歩道」が新たに整備された。
小山さんは大勢の人に前後を挟まれながら「会場に向かうまでのアトラクションとして乗っていた」。

 それまでの桜木町は三菱重工業の造船所で働く「労働者の街」という印象が強く、小山さんには近寄りがたい雰囲気があった。
それだけに、色とりどりのパビリオンが並ぶ横浜博の会場で見た最新技術に胸が高鳴り、「モノクロだった世界が突然、カラーになったような感覚」。
ものづくりの素晴らしさに触れて、高揚感を覚えた。

 横浜博終了後、MM21地区の大規模開発が始まった。
臨海部では港や海を彷彿(ほうふつ)させる斬新なデザインの建築物や街路が整備され、都市型観光地として華やいだ雰囲気に包まれていった。

 長らく米軍に接収されていた新港ふ頭だったが、横浜冷蔵倉庫(中区新港町)が94年に返還。
臨海部の開発が加速し、戦後横浜に色濃く残っていた「フェンスの向こうのアメリカ」のイメージは薄れていった。

 昭和から平成へと移る激動の時代。小山さんは造船所から横浜博、そしてビジネス都市へと街が生まれ変わる場面に立ち会うことになる。

 小山さんは横浜博の開幕と同じ89年に完成した横浜ベイブリッジに感激し、巨大な構造物を作りたいと三菱重工業横浜製作所(横製)に入社した。
念願かなって横浜ベイブリッジ下層の国道357号部分の構造に関わる製作に携わり、その後、社内報を担当。
資料調査や関係者への取材を通して造船所の歩みを調べ、記録していった。

 印象に残る出来事は、MM21地区のみなとみらいセンタービル建設現場で2008年、造船所で建造された「山汐(やましお)丸」のいかりが発掘されたことだ。
高層ビルが林立する中、造船所時代の記憶を呼び起こす「タイムカプセル」のようだった。
国の重要文化財として保存されている2基のドックなど、地区内に残る造船所時代の面影を社内報で分かりやすく紹介した。

 その後、火力発電などを担う事業会社「三菱日立パワーシステムズ」に転籍し、
18年4月からは、横浜ランドマークタワーや横浜美術館に隣接する三菱重工横浜ビルで広報を担う。
くしくも造船所の跡地に建てられた高層ビル。眼下には、中学生時代に胸躍らせたMM21地区が広がる。

 横製時代に先輩とともに手掛けた社内報は宝物だ。
「薄れゆく造船所時代の記憶と思い出が記録できてよかった。新たな時代になっても、この街の物語を伝え続けたい」 

 ◆六大事業とMM21事業 六大事業とは
(1)横浜都心部強化
(2)港北ニュータウン建設
(3)金沢地先埋め立て事業
(4)高速鉄道(地下鉄)建設
(5)高速道路網建設
(6)ベイブリッジ建設−の各事業。(1)の中核的プロジェクトであるMM21事業は、横浜の自立性の強化▽港湾機能の質的転換▽首都圏の業務機能の分担を目的とし、「24時間活動する国際文化都市」などの都市像を掲げている。
2019/02/07(木) 14:09:28.72ID:PqBcXX4z
平成と横浜・みなとみらい 「モノクロの世界がカラーに」
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190122-00032881-kana-bus_all

 「平成」が幕を開けた1989年。横浜・みなとみらい21(MM21)地区に立った少年は、そのまぶしさに心躍らせていた。
色彩豊かな街並み、初めて目にする技術の数々。
目に飛び込む全てが新しい。
光り輝く未来を思い描き、自身の明るい将来を重ねた。

 MM21地区のお披露目を兼ねて、191日間にわたって開催された「横浜博覧会(YES'89)」。
時はバブル景気真っ盛り。
華々しく開幕した3月25日を境に、異国情緒あふれ夜霧が似合う港町から、流行の先端を走る未来都市へと変貌を遂げようとしていた。

 博覧会のテーマは「宇宙と子供たち」。
横浜市制100周年、横浜港開港130周年を記念して催された。
企業や自治体が33館のパビリオンを出展し、20カ国・地域が参加。
開幕直後から市民らが大挙として詰めかけ、入場者数は国際博覧会並みの1333万7千人を記録した。

 三菱グループが立体映像を上映したパビリオン「三菱未来館」の入場を待つ長い列で、少年は期待に胸をふくらませていた。
当時中学3年生の小山慶和さん(44)=横浜市磯子区=は、宇宙へと飛び出してゆく迫力あるコンピューター・グラフィックスの画面に言葉を失った。

 JR桜木町駅から会場までは、当時珍しかった「動く歩道」が新たに整備された。
小山さんは大勢の人に前後を挟まれながら「会場に向かうまでのアトラクションとして乗っていた」。

 それまでの桜木町は三菱重工業の造船所で働く「労働者の街」という印象が強く、小山さんには近寄りがたい雰囲気があった。
それだけに、色とりどりのパビリオンが並ぶ横浜博の会場で見た最新技術に胸が高鳴り、「モノクロだった世界が突然、カラーになったような感覚」。
ものづくりの素晴らしさに触れて、高揚感を覚えた。

 横浜博終了後、MM21地区の大規模開発が始まった。
臨海部では港や海を彷彿(ほうふつ)させる斬新なデザインの建築物や街路が整備され、都市型観光地として華やいだ雰囲気に包まれていった。

 長らく米軍に接収されていた新港ふ頭だったが、横浜冷蔵倉庫(中区新港町)が94年に返還。
臨海部の開発が加速し、戦後横浜に色濃く残っていた「フェンスの向こうのアメリカ」のイメージは薄れていった。

 昭和から平成へと移る激動の時代。小山さんは造船所から横浜博、そしてビジネス都市へと街が生まれ変わる場面に立ち会うことになる。

 小山さんは横浜博の開幕と同じ89年に完成した横浜ベイブリッジに感激し、巨大な構造物を作りたいと三菱重工業横浜製作所(横製)に入社した。
念願かなって横浜ベイブリッジ下層の国道357号部分の構造に関わる製作に携わり、その後、社内報を担当。
資料調査や関係者への取材を通して造船所の歩みを調べ、記録していった。

 印象に残る出来事は、MM21地区のみなとみらいセンタービル建設現場で2008年、造船所で建造された「山汐(やましお)丸」のいかりが発掘されたことだ。
高層ビルが林立する中、造船所時代の記憶を呼び起こす「タイムカプセル」のようだった。
国の重要文化財として保存されている2基のドックなど、地区内に残る造船所時代の面影を社内報で分かりやすく紹介した。

 その後、火力発電などを担う事業会社「三菱日立パワーシステムズ」に転籍し、
18年4月からは、横浜ランドマークタワーや横浜美術館に隣接する三菱重工横浜ビルで広報を担う。
くしくも造船所の跡地に建てられた高層ビル。眼下には、中学生時代に胸躍らせたMM21地区が広がる。

 横製時代に先輩とともに手掛けた社内報は宝物だ。
「薄れゆく造船所時代の記憶と思い出が記録できてよかった。新たな時代になっても、この街の物語を伝え続けたい」 

 ◆六大事業とMM21事業 六大事業とは
(1)横浜都心部強化
(2)港北ニュータウン建設
(3)金沢地先埋め立て事業
(4)高速鉄道(地下鉄)建設
(5)高速道路網建設
(6)ベイブリッジ建設−の各事業。(1)の中核的プロジェクトであるMM21事業は、横浜の自立性の強化▽港湾機能の質的転換▽首都圏の業務機能の分担を目的とし、「24時間活動する国際文化都市」などの都市像を掲げている。
2019/02/07(木) 14:09:53.25ID:PqBcXX4z
平成と横浜・みなとみらい 「モノクロの世界がカラーに」
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190122-00032881-kana-bus_all

 「平成」が幕を開けた1989年。横浜・みなとみらい21(MM21)地区に立った少年は、そのまぶしさに心躍らせていた。
色彩豊かな街並み、初めて目にする技術の数々。
目に飛び込む全てが新しい。
光り輝く未来を思い描き、自身の明るい将来を重ねた。

 MM21地区のお披露目を兼ねて、191日間にわたって開催された「横浜博覧会(YES'89)」。
時はバブル景気真っ盛り。
華々しく開幕した3月25日を境に、異国情緒あふれ夜霧が似合う港町から、流行の先端を走る未来都市へと変貌を遂げようとしていた。

 博覧会のテーマは「宇宙と子供たち」。
横浜市制100周年、横浜港開港130周年を記念して催された。
企業や自治体が33館のパビリオンを出展し、20カ国・地域が参加。
開幕直後から市民らが大挙として詰めかけ、入場者数は国際博覧会並みの1333万7千人を記録した。

 三菱グループが立体映像を上映したパビリオン「三菱未来館」の入場を待つ長い列で、少年は期待に胸をふくらませていた。
当時中学3年生の小山慶和さん(44)=横浜市磯子区=は、宇宙へと飛び出してゆく迫力あるコンピューター・グラフィックスの画面に言葉を失った。

 JR桜木町駅から会場までは、当時珍しかった「動く歩道」が新たに整備された。
小山さんは大勢の人に前後を挟まれながら「会場に向かうまでのアトラクションとして乗っていた」。

 それまでの桜木町は三菱重工業の造船所で働く「労働者の街」という印象が強く、小山さんには近寄りがたい雰囲気があった。
それだけに、色とりどりのパビリオンが並ぶ横浜博の会場で見た最新技術に胸が高鳴り、「モノクロだった世界が突然、カラーになったような感覚」。
ものづくりの素晴らしさに触れて、高揚感を覚えた。

 横浜博終了後、MM21地区の大規模開発が始まった。
臨海部では港や海を彷彿(ほうふつ)させる斬新なデザインの建築物や街路が整備され、都市型観光地として華やいだ雰囲気に包まれていった。

 長らく米軍に接収されていた新港ふ頭だったが、横浜冷蔵倉庫(中区新港町)が94年に返還。
臨海部の開発が加速し、戦後横浜に色濃く残っていた「フェンスの向こうのアメリカ」のイメージは薄れていった。

 昭和から平成へと移る激動の時代。小山さんは造船所から横浜博、そしてビジネス都市へと街が生まれ変わる場面に立ち会うことになる。

 小山さんは横浜博の開幕と同じ89年に完成した横浜ベイブリッジに感激し、巨大な構造物を作りたいと三菱重工業横浜製作所(横製)に入社した。
念願かなって横浜ベイブリッジ下層の国道357号部分の構造に関わる製作に携わり、その後、社内報を担当。
資料調査や関係者への取材を通して造船所の歩みを調べ、記録していった。

 印象に残る出来事は、MM21地区のみなとみらいセンタービル建設現場で2008年、造船所で建造された「山汐(やましお)丸」のいかりが発掘されたことだ。
高層ビルが林立する中、造船所時代の記憶を呼び起こす「タイムカプセル」のようだった。
国の重要文化財として保存されている2基のドックなど、地区内に残る造船所時代の面影を社内報で分かりやすく紹介した。

 その後、火力発電などを担う事業会社「三菱日立パワーシステムズ」に転籍し、
18年4月からは、横浜ランドマークタワーや横浜美術館に隣接する三菱重工横浜ビルで広報を担う。
くしくも造船所の跡地に建てられた高層ビル。眼下には、中学生時代に胸躍らせたMM21地区が広がる。

 横製時代に先輩とともに手掛けた社内報は宝物だ。
「薄れゆく造船所時代の記憶と思い出が記録できてよかった。新たな時代になっても、この街の物語を伝え続けたい」 

 ◆六大事業とMM21事業 六大事業とは
(1)横浜都心部強化
(2)港北ニュータウン建設
(3)金沢地先埋め立て事業
(4)高速鉄道(地下鉄)建設
(5)高速道路網建設
(6)ベイブリッジ建設−の各事業。(1)の中核的プロジェクトであるMM21事業は、横浜の自立性の強化▽港湾機能の質的転換▽首都圏の業務機能の分担を目的とし、「24時間活動する国際文化都市」などの都市像を掲げている。
2019/02/07(木) 14:10:15.17ID:PqBcXX4z
平成と横浜・みなとみらい 「モノクロの世界がカラーに」
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 「平成」が幕を開けた1989年。横浜・みなとみらい21(MM21)地区に立った少年は、そのまぶしさに心躍らせていた。
色彩豊かな街並み、初めて目にする技術の数々。
目に飛び込む全てが新しい。
光り輝く未来を思い描き、自身の明るい将来を重ねた。

 MM21地区のお披露目を兼ねて、191日間にわたって開催された「横浜博覧会(YES'89)」。
時はバブル景気真っ盛り。
華々しく開幕した3月25日を境に、異国情緒あふれ夜霧が似合う港町から、流行の先端を走る未来都市へと変貌を遂げようとしていた。

 博覧会のテーマは「宇宙と子供たち」。
横浜市制100周年、横浜港開港130周年を記念して催された。
企業や自治体が33館のパビリオンを出展し、20カ国・地域が参加。
開幕直後から市民らが大挙として詰めかけ、入場者数は国際博覧会並みの1333万7千人を記録した。

 三菱グループが立体映像を上映したパビリオン「三菱未来館」の入場を待つ長い列で、少年は期待に胸をふくらませていた。
当時中学3年生の小山慶和さん(44)=横浜市磯子区=は、宇宙へと飛び出してゆく迫力あるコンピューター・グラフィックスの画面に言葉を失った。

 JR桜木町駅から会場までは、当時珍しかった「動く歩道」が新たに整備された。
小山さんは大勢の人に前後を挟まれながら「会場に向かうまでのアトラクションとして乗っていた」。

 それまでの桜木町は三菱重工業の造船所で働く「労働者の街」という印象が強く、小山さんには近寄りがたい雰囲気があった。
それだけに、色とりどりのパビリオンが並ぶ横浜博の会場で見た最新技術に胸が高鳴り、「モノクロだった世界が突然、カラーになったような感覚」。
ものづくりの素晴らしさに触れて、高揚感を覚えた。

 横浜博終了後、MM21地区の大規模開発が始まった。
臨海部では港や海を彷彿(ほうふつ)させる斬新なデザインの建築物や街路が整備され、都市型観光地として華やいだ雰囲気に包まれていった。

 長らく米軍に接収されていた新港ふ頭だったが、横浜冷蔵倉庫(中区新港町)が94年に返還。
臨海部の開発が加速し、戦後横浜に色濃く残っていた「フェンスの向こうのアメリカ」のイメージは薄れていった。

 昭和から平成へと移る激動の時代。小山さんは造船所から横浜博、そしてビジネス都市へと街が生まれ変わる場面に立ち会うことになる。

 小山さんは横浜博の開幕と同じ89年に完成した横浜ベイブリッジに感激し、巨大な構造物を作りたいと三菱重工業横浜製作所(横製)に入社した。
念願かなって横浜ベイブリッジ下層の国道357号部分の構造に関わる製作に携わり、その後、社内報を担当。
資料調査や関係者への取材を通して造船所の歩みを調べ、記録していった。

 印象に残る出来事は、MM21地区のみなとみらいセンタービル建設現場で2008年、造船所で建造された「山汐(やましお)丸」のいかりが発掘されたことだ。
高層ビルが林立する中、造船所時代の記憶を呼び起こす「タイムカプセル」のようだった。
国の重要文化財として保存されている2基のドックなど、地区内に残る造船所時代の面影を社内報で分かりやすく紹介した。

 その後、火力発電などを担う事業会社「三菱日立パワーシステムズ」に転籍し、
18年4月からは、横浜ランドマークタワーや横浜美術館に隣接する三菱重工横浜ビルで広報を担う。
くしくも造船所の跡地に建てられた高層ビル。眼下には、中学生時代に胸躍らせたMM21地区が広がる。

 横製時代に先輩とともに手掛けた社内報は宝物だ。
「薄れゆく造船所時代の記憶と思い出が記録できてよかった。新たな時代になっても、この街の物語を伝え続けたい」 

 ◆六大事業とMM21事業 六大事業とは
(1)横浜都心部強化
(2)港北ニュータウン建設
(3)金沢地先埋め立て事業
(4)高速鉄道(地下鉄)建設
(5)高速道路網建設
(6)ベイブリッジ建設−の各事業。(1)の中核的プロジェクトであるMM21事業は、横浜の自立性の強化▽港湾機能の質的転換▽首都圏の業務機能の分担を目的とし、「24時間活動する国際文化都市」などの都市像を掲げている。
2019/02/07(木) 14:10:38.39ID:PqBcXX4z
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 「平成」が幕を開けた1989年。横浜・みなとみらい21(MM21)地区に立った少年は、そのまぶしさに心躍らせていた。
色彩豊かな街並み、初めて目にする技術の数々。
目に飛び込む全てが新しい。
光り輝く未来を思い描き、自身の明るい将来を重ねた。

 MM21地区のお披露目を兼ねて、191日間にわたって開催された「横浜博覧会(YES'89)」。
時はバブル景気真っ盛り。
華々しく開幕した3月25日を境に、異国情緒あふれ夜霧が似合う港町から、流行の先端を走る未来都市へと変貌を遂げようとしていた。

 博覧会のテーマは「宇宙と子供たち」。
横浜市制100周年、横浜港開港130周年を記念して催された。
企業や自治体が33館のパビリオンを出展し、20カ国・地域が参加。
開幕直後から市民らが大挙として詰めかけ、入場者数は国際博覧会並みの1333万7千人を記録した。

 三菱グループが立体映像を上映したパビリオン「三菱未来館」の入場を待つ長い列で、少年は期待に胸をふくらませていた。
当時中学3年生の小山慶和さん(44)=横浜市磯子区=は、宇宙へと飛び出してゆく迫力あるコンピューター・グラフィックスの画面に言葉を失った。

 JR桜木町駅から会場までは、当時珍しかった「動く歩道」が新たに整備された。
小山さんは大勢の人に前後を挟まれながら「会場に向かうまでのアトラクションとして乗っていた」。

 それまでの桜木町は三菱重工業の造船所で働く「労働者の街」という印象が強く、小山さんには近寄りがたい雰囲気があった。
それだけに、色とりどりのパビリオンが並ぶ横浜博の会場で見た最新技術に胸が高鳴り、「モノクロだった世界が突然、カラーになったような感覚」。
ものづくりの素晴らしさに触れて、高揚感を覚えた。

 横浜博終了後、MM21地区の大規模開発が始まった。
臨海部では港や海を彷彿(ほうふつ)させる斬新なデザインの建築物や街路が整備され、都市型観光地として華やいだ雰囲気に包まれていった。

 長らく米軍に接収されていた新港ふ頭だったが、横浜冷蔵倉庫(中区新港町)が94年に返還。
臨海部の開発が加速し、戦後横浜に色濃く残っていた「フェンスの向こうのアメリカ」のイメージは薄れていった。

 昭和から平成へと移る激動の時代。小山さんは造船所から横浜博、そしてビジネス都市へと街が生まれ変わる場面に立ち会うことになる。

 小山さんは横浜博の開幕と同じ89年に完成した横浜ベイブリッジに感激し、巨大な構造物を作りたいと三菱重工業横浜製作所(横製)に入社した。
念願かなって横浜ベイブリッジ下層の国道357号部分の構造に関わる製作に携わり、その後、社内報を担当。
資料調査や関係者への取材を通して造船所の歩みを調べ、記録していった。

 印象に残る出来事は、MM21地区のみなとみらいセンタービル建設現場で2008年、造船所で建造された「山汐(やましお)丸」のいかりが発掘されたことだ。
高層ビルが林立する中、造船所時代の記憶を呼び起こす「タイムカプセル」のようだった。
国の重要文化財として保存されている2基のドックなど、地区内に残る造船所時代の面影を社内報で分かりやすく紹介した。

 その後、火力発電などを担う事業会社「三菱日立パワーシステムズ」に転籍し、
18年4月からは、横浜ランドマークタワーや横浜美術館に隣接する三菱重工横浜ビルで広報を担う。
くしくも造船所の跡地に建てられた高層ビル。眼下には、中学生時代に胸躍らせたMM21地区が広がる。

 横製時代に先輩とともに手掛けた社内報は宝物だ。
「薄れゆく造船所時代の記憶と思い出が記録できてよかった。新たな時代になっても、この街の物語を伝え続けたい」 

 ◆六大事業とMM21事業 六大事業とは
(1)横浜都心部強化
(2)港北ニュータウン建設
(3)金沢地先埋め立て事業
(4)高速鉄道(地下鉄)建設
(5)高速道路網建設
(6)ベイブリッジ建設−の各事業。(1)の中核的プロジェクトであるMM21事業は、横浜の自立性の強化▽港湾機能の質的転換▽首都圏の業務機能の分担を目的とし、「24時間活動する国際文化都市」などの都市像を掲げている。
2019/02/07(木) 14:10:58.43ID:PqBcXX4z
平成と横浜・みなとみらい 「モノクロの世界がカラーに」
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 「平成」が幕を開けた1989年。横浜・みなとみらい21(MM21)地区に立った少年は、そのまぶしさに心躍らせていた。
色彩豊かな街並み、初めて目にする技術の数々。
目に飛び込む全てが新しい。
光り輝く未来を思い描き、自身の明るい将来を重ねた。

 MM21地区のお披露目を兼ねて、191日間にわたって開催された「横浜博覧会(YES'89)」。
時はバブル景気真っ盛り。
華々しく開幕した3月25日を境に、異国情緒あふれ夜霧が似合う港町から、流行の先端を走る未来都市へと変貌を遂げようとしていた。

 博覧会のテーマは「宇宙と子供たち」。
横浜市制100周年、横浜港開港130周年を記念して催された。
企業や自治体が33館のパビリオンを出展し、20カ国・地域が参加。
開幕直後から市民らが大挙として詰めかけ、入場者数は国際博覧会並みの1333万7千人を記録した。

 三菱グループが立体映像を上映したパビリオン「三菱未来館」の入場を待つ長い列で、少年は期待に胸をふくらませていた。
当時中学3年生の小山慶和さん(44)=横浜市磯子区=は、宇宙へと飛び出してゆく迫力あるコンピューター・グラフィックスの画面に言葉を失った。

 JR桜木町駅から会場までは、当時珍しかった「動く歩道」が新たに整備された。
小山さんは大勢の人に前後を挟まれながら「会場に向かうまでのアトラクションとして乗っていた」。

 それまでの桜木町は三菱重工業の造船所で働く「労働者の街」という印象が強く、小山さんには近寄りがたい雰囲気があった。
それだけに、色とりどりのパビリオンが並ぶ横浜博の会場で見た最新技術に胸が高鳴り、「モノクロだった世界が突然、カラーになったような感覚」。
ものづくりの素晴らしさに触れて、高揚感を覚えた。

 横浜博終了後、MM21地区の大規模開発が始まった。
臨海部では港や海を彷彿(ほうふつ)させる斬新なデザインの建築物や街路が整備され、都市型観光地として華やいだ雰囲気に包まれていった。

 長らく米軍に接収されていた新港ふ頭だったが、横浜冷蔵倉庫(中区新港町)が94年に返還。
臨海部の開発が加速し、戦後横浜に色濃く残っていた「フェンスの向こうのアメリカ」のイメージは薄れていった。

 昭和から平成へと移る激動の時代。小山さんは造船所から横浜博、そしてビジネス都市へと街が生まれ変わる場面に立ち会うことになる。

 小山さんは横浜博の開幕と同じ89年に完成した横浜ベイブリッジに感激し、巨大な構造物を作りたいと三菱重工業横浜製作所(横製)に入社した。
念願かなって横浜ベイブリッジ下層の国道357号部分の構造に関わる製作に携わり、その後、社内報を担当。
資料調査や関係者への取材を通して造船所の歩みを調べ、記録していった。

 印象に残る出来事は、MM21地区のみなとみらいセンタービル建設現場で2008年、造船所で建造された「山汐(やましお)丸」のいかりが発掘されたことだ。
高層ビルが林立する中、造船所時代の記憶を呼び起こす「タイムカプセル」のようだった。
国の重要文化財として保存されている2基のドックなど、地区内に残る造船所時代の面影を社内報で分かりやすく紹介した。

 その後、火力発電などを担う事業会社「三菱日立パワーシステムズ」に転籍し、
18年4月からは、横浜ランドマークタワーや横浜美術館に隣接する三菱重工横浜ビルで広報を担う。
くしくも造船所の跡地に建てられた高層ビル。眼下には、中学生時代に胸躍らせたMM21地区が広がる。

 横製時代に先輩とともに手掛けた社内報は宝物だ。
「薄れゆく造船所時代の記憶と思い出が記録できてよかった。新たな時代になっても、この街の物語を伝え続けたい」 

 ◆六大事業とMM21事業 六大事業とは
(1)横浜都心部強化
(2)港北ニュータウン建設
(3)金沢地先埋め立て事業
(4)高速鉄道(地下鉄)建設
(5)高速道路網建設
(6)ベイブリッジ建設−の各事業。(1)の中核的プロジェクトであるMM21事業は、横浜の自立性の強化▽港湾機能の質的転換▽首都圏の業務機能の分担を目的とし、「24時間活動する国際文化都市」などの都市像を掲げている。
2019/02/07(木) 14:11:22.28ID:PqBcXX4z
平成と横浜・みなとみらい 「モノクロの世界がカラーに」
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 「平成」が幕を開けた1989年。横浜・みなとみらい21(MM21)地区に立った少年は、そのまぶしさに心躍らせていた。
色彩豊かな街並み、初めて目にする技術の数々。
目に飛び込む全てが新しい。
光り輝く未来を思い描き、自身の明るい将来を重ねた。

 MM21地区のお披露目を兼ねて、191日間にわたって開催された「横浜博覧会(YES'89)」。
時はバブル景気真っ盛り。
華々しく開幕した3月25日を境に、異国情緒あふれ夜霧が似合う港町から、流行の先端を走る未来都市へと変貌を遂げようとしていた。

 博覧会のテーマは「宇宙と子供たち」。
横浜市制100周年、横浜港開港130周年を記念して催された。
企業や自治体が33館のパビリオンを出展し、20カ国・地域が参加。
開幕直後から市民らが大挙として詰めかけ、入場者数は国際博覧会並みの1333万7千人を記録した。

 三菱グループが立体映像を上映したパビリオン「三菱未来館」の入場を待つ長い列で、少年は期待に胸をふくらませていた。
当時中学3年生の小山慶和さん(44)=横浜市磯子区=は、宇宙へと飛び出してゆく迫力あるコンピューター・グラフィックスの画面に言葉を失った。

 JR桜木町駅から会場までは、当時珍しかった「動く歩道」が新たに整備された。
小山さんは大勢の人に前後を挟まれながら「会場に向かうまでのアトラクションとして乗っていた」。

 それまでの桜木町は三菱重工業の造船所で働く「労働者の街」という印象が強く、小山さんには近寄りがたい雰囲気があった。
それだけに、色とりどりのパビリオンが並ぶ横浜博の会場で見た最新技術に胸が高鳴り、「モノクロだった世界が突然、カラーになったような感覚」。
ものづくりの素晴らしさに触れて、高揚感を覚えた。

 横浜博終了後、MM21地区の大規模開発が始まった。
臨海部では港や海を彷彿(ほうふつ)させる斬新なデザインの建築物や街路が整備され、都市型観光地として華やいだ雰囲気に包まれていった。

 長らく米軍に接収されていた新港ふ頭だったが、横浜冷蔵倉庫(中区新港町)が94年に返還。
臨海部の開発が加速し、戦後横浜に色濃く残っていた「フェンスの向こうのアメリカ」のイメージは薄れていった。

 昭和から平成へと移る激動の時代。小山さんは造船所から横浜博、そしてビジネス都市へと街が生まれ変わる場面に立ち会うことになる。

 小山さんは横浜博の開幕と同じ89年に完成した横浜ベイブリッジに感激し、巨大な構造物を作りたいと三菱重工業横浜製作所(横製)に入社した。
念願かなって横浜ベイブリッジ下層の国道357号部分の構造に関わる製作に携わり、その後、社内報を担当。
資料調査や関係者への取材を通して造船所の歩みを調べ、記録していった。

 印象に残る出来事は、MM21地区のみなとみらいセンタービル建設現場で2008年、造船所で建造された「山汐(やましお)丸」のいかりが発掘されたことだ。
高層ビルが林立する中、造船所時代の記憶を呼び起こす「タイムカプセル」のようだった。
国の重要文化財として保存されている2基のドックなど、地区内に残る造船所時代の面影を社内報で分かりやすく紹介した。

 その後、火力発電などを担う事業会社「三菱日立パワーシステムズ」に転籍し、
18年4月からは、横浜ランドマークタワーや横浜美術館に隣接する三菱重工横浜ビルで広報を担う。
くしくも造船所の跡地に建てられた高層ビル。眼下には、中学生時代に胸躍らせたMM21地区が広がる。

 横製時代に先輩とともに手掛けた社内報は宝物だ。
「薄れゆく造船所時代の記憶と思い出が記録できてよかった。新たな時代になっても、この街の物語を伝え続けたい」 

 ◆六大事業とMM21事業 六大事業とは
(1)横浜都心部強化
(2)港北ニュータウン建設
(3)金沢地先埋め立て事業
(4)高速鉄道(地下鉄)建設
(5)高速道路網建設
(6)ベイブリッジ建設−の各事業。(1)の中核的プロジェクトであるMM21事業は、横浜の自立性の強化▽港湾機能の質的転換▽首都圏の業務機能の分担を目的とし、「24時間活動する国際文化都市」などの都市像を掲げている。
2019/02/07(木) 14:11:53.49ID:PqBcXX4z
平成と横浜・みなとみらい 「モノクロの世界がカラーに」
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190122-00032881-kana-bus_all

 「平成」が幕を開けた1989年。横浜・みなとみらい21(MM21)地区に立った少年は、そのまぶしさに心躍らせていた。
色彩豊かな街並み、初めて目にする技術の数々。
目に飛び込む全てが新しい。
光り輝く未来を思い描き、自身の明るい将来を重ねた。

 MM21地区のお披露目を兼ねて、191日間にわたって開催された「横浜博覧会(YES'89)」。
時はバブル景気真っ盛り。
華々しく開幕した3月25日を境に、異国情緒あふれ夜霧が似合う港町から、流行の先端を走る未来都市へと変貌を遂げようとしていた。

 博覧会のテーマは「宇宙と子供たち」。
横浜市制100周年、横浜港開港130周年を記念して催された。
企業や自治体が33館のパビリオンを出展し、20カ国・地域が参加。
開幕直後から市民らが大挙として詰めかけ、入場者数は国際博覧会並みの1333万7千人を記録した。

 三菱グループが立体映像を上映したパビリオン「三菱未来館」の入場を待つ長い列で、少年は期待に胸をふくらませていた。
当時中学3年生の小山慶和さん(44)=横浜市磯子区=は、宇宙へと飛び出してゆく迫力あるコンピューター・グラフィックスの画面に言葉を失った。

 JR桜木町駅から会場までは、当時珍しかった「動く歩道」が新たに整備された。
小山さんは大勢の人に前後を挟まれながら「会場に向かうまでのアトラクションとして乗っていた」。

 それまでの桜木町は三菱重工業の造船所で働く「労働者の街」という印象が強く、小山さんには近寄りがたい雰囲気があった。
それだけに、色とりどりのパビリオンが並ぶ横浜博の会場で見た最新技術に胸が高鳴り、「モノクロだった世界が突然、カラーになったような感覚」。
ものづくりの素晴らしさに触れて、高揚感を覚えた。

 横浜博終了後、MM21地区の大規模開発が始まった。
臨海部では港や海を彷彿(ほうふつ)させる斬新なデザインの建築物や街路が整備され、都市型観光地として華やいだ雰囲気に包まれていった。

 長らく米軍に接収されていた新港ふ頭だったが、横浜冷蔵倉庫(中区新港町)が94年に返還。
臨海部の開発が加速し、戦後横浜に色濃く残っていた「フェンスの向こうのアメリカ」のイメージは薄れていった。

 昭和から平成へと移る激動の時代。小山さんは造船所から横浜博、そしてビジネス都市へと街が生まれ変わる場面に立ち会うことになる。

 小山さんは横浜博の開幕と同じ89年に完成した横浜ベイブリッジに感激し、巨大な構造物を作りたいと三菱重工業横浜製作所(横製)に入社した。
念願かなって横浜ベイブリッジ下層の国道357号部分の構造に関わる製作に携わり、その後、社内報を担当。
資料調査や関係者への取材を通して造船所の歩みを調べ、記録していった。

 印象に残る出来事は、MM21地区のみなとみらいセンタービル建設現場で2008年、造船所で建造された「山汐(やましお)丸」のいかりが発掘されたことだ。
高層ビルが林立する中、造船所時代の記憶を呼び起こす「タイムカプセル」のようだった。
国の重要文化財として保存されている2基のドックなど、地区内に残る造船所時代の面影を社内報で分かりやすく紹介した。

 その後、火力発電などを担う事業会社「三菱日立パワーシステムズ」に転籍し、
18年4月からは、横浜ランドマークタワーや横浜美術館に隣接する三菱重工横浜ビルで広報を担う。
くしくも造船所の跡地に建てられた高層ビル。眼下には、中学生時代に胸躍らせたMM21地区が広がる。

 横製時代に先輩とともに手掛けた社内報は宝物だ。
「薄れゆく造船所時代の記憶と思い出が記録できてよかった。新たな時代になっても、この街の物語を伝え続けたい」 

 ◆六大事業とMM21事業 六大事業とは
(1)横浜都心部強化
(2)港北ニュータウン建設
(3)金沢地先埋め立て事業
(4)高速鉄道(地下鉄)建設
(5)高速道路網建設
(6)ベイブリッジ建設−の各事業。(1)の中核的プロジェクトであるMM21事業は、横浜の自立性の強化▽港湾機能の質的転換▽首都圏の業務機能の分担を目的とし、「24時間活動する国際文化都市」などの都市像を掲げている。
2019/02/07(木) 14:12:14.72ID:PqBcXX4z
平成と横浜・みなとみらい 「モノクロの世界がカラーに」
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190122-00032881-kana-bus_all

 「平成」が幕を開けた1989年。横浜・みなとみらい21(MM21)地区に立った少年は、そのまぶしさに心躍らせていた。
色彩豊かな街並み、初めて目にする技術の数々。
目に飛び込む全てが新しい。
光り輝く未来を思い描き、自身の明るい将来を重ねた。

 MM21地区のお披露目を兼ねて、191日間にわたって開催された「横浜博覧会(YES'89)」。
時はバブル景気真っ盛り。
華々しく開幕した3月25日を境に、異国情緒あふれ夜霧が似合う港町から、流行の先端を走る未来都市へと変貌を遂げようとしていた。

 博覧会のテーマは「宇宙と子供たち」。
横浜市制100周年、横浜港開港130周年を記念して催された。
企業や自治体が33館のパビリオンを出展し、20カ国・地域が参加。
開幕直後から市民らが大挙として詰めかけ、入場者数は国際博覧会並みの1333万7千人を記録した。

 三菱グループが立体映像を上映したパビリオン「三菱未来館」の入場を待つ長い列で、少年は期待に胸をふくらませていた。
当時中学3年生の小山慶和さん(44)=横浜市磯子区=は、宇宙へと飛び出してゆく迫力あるコンピューター・グラフィックスの画面に言葉を失った。

 JR桜木町駅から会場までは、当時珍しかった「動く歩道」が新たに整備された。
小山さんは大勢の人に前後を挟まれながら「会場に向かうまでのアトラクションとして乗っていた」。

 それまでの桜木町は三菱重工業の造船所で働く「労働者の街」という印象が強く、小山さんには近寄りがたい雰囲気があった。
それだけに、色とりどりのパビリオンが並ぶ横浜博の会場で見た最新技術に胸が高鳴り、「モノクロだった世界が突然、カラーになったような感覚」。
ものづくりの素晴らしさに触れて、高揚感を覚えた。

 横浜博終了後、MM21地区の大規模開発が始まった。
臨海部では港や海を彷彿(ほうふつ)させる斬新なデザインの建築物や街路が整備され、都市型観光地として華やいだ雰囲気に包まれていった。

 長らく米軍に接収されていた新港ふ頭だったが、横浜冷蔵倉庫(中区新港町)が94年に返還。
臨海部の開発が加速し、戦後横浜に色濃く残っていた「フェンスの向こうのアメリカ」のイメージは薄れていった。

 昭和から平成へと移る激動の時代。小山さんは造船所から横浜博、そしてビジネス都市へと街が生まれ変わる場面に立ち会うことになる。

 小山さんは横浜博の開幕と同じ89年に完成した横浜ベイブリッジに感激し、巨大な構造物を作りたいと三菱重工業横浜製作所(横製)に入社した。
念願かなって横浜ベイブリッジ下層の国道357号部分の構造に関わる製作に携わり、その後、社内報を担当。
資料調査や関係者への取材を通して造船所の歩みを調べ、記録していった。

 印象に残る出来事は、MM21地区のみなとみらいセンタービル建設現場で2008年、造船所で建造された「山汐(やましお)丸」のいかりが発掘されたことだ。
高層ビルが林立する中、造船所時代の記憶を呼び起こす「タイムカプセル」のようだった。
国の重要文化財として保存されている2基のドックなど、地区内に残る造船所時代の面影を社内報で分かりやすく紹介した。

 その後、火力発電などを担う事業会社「三菱日立パワーシステムズ」に転籍し、
18年4月からは、横浜ランドマークタワーや横浜美術館に隣接する三菱重工横浜ビルで広報を担う。
くしくも造船所の跡地に建てられた高層ビル。眼下には、中学生時代に胸躍らせたMM21地区が広がる。

 横製時代に先輩とともに手掛けた社内報は宝物だ。
「薄れゆく造船所時代の記憶と思い出が記録できてよかった。新たな時代になっても、この街の物語を伝え続けたい」 

 ◆六大事業とMM21事業 六大事業とは
(1)横浜都心部強化
(2)港北ニュータウン建設
(3)金沢地先埋め立て事業
(4)高速鉄道(地下鉄)建設
(5)高速道路網建設
(6)ベイブリッジ建設−の各事業。(1)の中核的プロジェクトであるMM21事業は、横浜の自立性の強化▽港湾機能の質的転換▽首都圏の業務機能の分担を目的とし、「24時間活動する国際文化都市」などの都市像を掲げている。
2019/02/07(木) 14:12:37.86ID:PqBcXX4z
平成と横浜・みなとみらい 「モノクロの世界がカラーに」
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190122-00032881-kana-bus_all

 「平成」が幕を開けた1989年。横浜・みなとみらい21(MM21)地区に立った少年は、そのまぶしさに心躍らせていた。
色彩豊かな街並み、初めて目にする技術の数々。
目に飛び込む全てが新しい。
光り輝く未来を思い描き、自身の明るい将来を重ねた。

 MM21地区のお披露目を兼ねて、191日間にわたって開催された「横浜博覧会(YES'89)」。
時はバブル景気真っ盛り。
華々しく開幕した3月25日を境に、異国情緒あふれ夜霧が似合う港町から、流行の先端を走る未来都市へと変貌を遂げようとしていた。

 博覧会のテーマは「宇宙と子供たち」。
横浜市制100周年、横浜港開港130周年を記念して催された。
企業や自治体が33館のパビリオンを出展し、20カ国・地域が参加。
開幕直後から市民らが大挙として詰めかけ、入場者数は国際博覧会並みの1333万7千人を記録した。

 三菱グループが立体映像を上映したパビリオン「三菱未来館」の入場を待つ長い列で、少年は期待に胸をふくらませていた。
当時中学3年生の小山慶和さん(44)=横浜市磯子区=は、宇宙へと飛び出してゆく迫力あるコンピューター・グラフィックスの画面に言葉を失った。

 JR桜木町駅から会場までは、当時珍しかった「動く歩道」が新たに整備された。
小山さんは大勢の人に前後を挟まれながら「会場に向かうまでのアトラクションとして乗っていた」。

 それまでの桜木町は三菱重工業の造船所で働く「労働者の街」という印象が強く、小山さんには近寄りがたい雰囲気があった。
それだけに、色とりどりのパビリオンが並ぶ横浜博の会場で見た最新技術に胸が高鳴り、「モノクロだった世界が突然、カラーになったような感覚」。
ものづくりの素晴らしさに触れて、高揚感を覚えた。

 横浜博終了後、MM21地区の大規模開発が始まった。
臨海部では港や海を彷彿(ほうふつ)させる斬新なデザインの建築物や街路が整備され、都市型観光地として華やいだ雰囲気に包まれていった。

 長らく米軍に接収されていた新港ふ頭だったが、横浜冷蔵倉庫(中区新港町)が94年に返還。
臨海部の開発が加速し、戦後横浜に色濃く残っていた「フェンスの向こうのアメリカ」のイメージは薄れていった。

 昭和から平成へと移る激動の時代。小山さんは造船所から横浜博、そしてビジネス都市へと街が生まれ変わる場面に立ち会うことになる。

 小山さんは横浜博の開幕と同じ89年に完成した横浜ベイブリッジに感激し、巨大な構造物を作りたいと三菱重工業横浜製作所(横製)に入社した。
念願かなって横浜ベイブリッジ下層の国道357号部分の構造に関わる製作に携わり、その後、社内報を担当。
資料調査や関係者への取材を通して造船所の歩みを調べ、記録していった。

 印象に残る出来事は、MM21地区のみなとみらいセンタービル建設現場で2008年、造船所で建造された「山汐(やましお)丸」のいかりが発掘されたことだ。
高層ビルが林立する中、造船所時代の記憶を呼び起こす「タイムカプセル」のようだった。
国の重要文化財として保存されている2基のドックなど、地区内に残る造船所時代の面影を社内報で分かりやすく紹介した。

 その後、火力発電などを担う事業会社「三菱日立パワーシステムズ」に転籍し、
18年4月からは、横浜ランドマークタワーや横浜美術館に隣接する三菱重工横浜ビルで広報を担う。
くしくも造船所の跡地に建てられた高層ビル。眼下には、中学生時代に胸躍らせたMM21地区が広がる。

 横製時代に先輩とともに手掛けた社内報は宝物だ。
「薄れゆく造船所時代の記憶と思い出が記録できてよかった。新たな時代になっても、この街の物語を伝え続けたい」 

 ◆六大事業とMM21事業 六大事業とは
(1)横浜都心部強化
(2)港北ニュータウン建設
(3)金沢地先埋め立て事業
(4)高速鉄道(地下鉄)建設
(5)高速道路網建設
(6)ベイブリッジ建設−の各事業。(1)の中核的プロジェクトであるMM21事業は、横浜の自立性の強化▽港湾機能の質的転換▽首都圏の業務機能の分担を目的とし、「24時間活動する国際文化都市」などの都市像を掲げている。
2019/02/07(木) 14:13:07.23ID:PqBcXX4z
平成と横浜・みなとみらい 「モノクロの世界がカラーに」
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190122-00032881-kana-bus_all

 「平成」が幕を開けた1989年。横浜・みなとみらい21(MM21)地区に立った少年は、そのまぶしさに心躍らせていた。
色彩豊かな街並み、初めて目にする技術の数々。
目に飛び込む全てが新しい。
光り輝く未来を思い描き、自身の明るい将来を重ねた。

 MM21地区のお披露目を兼ねて、191日間にわたって開催された「横浜博覧会(YES'89)」。
時はバブル景気真っ盛り。
華々しく開幕した3月25日を境に、異国情緒あふれ夜霧が似合う港町から、流行の先端を走る未来都市へと変貌を遂げようとしていた。

 博覧会のテーマは「宇宙と子供たち」。
横浜市制100周年、横浜港開港130周年を記念して催された。
企業や自治体が33館のパビリオンを出展し、20カ国・地域が参加。
開幕直後から市民らが大挙として詰めかけ、入場者数は国際博覧会並みの1333万7千人を記録した。

 三菱グループが立体映像を上映したパビリオン「三菱未来館」の入場を待つ長い列で、少年は期待に胸をふくらませていた。
当時中学3年生の小山慶和さん(44)=横浜市磯子区=は、宇宙へと飛び出してゆく迫力あるコンピューター・グラフィックスの画面に言葉を失った。

 JR桜木町駅から会場までは、当時珍しかった「動く歩道」が新たに整備された。
小山さんは大勢の人に前後を挟まれながら「会場に向かうまでのアトラクションとして乗っていた」。

 それまでの桜木町は三菱重工業の造船所で働く「労働者の街」という印象が強く、小山さんには近寄りがたい雰囲気があった。
それだけに、色とりどりのパビリオンが並ぶ横浜博の会場で見た最新技術に胸が高鳴り、「モノクロだった世界が突然、カラーになったような感覚」。
ものづくりの素晴らしさに触れて、高揚感を覚えた。

 横浜博終了後、MM21地区の大規模開発が始まった。
臨海部では港や海を彷彿(ほうふつ)させる斬新なデザインの建築物や街路が整備され、都市型観光地として華やいだ雰囲気に包まれていった。

 長らく米軍に接収されていた新港ふ頭だったが、横浜冷蔵倉庫(中区新港町)が94年に返還。
臨海部の開発が加速し、戦後横浜に色濃く残っていた「フェンスの向こうのアメリカ」のイメージは薄れていった。

 昭和から平成へと移る激動の時代。小山さんは造船所から横浜博、そしてビジネス都市へと街が生まれ変わる場面に立ち会うことになる。

 小山さんは横浜博の開幕と同じ89年に完成した横浜ベイブリッジに感激し、巨大な構造物を作りたいと三菱重工業横浜製作所(横製)に入社した。
念願かなって横浜ベイブリッジ下層の国道357号部分の構造に関わる製作に携わり、その後、社内報を担当。
資料調査や関係者への取材を通して造船所の歩みを調べ、記録していった。

 印象に残る出来事は、MM21地区のみなとみらいセンタービル建設現場で2008年、造船所で建造された「山汐(やましお)丸」のいかりが発掘されたことだ。
高層ビルが林立する中、造船所時代の記憶を呼び起こす「タイムカプセル」のようだった。
国の重要文化財として保存されている2基のドックなど、地区内に残る造船所時代の面影を社内報で分かりやすく紹介した。

 その後、火力発電などを担う事業会社「三菱日立パワーシステムズ」に転籍し、
18年4月からは、横浜ランドマークタワーや横浜美術館に隣接する三菱重工横浜ビルで広報を担う。
くしくも造船所の跡地に建てられた高層ビル。眼下には、中学生時代に胸躍らせたMM21地区が広がる。

 横製時代に先輩とともに手掛けた社内報は宝物だ。
「薄れゆく造船所時代の記憶と思い出が記録できてよかった。新たな時代になっても、この街の物語を伝え続けたい」 

 ◆六大事業とMM21事業 六大事業とは
(1)横浜都心部強化
(2)港北ニュータウン建設
(3)金沢地先埋め立て事業
(4)高速鉄道(地下鉄)建設
(5)高速道路網建設
(6)ベイブリッジ建設−の各事業。(1)の中核的プロジェクトであるMM21事業は、横浜の自立性の強化▽港湾機能の質的転換▽首都圏の業務機能の分担を目的とし、「24時間活動する国際文化都市」などの都市像を掲げている。
2019/02/07(木) 14:13:28.40ID:PqBcXX4z
平成と横浜・みなとみらい 「モノクロの世界がカラーに」
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190122-00032881-kana-bus_all

 「平成」が幕を開けた1989年。横浜・みなとみらい21(MM21)地区に立った少年は、そのまぶしさに心躍らせていた。
色彩豊かな街並み、初めて目にする技術の数々。
目に飛び込む全てが新しい。
光り輝く未来を思い描き、自身の明るい将来を重ねた。

 MM21地区のお披露目を兼ねて、191日間にわたって開催された「横浜博覧会(YES'89)」。
時はバブル景気真っ盛り。
華々しく開幕した3月25日を境に、異国情緒あふれ夜霧が似合う港町から、流行の先端を走る未来都市へと変貌を遂げようとしていた。

 博覧会のテーマは「宇宙と子供たち」。
横浜市制100周年、横浜港開港130周年を記念して催された。
企業や自治体が33館のパビリオンを出展し、20カ国・地域が参加。
開幕直後から市民らが大挙として詰めかけ、入場者数は国際博覧会並みの1333万7千人を記録した。

 三菱グループが立体映像を上映したパビリオン「三菱未来館」の入場を待つ長い列で、少年は期待に胸をふくらませていた。
当時中学3年生の小山慶和さん(44)=横浜市磯子区=は、宇宙へと飛び出してゆく迫力あるコンピューター・グラフィックスの画面に言葉を失った。

 JR桜木町駅から会場までは、当時珍しかった「動く歩道」が新たに整備された。
小山さんは大勢の人に前後を挟まれながら「会場に向かうまでのアトラクションとして乗っていた」。

 それまでの桜木町は三菱重工業の造船所で働く「労働者の街」という印象が強く、小山さんには近寄りがたい雰囲気があった。
それだけに、色とりどりのパビリオンが並ぶ横浜博の会場で見た最新技術に胸が高鳴り、「モノクロだった世界が突然、カラーになったような感覚」。
ものづくりの素晴らしさに触れて、高揚感を覚えた。

 横浜博終了後、MM21地区の大規模開発が始まった。
臨海部では港や海を彷彿(ほうふつ)させる斬新なデザインの建築物や街路が整備され、都市型観光地として華やいだ雰囲気に包まれていった。

 長らく米軍に接収されていた新港ふ頭だったが、横浜冷蔵倉庫(中区新港町)が94年に返還。
臨海部の開発が加速し、戦後横浜に色濃く残っていた「フェンスの向こうのアメリカ」のイメージは薄れていった。

 昭和から平成へと移る激動の時代。小山さんは造船所から横浜博、そしてビジネス都市へと街が生まれ変わる場面に立ち会うことになる。

 小山さんは横浜博の開幕と同じ89年に完成した横浜ベイブリッジに感激し、巨大な構造物を作りたいと三菱重工業横浜製作所(横製)に入社した。
念願かなって横浜ベイブリッジ下層の国道357号部分の構造に関わる製作に携わり、その後、社内報を担当。
資料調査や関係者への取材を通して造船所の歩みを調べ、記録していった。

 印象に残る出来事は、MM21地区のみなとみらいセンタービル建設現場で2008年、造船所で建造された「山汐(やましお)丸」のいかりが発掘されたことだ。
高層ビルが林立する中、造船所時代の記憶を呼び起こす「タイムカプセル」のようだった。
国の重要文化財として保存されている2基のドックなど、地区内に残る造船所時代の面影を社内報で分かりやすく紹介した。

 その後、火力発電などを担う事業会社「三菱日立パワーシステムズ」に転籍し、
18年4月からは、横浜ランドマークタワーや横浜美術館に隣接する三菱重工横浜ビルで広報を担う。
くしくも造船所の跡地に建てられた高層ビル。眼下には、中学生時代に胸躍らせたMM21地区が広がる。

 横製時代に先輩とともに手掛けた社内報は宝物だ。
「薄れゆく造船所時代の記憶と思い出が記録できてよかった。新たな時代になっても、この街の物語を伝え続けたい」 

 ◆六大事業とMM21事業 六大事業とは
(1)横浜都心部強化
(2)港北ニュータウン建設
(3)金沢地先埋め立て事業
(4)高速鉄道(地下鉄)建設
(5)高速道路網建設
(6)ベイブリッジ建設−の各事業。(1)の中核的プロジェクトであるMM21事業は、横浜の自立性の強化▽港湾機能の質的転換▽首都圏の業務機能の分担を目的とし、「24時間活動する国際文化都市」などの都市像を掲げている。
2019/02/07(木) 14:13:54.26ID:PqBcXX4z
平成と横浜・みなとみらい 「モノクロの世界がカラーに」
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190122-00032881-kana-bus_all

 「平成」が幕を開けた1989年。横浜・みなとみらい21(MM21)地区に立った少年は、そのまぶしさに心躍らせていた。
色彩豊かな街並み、初めて目にする技術の数々。
目に飛び込む全てが新しい。
光り輝く未来を思い描き、自身の明るい将来を重ねた。

 MM21地区のお披露目を兼ねて、191日間にわたって開催された「横浜博覧会(YES'89)」。
時はバブル景気真っ盛り。
華々しく開幕した3月25日を境に、異国情緒あふれ夜霧が似合う港町から、流行の先端を走る未来都市へと変貌を遂げようとしていた。

 博覧会のテーマは「宇宙と子供たち」。
横浜市制100周年、横浜港開港130周年を記念して催された。
企業や自治体が33館のパビリオンを出展し、20カ国・地域が参加。
開幕直後から市民らが大挙として詰めかけ、入場者数は国際博覧会並みの1333万7千人を記録した。

 三菱グループが立体映像を上映したパビリオン「三菱未来館」の入場を待つ長い列で、少年は期待に胸をふくらませていた。
当時中学3年生の小山慶和さん(44)=横浜市磯子区=は、宇宙へと飛び出してゆく迫力あるコンピューター・グラフィックスの画面に言葉を失った。

 JR桜木町駅から会場までは、当時珍しかった「動く歩道」が新たに整備された。
小山さんは大勢の人に前後を挟まれながら「会場に向かうまでのアトラクションとして乗っていた」。

 それまでの桜木町は三菱重工業の造船所で働く「労働者の街」という印象が強く、小山さんには近寄りがたい雰囲気があった。
それだけに、色とりどりのパビリオンが並ぶ横浜博の会場で見た最新技術に胸が高鳴り、「モノクロだった世界が突然、カラーになったような感覚」。
ものづくりの素晴らしさに触れて、高揚感を覚えた。

 横浜博終了後、MM21地区の大規模開発が始まった。
臨海部では港や海を彷彿(ほうふつ)させる斬新なデザインの建築物や街路が整備され、都市型観光地として華やいだ雰囲気に包まれていった。

 長らく米軍に接収されていた新港ふ頭だったが、横浜冷蔵倉庫(中区新港町)が94年に返還。
臨海部の開発が加速し、戦後横浜に色濃く残っていた「フェンスの向こうのアメリカ」のイメージは薄れていった。

 昭和から平成へと移る激動の時代。小山さんは造船所から横浜博、そしてビジネス都市へと街が生まれ変わる場面に立ち会うことになる。

 小山さんは横浜博の開幕と同じ89年に完成した横浜ベイブリッジに感激し、巨大な構造物を作りたいと三菱重工業横浜製作所(横製)に入社した。
念願かなって横浜ベイブリッジ下層の国道357号部分の構造に関わる製作に携わり、その後、社内報を担当。
資料調査や関係者への取材を通して造船所の歩みを調べ、記録していった。

 印象に残る出来事は、MM21地区のみなとみらいセンタービル建設現場で2008年、造船所で建造された「山汐(やましお)丸」のいかりが発掘されたことだ。
高層ビルが林立する中、造船所時代の記憶を呼び起こす「タイムカプセル」のようだった。
国の重要文化財として保存されている2基のドックなど、地区内に残る造船所時代の面影を社内報で分かりやすく紹介した。

 その後、火力発電などを担う事業会社「三菱日立パワーシステムズ」に転籍し、
18年4月からは、横浜ランドマークタワーや横浜美術館に隣接する三菱重工横浜ビルで広報を担う。
くしくも造船所の跡地に建てられた高層ビル。眼下には、中学生時代に胸躍らせたMM21地区が広がる。

 横製時代に先輩とともに手掛けた社内報は宝物だ。
「薄れゆく造船所時代の記憶と思い出が記録できてよかった。新たな時代になっても、この街の物語を伝え続けたい」 

 ◆六大事業とMM21事業 六大事業とは
(1)横浜都心部強化
(2)港北ニュータウン建設
(3)金沢地先埋め立て事業
(4)高速鉄道(地下鉄)建設
(5)高速道路網建設
(6)ベイブリッジ建設−の各事業。(1)の中核的プロジェクトであるMM21事業は、横浜の自立性の強化▽港湾機能の質的転換▽首都圏の業務機能の分担を目的とし、「24時間活動する国際文化都市」などの都市像を掲げている。
2019/02/07(木) 14:14:59.56ID:PqBcXX4z
平成と横浜・みなとみらい 「モノクロの世界がカラーに」
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190122-00032881-kana-bus_all

 「平成」が幕を開けた1989年。横浜・みなとみらい21(MM21)地区に立った少年は、そのまぶしさに心躍らせていた。
色彩豊かな街並み、初めて目にする技術の数々。
目に飛び込む全てが新しい。
光り輝く未来を思い描き、自身の明るい将来を重ねた。

 MM21地区のお披露目を兼ねて、191日間にわたって開催された「横浜博覧会(YES'89)」。
時はバブル景気真っ盛り。
華々しく開幕した3月25日を境に、異国情緒あふれ夜霧が似合う港町から、流行の先端を走る未来都市へと変貌を遂げようとしていた。

 博覧会のテーマは「宇宙と子供たち」。
横浜市制100周年、横浜港開港130周年を記念して催された。
企業や自治体が33館のパビリオンを出展し、20カ国・地域が参加。
開幕直後から市民らが大挙として詰めかけ、入場者数は国際博覧会並みの1333万7千人を記録した。

 三菱グループが立体映像を上映したパビリオン「三菱未来館」の入場を待つ長い列で、少年は期待に胸をふくらませていた。
当時中学3年生の小山慶和さん(44)=横浜市磯子区=は、宇宙へと飛び出してゆく迫力あるコンピューター・グラフィックスの画面に言葉を失った。

 JR桜木町駅から会場までは、当時珍しかった「動く歩道」が新たに整備された。
小山さんは大勢の人に前後を挟まれながら「会場に向かうまでのアトラクションとして乗っていた」。

 それまでの桜木町は三菱重工業の造船所で働く「労働者の街」という印象が強く、小山さんには近寄りがたい雰囲気があった。
それだけに、色とりどりのパビリオンが並ぶ横浜博の会場で見た最新技術に胸が高鳴り、「モノクロだった世界が突然、カラーになったような感覚」。
ものづくりの素晴らしさに触れて、高揚感を覚えた。

 横浜博終了後、MM21地区の大規模開発が始まった。
臨海部では港や海を彷彿(ほうふつ)させる斬新なデザインの建築物や街路が整備され、都市型観光地として華やいだ雰囲気に包まれていった。

 長らく米軍に接収されていた新港ふ頭だったが、横浜冷蔵倉庫(中区新港町)が94年に返還。
臨海部の開発が加速し、戦後横浜に色濃く残っていた「フェンスの向こうのアメリカ」のイメージは薄れていった。

 昭和から平成へと移る激動の時代。小山さんは造船所から横浜博、そしてビジネス都市へと街が生まれ変わる場面に立ち会うことになる。

 小山さんは横浜博の開幕と同じ89年に完成した横浜ベイブリッジに感激し、巨大な構造物を作りたいと三菱重工業横浜製作所(横製)に入社した。
念願かなって横浜ベイブリッジ下層の国道357号部分の構造に関わる製作に携わり、その後、社内報を担当。
資料調査や関係者への取材を通して造船所の歩みを調べ、記録していった。

 印象に残る出来事は、MM21地区のみなとみらいセンタービル建設現場で2008年、造船所で建造された「山汐(やましお)丸」のいかりが発掘されたことだ。
高層ビルが林立する中、造船所時代の記憶を呼び起こす「タイムカプセル」のようだった。
国の重要文化財として保存されている2基のドックなど、地区内に残る造船所時代の面影を社内報で分かりやすく紹介した。

 その後、火力発電などを担う事業会社「三菱日立パワーシステムズ」に転籍し、
18年4月からは、横浜ランドマークタワーや横浜美術館に隣接する三菱重工横浜ビルで広報を担う。
くしくも造船所の跡地に建てられた高層ビル。眼下には、中学生時代に胸躍らせたMM21地区が広がる。

 横製時代に先輩とともに手掛けた社内報は宝物だ。
「薄れゆく造船所時代の記憶と思い出が記録できてよかった。新たな時代になっても、この街の物語を伝え続けたい」 

 ◆六大事業とMM21事業 六大事業とは
(1)横浜都心部強化
(2)港北ニュータウン建設
(3)金沢地先埋め立て事業
(4)高速鉄道(地下鉄)建設
(5)高速道路網建設
(6)ベイブリッジ建設−の各事業。(1)の中核的プロジェクトであるMM21事業は、横浜の自立性の強化▽港湾機能の質的転換▽首都圏の業務機能の分担を目的とし、「24時間活動する国際文化都市」などの都市像を掲げている。
2019/02/07(木) 14:15:31.90ID:PqBcXX4z
平成と横浜・みなとみらい 「モノクロの世界がカラーに」
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190122-00032881-kana-bus_all

 「平成」が幕を開けた1989年。横浜・みなとみらい21(MM21)地区に立った少年は、そのまぶしさに心躍らせていた。
色彩豊かな街並み、初めて目にする技術の数々。
目に飛び込む全てが新しい。
光り輝く未来を思い描き、自身の明るい将来を重ねた。

 MM21地区のお披露目を兼ねて、191日間にわたって開催された「横浜博覧会(YES'89)」。
時はバブル景気真っ盛り。
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 博覧会のテーマは「宇宙と子供たち」。
横浜市制100周年、横浜港開港130周年を記念して催された。
企業や自治体が33館のパビリオンを出展し、20カ国・地域が参加。
開幕直後から市民らが大挙として詰めかけ、入場者数は国際博覧会並みの1333万7千人を記録した。

 三菱グループが立体映像を上映したパビリオン「三菱未来館」の入場を待つ長い列で、少年は期待に胸をふくらませていた。
当時中学3年生の小山慶和さん(44)=横浜市磯子区=は、宇宙へと飛び出してゆく迫力あるコンピューター・グラフィックスの画面に言葉を失った。

 JR桜木町駅から会場までは、当時珍しかった「動く歩道」が新たに整備された。
小山さんは大勢の人に前後を挟まれながら「会場に向かうまでのアトラクションとして乗っていた」。

 それまでの桜木町は三菱重工業の造船所で働く「労働者の街」という印象が強く、小山さんには近寄りがたい雰囲気があった。
それだけに、色とりどりのパビリオンが並ぶ横浜博の会場で見た最新技術に胸が高鳴り、「モノクロだった世界が突然、カラーになったような感覚」。
ものづくりの素晴らしさに触れて、高揚感を覚えた。

 横浜博終了後、MM21地区の大規模開発が始まった。
臨海部では港や海を彷彿(ほうふつ)させる斬新なデザインの建築物や街路が整備され、都市型観光地として華やいだ雰囲気に包まれていった。

 長らく米軍に接収されていた新港ふ頭だったが、横浜冷蔵倉庫(中区新港町)が94年に返還。
臨海部の開発が加速し、戦後横浜に色濃く残っていた「フェンスの向こうのアメリカ」のイメージは薄れていった。

 昭和から平成へと移る激動の時代。小山さんは造船所から横浜博、そしてビジネス都市へと街が生まれ変わる場面に立ち会うことになる。

 小山さんは横浜博の開幕と同じ89年に完成した横浜ベイブリッジに感激し、巨大な構造物を作りたいと三菱重工業横浜製作所(横製)に入社した。
念願かなって横浜ベイブリッジ下層の国道357号部分の構造に関わる製作に携わり、その後、社内報を担当。
資料調査や関係者への取材を通して造船所の歩みを調べ、記録していった。

 印象に残る出来事は、MM21地区のみなとみらいセンタービル建設現場で2008年、造船所で建造された「山汐(やましお)丸」のいかりが発掘されたことだ。
高層ビルが林立する中、造船所時代の記憶を呼び起こす「タイムカプセル」のようだった。
国の重要文化財として保存されている2基のドックなど、地区内に残る造船所時代の面影を社内報で分かりやすく紹介した。

 その後、火力発電などを担う事業会社「三菱日立パワーシステムズ」に転籍し、
18年4月からは、横浜ランドマークタワーや横浜美術館に隣接する三菱重工横浜ビルで広報を担う。
くしくも造船所の跡地に建てられた高層ビル。眼下には、中学生時代に胸躍らせたMM21地区が広がる。

 横製時代に先輩とともに手掛けた社内報は宝物だ。
「薄れゆく造船所時代の記憶と思い出が記録できてよかった。新たな時代になっても、この街の物語を伝え続けたい」 

 ◆六大事業とMM21事業 六大事業とは
(1)横浜都心部強化
(2)港北ニュータウン建設
(3)金沢地先埋め立て事業
(4)高速鉄道(地下鉄)建設
(5)高速道路網建設
(6)ベイブリッジ建設−の各事業。(1)の中核的プロジェクトであるMM21事業は、横浜の自立性の強化▽港湾機能の質的転換▽首都圏の業務機能の分担を目的とし、「24時間活動する国際文化都市」などの都市像を掲げている。
2019/02/07(木) 14:15:59.40ID:PqBcXX4z
平成と横浜・みなとみらい 「モノクロの世界がカラーに」
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190122-00032881-kana-bus_all

 「平成」が幕を開けた1989年。横浜・みなとみらい21(MM21)地区に立った少年は、そのまぶしさに心躍らせていた。
色彩豊かな街並み、初めて目にする技術の数々。
目に飛び込む全てが新しい。
光り輝く未来を思い描き、自身の明るい将来を重ねた。

 MM21地区のお披露目を兼ねて、191日間にわたって開催された「横浜博覧会(YES'89)」。
時はバブル景気真っ盛り。
華々しく開幕した3月25日を境に、異国情緒あふれ夜霧が似合う港町から、流行の先端を走る未来都市へと変貌を遂げようとしていた。

 博覧会のテーマは「宇宙と子供たち」。
横浜市制100周年、横浜港開港130周年を記念して催された。
企業や自治体が33館のパビリオンを出展し、20カ国・地域が参加。
開幕直後から市民らが大挙として詰めかけ、入場者数は国際博覧会並みの1333万7千人を記録した。

 三菱グループが立体映像を上映したパビリオン「三菱未来館」の入場を待つ長い列で、少年は期待に胸をふくらませていた。
当時中学3年生の小山慶和さん(44)=横浜市磯子区=は、宇宙へと飛び出してゆく迫力あるコンピューター・グラフィックスの画面に言葉を失った。

 JR桜木町駅から会場までは、当時珍しかった「動く歩道」が新たに整備された。
小山さんは大勢の人に前後を挟まれながら「会場に向かうまでのアトラクションとして乗っていた」。

 それまでの桜木町は三菱重工業の造船所で働く「労働者の街」という印象が強く、小山さんには近寄りがたい雰囲気があった。
それだけに、色とりどりのパビリオンが並ぶ横浜博の会場で見た最新技術に胸が高鳴り、「モノクロだった世界が突然、カラーになったような感覚」。
ものづくりの素晴らしさに触れて、高揚感を覚えた。

 横浜博終了後、MM21地区の大規模開発が始まった。
臨海部では港や海を彷彿(ほうふつ)させる斬新なデザインの建築物や街路が整備され、都市型観光地として華やいだ雰囲気に包まれていった。

 長らく米軍に接収されていた新港ふ頭だったが、横浜冷蔵倉庫(中区新港町)が94年に返還。
臨海部の開発が加速し、戦後横浜に色濃く残っていた「フェンスの向こうのアメリカ」のイメージは薄れていった。

 昭和から平成へと移る激動の時代。小山さんは造船所から横浜博、そしてビジネス都市へと街が生まれ変わる場面に立ち会うことになる。

 小山さんは横浜博の開幕と同じ89年に完成した横浜ベイブリッジに感激し、巨大な構造物を作りたいと三菱重工業横浜製作所(横製)に入社した。
念願かなって横浜ベイブリッジ下層の国道357号部分の構造に関わる製作に携わり、その後、社内報を担当。
資料調査や関係者への取材を通して造船所の歩みを調べ、記録していった。

 印象に残る出来事は、MM21地区のみなとみらいセンタービル建設現場で2008年、造船所で建造された「山汐(やましお)丸」のいかりが発掘されたことだ。
高層ビルが林立する中、造船所時代の記憶を呼び起こす「タイムカプセル」のようだった。
国の重要文化財として保存されている2基のドックなど、地区内に残る造船所時代の面影を社内報で分かりやすく紹介した。

 その後、火力発電などを担う事業会社「三菱日立パワーシステムズ」に転籍し、
18年4月からは、横浜ランドマークタワーや横浜美術館に隣接する三菱重工横浜ビルで広報を担う。
くしくも造船所の跡地に建てられた高層ビル。眼下には、中学生時代に胸躍らせたMM21地区が広がる。

 横製時代に先輩とともに手掛けた社内報は宝物だ。
「薄れゆく造船所時代の記憶と思い出が記録できてよかった。新たな時代になっても、この街の物語を伝え続けたい」 

 ◆六大事業とMM21事業 六大事業とは
(1)横浜都心部強化
(2)港北ニュータウン建設
(3)金沢地先埋め立て事業
(4)高速鉄道(地下鉄)建設
(5)高速道路網建設
(6)ベイブリッジ建設−の各事業。(1)の中核的プロジェクトであるMM21事業は、横浜の自立性の強化▽港湾機能の質的転換▽首都圏の業務機能の分担を目的とし、「24時間活動する国際文化都市」などの都市像を掲げている。
2019/02/07(木) 14:16:25.18ID:PqBcXX4z
平成と横浜・みなとみらい 「モノクロの世界がカラーに」
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 「平成」が幕を開けた1989年。横浜・みなとみらい21(MM21)地区に立った少年は、そのまぶしさに心躍らせていた。
色彩豊かな街並み、初めて目にする技術の数々。
目に飛び込む全てが新しい。
光り輝く未来を思い描き、自身の明るい将来を重ねた。

 MM21地区のお披露目を兼ねて、191日間にわたって開催された「横浜博覧会(YES'89)」。
時はバブル景気真っ盛り。
華々しく開幕した3月25日を境に、異国情緒あふれ夜霧が似合う港町から、流行の先端を走る未来都市へと変貌を遂げようとしていた。

 博覧会のテーマは「宇宙と子供たち」。
横浜市制100周年、横浜港開港130周年を記念して催された。
企業や自治体が33館のパビリオンを出展し、20カ国・地域が参加。
開幕直後から市民らが大挙として詰めかけ、入場者数は国際博覧会並みの1333万7千人を記録した。

 三菱グループが立体映像を上映したパビリオン「三菱未来館」の入場を待つ長い列で、少年は期待に胸をふくらませていた。
当時中学3年生の小山慶和さん(44)=横浜市磯子区=は、宇宙へと飛び出してゆく迫力あるコンピューター・グラフィックスの画面に言葉を失った。

 JR桜木町駅から会場までは、当時珍しかった「動く歩道」が新たに整備された。
小山さんは大勢の人に前後を挟まれながら「会場に向かうまでのアトラクションとして乗っていた」。

 それまでの桜木町は三菱重工業の造船所で働く「労働者の街」という印象が強く、小山さんには近寄りがたい雰囲気があった。
それだけに、色とりどりのパビリオンが並ぶ横浜博の会場で見た最新技術に胸が高鳴り、「モノクロだった世界が突然、カラーになったような感覚」。
ものづくりの素晴らしさに触れて、高揚感を覚えた。

 横浜博終了後、MM21地区の大規模開発が始まった。
臨海部では港や海を彷彿(ほうふつ)させる斬新なデザインの建築物や街路が整備され、都市型観光地として華やいだ雰囲気に包まれていった。

 長らく米軍に接収されていた新港ふ頭だったが、横浜冷蔵倉庫(中区新港町)が94年に返還。
臨海部の開発が加速し、戦後横浜に色濃く残っていた「フェンスの向こうのアメリカ」のイメージは薄れていった。

 昭和から平成へと移る激動の時代。小山さんは造船所から横浜博、そしてビジネス都市へと街が生まれ変わる場面に立ち会うことになる。

 小山さんは横浜博の開幕と同じ89年に完成した横浜ベイブリッジに感激し、巨大な構造物を作りたいと三菱重工業横浜製作所(横製)に入社した。
念願かなって横浜ベイブリッジ下層の国道357号部分の構造に関わる製作に携わり、その後、社内報を担当。
資料調査や関係者への取材を通して造船所の歩みを調べ、記録していった。

 印象に残る出来事は、MM21地区のみなとみらいセンタービル建設現場で2008年、造船所で建造された「山汐(やましお)丸」のいかりが発掘されたことだ。
高層ビルが林立する中、造船所時代の記憶を呼び起こす「タイムカプセル」のようだった。
国の重要文化財として保存されている2基のドックなど、地区内に残る造船所時代の面影を社内報で分かりやすく紹介した。

 その後、火力発電などを担う事業会社「三菱日立パワーシステムズ」に転籍し、
18年4月からは、横浜ランドマークタワーや横浜美術館に隣接する三菱重工横浜ビルで広報を担う。
くしくも造船所の跡地に建てられた高層ビル。眼下には、中学生時代に胸躍らせたMM21地区が広がる。

 横製時代に先輩とともに手掛けた社内報は宝物だ。
「薄れゆく造船所時代の記憶と思い出が記録できてよかった。新たな時代になっても、この街の物語を伝え続けたい」 

 ◆六大事業とMM21事業 六大事業とは
(1)横浜都心部強化
(2)港北ニュータウン建設
(3)金沢地先埋め立て事業
(4)高速鉄道(地下鉄)建設
(5)高速道路網建設
(6)ベイブリッジ建設−の各事業。(1)の中核的プロジェクトであるMM21事業は、横浜の自立性の強化▽港湾機能の質的転換▽首都圏の業務機能の分担を目的とし、「24時間活動する国際文化都市」などの都市像を掲げている。
2019/02/07(木) 14:16:51.69ID:PqBcXX4z
平成と横浜・みなとみらい 「モノクロの世界がカラーに」
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 「平成」が幕を開けた1989年。横浜・みなとみらい21(MM21)地区に立った少年は、そのまぶしさに心躍らせていた。
色彩豊かな街並み、初めて目にする技術の数々。
目に飛び込む全てが新しい。
光り輝く未来を思い描き、自身の明るい将来を重ねた。

 MM21地区のお披露目を兼ねて、191日間にわたって開催された「横浜博覧会(YES'89)」。
時はバブル景気真っ盛り。
華々しく開幕した3月25日を境に、異国情緒あふれ夜霧が似合う港町から、流行の先端を走る未来都市へと変貌を遂げようとしていた。

 博覧会のテーマは「宇宙と子供たち」。
横浜市制100周年、横浜港開港130周年を記念して催された。
企業や自治体が33館のパビリオンを出展し、20カ国・地域が参加。
開幕直後から市民らが大挙として詰めかけ、入場者数は国際博覧会並みの1333万7千人を記録した。

 三菱グループが立体映像を上映したパビリオン「三菱未来館」の入場を待つ長い列で、少年は期待に胸をふくらませていた。
当時中学3年生の小山慶和さん(44)=横浜市磯子区=は、宇宙へと飛び出してゆく迫力あるコンピューター・グラフィックスの画面に言葉を失った。

 JR桜木町駅から会場までは、当時珍しかった「動く歩道」が新たに整備された。
小山さんは大勢の人に前後を挟まれながら「会場に向かうまでのアトラクションとして乗っていた」。

 それまでの桜木町は三菱重工業の造船所で働く「労働者の街」という印象が強く、小山さんには近寄りがたい雰囲気があった。
それだけに、色とりどりのパビリオンが並ぶ横浜博の会場で見た最新技術に胸が高鳴り、「モノクロだった世界が突然、カラーになったような感覚」。
ものづくりの素晴らしさに触れて、高揚感を覚えた。

 横浜博終了後、MM21地区の大規模開発が始まった。
臨海部では港や海を彷彿(ほうふつ)させる斬新なデザインの建築物や街路が整備され、都市型観光地として華やいだ雰囲気に包まれていった。

 長らく米軍に接収されていた新港ふ頭だったが、横浜冷蔵倉庫(中区新港町)が94年に返還。
臨海部の開発が加速し、戦後横浜に色濃く残っていた「フェンスの向こうのアメリカ」のイメージは薄れていった。

 昭和から平成へと移る激動の時代。小山さんは造船所から横浜博、そしてビジネス都市へと街が生まれ変わる場面に立ち会うことになる。

 小山さんは横浜博の開幕と同じ89年に完成した横浜ベイブリッジに感激し、巨大な構造物を作りたいと三菱重工業横浜製作所(横製)に入社した。
念願かなって横浜ベイブリッジ下層の国道357号部分の構造に関わる製作に携わり、その後、社内報を担当。
資料調査や関係者への取材を通して造船所の歩みを調べ、記録していった。

 印象に残る出来事は、MM21地区のみなとみらいセンタービル建設現場で2008年、造船所で建造された「山汐(やましお)丸」のいかりが発掘されたことだ。
高層ビルが林立する中、造船所時代の記憶を呼び起こす「タイムカプセル」のようだった。
国の重要文化財として保存されている2基のドックなど、地区内に残る造船所時代の面影を社内報で分かりやすく紹介した。

 その後、火力発電などを担う事業会社「三菱日立パワーシステムズ」に転籍し、
18年4月からは、横浜ランドマークタワーや横浜美術館に隣接する三菱重工横浜ビルで広報を担う。
くしくも造船所の跡地に建てられた高層ビル。眼下には、中学生時代に胸躍らせたMM21地区が広がる。

 横製時代に先輩とともに手掛けた社内報は宝物だ。
「薄れゆく造船所時代の記憶と思い出が記録できてよかった。新たな時代になっても、この街の物語を伝え続けたい」 

 ◆六大事業とMM21事業 六大事業とは
(1)横浜都心部強化
(2)港北ニュータウン建設
(3)金沢地先埋め立て事業
(4)高速鉄道(地下鉄)建設
(5)高速道路網建設
(6)ベイブリッジ建設−の各事業。(1)の中核的プロジェクトであるMM21事業は、横浜の自立性の強化▽港湾機能の質的転換▽首都圏の業務機能の分担を目的とし、「24時間活動する国際文化都市」などの都市像を掲げている。
2019/02/07(木) 14:17:14.49ID:PqBcXX4z
平成と横浜・みなとみらい 「モノクロの世界がカラーに」
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 「平成」が幕を開けた1989年。横浜・みなとみらい21(MM21)地区に立った少年は、そのまぶしさに心躍らせていた。
色彩豊かな街並み、初めて目にする技術の数々。
目に飛び込む全てが新しい。
光り輝く未来を思い描き、自身の明るい将来を重ねた。

 MM21地区のお披露目を兼ねて、191日間にわたって開催された「横浜博覧会(YES'89)」。
時はバブル景気真っ盛り。
華々しく開幕した3月25日を境に、異国情緒あふれ夜霧が似合う港町から、流行の先端を走る未来都市へと変貌を遂げようとしていた。

 博覧会のテーマは「宇宙と子供たち」。
横浜市制100周年、横浜港開港130周年を記念して催された。
企業や自治体が33館のパビリオンを出展し、20カ国・地域が参加。
開幕直後から市民らが大挙として詰めかけ、入場者数は国際博覧会並みの1333万7千人を記録した。

 三菱グループが立体映像を上映したパビリオン「三菱未来館」の入場を待つ長い列で、少年は期待に胸をふくらませていた。
当時中学3年生の小山慶和さん(44)=横浜市磯子区=は、宇宙へと飛び出してゆく迫力あるコンピューター・グラフィックスの画面に言葉を失った。

 JR桜木町駅から会場までは、当時珍しかった「動く歩道」が新たに整備された。
小山さんは大勢の人に前後を挟まれながら「会場に向かうまでのアトラクションとして乗っていた」。

 それまでの桜木町は三菱重工業の造船所で働く「労働者の街」という印象が強く、小山さんには近寄りがたい雰囲気があった。
それだけに、色とりどりのパビリオンが並ぶ横浜博の会場で見た最新技術に胸が高鳴り、「モノクロだった世界が突然、カラーになったような感覚」。
ものづくりの素晴らしさに触れて、高揚感を覚えた。

 横浜博終了後、MM21地区の大規模開発が始まった。
臨海部では港や海を彷彿(ほうふつ)させる斬新なデザインの建築物や街路が整備され、都市型観光地として華やいだ雰囲気に包まれていった。

 長らく米軍に接収されていた新港ふ頭だったが、横浜冷蔵倉庫(中区新港町)が94年に返還。
臨海部の開発が加速し、戦後横浜に色濃く残っていた「フェンスの向こうのアメリカ」のイメージは薄れていった。

 昭和から平成へと移る激動の時代。小山さんは造船所から横浜博、そしてビジネス都市へと街が生まれ変わる場面に立ち会うことになる。

 小山さんは横浜博の開幕と同じ89年に完成した横浜ベイブリッジに感激し、巨大な構造物を作りたいと三菱重工業横浜製作所(横製)に入社した。
念願かなって横浜ベイブリッジ下層の国道357号部分の構造に関わる製作に携わり、その後、社内報を担当。
資料調査や関係者への取材を通して造船所の歩みを調べ、記録していった。

 印象に残る出来事は、MM21地区のみなとみらいセンタービル建設現場で2008年、造船所で建造された「山汐(やましお)丸」のいかりが発掘されたことだ。
高層ビルが林立する中、造船所時代の記憶を呼び起こす「タイムカプセル」のようだった。
国の重要文化財として保存されている2基のドックなど、地区内に残る造船所時代の面影を社内報で分かりやすく紹介した。

 その後、火力発電などを担う事業会社「三菱日立パワーシステムズ」に転籍し、
18年4月からは、横浜ランドマークタワーや横浜美術館に隣接する三菱重工横浜ビルで広報を担う。
くしくも造船所の跡地に建てられた高層ビル。眼下には、中学生時代に胸躍らせたMM21地区が広がる。

 横製時代に先輩とともに手掛けた社内報は宝物だ。
「薄れゆく造船所時代の記憶と思い出が記録できてよかった。新たな時代になっても、この街の物語を伝え続けたい」 

 ◆六大事業とMM21事業 六大事業とは
(1)横浜都心部強化
(2)港北ニュータウン建設
(3)金沢地先埋め立て事業
(4)高速鉄道(地下鉄)建設
(5)高速道路網建設
(6)ベイブリッジ建設−の各事業。(1)の中核的プロジェクトであるMM21事業は、横浜の自立性の強化▽港湾機能の質的転換▽首都圏の業務機能の分担を目的とし、「24時間活動する国際文化都市」などの都市像を掲げている。
2019/02/07(木) 14:18:55.43ID:Bto1qu2E
平成と横浜・みなとみらい 「モノクロの世界がカラーに」
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 「平成」が幕を開けた1989年。横浜・みなとみらい21(MM21)地区に立った少年は、そのまぶしさに心躍らせていた。
色彩豊かな街並み、初めて目にする技術の数々。
目に飛び込む全てが新しい。
光り輝く未来を思い描き、自身の明るい将来を重ねた。

 MM21地区のお披露目を兼ねて、191日間にわたって開催された「横浜博覧会(YES'89)」。
時はバブル景気真っ盛り。
華々しく開幕した3月25日を境に、異国情緒あふれ夜霧が似合う港町から、流行の先端を走る未来都市へと変貌を遂げようとしていた。

 博覧会のテーマは「宇宙と子供たち」。
横浜市制100周年、横浜港開港130周年を記念して催された。
企業や自治体が33館のパビリオンを出展し、20カ国・地域が参加。
開幕直後から市民らが大挙として詰めかけ、入場者数は国際博覧会並みの1333万7千人を記録した。

 三菱グループが立体映像を上映したパビリオン「三菱未来館」の入場を待つ長い列で、少年は期待に胸をふくらませていた。
当時中学3年生の小山慶和さん(44)=横浜市磯子区=は、宇宙へと飛び出してゆく迫力あるコンピューター・グラフィックスの画面に言葉を失った。

 JR桜木町駅から会場までは、当時珍しかった「動く歩道」が新たに整備された。
小山さんは大勢の人に前後を挟まれながら「会場に向かうまでのアトラクションとして乗っていた」。

 それまでの桜木町は三菱重工業の造船所で働く「労働者の街」という印象が強く、小山さんには近寄りがたい雰囲気があった。
それだけに、色とりどりのパビリオンが並ぶ横浜博の会場で見た最新技術に胸が高鳴り、「モノクロだった世界が突然、カラーになったような感覚」。
ものづくりの素晴らしさに触れて、高揚感を覚えた。

 横浜博終了後、MM21地区の大規模開発が始まった。
臨海部では港や海を彷彿(ほうふつ)させる斬新なデザインの建築物や街路が整備され、都市型観光地として華やいだ雰囲気に包まれていった。

 長らく米軍に接収されていた新港ふ頭だったが、横浜冷蔵倉庫(中区新港町)が94年に返還。
臨海部の開発が加速し、戦後横浜に色濃く残っていた「フェンスの向こうのアメリカ」のイメージは薄れていった。

 昭和から平成へと移る激動の時代。小山さんは造船所から横浜博、そしてビジネス都市へと街が生まれ変わる場面に立ち会うことになる。

 小山さんは横浜博の開幕と同じ89年に完成した横浜ベイブリッジに感激し、巨大な構造物を作りたいと三菱重工業横浜製作所(横製)に入社した。
念願かなって横浜ベイブリッジ下層の国道357号部分の構造に関わる製作に携わり、その後、社内報を担当。
資料調査や関係者への取材を通して造船所の歩みを調べ、記録していった。

 印象に残る出来事は、MM21地区のみなとみらいセンタービル建設現場で2008年、造船所で建造された「山汐(やましお)丸」のいかりが発掘されたことだ。
高層ビルが林立する中、造船所時代の記憶を呼び起こす「タイムカプセル」のようだった。
国の重要文化財として保存されている2基のドックなど、地区内に残る造船所時代の面影を社内報で分かりやすく紹介した。

 その後、火力発電などを担う事業会社「三菱日立パワーシステムズ」に転籍し、
18年4月からは、横浜ランドマークタワーや横浜美術館に隣接する三菱重工横浜ビルで広報を担う。
くしくも造船所の跡地に建てられた高層ビル。眼下には、中学生時代に胸躍らせたMM21地区が広がる。

 横製時代に先輩とともに手掛けた社内報は宝物だ。
「薄れゆく造船所時代の記憶と思い出が記録できてよかった。新たな時代になっても、この街の物語を伝え続けたい」 

 ◆六大事業とMM21事業 六大事業とは
(1)横浜都心部強化
(2)港北ニュータウン建設
(3)金沢地先埋め立て事業
(4)高速鉄道(地下鉄)建設
(5)高速道路網建設
(6)ベイブリッジ建設−の各事業。(1)の中核的プロジェクトであるMM21事業は、横浜の自立性の強化▽港湾機能の質的転換▽首都圏の業務機能の分担を目的とし、「24時間活動する国際文化都市」などの都市像を掲げている。
2019/02/07(木) 14:19:29.16ID:Bto1qu2E
平成と横浜・みなとみらい 「モノクロの世界がカラーに」
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190122-00032881-kana-bus_all

 「平成」が幕を開けた1989年。横浜・みなとみらい21(MM21)地区に立った少年は、そのまぶしさに心躍らせていた。
色彩豊かな街並み、初めて目にする技術の数々。
目に飛び込む全てが新しい。
光り輝く未来を思い描き、自身の明るい将来を重ねた。

 MM21地区のお披露目を兼ねて、191日間にわたって開催された「横浜博覧会(YES'89)」。
時はバブル景気真っ盛り。
華々しく開幕した3月25日を境に、異国情緒あふれ夜霧が似合う港町から、流行の先端を走る未来都市へと変貌を遂げようとしていた。

 博覧会のテーマは「宇宙と子供たち」。
横浜市制100周年、横浜港開港130周年を記念して催された。
企業や自治体が33館のパビリオンを出展し、20カ国・地域が参加。
開幕直後から市民らが大挙として詰めかけ、入場者数は国際博覧会並みの1333万7千人を記録した。

 三菱グループが立体映像を上映したパビリオン「三菱未来館」の入場を待つ長い列で、少年は期待に胸をふくらませていた。
当時中学3年生の小山慶和さん(44)=横浜市磯子区=は、宇宙へと飛び出してゆく迫力あるコンピューター・グラフィックスの画面に言葉を失った。

 JR桜木町駅から会場までは、当時珍しかった「動く歩道」が新たに整備された。
小山さんは大勢の人に前後を挟まれながら「会場に向かうまでのアトラクションとして乗っていた」。

 それまでの桜木町は三菱重工業の造船所で働く「労働者の街」という印象が強く、小山さんには近寄りがたい雰囲気があった。
それだけに、色とりどりのパビリオンが並ぶ横浜博の会場で見た最新技術に胸が高鳴り、「モノクロだった世界が突然、カラーになったような感覚」。
ものづくりの素晴らしさに触れて、高揚感を覚えた。

 横浜博終了後、MM21地区の大規模開発が始まった。
臨海部では港や海を彷彿(ほうふつ)させる斬新なデザインの建築物や街路が整備され、都市型観光地として華やいだ雰囲気に包まれていった。

 長らく米軍に接収されていた新港ふ頭だったが、横浜冷蔵倉庫(中区新港町)が94年に返還。
臨海部の開発が加速し、戦後横浜に色濃く残っていた「フェンスの向こうのアメリカ」のイメージは薄れていった。

 昭和から平成へと移る激動の時代。小山さんは造船所から横浜博、そしてビジネス都市へと街が生まれ変わる場面に立ち会うことになる。

 小山さんは横浜博の開幕と同じ89年に完成した横浜ベイブリッジに感激し、巨大な構造物を作りたいと三菱重工業横浜製作所(横製)に入社した。
念願かなって横浜ベイブリッジ下層の国道357号部分の構造に関わる製作に携わり、その後、社内報を担当。
資料調査や関係者への取材を通して造船所の歩みを調べ、記録していった。

 印象に残る出来事は、MM21地区のみなとみらいセンタービル建設現場で2008年、造船所で建造された「山汐(やましお)丸」のいかりが発掘されたことだ。
高層ビルが林立する中、造船所時代の記憶を呼び起こす「タイムカプセル」のようだった。
国の重要文化財として保存されている2基のドックなど、地区内に残る造船所時代の面影を社内報で分かりやすく紹介した。

 その後、火力発電などを担う事業会社「三菱日立パワーシステムズ」に転籍し、
18年4月からは、横浜ランドマークタワーや横浜美術館に隣接する三菱重工横浜ビルで広報を担う。
くしくも造船所の跡地に建てられた高層ビル。眼下には、中学生時代に胸躍らせたMM21地区が広がる。

 横製時代に先輩とともに手掛けた社内報は宝物だ。
「薄れゆく造船所時代の記憶と思い出が記録できてよかった。新たな時代になっても、この街の物語を伝え続けたい」 

 ◆六大事業とMM21事業 六大事業とは
(1)横浜都心部強化
(2)港北ニュータウン建設
(3)金沢地先埋め立て事業
(4)高速鉄道(地下鉄)建設
(5)高速道路網建設
(6)ベイブリッジ建設−の各事業。(1)の中核的プロジェクトであるMM21事業は、横浜の自立性の強化▽港湾機能の質的転換▽首都圏の業務機能の分担を目的とし、「24時間活動する国際文化都市」などの都市像を掲げている。
2019/02/07(木) 14:19:59.89ID:Bto1qu2E
平成と横浜・みなとみらい 「モノクロの世界がカラーに」
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190122-00032881-kana-bus_all

 「平成」が幕を開けた1989年。横浜・みなとみらい21(MM21)地区に立った少年は、そのまぶしさに心躍らせていた。
色彩豊かな街並み、初めて目にする技術の数々。
目に飛び込む全てが新しい。
光り輝く未来を思い描き、自身の明るい将来を重ねた。

 MM21地区のお披露目を兼ねて、191日間にわたって開催された「横浜博覧会(YES'89)」。
時はバブル景気真っ盛り。
華々しく開幕した3月25日を境に、異国情緒あふれ夜霧が似合う港町から、流行の先端を走る未来都市へと変貌を遂げようとしていた。

 博覧会のテーマは「宇宙と子供たち」。
横浜市制100周年、横浜港開港130周年を記念して催された。
企業や自治体が33館のパビリオンを出展し、20カ国・地域が参加。
開幕直後から市民らが大挙として詰めかけ、入場者数は国際博覧会並みの1333万7千人を記録した。

 三菱グループが立体映像を上映したパビリオン「三菱未来館」の入場を待つ長い列で、少年は期待に胸をふくらませていた。
当時中学3年生の小山慶和さん(44)=横浜市磯子区=は、宇宙へと飛び出してゆく迫力あるコンピューター・グラフィックスの画面に言葉を失った。

 JR桜木町駅から会場までは、当時珍しかった「動く歩道」が新たに整備された。
小山さんは大勢の人に前後を挟まれながら「会場に向かうまでのアトラクションとして乗っていた」。

 それまでの桜木町は三菱重工業の造船所で働く「労働者の街」という印象が強く、小山さんには近寄りがたい雰囲気があった。
それだけに、色とりどりのパビリオンが並ぶ横浜博の会場で見た最新技術に胸が高鳴り、「モノクロだった世界が突然、カラーになったような感覚」。
ものづくりの素晴らしさに触れて、高揚感を覚えた。

 横浜博終了後、MM21地区の大規模開発が始まった。
臨海部では港や海を彷彿(ほうふつ)させる斬新なデザインの建築物や街路が整備され、都市型観光地として華やいだ雰囲気に包まれていった。

 長らく米軍に接収されていた新港ふ頭だったが、横浜冷蔵倉庫(中区新港町)が94年に返還。
臨海部の開発が加速し、戦後横浜に色濃く残っていた「フェンスの向こうのアメリカ」のイメージは薄れていった。

 昭和から平成へと移る激動の時代。小山さんは造船所から横浜博、そしてビジネス都市へと街が生まれ変わる場面に立ち会うことになる。

 小山さんは横浜博の開幕と同じ89年に完成した横浜ベイブリッジに感激し、巨大な構造物を作りたいと三菱重工業横浜製作所(横製)に入社した。
念願かなって横浜ベイブリッジ下層の国道357号部分の構造に関わる製作に携わり、その後、社内報を担当。
資料調査や関係者への取材を通して造船所の歩みを調べ、記録していった。

 印象に残る出来事は、MM21地区のみなとみらいセンタービル建設現場で2008年、造船所で建造された「山汐(やましお)丸」のいかりが発掘されたことだ。
高層ビルが林立する中、造船所時代の記憶を呼び起こす「タイムカプセル」のようだった。
国の重要文化財として保存されている2基のドックなど、地区内に残る造船所時代の面影を社内報で分かりやすく紹介した。

 その後、火力発電などを担う事業会社「三菱日立パワーシステムズ」に転籍し、
18年4月からは、横浜ランドマークタワーや横浜美術館に隣接する三菱重工横浜ビルで広報を担う。
くしくも造船所の跡地に建てられた高層ビル。眼下には、中学生時代に胸躍らせたMM21地区が広がる。

 横製時代に先輩とともに手掛けた社内報は宝物だ。
「薄れゆく造船所時代の記憶と思い出が記録できてよかった。新たな時代になっても、この街の物語を伝え続けたい」 

 ◆六大事業とMM21事業 六大事業とは
(1)横浜都心部強化
(2)港北ニュータウン建設
(3)金沢地先埋め立て事業
(4)高速鉄道(地下鉄)建設
(5)高速道路網建設
(6)ベイブリッジ建設−の各事業。(1)の中核的プロジェクトであるMM21事業は、横浜の自立性の強化▽港湾機能の質的転換▽首都圏の業務機能の分担を目的とし、「24時間活動する国際文化都市」などの都市像を掲げている。
2019/02/07(木) 14:20:25.25ID:Bto1qu2E
平成と横浜・みなとみらい 「モノクロの世界がカラーに」
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190122-00032881-kana-bus_all

 「平成」が幕を開けた1989年。横浜・みなとみらい21(MM21)地区に立った少年は、そのまぶしさに心躍らせていた。
色彩豊かな街並み、初めて目にする技術の数々。
目に飛び込む全てが新しい。
光り輝く未来を思い描き、自身の明るい将来を重ねた。

 MM21地区のお披露目を兼ねて、191日間にわたって開催された「横浜博覧会(YES'89)」。
時はバブル景気真っ盛り。
華々しく開幕した3月25日を境に、異国情緒あふれ夜霧が似合う港町から、流行の先端を走る未来都市へと変貌を遂げようとしていた。

 博覧会のテーマは「宇宙と子供たち」。
横浜市制100周年、横浜港開港130周年を記念して催された。
企業や自治体が33館のパビリオンを出展し、20カ国・地域が参加。
開幕直後から市民らが大挙として詰めかけ、入場者数は国際博覧会並みの1333万7千人を記録した。

 三菱グループが立体映像を上映したパビリオン「三菱未来館」の入場を待つ長い列で、少年は期待に胸をふくらませていた。
当時中学3年生の小山慶和さん(44)=横浜市磯子区=は、宇宙へと飛び出してゆく迫力あるコンピューター・グラフィックスの画面に言葉を失った。

 JR桜木町駅から会場までは、当時珍しかった「動く歩道」が新たに整備された。
小山さんは大勢の人に前後を挟まれながら「会場に向かうまでのアトラクションとして乗っていた」。

 それまでの桜木町は三菱重工業の造船所で働く「労働者の街」という印象が強く、小山さんには近寄りがたい雰囲気があった。
それだけに、色とりどりのパビリオンが並ぶ横浜博の会場で見た最新技術に胸が高鳴り、「モノクロだった世界が突然、カラーになったような感覚」。
ものづくりの素晴らしさに触れて、高揚感を覚えた。

 横浜博終了後、MM21地区の大規模開発が始まった。
臨海部では港や海を彷彿(ほうふつ)させる斬新なデザインの建築物や街路が整備され、都市型観光地として華やいだ雰囲気に包まれていった。

 長らく米軍に接収されていた新港ふ頭だったが、横浜冷蔵倉庫(中区新港町)が94年に返還。
臨海部の開発が加速し、戦後横浜に色濃く残っていた「フェンスの向こうのアメリカ」のイメージは薄れていった。

 昭和から平成へと移る激動の時代。小山さんは造船所から横浜博、そしてビジネス都市へと街が生まれ変わる場面に立ち会うことになる。

 小山さんは横浜博の開幕と同じ89年に完成した横浜ベイブリッジに感激し、巨大な構造物を作りたいと三菱重工業横浜製作所(横製)に入社した。
念願かなって横浜ベイブリッジ下層の国道357号部分の構造に関わる製作に携わり、その後、社内報を担当。
資料調査や関係者への取材を通して造船所の歩みを調べ、記録していった。

 印象に残る出来事は、MM21地区のみなとみらいセンタービル建設現場で2008年、造船所で建造された「山汐(やましお)丸」のいかりが発掘されたことだ。
高層ビルが林立する中、造船所時代の記憶を呼び起こす「タイムカプセル」のようだった。
国の重要文化財として保存されている2基のドックなど、地区内に残る造船所時代の面影を社内報で分かりやすく紹介した。

 その後、火力発電などを担う事業会社「三菱日立パワーシステムズ」に転籍し、
18年4月からは、横浜ランドマークタワーや横浜美術館に隣接する三菱重工横浜ビルで広報を担う。
くしくも造船所の跡地に建てられた高層ビル。眼下には、中学生時代に胸躍らせたMM21地区が広がる。

 横製時代に先輩とともに手掛けた社内報は宝物だ。
「薄れゆく造船所時代の記憶と思い出が記録できてよかった。新たな時代になっても、この街の物語を伝え続けたい」 

 ◆六大事業とMM21事業 六大事業とは
(1)横浜都心部強化
(2)港北ニュータウン建設
(3)金沢地先埋め立て事業
(4)高速鉄道(地下鉄)建設
(5)高速道路網建設
(6)ベイブリッジ建設−の各事業。(1)の中核的プロジェクトであるMM21事業は、横浜の自立性の強化▽港湾機能の質的転換▽首都圏の業務機能の分担を目的とし、「24時間活動する国際文化都市」などの都市像を掲げている。
2019/02/07(木) 14:20:54.69ID:Bto1qu2E
平成と横浜・みなとみらい 「モノクロの世界がカラーに」
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190122-00032881-kana-bus_all

 「平成」が幕を開けた1989年。横浜・みなとみらい21(MM21)地区に立った少年は、そのまぶしさに心躍らせていた。
色彩豊かな街並み、初めて目にする技術の数々。
目に飛び込む全てが新しい。
光り輝く未来を思い描き、自身の明るい将来を重ねた。

 MM21地区のお披露目を兼ねて、191日間にわたって開催された「横浜博覧会(YES'89)」。
時はバブル景気真っ盛り。
華々しく開幕した3月25日を境に、異国情緒あふれ夜霧が似合う港町から、流行の先端を走る未来都市へと変貌を遂げようとしていた。

 博覧会のテーマは「宇宙と子供たち」。
横浜市制100周年、横浜港開港130周年を記念して催された。
企業や自治体が33館のパビリオンを出展し、20カ国・地域が参加。
開幕直後から市民らが大挙として詰めかけ、入場者数は国際博覧会並みの1333万7千人を記録した。

 三菱グループが立体映像を上映したパビリオン「三菱未来館」の入場を待つ長い列で、少年は期待に胸をふくらませていた。
当時中学3年生の小山慶和さん(44)=横浜市磯子区=は、宇宙へと飛び出してゆく迫力あるコンピューター・グラフィックスの画面に言葉を失った。

 JR桜木町駅から会場までは、当時珍しかった「動く歩道」が新たに整備された。
小山さんは大勢の人に前後を挟まれながら「会場に向かうまでのアトラクションとして乗っていた」。

 それまでの桜木町は三菱重工業の造船所で働く「労働者の街」という印象が強く、小山さんには近寄りがたい雰囲気があった。
それだけに、色とりどりのパビリオンが並ぶ横浜博の会場で見た最新技術に胸が高鳴り、「モノクロだった世界が突然、カラーになったような感覚」。
ものづくりの素晴らしさに触れて、高揚感を覚えた。

 横浜博終了後、MM21地区の大規模開発が始まった。
臨海部では港や海を彷彿(ほうふつ)させる斬新なデザインの建築物や街路が整備され、都市型観光地として華やいだ雰囲気に包まれていった。

 長らく米軍に接収されていた新港ふ頭だったが、横浜冷蔵倉庫(中区新港町)が94年に返還。
臨海部の開発が加速し、戦後横浜に色濃く残っていた「フェンスの向こうのアメリカ」のイメージは薄れていった。

 昭和から平成へと移る激動の時代。小山さんは造船所から横浜博、そしてビジネス都市へと街が生まれ変わる場面に立ち会うことになる。

 小山さんは横浜博の開幕と同じ89年に完成した横浜ベイブリッジに感激し、巨大な構造物を作りたいと三菱重工業横浜製作所(横製)に入社した。
念願かなって横浜ベイブリッジ下層の国道357号部分の構造に関わる製作に携わり、その後、社内報を担当。
資料調査や関係者への取材を通して造船所の歩みを調べ、記録していった。

 印象に残る出来事は、MM21地区のみなとみらいセンタービル建設現場で2008年、造船所で建造された「山汐(やましお)丸」のいかりが発掘されたことだ。
高層ビルが林立する中、造船所時代の記憶を呼び起こす「タイムカプセル」のようだった。
国の重要文化財として保存されている2基のドックなど、地区内に残る造船所時代の面影を社内報で分かりやすく紹介した。

 その後、火力発電などを担う事業会社「三菱日立パワーシステムズ」に転籍し、
18年4月からは、横浜ランドマークタワーや横浜美術館に隣接する三菱重工横浜ビルで広報を担う。
くしくも造船所の跡地に建てられた高層ビル。眼下には、中学生時代に胸躍らせたMM21地区が広がる。

 横製時代に先輩とともに手掛けた社内報は宝物だ。
「薄れゆく造船所時代の記憶と思い出が記録できてよかった。新たな時代になっても、この街の物語を伝え続けたい」 

 ◆六大事業とMM21事業 六大事業とは
(1)横浜都心部強化
(2)港北ニュータウン建設
(3)金沢地先埋め立て事業
(4)高速鉄道(地下鉄)建設
(5)高速道路網建設
(6)ベイブリッジ建設−の各事業。(1)の中核的プロジェクトであるMM21事業は、横浜の自立性の強化▽港湾機能の質的転換▽首都圏の業務機能の分担を目的とし、「24時間活動する国際文化都市」などの都市像を掲げている。
2019/02/07(木) 14:21:17.91ID:Bto1qu2E
平成と横浜・みなとみらい 「モノクロの世界がカラーに」
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 「平成」が幕を開けた1989年。横浜・みなとみらい21(MM21)地区に立った少年は、そのまぶしさに心躍らせていた。
色彩豊かな街並み、初めて目にする技術の数々。
目に飛び込む全てが新しい。
光り輝く未来を思い描き、自身の明るい将来を重ねた。

 MM21地区のお披露目を兼ねて、191日間にわたって開催された「横浜博覧会(YES'89)」。
時はバブル景気真っ盛り。
華々しく開幕した3月25日を境に、異国情緒あふれ夜霧が似合う港町から、流行の先端を走る未来都市へと変貌を遂げようとしていた。

 博覧会のテーマは「宇宙と子供たち」。
横浜市制100周年、横浜港開港130周年を記念して催された。
企業や自治体が33館のパビリオンを出展し、20カ国・地域が参加。
開幕直後から市民らが大挙として詰めかけ、入場者数は国際博覧会並みの1333万7千人を記録した。

 三菱グループが立体映像を上映したパビリオン「三菱未来館」の入場を待つ長い列で、少年は期待に胸をふくらませていた。
当時中学3年生の小山慶和さん(44)=横浜市磯子区=は、宇宙へと飛び出してゆく迫力あるコンピューター・グラフィックスの画面に言葉を失った。

 JR桜木町駅から会場までは、当時珍しかった「動く歩道」が新たに整備された。
小山さんは大勢の人に前後を挟まれながら「会場に向かうまでのアトラクションとして乗っていた」。

 それまでの桜木町は三菱重工業の造船所で働く「労働者の街」という印象が強く、小山さんには近寄りがたい雰囲気があった。
それだけに、色とりどりのパビリオンが並ぶ横浜博の会場で見た最新技術に胸が高鳴り、「モノクロだった世界が突然、カラーになったような感覚」。
ものづくりの素晴らしさに触れて、高揚感を覚えた。

 横浜博終了後、MM21地区の大規模開発が始まった。
臨海部では港や海を彷彿(ほうふつ)させる斬新なデザインの建築物や街路が整備され、都市型観光地として華やいだ雰囲気に包まれていった。

 長らく米軍に接収されていた新港ふ頭だったが、横浜冷蔵倉庫(中区新港町)が94年に返還。
臨海部の開発が加速し、戦後横浜に色濃く残っていた「フェンスの向こうのアメリカ」のイメージは薄れていった。

 昭和から平成へと移る激動の時代。小山さんは造船所から横浜博、そしてビジネス都市へと街が生まれ変わる場面に立ち会うことになる。

 小山さんは横浜博の開幕と同じ89年に完成した横浜ベイブリッジに感激し、巨大な構造物を作りたいと三菱重工業横浜製作所(横製)に入社した。
念願かなって横浜ベイブリッジ下層の国道357号部分の構造に関わる製作に携わり、その後、社内報を担当。
資料調査や関係者への取材を通して造船所の歩みを調べ、記録していった。

 印象に残る出来事は、MM21地区のみなとみらいセンタービル建設現場で2008年、造船所で建造された「山汐(やましお)丸」のいかりが発掘されたことだ。
高層ビルが林立する中、造船所時代の記憶を呼び起こす「タイムカプセル」のようだった。
国の重要文化財として保存されている2基のドックなど、地区内に残る造船所時代の面影を社内報で分かりやすく紹介した。

 その後、火力発電などを担う事業会社「三菱日立パワーシステムズ」に転籍し、
18年4月からは、横浜ランドマークタワーや横浜美術館に隣接する三菱重工横浜ビルで広報を担う。
くしくも造船所の跡地に建てられた高層ビル。眼下には、中学生時代に胸躍らせたMM21地区が広がる。

 横製時代に先輩とともに手掛けた社内報は宝物だ。
「薄れゆく造船所時代の記憶と思い出が記録できてよかった。新たな時代になっても、この街の物語を伝え続けたい」 

 ◆六大事業とMM21事業 六大事業とは
(1)横浜都心部強化
(2)港北ニュータウン建設
(3)金沢地先埋め立て事業
(4)高速鉄道(地下鉄)建設
(5)高速道路網建設
(6)ベイブリッジ建設−の各事業。(1)の中核的プロジェクトであるMM21事業は、横浜の自立性の強化▽港湾機能の質的転換▽首都圏の業務機能の分担を目的とし、「24時間活動する国際文化都市」などの都市像を掲げている。
2019/02/07(木) 14:21:37.95ID:Bto1qu2E
平成と横浜・みなとみらい 「モノクロの世界がカラーに」
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190122-00032881-kana-bus_all

 「平成」が幕を開けた1989年。横浜・みなとみらい21(MM21)地区に立った少年は、そのまぶしさに心躍らせていた。
色彩豊かな街並み、初めて目にする技術の数々。
目に飛び込む全てが新しい。
光り輝く未来を思い描き、自身の明るい将来を重ねた。

 MM21地区のお披露目を兼ねて、191日間にわたって開催された「横浜博覧会(YES'89)」。
時はバブル景気真っ盛り。
華々しく開幕した3月25日を境に、異国情緒あふれ夜霧が似合う港町から、流行の先端を走る未来都市へと変貌を遂げようとしていた。

 博覧会のテーマは「宇宙と子供たち」。
横浜市制100周年、横浜港開港130周年を記念して催された。
企業や自治体が33館のパビリオンを出展し、20カ国・地域が参加。
開幕直後から市民らが大挙として詰めかけ、入場者数は国際博覧会並みの1333万7千人を記録した。

 三菱グループが立体映像を上映したパビリオン「三菱未来館」の入場を待つ長い列で、少年は期待に胸をふくらませていた。
当時中学3年生の小山慶和さん(44)=横浜市磯子区=は、宇宙へと飛び出してゆく迫力あるコンピューター・グラフィックスの画面に言葉を失った。

 JR桜木町駅から会場までは、当時珍しかった「動く歩道」が新たに整備された。
小山さんは大勢の人に前後を挟まれながら「会場に向かうまでのアトラクションとして乗っていた」。

 それまでの桜木町は三菱重工業の造船所で働く「労働者の街」という印象が強く、小山さんには近寄りがたい雰囲気があった。
それだけに、色とりどりのパビリオンが並ぶ横浜博の会場で見た最新技術に胸が高鳴り、「モノクロだった世界が突然、カラーになったような感覚」。
ものづくりの素晴らしさに触れて、高揚感を覚えた。

 横浜博終了後、MM21地区の大規模開発が始まった。
臨海部では港や海を彷彿(ほうふつ)させる斬新なデザインの建築物や街路が整備され、都市型観光地として華やいだ雰囲気に包まれていった。

 長らく米軍に接収されていた新港ふ頭だったが、横浜冷蔵倉庫(中区新港町)が94年に返還。
臨海部の開発が加速し、戦後横浜に色濃く残っていた「フェンスの向こうのアメリカ」のイメージは薄れていった。

 昭和から平成へと移る激動の時代。小山さんは造船所から横浜博、そしてビジネス都市へと街が生まれ変わる場面に立ち会うことになる。

 小山さんは横浜博の開幕と同じ89年に完成した横浜ベイブリッジに感激し、巨大な構造物を作りたいと三菱重工業横浜製作所(横製)に入社した。
念願かなって横浜ベイブリッジ下層の国道357号部分の構造に関わる製作に携わり、その後、社内報を担当。
資料調査や関係者への取材を通して造船所の歩みを調べ、記録していった。

 印象に残る出来事は、MM21地区のみなとみらいセンタービル建設現場で2008年、造船所で建造された「山汐(やましお)丸」のいかりが発掘されたことだ。
高層ビルが林立する中、造船所時代の記憶を呼び起こす「タイムカプセル」のようだった。
国の重要文化財として保存されている2基のドックなど、地区内に残る造船所時代の面影を社内報で分かりやすく紹介した。

 その後、火力発電などを担う事業会社「三菱日立パワーシステムズ」に転籍し、
18年4月からは、横浜ランドマークタワーや横浜美術館に隣接する三菱重工横浜ビルで広報を担う。
くしくも造船所の跡地に建てられた高層ビル。眼下には、中学生時代に胸躍らせたMM21地区が広がる。

 横製時代に先輩とともに手掛けた社内報は宝物だ。
「薄れゆく造船所時代の記憶と思い出が記録できてよかった。新たな時代になっても、この街の物語を伝え続けたい」 

 ◆六大事業とMM21事業 六大事業とは
(1)横浜都心部強化
(2)港北ニュータウン建設
(3)金沢地先埋め立て事業
(4)高速鉄道(地下鉄)建設
(5)高速道路網建設
(6)ベイブリッジ建設−の各事業。(1)の中核的プロジェクトであるMM21事業は、横浜の自立性の強化▽港湾機能の質的転換▽首都圏の業務機能の分担を目的とし、「24時間活動する国際文化都市」などの都市像を掲げている。
2019/02/07(木) 14:22:02.22ID:Bto1qu2E
平成と横浜・みなとみらい 「モノクロの世界がカラーに」
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190122-00032881-kana-bus_all

 「平成」が幕を開けた1989年。横浜・みなとみらい21(MM21)地区に立った少年は、そのまぶしさに心躍らせていた。
色彩豊かな街並み、初めて目にする技術の数々。
目に飛び込む全てが新しい。
光り輝く未来を思い描き、自身の明るい将来を重ねた。

 MM21地区のお披露目を兼ねて、191日間にわたって開催された「横浜博覧会(YES'89)」。
時はバブル景気真っ盛り。
華々しく開幕した3月25日を境に、異国情緒あふれ夜霧が似合う港町から、流行の先端を走る未来都市へと変貌を遂げようとしていた。

 博覧会のテーマは「宇宙と子供たち」。
横浜市制100周年、横浜港開港130周年を記念して催された。
企業や自治体が33館のパビリオンを出展し、20カ国・地域が参加。
開幕直後から市民らが大挙として詰めかけ、入場者数は国際博覧会並みの1333万7千人を記録した。

 三菱グループが立体映像を上映したパビリオン「三菱未来館」の入場を待つ長い列で、少年は期待に胸をふくらませていた。
当時中学3年生の小山慶和さん(44)=横浜市磯子区=は、宇宙へと飛び出してゆく迫力あるコンピューター・グラフィックスの画面に言葉を失った。

 JR桜木町駅から会場までは、当時珍しかった「動く歩道」が新たに整備された。
小山さんは大勢の人に前後を挟まれながら「会場に向かうまでのアトラクションとして乗っていた」。

 それまでの桜木町は三菱重工業の造船所で働く「労働者の街」という印象が強く、小山さんには近寄りがたい雰囲気があった。
それだけに、色とりどりのパビリオンが並ぶ横浜博の会場で見た最新技術に胸が高鳴り、「モノクロだった世界が突然、カラーになったような感覚」。
ものづくりの素晴らしさに触れて、高揚感を覚えた。

 横浜博終了後、MM21地区の大規模開発が始まった。
臨海部では港や海を彷彿(ほうふつ)させる斬新なデザインの建築物や街路が整備され、都市型観光地として華やいだ雰囲気に包まれていった。

 長らく米軍に接収されていた新港ふ頭だったが、横浜冷蔵倉庫(中区新港町)が94年に返還。
臨海部の開発が加速し、戦後横浜に色濃く残っていた「フェンスの向こうのアメリカ」のイメージは薄れていった。

 昭和から平成へと移る激動の時代。小山さんは造船所から横浜博、そしてビジネス都市へと街が生まれ変わる場面に立ち会うことになる。

 小山さんは横浜博の開幕と同じ89年に完成した横浜ベイブリッジに感激し、巨大な構造物を作りたいと三菱重工業横浜製作所(横製)に入社した。
念願かなって横浜ベイブリッジ下層の国道357号部分の構造に関わる製作に携わり、その後、社内報を担当。
資料調査や関係者への取材を通して造船所の歩みを調べ、記録していった。

 印象に残る出来事は、MM21地区のみなとみらいセンタービル建設現場で2008年、造船所で建造された「山汐(やましお)丸」のいかりが発掘されたことだ。
高層ビルが林立する中、造船所時代の記憶を呼び起こす「タイムカプセル」のようだった。
国の重要文化財として保存されている2基のドックなど、地区内に残る造船所時代の面影を社内報で分かりやすく紹介した。

 その後、火力発電などを担う事業会社「三菱日立パワーシステムズ」に転籍し、
18年4月からは、横浜ランドマークタワーや横浜美術館に隣接する三菱重工横浜ビルで広報を担う。
くしくも造船所の跡地に建てられた高層ビル。眼下には、中学生時代に胸躍らせたMM21地区が広がる。

 横製時代に先輩とともに手掛けた社内報は宝物だ。
「薄れゆく造船所時代の記憶と思い出が記録できてよかった。新たな時代になっても、この街の物語を伝え続けたい」 

 ◆六大事業とMM21事業 六大事業とは
(1)横浜都心部強化
(2)港北ニュータウン建設
(3)金沢地先埋め立て事業
(4)高速鉄道(地下鉄)建設
(5)高速道路網建設
(6)ベイブリッジ建設−の各事業。(1)の中核的プロジェクトであるMM21事業は、横浜の自立性の強化▽港湾機能の質的転換▽首都圏の業務機能の分担を目的とし、「24時間活動する国際文化都市」などの都市像を掲げている。
2019/02/07(木) 14:22:37.38ID:Bto1qu2E
平成と横浜・みなとみらい 「モノクロの世界がカラーに」
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190122-00032881-kana-bus_all

 「平成」が幕を開けた1989年。横浜・みなとみらい21(MM21)地区に立った少年は、そのまぶしさに心躍らせていた。
色彩豊かな街並み、初めて目にする技術の数々。
目に飛び込む全てが新しい。
光り輝く未来を思い描き、自身の明るい将来を重ねた。

 MM21地区のお披露目を兼ねて、191日間にわたって開催された「横浜博覧会(YES'89)」。
時はバブル景気真っ盛り。
華々しく開幕した3月25日を境に、異国情緒あふれ夜霧が似合う港町から、流行の先端を走る未来都市へと変貌を遂げようとしていた。

 博覧会のテーマは「宇宙と子供たち」。
横浜市制100周年、横浜港開港130周年を記念して催された。
企業や自治体が33館のパビリオンを出展し、20カ国・地域が参加。
開幕直後から市民らが大挙として詰めかけ、入場者数は国際博覧会並みの1333万7千人を記録した。

 三菱グループが立体映像を上映したパビリオン「三菱未来館」の入場を待つ長い列で、少年は期待に胸をふくらませていた。
当時中学3年生の小山慶和さん(44)=横浜市磯子区=は、宇宙へと飛び出してゆく迫力あるコンピューター・グラフィックスの画面に言葉を失った。

 JR桜木町駅から会場までは、当時珍しかった「動く歩道」が新たに整備された。
小山さんは大勢の人に前後を挟まれながら「会場に向かうまでのアトラクションとして乗っていた」。

 それまでの桜木町は三菱重工業の造船所で働く「労働者の街」という印象が強く、小山さんには近寄りがたい雰囲気があった。
それだけに、色とりどりのパビリオンが並ぶ横浜博の会場で見た最新技術に胸が高鳴り、「モノクロだった世界が突然、カラーになったような感覚」。
ものづくりの素晴らしさに触れて、高揚感を覚えた。

 横浜博終了後、MM21地区の大規模開発が始まった。
臨海部では港や海を彷彿(ほうふつ)させる斬新なデザインの建築物や街路が整備され、都市型観光地として華やいだ雰囲気に包まれていった。

 長らく米軍に接収されていた新港ふ頭だったが、横浜冷蔵倉庫(中区新港町)が94年に返還。
臨海部の開発が加速し、戦後横浜に色濃く残っていた「フェンスの向こうのアメリカ」のイメージは薄れていった。

 昭和から平成へと移る激動の時代。小山さんは造船所から横浜博、そしてビジネス都市へと街が生まれ変わる場面に立ち会うことになる。

 小山さんは横浜博の開幕と同じ89年に完成した横浜ベイブリッジに感激し、巨大な構造物を作りたいと三菱重工業横浜製作所(横製)に入社した。
念願かなって横浜ベイブリッジ下層の国道357号部分の構造に関わる製作に携わり、その後、社内報を担当。
資料調査や関係者への取材を通して造船所の歩みを調べ、記録していった。

 印象に残る出来事は、MM21地区のみなとみらいセンタービル建設現場で2008年、造船所で建造された「山汐(やましお)丸」のいかりが発掘されたことだ。
高層ビルが林立する中、造船所時代の記憶を呼び起こす「タイムカプセル」のようだった。
国の重要文化財として保存されている2基のドックなど、地区内に残る造船所時代の面影を社内報で分かりやすく紹介した。

 その後、火力発電などを担う事業会社「三菱日立パワーシステムズ」に転籍し、
18年4月からは、横浜ランドマークタワーや横浜美術館に隣接する三菱重工横浜ビルで広報を担う。
くしくも造船所の跡地に建てられた高層ビル。眼下には、中学生時代に胸躍らせたMM21地区が広がる。

 横製時代に先輩とともに手掛けた社内報は宝物だ。
「薄れゆく造船所時代の記憶と思い出が記録できてよかった。新たな時代になっても、この街の物語を伝え続けたい」 

 ◆六大事業とMM21事業 六大事業とは
(1)横浜都心部強化
(2)港北ニュータウン建設
(3)金沢地先埋め立て事業
(4)高速鉄道(地下鉄)建設
(5)高速道路網建設
(6)ベイブリッジ建設−の各事業。(1)の中核的プロジェクトであるMM21事業は、横浜の自立性の強化▽港湾機能の質的転換▽首都圏の業務機能の分担を目的とし、「24時間活動する国際文化都市」などの都市像を掲げている。
2019/02/07(木) 14:22:58.41ID:Bto1qu2E
平成と横浜・みなとみらい 「モノクロの世界がカラーに」
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190122-00032881-kana-bus_all

 「平成」が幕を開けた1989年。横浜・みなとみらい21(MM21)地区に立った少年は、そのまぶしさに心躍らせていた。
色彩豊かな街並み、初めて目にする技術の数々。
目に飛び込む全てが新しい。
光り輝く未来を思い描き、自身の明るい将来を重ねた。

 MM21地区のお披露目を兼ねて、191日間にわたって開催された「横浜博覧会(YES'89)」。
時はバブル景気真っ盛り。
華々しく開幕した3月25日を境に、異国情緒あふれ夜霧が似合う港町から、流行の先端を走る未来都市へと変貌を遂げようとしていた。

 博覧会のテーマは「宇宙と子供たち」。
横浜市制100周年、横浜港開港130周年を記念して催された。
企業や自治体が33館のパビリオンを出展し、20カ国・地域が参加。
開幕直後から市民らが大挙として詰めかけ、入場者数は国際博覧会並みの1333万7千人を記録した。

 三菱グループが立体映像を上映したパビリオン「三菱未来館」の入場を待つ長い列で、少年は期待に胸をふくらませていた。
当時中学3年生の小山慶和さん(44)=横浜市磯子区=は、宇宙へと飛び出してゆく迫力あるコンピューター・グラフィックスの画面に言葉を失った。

 JR桜木町駅から会場までは、当時珍しかった「動く歩道」が新たに整備された。
小山さんは大勢の人に前後を挟まれながら「会場に向かうまでのアトラクションとして乗っていた」。

 それまでの桜木町は三菱重工業の造船所で働く「労働者の街」という印象が強く、小山さんには近寄りがたい雰囲気があった。
それだけに、色とりどりのパビリオンが並ぶ横浜博の会場で見た最新技術に胸が高鳴り、「モノクロだった世界が突然、カラーになったような感覚」。
ものづくりの素晴らしさに触れて、高揚感を覚えた。

 横浜博終了後、MM21地区の大規模開発が始まった。
臨海部では港や海を彷彿(ほうふつ)させる斬新なデザインの建築物や街路が整備され、都市型観光地として華やいだ雰囲気に包まれていった。

 長らく米軍に接収されていた新港ふ頭だったが、横浜冷蔵倉庫(中区新港町)が94年に返還。
臨海部の開発が加速し、戦後横浜に色濃く残っていた「フェンスの向こうのアメリカ」のイメージは薄れていった。

 昭和から平成へと移る激動の時代。小山さんは造船所から横浜博、そしてビジネス都市へと街が生まれ変わる場面に立ち会うことになる。

 小山さんは横浜博の開幕と同じ89年に完成した横浜ベイブリッジに感激し、巨大な構造物を作りたいと三菱重工業横浜製作所(横製)に入社した。
念願かなって横浜ベイブリッジ下層の国道357号部分の構造に関わる製作に携わり、その後、社内報を担当。
資料調査や関係者への取材を通して造船所の歩みを調べ、記録していった。

 印象に残る出来事は、MM21地区のみなとみらいセンタービル建設現場で2008年、造船所で建造された「山汐(やましお)丸」のいかりが発掘されたことだ。
高層ビルが林立する中、造船所時代の記憶を呼び起こす「タイムカプセル」のようだった。
国の重要文化財として保存されている2基のドックなど、地区内に残る造船所時代の面影を社内報で分かりやすく紹介した。

 その後、火力発電などを担う事業会社「三菱日立パワーシステムズ」に転籍し、
18年4月からは、横浜ランドマークタワーや横浜美術館に隣接する三菱重工横浜ビルで広報を担う。
くしくも造船所の跡地に建てられた高層ビル。眼下には、中学生時代に胸躍らせたMM21地区が広がる。

 横製時代に先輩とともに手掛けた社内報は宝物だ。
「薄れゆく造船所時代の記憶と思い出が記録できてよかった。新たな時代になっても、この街の物語を伝え続けたい」 

 ◆六大事業とMM21事業 六大事業とは
(1)横浜都心部強化
(2)港北ニュータウン建設
(3)金沢地先埋め立て事業
(4)高速鉄道(地下鉄)建設
(5)高速道路網建設
(6)ベイブリッジ建設−の各事業。(1)の中核的プロジェクトであるMM21事業は、横浜の自立性の強化▽港湾機能の質的転換▽首都圏の業務機能の分担を目的とし、「24時間活動する国際文化都市」などの都市像を掲げている。
2019/02/07(木) 14:23:25.69ID:Bto1qu2E
平成と横浜・みなとみらい 「モノクロの世界がカラーに」
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 「平成」が幕を開けた1989年。横浜・みなとみらい21(MM21)地区に立った少年は、そのまぶしさに心躍らせていた。
色彩豊かな街並み、初めて目にする技術の数々。
目に飛び込む全てが新しい。
光り輝く未来を思い描き、自身の明るい将来を重ねた。

 MM21地区のお披露目を兼ねて、191日間にわたって開催された「横浜博覧会(YES'89)」。
時はバブル景気真っ盛り。
華々しく開幕した3月25日を境に、異国情緒あふれ夜霧が似合う港町から、流行の先端を走る未来都市へと変貌を遂げようとしていた。

 博覧会のテーマは「宇宙と子供たち」。
横浜市制100周年、横浜港開港130周年を記念して催された。
企業や自治体が33館のパビリオンを出展し、20カ国・地域が参加。
開幕直後から市民らが大挙として詰めかけ、入場者数は国際博覧会並みの1333万7千人を記録した。

 三菱グループが立体映像を上映したパビリオン「三菱未来館」の入場を待つ長い列で、少年は期待に胸をふくらませていた。
当時中学3年生の小山慶和さん(44)=横浜市磯子区=は、宇宙へと飛び出してゆく迫力あるコンピューター・グラフィックスの画面に言葉を失った。

 JR桜木町駅から会場までは、当時珍しかった「動く歩道」が新たに整備された。
小山さんは大勢の人に前後を挟まれながら「会場に向かうまでのアトラクションとして乗っていた」。

 それまでの桜木町は三菱重工業の造船所で働く「労働者の街」という印象が強く、小山さんには近寄りがたい雰囲気があった。
それだけに、色とりどりのパビリオンが並ぶ横浜博の会場で見た最新技術に胸が高鳴り、「モノクロだった世界が突然、カラーになったような感覚」。
ものづくりの素晴らしさに触れて、高揚感を覚えた。

 横浜博終了後、MM21地区の大規模開発が始まった。
臨海部では港や海を彷彿(ほうふつ)させる斬新なデザインの建築物や街路が整備され、都市型観光地として華やいだ雰囲気に包まれていった。

 長らく米軍に接収されていた新港ふ頭だったが、横浜冷蔵倉庫(中区新港町)が94年に返還。
臨海部の開発が加速し、戦後横浜に色濃く残っていた「フェンスの向こうのアメリカ」のイメージは薄れていった。

 昭和から平成へと移る激動の時代。小山さんは造船所から横浜博、そしてビジネス都市へと街が生まれ変わる場面に立ち会うことになる。

 小山さんは横浜博の開幕と同じ89年に完成した横浜ベイブリッジに感激し、巨大な構造物を作りたいと三菱重工業横浜製作所(横製)に入社した。
念願かなって横浜ベイブリッジ下層の国道357号部分の構造に関わる製作に携わり、その後、社内報を担当。
資料調査や関係者への取材を通して造船所の歩みを調べ、記録していった。

 印象に残る出来事は、MM21地区のみなとみらいセンタービル建設現場で2008年、造船所で建造された「山汐(やましお)丸」のいかりが発掘されたことだ。
高層ビルが林立する中、造船所時代の記憶を呼び起こす「タイムカプセル」のようだった。
国の重要文化財として保存されている2基のドックなど、地区内に残る造船所時代の面影を社内報で分かりやすく紹介した。

 その後、火力発電などを担う事業会社「三菱日立パワーシステムズ」に転籍し、
18年4月からは、横浜ランドマークタワーや横浜美術館に隣接する三菱重工横浜ビルで広報を担う。
くしくも造船所の跡地に建てられた高層ビル。眼下には、中学生時代に胸躍らせたMM21地区が広がる。

 横製時代に先輩とともに手掛けた社内報は宝物だ。
「薄れゆく造船所時代の記憶と思い出が記録できてよかった。新たな時代になっても、この街の物語を伝え続けたい」 

 ◆六大事業とMM21事業 六大事業とは
(1)横浜都心部強化
(2)港北ニュータウン建設
(3)金沢地先埋め立て事業
(4)高速鉄道(地下鉄)建設
(5)高速道路網建設
(6)ベイブリッジ建設−の各事業。(1)の中核的プロジェクトであるMM21事業は、横浜の自立性の強化▽港湾機能の質的転換▽首都圏の業務機能の分担を目的とし、「24時間活動する国際文化都市」などの都市像を掲げている。
2019/02/07(木) 14:23:47.64ID:Bto1qu2E
平成と横浜・みなとみらい 「モノクロの世界がカラーに」
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 「平成」が幕を開けた1989年。横浜・みなとみらい21(MM21)地区に立った少年は、そのまぶしさに心躍らせていた。
色彩豊かな街並み、初めて目にする技術の数々。
目に飛び込む全てが新しい。
光り輝く未来を思い描き、自身の明るい将来を重ねた。

 MM21地区のお披露目を兼ねて、191日間にわたって開催された「横浜博覧会(YES'89)」。
時はバブル景気真っ盛り。
華々しく開幕した3月25日を境に、異国情緒あふれ夜霧が似合う港町から、流行の先端を走る未来都市へと変貌を遂げようとしていた。

 博覧会のテーマは「宇宙と子供たち」。
横浜市制100周年、横浜港開港130周年を記念して催された。
企業や自治体が33館のパビリオンを出展し、20カ国・地域が参加。
開幕直後から市民らが大挙として詰めかけ、入場者数は国際博覧会並みの1333万7千人を記録した。

 三菱グループが立体映像を上映したパビリオン「三菱未来館」の入場を待つ長い列で、少年は期待に胸をふくらませていた。
当時中学3年生の小山慶和さん(44)=横浜市磯子区=は、宇宙へと飛び出してゆく迫力あるコンピューター・グラフィックスの画面に言葉を失った。

 JR桜木町駅から会場までは、当時珍しかった「動く歩道」が新たに整備された。
小山さんは大勢の人に前後を挟まれながら「会場に向かうまでのアトラクションとして乗っていた」。

 それまでの桜木町は三菱重工業の造船所で働く「労働者の街」という印象が強く、小山さんには近寄りがたい雰囲気があった。
それだけに、色とりどりのパビリオンが並ぶ横浜博の会場で見た最新技術に胸が高鳴り、「モノクロだった世界が突然、カラーになったような感覚」。
ものづくりの素晴らしさに触れて、高揚感を覚えた。

 横浜博終了後、MM21地区の大規模開発が始まった。
臨海部では港や海を彷彿(ほうふつ)させる斬新なデザインの建築物や街路が整備され、都市型観光地として華やいだ雰囲気に包まれていった。

 長らく米軍に接収されていた新港ふ頭だったが、横浜冷蔵倉庫(中区新港町)が94年に返還。
臨海部の開発が加速し、戦後横浜に色濃く残っていた「フェンスの向こうのアメリカ」のイメージは薄れていった。

 昭和から平成へと移る激動の時代。小山さんは造船所から横浜博、そしてビジネス都市へと街が生まれ変わる場面に立ち会うことになる。

 小山さんは横浜博の開幕と同じ89年に完成した横浜ベイブリッジに感激し、巨大な構造物を作りたいと三菱重工業横浜製作所(横製)に入社した。
念願かなって横浜ベイブリッジ下層の国道357号部分の構造に関わる製作に携わり、その後、社内報を担当。
資料調査や関係者への取材を通して造船所の歩みを調べ、記録していった。

 印象に残る出来事は、MM21地区のみなとみらいセンタービル建設現場で2008年、造船所で建造された「山汐(やましお)丸」のいかりが発掘されたことだ。
高層ビルが林立する中、造船所時代の記憶を呼び起こす「タイムカプセル」のようだった。
国の重要文化財として保存されている2基のドックなど、地区内に残る造船所時代の面影を社内報で分かりやすく紹介した。

 その後、火力発電などを担う事業会社「三菱日立パワーシステムズ」に転籍し、
18年4月からは、横浜ランドマークタワーや横浜美術館に隣接する三菱重工横浜ビルで広報を担う。
くしくも造船所の跡地に建てられた高層ビル。眼下には、中学生時代に胸躍らせたMM21地区が広がる。

 横製時代に先輩とともに手掛けた社内報は宝物だ。
「薄れゆく造船所時代の記憶と思い出が記録できてよかった。新たな時代になっても、この街の物語を伝え続けたい」 

 ◆六大事業とMM21事業 六大事業とは
(1)横浜都心部強化
(2)港北ニュータウン建設
(3)金沢地先埋め立て事業
(4)高速鉄道(地下鉄)建設
(5)高速道路網建設
(6)ベイブリッジ建設−の各事業。(1)の中核的プロジェクトであるMM21事業は、横浜の自立性の強化▽港湾機能の質的転換▽首都圏の業務機能の分担を目的とし、「24時間活動する国際文化都市」などの都市像を掲げている。
2019/02/07(木) 14:24:08.09ID:Bto1qu2E
平成と横浜・みなとみらい 「モノクロの世界がカラーに」
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 「平成」が幕を開けた1989年。横浜・みなとみらい21(MM21)地区に立った少年は、そのまぶしさに心躍らせていた。
色彩豊かな街並み、初めて目にする技術の数々。
目に飛び込む全てが新しい。
光り輝く未来を思い描き、自身の明るい将来を重ねた。

 MM21地区のお披露目を兼ねて、191日間にわたって開催された「横浜博覧会(YES'89)」。
時はバブル景気真っ盛り。
華々しく開幕した3月25日を境に、異国情緒あふれ夜霧が似合う港町から、流行の先端を走る未来都市へと変貌を遂げようとしていた。

 博覧会のテーマは「宇宙と子供たち」。
横浜市制100周年、横浜港開港130周年を記念して催された。
企業や自治体が33館のパビリオンを出展し、20カ国・地域が参加。
開幕直後から市民らが大挙として詰めかけ、入場者数は国際博覧会並みの1333万7千人を記録した。

 三菱グループが立体映像を上映したパビリオン「三菱未来館」の入場を待つ長い列で、少年は期待に胸をふくらませていた。
当時中学3年生の小山慶和さん(44)=横浜市磯子区=は、宇宙へと飛び出してゆく迫力あるコンピューター・グラフィックスの画面に言葉を失った。

 JR桜木町駅から会場までは、当時珍しかった「動く歩道」が新たに整備された。
小山さんは大勢の人に前後を挟まれながら「会場に向かうまでのアトラクションとして乗っていた」。

 それまでの桜木町は三菱重工業の造船所で働く「労働者の街」という印象が強く、小山さんには近寄りがたい雰囲気があった。
それだけに、色とりどりのパビリオンが並ぶ横浜博の会場で見た最新技術に胸が高鳴り、「モノクロだった世界が突然、カラーになったような感覚」。
ものづくりの素晴らしさに触れて、高揚感を覚えた。

 横浜博終了後、MM21地区の大規模開発が始まった。
臨海部では港や海を彷彿(ほうふつ)させる斬新なデザインの建築物や街路が整備され、都市型観光地として華やいだ雰囲気に包まれていった。

 長らく米軍に接収されていた新港ふ頭だったが、横浜冷蔵倉庫(中区新港町)が94年に返還。
臨海部の開発が加速し、戦後横浜に色濃く残っていた「フェンスの向こうのアメリカ」のイメージは薄れていった。

 昭和から平成へと移る激動の時代。小山さんは造船所から横浜博、そしてビジネス都市へと街が生まれ変わる場面に立ち会うことになる。

 小山さんは横浜博の開幕と同じ89年に完成した横浜ベイブリッジに感激し、巨大な構造物を作りたいと三菱重工業横浜製作所(横製)に入社した。
念願かなって横浜ベイブリッジ下層の国道357号部分の構造に関わる製作に携わり、その後、社内報を担当。
資料調査や関係者への取材を通して造船所の歩みを調べ、記録していった。

 印象に残る出来事は、MM21地区のみなとみらいセンタービル建設現場で2008年、造船所で建造された「山汐(やましお)丸」のいかりが発掘されたことだ。
高層ビルが林立する中、造船所時代の記憶を呼び起こす「タイムカプセル」のようだった。
国の重要文化財として保存されている2基のドックなど、地区内に残る造船所時代の面影を社内報で分かりやすく紹介した。

 その後、火力発電などを担う事業会社「三菱日立パワーシステムズ」に転籍し、
18年4月からは、横浜ランドマークタワーや横浜美術館に隣接する三菱重工横浜ビルで広報を担う。
くしくも造船所の跡地に建てられた高層ビル。眼下には、中学生時代に胸躍らせたMM21地区が広がる。

 横製時代に先輩とともに手掛けた社内報は宝物だ。
「薄れゆく造船所時代の記憶と思い出が記録できてよかった。新たな時代になっても、この街の物語を伝え続けたい」 

 ◆六大事業とMM21事業 六大事業とは
(1)横浜都心部強化
(2)港北ニュータウン建設
(3)金沢地先埋め立て事業
(4)高速鉄道(地下鉄)建設
(5)高速道路網建設
(6)ベイブリッジ建設−の各事業。(1)の中核的プロジェクトであるMM21事業は、横浜の自立性の強化▽港湾機能の質的転換▽首都圏の業務機能の分担を目的とし、「24時間活動する国際文化都市」などの都市像を掲げている。
2019/02/07(木) 14:24:30.02ID:Bto1qu2E
平成と横浜・みなとみらい 「モノクロの世界がカラーに」
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 「平成」が幕を開けた1989年。横浜・みなとみらい21(MM21)地区に立った少年は、そのまぶしさに心躍らせていた。
色彩豊かな街並み、初めて目にする技術の数々。
目に飛び込む全てが新しい。
光り輝く未来を思い描き、自身の明るい将来を重ねた。

 MM21地区のお披露目を兼ねて、191日間にわたって開催された「横浜博覧会(YES'89)」。
時はバブル景気真っ盛り。
華々しく開幕した3月25日を境に、異国情緒あふれ夜霧が似合う港町から、流行の先端を走る未来都市へと変貌を遂げようとしていた。

 博覧会のテーマは「宇宙と子供たち」。
横浜市制100周年、横浜港開港130周年を記念して催された。
企業や自治体が33館のパビリオンを出展し、20カ国・地域が参加。
開幕直後から市民らが大挙として詰めかけ、入場者数は国際博覧会並みの1333万7千人を記録した。

 三菱グループが立体映像を上映したパビリオン「三菱未来館」の入場を待つ長い列で、少年は期待に胸をふくらませていた。
当時中学3年生の小山慶和さん(44)=横浜市磯子区=は、宇宙へと飛び出してゆく迫力あるコンピューター・グラフィックスの画面に言葉を失った。

 JR桜木町駅から会場までは、当時珍しかった「動く歩道」が新たに整備された。
小山さんは大勢の人に前後を挟まれながら「会場に向かうまでのアトラクションとして乗っていた」。

 それまでの桜木町は三菱重工業の造船所で働く「労働者の街」という印象が強く、小山さんには近寄りがたい雰囲気があった。
それだけに、色とりどりのパビリオンが並ぶ横浜博の会場で見た最新技術に胸が高鳴り、「モノクロだった世界が突然、カラーになったような感覚」。
ものづくりの素晴らしさに触れて、高揚感を覚えた。

 横浜博終了後、MM21地区の大規模開発が始まった。
臨海部では港や海を彷彿(ほうふつ)させる斬新なデザインの建築物や街路が整備され、都市型観光地として華やいだ雰囲気に包まれていった。

 長らく米軍に接収されていた新港ふ頭だったが、横浜冷蔵倉庫(中区新港町)が94年に返還。
臨海部の開発が加速し、戦後横浜に色濃く残っていた「フェンスの向こうのアメリカ」のイメージは薄れていった。

 昭和から平成へと移る激動の時代。小山さんは造船所から横浜博、そしてビジネス都市へと街が生まれ変わる場面に立ち会うことになる。

 小山さんは横浜博の開幕と同じ89年に完成した横浜ベイブリッジに感激し、巨大な構造物を作りたいと三菱重工業横浜製作所(横製)に入社した。
念願かなって横浜ベイブリッジ下層の国道357号部分の構造に関わる製作に携わり、その後、社内報を担当。
資料調査や関係者への取材を通して造船所の歩みを調べ、記録していった。

 印象に残る出来事は、MM21地区のみなとみらいセンタービル建設現場で2008年、造船所で建造された「山汐(やましお)丸」のいかりが発掘されたことだ。
高層ビルが林立する中、造船所時代の記憶を呼び起こす「タイムカプセル」のようだった。
国の重要文化財として保存されている2基のドックなど、地区内に残る造船所時代の面影を社内報で分かりやすく紹介した。

 その後、火力発電などを担う事業会社「三菱日立パワーシステムズ」に転籍し、
18年4月からは、横浜ランドマークタワーや横浜美術館に隣接する三菱重工横浜ビルで広報を担う。
くしくも造船所の跡地に建てられた高層ビル。眼下には、中学生時代に胸躍らせたMM21地区が広がる。

 横製時代に先輩とともに手掛けた社内報は宝物だ。
「薄れゆく造船所時代の記憶と思い出が記録できてよかった。新たな時代になっても、この街の物語を伝え続けたい」 

 ◆六大事業とMM21事業 六大事業とは
(1)横浜都心部強化
(2)港北ニュータウン建設
(3)金沢地先埋め立て事業
(4)高速鉄道(地下鉄)建設
(5)高速道路網建設
(6)ベイブリッジ建設−の各事業。(1)の中核的プロジェクトであるMM21事業は、横浜の自立性の強化▽港湾機能の質的転換▽首都圏の業務機能の分担を目的とし、「24時間活動する国際文化都市」などの都市像を掲げている。
2019/02/07(木) 14:25:01.21ID:Bto1qu2E
平成と横浜・みなとみらい 「モノクロの世界がカラーに」
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190122-00032881-kana-bus_all

 「平成」が幕を開けた1989年。横浜・みなとみらい21(MM21)地区に立った少年は、そのまぶしさに心躍らせていた。
色彩豊かな街並み、初めて目にする技術の数々。
目に飛び込む全てが新しい。
光り輝く未来を思い描き、自身の明るい将来を重ねた。

 MM21地区のお披露目を兼ねて、191日間にわたって開催された「横浜博覧会(YES'89)」。
時はバブル景気真っ盛り。
華々しく開幕した3月25日を境に、異国情緒あふれ夜霧が似合う港町から、流行の先端を走る未来都市へと変貌を遂げようとしていた。

 博覧会のテーマは「宇宙と子供たち」。
横浜市制100周年、横浜港開港130周年を記念して催された。
企業や自治体が33館のパビリオンを出展し、20カ国・地域が参加。
開幕直後から市民らが大挙として詰めかけ、入場者数は国際博覧会並みの1333万7千人を記録した。

 三菱グループが立体映像を上映したパビリオン「三菱未来館」の入場を待つ長い列で、少年は期待に胸をふくらませていた。
当時中学3年生の小山慶和さん(44)=横浜市磯子区=は、宇宙へと飛び出してゆく迫力あるコンピューター・グラフィックスの画面に言葉を失った。

 JR桜木町駅から会場までは、当時珍しかった「動く歩道」が新たに整備された。
小山さんは大勢の人に前後を挟まれながら「会場に向かうまでのアトラクションとして乗っていた」。

 それまでの桜木町は三菱重工業の造船所で働く「労働者の街」という印象が強く、小山さんには近寄りがたい雰囲気があった。
それだけに、色とりどりのパビリオンが並ぶ横浜博の会場で見た最新技術に胸が高鳴り、「モノクロだった世界が突然、カラーになったような感覚」。
ものづくりの素晴らしさに触れて、高揚感を覚えた。

 横浜博終了後、MM21地区の大規模開発が始まった。
臨海部では港や海を彷彿(ほうふつ)させる斬新なデザインの建築物や街路が整備され、都市型観光地として華やいだ雰囲気に包まれていった。

 長らく米軍に接収されていた新港ふ頭だったが、横浜冷蔵倉庫(中区新港町)が94年に返還。
臨海部の開発が加速し、戦後横浜に色濃く残っていた「フェンスの向こうのアメリカ」のイメージは薄れていった。

 昭和から平成へと移る激動の時代。小山さんは造船所から横浜博、そしてビジネス都市へと街が生まれ変わる場面に立ち会うことになる。

 小山さんは横浜博の開幕と同じ89年に完成した横浜ベイブリッジに感激し、巨大な構造物を作りたいと三菱重工業横浜製作所(横製)に入社した。
念願かなって横浜ベイブリッジ下層の国道357号部分の構造に関わる製作に携わり、その後、社内報を担当。
資料調査や関係者への取材を通して造船所の歩みを調べ、記録していった。

 印象に残る出来事は、MM21地区のみなとみらいセンタービル建設現場で2008年、造船所で建造された「山汐(やましお)丸」のいかりが発掘されたことだ。
高層ビルが林立する中、造船所時代の記憶を呼び起こす「タイムカプセル」のようだった。
国の重要文化財として保存されている2基のドックなど、地区内に残る造船所時代の面影を社内報で分かりやすく紹介した。

 その後、火力発電などを担う事業会社「三菱日立パワーシステムズ」に転籍し、
18年4月からは、横浜ランドマークタワーや横浜美術館に隣接する三菱重工横浜ビルで広報を担う。
くしくも造船所の跡地に建てられた高層ビル。眼下には、中学生時代に胸躍らせたMM21地区が広がる。

 横製時代に先輩とともに手掛けた社内報は宝物だ。
「薄れゆく造船所時代の記憶と思い出が記録できてよかった。新たな時代になっても、この街の物語を伝え続けたい」 

 ◆六大事業とMM21事業 六大事業とは
(1)横浜都心部強化
(2)港北ニュータウン建設
(3)金沢地先埋め立て事業
(4)高速鉄道(地下鉄)建設
(5)高速道路網建設
(6)ベイブリッジ建設−の各事業。(1)の中核的プロジェクトであるMM21事業は、横浜の自立性の強化▽港湾機能の質的転換▽首都圏の業務機能の分担を目的とし、「24時間活動する国際文化都市」などの都市像を掲げている。
2019/02/07(木) 14:25:24.39ID:Bto1qu2E
平成と横浜・みなとみらい 「モノクロの世界がカラーに」
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190122-00032881-kana-bus_all

 「平成」が幕を開けた1989年。横浜・みなとみらい21(MM21)地区に立った少年は、そのまぶしさに心躍らせていた。
色彩豊かな街並み、初めて目にする技術の数々。
目に飛び込む全てが新しい。
光り輝く未来を思い描き、自身の明るい将来を重ねた。

 MM21地区のお披露目を兼ねて、191日間にわたって開催された「横浜博覧会(YES'89)」。
時はバブル景気真っ盛り。
華々しく開幕した3月25日を境に、異国情緒あふれ夜霧が似合う港町から、流行の先端を走る未来都市へと変貌を遂げようとしていた。

 博覧会のテーマは「宇宙と子供たち」。
横浜市制100周年、横浜港開港130周年を記念して催された。
企業や自治体が33館のパビリオンを出展し、20カ国・地域が参加。
開幕直後から市民らが大挙として詰めかけ、入場者数は国際博覧会並みの1333万7千人を記録した。

 三菱グループが立体映像を上映したパビリオン「三菱未来館」の入場を待つ長い列で、少年は期待に胸をふくらませていた。
当時中学3年生の小山慶和さん(44)=横浜市磯子区=は、宇宙へと飛び出してゆく迫力あるコンピューター・グラフィックスの画面に言葉を失った。

 JR桜木町駅から会場までは、当時珍しかった「動く歩道」が新たに整備された。
小山さんは大勢の人に前後を挟まれながら「会場に向かうまでのアトラクションとして乗っていた」。

 それまでの桜木町は三菱重工業の造船所で働く「労働者の街」という印象が強く、小山さんには近寄りがたい雰囲気があった。
それだけに、色とりどりのパビリオンが並ぶ横浜博の会場で見た最新技術に胸が高鳴り、「モノクロだった世界が突然、カラーになったような感覚」。
ものづくりの素晴らしさに触れて、高揚感を覚えた。

 横浜博終了後、MM21地区の大規模開発が始まった。
臨海部では港や海を彷彿(ほうふつ)させる斬新なデザインの建築物や街路が整備され、都市型観光地として華やいだ雰囲気に包まれていった。

 長らく米軍に接収されていた新港ふ頭だったが、横浜冷蔵倉庫(中区新港町)が94年に返還。
臨海部の開発が加速し、戦後横浜に色濃く残っていた「フェンスの向こうのアメリカ」のイメージは薄れていった。

 昭和から平成へと移る激動の時代。小山さんは造船所から横浜博、そしてビジネス都市へと街が生まれ変わる場面に立ち会うことになる。

 小山さんは横浜博の開幕と同じ89年に完成した横浜ベイブリッジに感激し、巨大な構造物を作りたいと三菱重工業横浜製作所(横製)に入社した。
念願かなって横浜ベイブリッジ下層の国道357号部分の構造に関わる製作に携わり、その後、社内報を担当。
資料調査や関係者への取材を通して造船所の歩みを調べ、記録していった。

 印象に残る出来事は、MM21地区のみなとみらいセンタービル建設現場で2008年、造船所で建造された「山汐(やましお)丸」のいかりが発掘されたことだ。
高層ビルが林立する中、造船所時代の記憶を呼び起こす「タイムカプセル」のようだった。
国の重要文化財として保存されている2基のドックなど、地区内に残る造船所時代の面影を社内報で分かりやすく紹介した。

 その後、火力発電などを担う事業会社「三菱日立パワーシステムズ」に転籍し、
18年4月からは、横浜ランドマークタワーや横浜美術館に隣接する三菱重工横浜ビルで広報を担う。
くしくも造船所の跡地に建てられた高層ビル。眼下には、中学生時代に胸躍らせたMM21地区が広がる。

 横製時代に先輩とともに手掛けた社内報は宝物だ。
「薄れゆく造船所時代の記憶と思い出が記録できてよかった。新たな時代になっても、この街の物語を伝え続けたい」 

 ◆六大事業とMM21事業 六大事業とは
(1)横浜都心部強化
(2)港北ニュータウン建設
(3)金沢地先埋め立て事業
(4)高速鉄道(地下鉄)建設
(5)高速道路網建設
(6)ベイブリッジ建設−の各事業。(1)の中核的プロジェクトであるMM21事業は、横浜の自立性の強化▽港湾機能の質的転換▽首都圏の業務機能の分担を目的とし、「24時間活動する国際文化都市」などの都市像を掲げている。
2019/02/07(木) 14:25:50.52ID:Bto1qu2E
平成と横浜・みなとみらい 「モノクロの世界がカラーに」
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190122-00032881-kana-bus_all

 「平成」が幕を開けた1989年。横浜・みなとみらい21(MM21)地区に立った少年は、そのまぶしさに心躍らせていた。
色彩豊かな街並み、初めて目にする技術の数々。
目に飛び込む全てが新しい。
光り輝く未来を思い描き、自身の明るい将来を重ねた。

 MM21地区のお披露目を兼ねて、191日間にわたって開催された「横浜博覧会(YES'89)」。
時はバブル景気真っ盛り。
華々しく開幕した3月25日を境に、異国情緒あふれ夜霧が似合う港町から、流行の先端を走る未来都市へと変貌を遂げようとしていた。

 博覧会のテーマは「宇宙と子供たち」。
横浜市制100周年、横浜港開港130周年を記念して催された。
企業や自治体が33館のパビリオンを出展し、20カ国・地域が参加。
開幕直後から市民らが大挙として詰めかけ、入場者数は国際博覧会並みの1333万7千人を記録した。

 三菱グループが立体映像を上映したパビリオン「三菱未来館」の入場を待つ長い列で、少年は期待に胸をふくらませていた。
当時中学3年生の小山慶和さん(44)=横浜市磯子区=は、宇宙へと飛び出してゆく迫力あるコンピューター・グラフィックスの画面に言葉を失った。

 JR桜木町駅から会場までは、当時珍しかった「動く歩道」が新たに整備された。
小山さんは大勢の人に前後を挟まれながら「会場に向かうまでのアトラクションとして乗っていた」。

 それまでの桜木町は三菱重工業の造船所で働く「労働者の街」という印象が強く、小山さんには近寄りがたい雰囲気があった。
それだけに、色とりどりのパビリオンが並ぶ横浜博の会場で見た最新技術に胸が高鳴り、「モノクロだった世界が突然、カラーになったような感覚」。
ものづくりの素晴らしさに触れて、高揚感を覚えた。

 横浜博終了後、MM21地区の大規模開発が始まった。
臨海部では港や海を彷彿(ほうふつ)させる斬新なデザインの建築物や街路が整備され、都市型観光地として華やいだ雰囲気に包まれていった。

 長らく米軍に接収されていた新港ふ頭だったが、横浜冷蔵倉庫(中区新港町)が94年に返還。
臨海部の開発が加速し、戦後横浜に色濃く残っていた「フェンスの向こうのアメリカ」のイメージは薄れていった。

 昭和から平成へと移る激動の時代。小山さんは造船所から横浜博、そしてビジネス都市へと街が生まれ変わる場面に立ち会うことになる。

 小山さんは横浜博の開幕と同じ89年に完成した横浜ベイブリッジに感激し、巨大な構造物を作りたいと三菱重工業横浜製作所(横製)に入社した。
念願かなって横浜ベイブリッジ下層の国道357号部分の構造に関わる製作に携わり、その後、社内報を担当。
資料調査や関係者への取材を通して造船所の歩みを調べ、記録していった。

 印象に残る出来事は、MM21地区のみなとみらいセンタービル建設現場で2008年、造船所で建造された「山汐(やましお)丸」のいかりが発掘されたことだ。
高層ビルが林立する中、造船所時代の記憶を呼び起こす「タイムカプセル」のようだった。
国の重要文化財として保存されている2基のドックなど、地区内に残る造船所時代の面影を社内報で分かりやすく紹介した。

 その後、火力発電などを担う事業会社「三菱日立パワーシステムズ」に転籍し、
18年4月からは、横浜ランドマークタワーや横浜美術館に隣接する三菱重工横浜ビルで広報を担う。
くしくも造船所の跡地に建てられた高層ビル。眼下には、中学生時代に胸躍らせたMM21地区が広がる。

 横製時代に先輩とともに手掛けた社内報は宝物だ。
「薄れゆく造船所時代の記憶と思い出が記録できてよかった。新たな時代になっても、この街の物語を伝え続けたい」 

 ◆六大事業とMM21事業 六大事業とは
(1)横浜都心部強化
(2)港北ニュータウン建設
(3)金沢地先埋め立て事業
(4)高速鉄道(地下鉄)建設
(5)高速道路網建設
(6)ベイブリッジ建設−の各事業。(1)の中核的プロジェクトであるMM21事業は、横浜の自立性の強化▽港湾機能の質的転換▽首都圏の業務機能の分担を目的とし、「24時間活動する国際文化都市」などの都市像を掲げている。
2019/02/07(木) 14:26:19.78ID:Bto1qu2E
平成と横浜・みなとみらい 「モノクロの世界がカラーに」
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190122-00032881-kana-bus_all

 「平成」が幕を開けた1989年。横浜・みなとみらい21(MM21)地区に立った少年は、そのまぶしさに心躍らせていた。
色彩豊かな街並み、初めて目にする技術の数々。
目に飛び込む全てが新しい。
光り輝く未来を思い描き、自身の明るい将来を重ねた。

 MM21地区のお披露目を兼ねて、191日間にわたって開催された「横浜博覧会(YES'89)」。
時はバブル景気真っ盛り。
華々しく開幕した3月25日を境に、異国情緒あふれ夜霧が似合う港町から、流行の先端を走る未来都市へと変貌を遂げようとしていた。

 博覧会のテーマは「宇宙と子供たち」。
横浜市制100周年、横浜港開港130周年を記念して催された。
企業や自治体が33館のパビリオンを出展し、20カ国・地域が参加。
開幕直後から市民らが大挙として詰めかけ、入場者数は国際博覧会並みの1333万7千人を記録した。

 三菱グループが立体映像を上映したパビリオン「三菱未来館」の入場を待つ長い列で、少年は期待に胸をふくらませていた。
当時中学3年生の小山慶和さん(44)=横浜市磯子区=は、宇宙へと飛び出してゆく迫力あるコンピューター・グラフィックスの画面に言葉を失った。

 JR桜木町駅から会場までは、当時珍しかった「動く歩道」が新たに整備された。
小山さんは大勢の人に前後を挟まれながら「会場に向かうまでのアトラクションとして乗っていた」。

 それまでの桜木町は三菱重工業の造船所で働く「労働者の街」という印象が強く、小山さんには近寄りがたい雰囲気があった。
それだけに、色とりどりのパビリオンが並ぶ横浜博の会場で見た最新技術に胸が高鳴り、「モノクロだった世界が突然、カラーになったような感覚」。
ものづくりの素晴らしさに触れて、高揚感を覚えた。

 横浜博終了後、MM21地区の大規模開発が始まった。
臨海部では港や海を彷彿(ほうふつ)させる斬新なデザインの建築物や街路が整備され、都市型観光地として華やいだ雰囲気に包まれていった。

 長らく米軍に接収されていた新港ふ頭だったが、横浜冷蔵倉庫(中区新港町)が94年に返還。
臨海部の開発が加速し、戦後横浜に色濃く残っていた「フェンスの向こうのアメリカ」のイメージは薄れていった。

 昭和から平成へと移る激動の時代。小山さんは造船所から横浜博、そしてビジネス都市へと街が生まれ変わる場面に立ち会うことになる。

 小山さんは横浜博の開幕と同じ89年に完成した横浜ベイブリッジに感激し、巨大な構造物を作りたいと三菱重工業横浜製作所(横製)に入社した。
念願かなって横浜ベイブリッジ下層の国道357号部分の構造に関わる製作に携わり、その後、社内報を担当。
資料調査や関係者への取材を通して造船所の歩みを調べ、記録していった。

 印象に残る出来事は、MM21地区のみなとみらいセンタービル建設現場で2008年、造船所で建造された「山汐(やましお)丸」のいかりが発掘されたことだ。
高層ビルが林立する中、造船所時代の記憶を呼び起こす「タイムカプセル」のようだった。
国の重要文化財として保存されている2基のドックなど、地区内に残る造船所時代の面影を社内報で分かりやすく紹介した。

 その後、火力発電などを担う事業会社「三菱日立パワーシステムズ」に転籍し、
18年4月からは、横浜ランドマークタワーや横浜美術館に隣接する三菱重工横浜ビルで広報を担う。
くしくも造船所の跡地に建てられた高層ビル。眼下には、中学生時代に胸躍らせたMM21地区が広がる。

 横製時代に先輩とともに手掛けた社内報は宝物だ。
「薄れゆく造船所時代の記憶と思い出が記録できてよかった。新たな時代になっても、この街の物語を伝え続けたい」 

 ◆六大事業とMM21事業 六大事業とは
(1)横浜都心部強化
(2)港北ニュータウン建設
(3)金沢地先埋め立て事業
(4)高速鉄道(地下鉄)建設
(5)高速道路網建設
(6)ベイブリッジ建設−の各事業。(1)の中核的プロジェクトであるMM21事業は、横浜の自立性の強化▽港湾機能の質的転換▽首都圏の業務機能の分担を目的とし、「24時間活動する国際文化都市」などの都市像を掲げている。
2019/02/07(木) 14:26:55.93ID:Bto1qu2E
平成と横浜・みなとみらい 「モノクロの世界がカラーに」
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190122-00032881-kana-bus_all

 「平成」が幕を開けた1989年。横浜・みなとみらい21(MM21)地区に立った少年は、そのまぶしさに心躍らせていた。
色彩豊かな街並み、初めて目にする技術の数々。
目に飛び込む全てが新しい。
光り輝く未来を思い描き、自身の明るい将来を重ねた。

 MM21地区のお披露目を兼ねて、191日間にわたって開催された「横浜博覧会(YES'89)」。
時はバブル景気真っ盛り。
華々しく開幕した3月25日を境に、異国情緒あふれ夜霧が似合う港町から、流行の先端を走る未来都市へと変貌を遂げようとしていた。

 博覧会のテーマは「宇宙と子供たち」。
横浜市制100周年、横浜港開港130周年を記念して催された。
企業や自治体が33館のパビリオンを出展し、20カ国・地域が参加。
開幕直後から市民らが大挙として詰めかけ、入場者数は国際博覧会並みの1333万7千人を記録した。

 三菱グループが立体映像を上映したパビリオン「三菱未来館」の入場を待つ長い列で、少年は期待に胸をふくらませていた。
当時中学3年生の小山慶和さん(44)=横浜市磯子区=は、宇宙へと飛び出してゆく迫力あるコンピューター・グラフィックスの画面に言葉を失った。

 JR桜木町駅から会場までは、当時珍しかった「動く歩道」が新たに整備された。
小山さんは大勢の人に前後を挟まれながら「会場に向かうまでのアトラクションとして乗っていた」。

 それまでの桜木町は三菱重工業の造船所で働く「労働者の街」という印象が強く、小山さんには近寄りがたい雰囲気があった。
それだけに、色とりどりのパビリオンが並ぶ横浜博の会場で見た最新技術に胸が高鳴り、「モノクロだった世界が突然、カラーになったような感覚」。
ものづくりの素晴らしさに触れて、高揚感を覚えた。

 横浜博終了後、MM21地区の大規模開発が始まった。
臨海部では港や海を彷彿(ほうふつ)させる斬新なデザインの建築物や街路が整備され、都市型観光地として華やいだ雰囲気に包まれていった。

 長らく米軍に接収されていた新港ふ頭だったが、横浜冷蔵倉庫(中区新港町)が94年に返還。
臨海部の開発が加速し、戦後横浜に色濃く残っていた「フェンスの向こうのアメリカ」のイメージは薄れていった。

 昭和から平成へと移る激動の時代。小山さんは造船所から横浜博、そしてビジネス都市へと街が生まれ変わる場面に立ち会うことになる。

 小山さんは横浜博の開幕と同じ89年に完成した横浜ベイブリッジに感激し、巨大な構造物を作りたいと三菱重工業横浜製作所(横製)に入社した。
念願かなって横浜ベイブリッジ下層の国道357号部分の構造に関わる製作に携わり、その後、社内報を担当。
資料調査や関係者への取材を通して造船所の歩みを調べ、記録していった。

 印象に残る出来事は、MM21地区のみなとみらいセンタービル建設現場で2008年、造船所で建造された「山汐(やましお)丸」のいかりが発掘されたことだ。
高層ビルが林立する中、造船所時代の記憶を呼び起こす「タイムカプセル」のようだった。
国の重要文化財として保存されている2基のドックなど、地区内に残る造船所時代の面影を社内報で分かりやすく紹介した。

 その後、火力発電などを担う事業会社「三菱日立パワーシステムズ」に転籍し、
18年4月からは、横浜ランドマークタワーや横浜美術館に隣接する三菱重工横浜ビルで広報を担う。
くしくも造船所の跡地に建てられた高層ビル。眼下には、中学生時代に胸躍らせたMM21地区が広がる。

 横製時代に先輩とともに手掛けた社内報は宝物だ。
「薄れゆく造船所時代の記憶と思い出が記録できてよかった。新たな時代になっても、この街の物語を伝え続けたい」 

 ◆六大事業とMM21事業 六大事業とは
(1)横浜都心部強化
(2)港北ニュータウン建設
(3)金沢地先埋め立て事業
(4)高速鉄道(地下鉄)建設
(5)高速道路網建設
(6)ベイブリッジ建設−の各事業。(1)の中核的プロジェクトであるMM21事業は、横浜の自立性の強化▽港湾機能の質的転換▽首都圏の業務機能の分担を目的とし、「24時間活動する国際文化都市」などの都市像を掲げている。
2019/02/07(木) 14:31:22.04ID:x18p6AK9
平成と横浜・みなとみらい 「モノクロの世界がカラーに」
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190122-00032881-kana-bus_all

 「平成」が幕を開けた1989年。横浜・みなとみらい21(MM21)地区に立った少年は、そのまぶしさに心躍らせていた。
色彩豊かな街並み、初めて目にする技術の数々。
目に飛び込む全てが新しい。
光り輝く未来を思い描き、自身の明るい将来を重ねた。

 MM21地区のお披露目を兼ねて、191日間にわたって開催された「横浜博覧会(YES'89)」。
時はバブル景気真っ盛り。
華々しく開幕した3月25日を境に、異国情緒あふれ夜霧が似合う港町から、流行の先端を走る未来都市へと変貌を遂げようとしていた。

 博覧会のテーマは「宇宙と子供たち」。
横浜市制100周年、横浜港開港130周年を記念して催された。
企業や自治体が33館のパビリオンを出展し、20カ国・地域が参加。
開幕直後から市民らが大挙として詰めかけ、入場者数は国際博覧会並みの1333万7千人を記録した。

 三菱グループが立体映像を上映したパビリオン「三菱未来館」の入場を待つ長い列で、少年は期待に胸をふくらませていた。
当時中学3年生の小山慶和さん(44)=横浜市磯子区=は、宇宙へと飛び出してゆく迫力あるコンピューター・グラフィックスの画面に言葉を失った。

 JR桜木町駅から会場までは、当時珍しかった「動く歩道」が新たに整備された。
小山さんは大勢の人に前後を挟まれながら「会場に向かうまでのアトラクションとして乗っていた」。

 それまでの桜木町は三菱重工業の造船所で働く「労働者の街」という印象が強く、小山さんには近寄りがたい雰囲気があった。
それだけに、色とりどりのパビリオンが並ぶ横浜博の会場で見た最新技術に胸が高鳴り、「モノクロだった世界が突然、カラーになったような感覚」。
ものづくりの素晴らしさに触れて、高揚感を覚えた。

 横浜博終了後、MM21地区の大規模開発が始まった。
臨海部では港や海を彷彿(ほうふつ)させる斬新なデザインの建築物や街路が整備され、都市型観光地として華やいだ雰囲気に包まれていった。

 長らく米軍に接収されていた新港ふ頭だったが、横浜冷蔵倉庫(中区新港町)が94年に返還。
臨海部の開発が加速し、戦後横浜に色濃く残っていた「フェンスの向こうのアメリカ」のイメージは薄れていった。

 昭和から平成へと移る激動の時代。小山さんは造船所から横浜博、そしてビジネス都市へと街が生まれ変わる場面に立ち会うことになる。

 小山さんは横浜博の開幕と同じ89年に完成した横浜ベイブリッジに感激し、巨大な構造物を作りたいと三菱重工業横浜製作所(横製)に入社した。
念願かなって横浜ベイブリッジ下層の国道357号部分の構造に関わる製作に携わり、その後、社内報を担当。
資料調査や関係者への取材を通して造船所の歩みを調べ、記録していった。

 印象に残る出来事は、MM21地区のみなとみらいセンタービル建設現場で2008年、造船所で建造された「山汐(やましお)丸」のいかりが発掘されたことだ。
高層ビルが林立する中、造船所時代の記憶を呼び起こす「タイムカプセル」のようだった。
国の重要文化財として保存されている2基のドックなど、地区内に残る造船所時代の面影を社内報で分かりやすく紹介した。

 その後、火力発電などを担う事業会社「三菱日立パワーシステムズ」に転籍し、
18年4月からは、横浜ランドマークタワーや横浜美術館に隣接する三菱重工横浜ビルで広報を担う。
くしくも造船所の跡地に建てられた高層ビル。眼下には、中学生時代に胸躍らせたMM21地区が広がる。

 横製時代に先輩とともに手掛けた社内報は宝物だ。
「薄れゆく造船所時代の記憶と思い出が記録できてよかった。新たな時代になっても、この街の物語を伝え続けたい」 

 ◆六大事業とMM21事業 六大事業とは
(1)横浜都心部強化
(2)港北ニュータウン建設
(3)金沢地先埋め立て事業
(4)高速鉄道(地下鉄)建設
(5)高速道路網建設
(6)ベイブリッジ建設−の各事業。(1)の中核的プロジェクトであるMM21事業は、横浜の自立性の強化▽港湾機能の質的転換▽首都圏の業務機能の分担を目的とし、「24時間活動する国際文化都市」などの都市像を掲げている。
2019/02/07(木) 14:31:46.90ID:x18p6AK9
平成と横浜・みなとみらい 「モノクロの世界がカラーに」
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190122-00032881-kana-bus_all

 「平成」が幕を開けた1989年。横浜・みなとみらい21(MM21)地区に立った少年は、そのまぶしさに心躍らせていた。
色彩豊かな街並み、初めて目にする技術の数々。
目に飛び込む全てが新しい。
光り輝く未来を思い描き、自身の明るい将来を重ねた。

 MM21地区のお披露目を兼ねて、191日間にわたって開催された「横浜博覧会(YES'89)」。
時はバブル景気真っ盛り。
華々しく開幕した3月25日を境に、異国情緒あふれ夜霧が似合う港町から、流行の先端を走る未来都市へと変貌を遂げようとしていた。

 博覧会のテーマは「宇宙と子供たち」。
横浜市制100周年、横浜港開港130周年を記念して催された。
企業や自治体が33館のパビリオンを出展し、20カ国・地域が参加。
開幕直後から市民らが大挙として詰めかけ、入場者数は国際博覧会並みの1333万7千人を記録した。

 三菱グループが立体映像を上映したパビリオン「三菱未来館」の入場を待つ長い列で、少年は期待に胸をふくらませていた。
当時中学3年生の小山慶和さん(44)=横浜市磯子区=は、宇宙へと飛び出してゆく迫力あるコンピューター・グラフィックスの画面に言葉を失った。

 JR桜木町駅から会場までは、当時珍しかった「動く歩道」が新たに整備された。
小山さんは大勢の人に前後を挟まれながら「会場に向かうまでのアトラクションとして乗っていた」。

 それまでの桜木町は三菱重工業の造船所で働く「労働者の街」という印象が強く、小山さんには近寄りがたい雰囲気があった。
それだけに、色とりどりのパビリオンが並ぶ横浜博の会場で見た最新技術に胸が高鳴り、「モノクロだった世界が突然、カラーになったような感覚」。
ものづくりの素晴らしさに触れて、高揚感を覚えた。

 横浜博終了後、MM21地区の大規模開発が始まった。
臨海部では港や海を彷彿(ほうふつ)させる斬新なデザインの建築物や街路が整備され、都市型観光地として華やいだ雰囲気に包まれていった。

 長らく米軍に接収されていた新港ふ頭だったが、横浜冷蔵倉庫(中区新港町)が94年に返還。
臨海部の開発が加速し、戦後横浜に色濃く残っていた「フェンスの向こうのアメリカ」のイメージは薄れていった。

 昭和から平成へと移る激動の時代。小山さんは造船所から横浜博、そしてビジネス都市へと街が生まれ変わる場面に立ち会うことになる。

 小山さんは横浜博の開幕と同じ89年に完成した横浜ベイブリッジに感激し、巨大な構造物を作りたいと三菱重工業横浜製作所(横製)に入社した。
念願かなって横浜ベイブリッジ下層の国道357号部分の構造に関わる製作に携わり、その後、社内報を担当。
資料調査や関係者への取材を通して造船所の歩みを調べ、記録していった。

 印象に残る出来事は、MM21地区のみなとみらいセンタービル建設現場で2008年、造船所で建造された「山汐(やましお)丸」のいかりが発掘されたことだ。
高層ビルが林立する中、造船所時代の記憶を呼び起こす「タイムカプセル」のようだった。
国の重要文化財として保存されている2基のドックなど、地区内に残る造船所時代の面影を社内報で分かりやすく紹介した。

 その後、火力発電などを担う事業会社「三菱日立パワーシステムズ」に転籍し、
18年4月からは、横浜ランドマークタワーや横浜美術館に隣接する三菱重工横浜ビルで広報を担う。
くしくも造船所の跡地に建てられた高層ビル。眼下には、中学生時代に胸躍らせたMM21地区が広がる。

 横製時代に先輩とともに手掛けた社内報は宝物だ。
「薄れゆく造船所時代の記憶と思い出が記録できてよかった。新たな時代になっても、この街の物語を伝え続けたい」 

 ◆六大事業とMM21事業 六大事業とは
(1)横浜都心部強化
(2)港北ニュータウン建設
(3)金沢地先埋め立て事業
(4)高速鉄道(地下鉄)建設
(5)高速道路網建設
(6)ベイブリッジ建設−の各事業。(1)の中核的プロジェクトであるMM21事業は、横浜の自立性の強化▽港湾機能の質的転換▽首都圏の業務機能の分担を目的とし、「24時間活動する国際文化都市」などの都市像を掲げている。
2019/02/07(木) 14:32:31.19ID:x18p6AK9
平成と横浜・みなとみらい 「モノクロの世界がカラーに」
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190122-00032881-kana-bus_all

 「平成」が幕を開けた1989年。横浜・みなとみらい21(MM21)地区に立った少年は、そのまぶしさに心躍らせていた。
色彩豊かな街並み、初めて目にする技術の数々。
目に飛び込む全てが新しい。
光り輝く未来を思い描き、自身の明るい将来を重ねた。

 MM21地区のお披露目を兼ねて、191日間にわたって開催された「横浜博覧会(YES'89)」。
時はバブル景気真っ盛り。
華々しく開幕した3月25日を境に、異国情緒あふれ夜霧が似合う港町から、流行の先端を走る未来都市へと変貌を遂げようとしていた。

 博覧会のテーマは「宇宙と子供たち」。
横浜市制100周年、横浜港開港130周年を記念して催された。
企業や自治体が33館のパビリオンを出展し、20カ国・地域が参加。
開幕直後から市民らが大挙として詰めかけ、入場者数は国際博覧会並みの1333万7千人を記録した。

 三菱グループが立体映像を上映したパビリオン「三菱未来館」の入場を待つ長い列で、少年は期待に胸をふくらませていた。
当時中学3年生の小山慶和さん(44)=横浜市磯子区=は、宇宙へと飛び出してゆく迫力あるコンピューター・グラフィックスの画面に言葉を失った。

 JR桜木町駅から会場までは、当時珍しかった「動く歩道」が新たに整備された。
小山さんは大勢の人に前後を挟まれながら「会場に向かうまでのアトラクションとして乗っていた」。

 それまでの桜木町は三菱重工業の造船所で働く「労働者の街」という印象が強く、小山さんには近寄りがたい雰囲気があった。
それだけに、色とりどりのパビリオンが並ぶ横浜博の会場で見た最新技術に胸が高鳴り、「モノクロだった世界が突然、カラーになったような感覚」。
ものづくりの素晴らしさに触れて、高揚感を覚えた。

 横浜博終了後、MM21地区の大規模開発が始まった。
臨海部では港や海を彷彿(ほうふつ)させる斬新なデザインの建築物や街路が整備され、都市型観光地として華やいだ雰囲気に包まれていった。

 長らく米軍に接収されていた新港ふ頭だったが、横浜冷蔵倉庫(中区新港町)が94年に返還。
臨海部の開発が加速し、戦後横浜に色濃く残っていた「フェンスの向こうのアメリカ」のイメージは薄れていった。

 昭和から平成へと移る激動の時代。小山さんは造船所から横浜博、そしてビジネス都市へと街が生まれ変わる場面に立ち会うことになる。

 小山さんは横浜博の開幕と同じ89年に完成した横浜ベイブリッジに感激し、巨大な構造物を作りたいと三菱重工業横浜製作所(横製)に入社した。
念願かなって横浜ベイブリッジ下層の国道357号部分の構造に関わる製作に携わり、その後、社内報を担当。
資料調査や関係者への取材を通して造船所の歩みを調べ、記録していった。

 印象に残る出来事は、MM21地区のみなとみらいセンタービル建設現場で2008年、造船所で建造された「山汐(やましお)丸」のいかりが発掘されたことだ。
高層ビルが林立する中、造船所時代の記憶を呼び起こす「タイムカプセル」のようだった。
国の重要文化財として保存されている2基のドックなど、地区内に残る造船所時代の面影を社内報で分かりやすく紹介した。

 その後、火力発電などを担う事業会社「三菱日立パワーシステムズ」に転籍し、
18年4月からは、横浜ランドマークタワーや横浜美術館に隣接する三菱重工横浜ビルで広報を担う。
くしくも造船所の跡地に建てられた高層ビル。眼下には、中学生時代に胸躍らせたMM21地区が広がる。

 横製時代に先輩とともに手掛けた社内報は宝物だ。
「薄れゆく造船所時代の記憶と思い出が記録できてよかった。新たな時代になっても、この街の物語を伝え続けたい」 

 ◆六大事業とMM21事業 六大事業とは
(1)横浜都心部強化
(2)港北ニュータウン建設
(3)金沢地先埋め立て事業
(4)高速鉄道(地下鉄)建設
(5)高速道路網建設
(6)ベイブリッジ建設−の各事業。(1)の中核的プロジェクトであるMM21事業は、横浜の自立性の強化▽港湾機能の質的転換▽首都圏の業務機能の分担を目的とし、「24時間活動する国際文化都市」などの都市像を掲げている。
2019/02/07(木) 14:32:56.88ID:x18p6AK9
平成と横浜・みなとみらい 「モノクロの世界がカラーに」
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190122-00032881-kana-bus_all

 「平成」が幕を開けた1989年。横浜・みなとみらい21(MM21)地区に立った少年は、そのまぶしさに心躍らせていた。
色彩豊かな街並み、初めて目にする技術の数々。
目に飛び込む全てが新しい。
光り輝く未来を思い描き、自身の明るい将来を重ねた。

 MM21地区のお披露目を兼ねて、191日間にわたって開催された「横浜博覧会(YES'89)」。
時はバブル景気真っ盛り。
華々しく開幕した3月25日を境に、異国情緒あふれ夜霧が似合う港町から、流行の先端を走る未来都市へと変貌を遂げようとしていた。

 博覧会のテーマは「宇宙と子供たち」。
横浜市制100周年、横浜港開港130周年を記念して催された。
企業や自治体が33館のパビリオンを出展し、20カ国・地域が参加。
開幕直後から市民らが大挙として詰めかけ、入場者数は国際博覧会並みの1333万7千人を記録した。

 三菱グループが立体映像を上映したパビリオン「三菱未来館」の入場を待つ長い列で、少年は期待に胸をふくらませていた。
当時中学3年生の小山慶和さん(44)=横浜市磯子区=は、宇宙へと飛び出してゆく迫力あるコンピューター・グラフィックスの画面に言葉を失った。

 JR桜木町駅から会場までは、当時珍しかった「動く歩道」が新たに整備された。
小山さんは大勢の人に前後を挟まれながら「会場に向かうまでのアトラクションとして乗っていた」。

 それまでの桜木町は三菱重工業の造船所で働く「労働者の街」という印象が強く、小山さんには近寄りがたい雰囲気があった。
それだけに、色とりどりのパビリオンが並ぶ横浜博の会場で見た最新技術に胸が高鳴り、「モノクロだった世界が突然、カラーになったような感覚」。
ものづくりの素晴らしさに触れて、高揚感を覚えた。

 横浜博終了後、MM21地区の大規模開発が始まった。
臨海部では港や海を彷彿(ほうふつ)させる斬新なデザインの建築物や街路が整備され、都市型観光地として華やいだ雰囲気に包まれていった。

 長らく米軍に接収されていた新港ふ頭だったが、横浜冷蔵倉庫(中区新港町)が94年に返還。
臨海部の開発が加速し、戦後横浜に色濃く残っていた「フェンスの向こうのアメリカ」のイメージは薄れていった。

 昭和から平成へと移る激動の時代。小山さんは造船所から横浜博、そしてビジネス都市へと街が生まれ変わる場面に立ち会うことになる。

 小山さんは横浜博の開幕と同じ89年に完成した横浜ベイブリッジに感激し、巨大な構造物を作りたいと三菱重工業横浜製作所(横製)に入社した。
念願かなって横浜ベイブリッジ下層の国道357号部分の構造に関わる製作に携わり、その後、社内報を担当。
資料調査や関係者への取材を通して造船所の歩みを調べ、記録していった。

 印象に残る出来事は、MM21地区のみなとみらいセンタービル建設現場で2008年、造船所で建造された「山汐(やましお)丸」のいかりが発掘されたことだ。
高層ビルが林立する中、造船所時代の記憶を呼び起こす「タイムカプセル」のようだった。
国の重要文化財として保存されている2基のドックなど、地区内に残る造船所時代の面影を社内報で分かりやすく紹介した。

 その後、火力発電などを担う事業会社「三菱日立パワーシステムズ」に転籍し、
18年4月からは、横浜ランドマークタワーや横浜美術館に隣接する三菱重工横浜ビルで広報を担う。
くしくも造船所の跡地に建てられた高層ビル。眼下には、中学生時代に胸躍らせたMM21地区が広がる。

 横製時代に先輩とともに手掛けた社内報は宝物だ。
「薄れゆく造船所時代の記憶と思い出が記録できてよかった。新たな時代になっても、この街の物語を伝え続けたい」 

 ◆六大事業とMM21事業 六大事業とは
(1)横浜都心部強化
(2)港北ニュータウン建設
(3)金沢地先埋め立て事業
(4)高速鉄道(地下鉄)建設
(5)高速道路網建設
(6)ベイブリッジ建設−の各事業。(1)の中核的プロジェクトであるMM21事業は、横浜の自立性の強化▽港湾機能の質的転換▽首都圏の業務機能の分担を目的とし、「24時間活動する国際文化都市」などの都市像を掲げている。
2019/02/07(木) 14:33:21.88ID:x18p6AK9
平成と横浜・みなとみらい 「モノクロの世界がカラーに」
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 「平成」が幕を開けた1989年。横浜・みなとみらい21(MM21)地区に立った少年は、そのまぶしさに心躍らせていた。
色彩豊かな街並み、初めて目にする技術の数々。
目に飛び込む全てが新しい。
光り輝く未来を思い描き、自身の明るい将来を重ねた。

 MM21地区のお披露目を兼ねて、191日間にわたって開催された「横浜博覧会(YES'89)」。
時はバブル景気真っ盛り。
華々しく開幕した3月25日を境に、異国情緒あふれ夜霧が似合う港町から、流行の先端を走る未来都市へと変貌を遂げようとしていた。

 博覧会のテーマは「宇宙と子供たち」。
横浜市制100周年、横浜港開港130周年を記念して催された。
企業や自治体が33館のパビリオンを出展し、20カ国・地域が参加。
開幕直後から市民らが大挙として詰めかけ、入場者数は国際博覧会並みの1333万7千人を記録した。

 三菱グループが立体映像を上映したパビリオン「三菱未来館」の入場を待つ長い列で、少年は期待に胸をふくらませていた。
当時中学3年生の小山慶和さん(44)=横浜市磯子区=は、宇宙へと飛び出してゆく迫力あるコンピューター・グラフィックスの画面に言葉を失った。

 JR桜木町駅から会場までは、当時珍しかった「動く歩道」が新たに整備された。
小山さんは大勢の人に前後を挟まれながら「会場に向かうまでのアトラクションとして乗っていた」。

 それまでの桜木町は三菱重工業の造船所で働く「労働者の街」という印象が強く、小山さんには近寄りがたい雰囲気があった。
それだけに、色とりどりのパビリオンが並ぶ横浜博の会場で見た最新技術に胸が高鳴り、「モノクロだった世界が突然、カラーになったような感覚」。
ものづくりの素晴らしさに触れて、高揚感を覚えた。

 横浜博終了後、MM21地区の大規模開発が始まった。
臨海部では港や海を彷彿(ほうふつ)させる斬新なデザインの建築物や街路が整備され、都市型観光地として華やいだ雰囲気に包まれていった。

 長らく米軍に接収されていた新港ふ頭だったが、横浜冷蔵倉庫(中区新港町)が94年に返還。
臨海部の開発が加速し、戦後横浜に色濃く残っていた「フェンスの向こうのアメリカ」のイメージは薄れていった。

 昭和から平成へと移る激動の時代。小山さんは造船所から横浜博、そしてビジネス都市へと街が生まれ変わる場面に立ち会うことになる。

 小山さんは横浜博の開幕と同じ89年に完成した横浜ベイブリッジに感激し、巨大な構造物を作りたいと三菱重工業横浜製作所(横製)に入社した。
念願かなって横浜ベイブリッジ下層の国道357号部分の構造に関わる製作に携わり、その後、社内報を担当。
資料調査や関係者への取材を通して造船所の歩みを調べ、記録していった。

 印象に残る出来事は、MM21地区のみなとみらいセンタービル建設現場で2008年、造船所で建造された「山汐(やましお)丸」のいかりが発掘されたことだ。
高層ビルが林立する中、造船所時代の記憶を呼び起こす「タイムカプセル」のようだった。
国の重要文化財として保存されている2基のドックなど、地区内に残る造船所時代の面影を社内報で分かりやすく紹介した。

 その後、火力発電などを担う事業会社「三菱日立パワーシステムズ」に転籍し、
18年4月からは、横浜ランドマークタワーや横浜美術館に隣接する三菱重工横浜ビルで広報を担う。
くしくも造船所の跡地に建てられた高層ビル。眼下には、中学生時代に胸躍らせたMM21地区が広がる。

 横製時代に先輩とともに手掛けた社内報は宝物だ。
「薄れゆく造船所時代の記憶と思い出が記録できてよかった。新たな時代になっても、この街の物語を伝え続けたい」 

 ◆六大事業とMM21事業 六大事業とは
(1)横浜都心部強化
(2)港北ニュータウン建設
(3)金沢地先埋め立て事業
(4)高速鉄道(地下鉄)建設
(5)高速道路網建設
(6)ベイブリッジ建設−の各事業。(1)の中核的プロジェクトであるMM21事業は、横浜の自立性の強化▽港湾機能の質的転換▽首都圏の業務機能の分担を目的とし、「24時間活動する国際文化都市」などの都市像を掲げている。
2019/02/07(木) 14:34:03.25ID:x18p6AK9
平成と横浜・みなとみらい 「モノクロの世界がカラーに」
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 「平成」が幕を開けた1989年。横浜・みなとみらい21(MM21)地区に立った少年は、そのまぶしさに心躍らせていた。
色彩豊かな街並み、初めて目にする技術の数々。
目に飛び込む全てが新しい。
光り輝く未来を思い描き、自身の明るい将来を重ねた。

 MM21地区のお披露目を兼ねて、191日間にわたって開催された「横浜博覧会(YES'89)」。
時はバブル景気真っ盛り。
華々しく開幕した3月25日を境に、異国情緒あふれ夜霧が似合う港町から、流行の先端を走る未来都市へと変貌を遂げようとしていた。

 博覧会のテーマは「宇宙と子供たち」。
横浜市制100周年、横浜港開港130周年を記念して催された。
企業や自治体が33館のパビリオンを出展し、20カ国・地域が参加。
開幕直後から市民らが大挙として詰めかけ、入場者数は国際博覧会並みの1333万7千人を記録した。

 三菱グループが立体映像を上映したパビリオン「三菱未来館」の入場を待つ長い列で、少年は期待に胸をふくらませていた。
当時中学3年生の小山慶和さん(44)=横浜市磯子区=は、宇宙へと飛び出してゆく迫力あるコンピューター・グラフィックスの画面に言葉を失った。

 JR桜木町駅から会場までは、当時珍しかった「動く歩道」が新たに整備された。
小山さんは大勢の人に前後を挟まれながら「会場に向かうまでのアトラクションとして乗っていた」。

 それまでの桜木町は三菱重工業の造船所で働く「労働者の街」という印象が強く、小山さんには近寄りがたい雰囲気があった。
それだけに、色とりどりのパビリオンが並ぶ横浜博の会場で見た最新技術に胸が高鳴り、「モノクロだった世界が突然、カラーになったような感覚」。
ものづくりの素晴らしさに触れて、高揚感を覚えた。

 横浜博終了後、MM21地区の大規模開発が始まった。
臨海部では港や海を彷彿(ほうふつ)させる斬新なデザインの建築物や街路が整備され、都市型観光地として華やいだ雰囲気に包まれていった。

 長らく米軍に接収されていた新港ふ頭だったが、横浜冷蔵倉庫(中区新港町)が94年に返還。
臨海部の開発が加速し、戦後横浜に色濃く残っていた「フェンスの向こうのアメリカ」のイメージは薄れていった。

 昭和から平成へと移る激動の時代。小山さんは造船所から横浜博、そしてビジネス都市へと街が生まれ変わる場面に立ち会うことになる。

 小山さんは横浜博の開幕と同じ89年に完成した横浜ベイブリッジに感激し、巨大な構造物を作りたいと三菱重工業横浜製作所(横製)に入社した。
念願かなって横浜ベイブリッジ下層の国道357号部分の構造に関わる製作に携わり、その後、社内報を担当。
資料調査や関係者への取材を通して造船所の歩みを調べ、記録していった。

 印象に残る出来事は、MM21地区のみなとみらいセンタービル建設現場で2008年、造船所で建造された「山汐(やましお)丸」のいかりが発掘されたことだ。
高層ビルが林立する中、造船所時代の記憶を呼び起こす「タイムカプセル」のようだった。
国の重要文化財として保存されている2基のドックなど、地区内に残る造船所時代の面影を社内報で分かりやすく紹介した。

 その後、火力発電などを担う事業会社「三菱日立パワーシステムズ」に転籍し、
18年4月からは、横浜ランドマークタワーや横浜美術館に隣接する三菱重工横浜ビルで広報を担う。
くしくも造船所の跡地に建てられた高層ビル。眼下には、中学生時代に胸躍らせたMM21地区が広がる。

 横製時代に先輩とともに手掛けた社内報は宝物だ。
「薄れゆく造船所時代の記憶と思い出が記録できてよかった。新たな時代になっても、この街の物語を伝え続けたい」 

 ◆六大事業とMM21事業 六大事業とは
(1)横浜都心部強化
(2)港北ニュータウン建設
(3)金沢地先埋め立て事業
(4)高速鉄道(地下鉄)建設
(5)高速道路網建設
(6)ベイブリッジ建設−の各事業。(1)の中核的プロジェクトであるMM21事業は、横浜の自立性の強化▽港湾機能の質的転換▽首都圏の業務機能の分担を目的とし、「24時間活動する国際文化都市」などの都市像を掲げている。
2019/02/07(木) 14:34:33.78ID:x18p6AK9
平成と横浜・みなとみらい 「モノクロの世界がカラーに」
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 「平成」が幕を開けた1989年。横浜・みなとみらい21(MM21)地区に立った少年は、そのまぶしさに心躍らせていた。
色彩豊かな街並み、初めて目にする技術の数々。
目に飛び込む全てが新しい。
光り輝く未来を思い描き、自身の明るい将来を重ねた。

 MM21地区のお披露目を兼ねて、191日間にわたって開催された「横浜博覧会(YES'89)」。
時はバブル景気真っ盛り。
華々しく開幕した3月25日を境に、異国情緒あふれ夜霧が似合う港町から、流行の先端を走る未来都市へと変貌を遂げようとしていた。

 博覧会のテーマは「宇宙と子供たち」。
横浜市制100周年、横浜港開港130周年を記念して催された。
企業や自治体が33館のパビリオンを出展し、20カ国・地域が参加。
開幕直後から市民らが大挙として詰めかけ、入場者数は国際博覧会並みの1333万7千人を記録した。

 三菱グループが立体映像を上映したパビリオン「三菱未来館」の入場を待つ長い列で、少年は期待に胸をふくらませていた。
当時中学3年生の小山慶和さん(44)=横浜市磯子区=は、宇宙へと飛び出してゆく迫力あるコンピューター・グラフィックスの画面に言葉を失った。

 JR桜木町駅から会場までは、当時珍しかった「動く歩道」が新たに整備された。
小山さんは大勢の人に前後を挟まれながら「会場に向かうまでのアトラクションとして乗っていた」。

 それまでの桜木町は三菱重工業の造船所で働く「労働者の街」という印象が強く、小山さんには近寄りがたい雰囲気があった。
それだけに、色とりどりのパビリオンが並ぶ横浜博の会場で見た最新技術に胸が高鳴り、「モノクロだった世界が突然、カラーになったような感覚」。
ものづくりの素晴らしさに触れて、高揚感を覚えた。

 横浜博終了後、MM21地区の大規模開発が始まった。
臨海部では港や海を彷彿(ほうふつ)させる斬新なデザインの建築物や街路が整備され、都市型観光地として華やいだ雰囲気に包まれていった。

 長らく米軍に接収されていた新港ふ頭だったが、横浜冷蔵倉庫(中区新港町)が94年に返還。
臨海部の開発が加速し、戦後横浜に色濃く残っていた「フェンスの向こうのアメリカ」のイメージは薄れていった。

 昭和から平成へと移る激動の時代。小山さんは造船所から横浜博、そしてビジネス都市へと街が生まれ変わる場面に立ち会うことになる。

 小山さんは横浜博の開幕と同じ89年に完成した横浜ベイブリッジに感激し、巨大な構造物を作りたいと三菱重工業横浜製作所(横製)に入社した。
念願かなって横浜ベイブリッジ下層の国道357号部分の構造に関わる製作に携わり、その後、社内報を担当。
資料調査や関係者への取材を通して造船所の歩みを調べ、記録していった。

 印象に残る出来事は、MM21地区のみなとみらいセンタービル建設現場で2008年、造船所で建造された「山汐(やましお)丸」のいかりが発掘されたことだ。
高層ビルが林立する中、造船所時代の記憶を呼び起こす「タイムカプセル」のようだった。
国の重要文化財として保存されている2基のドックなど、地区内に残る造船所時代の面影を社内報で分かりやすく紹介した。

 その後、火力発電などを担う事業会社「三菱日立パワーシステムズ」に転籍し、
18年4月からは、横浜ランドマークタワーや横浜美術館に隣接する三菱重工横浜ビルで広報を担う。
くしくも造船所の跡地に建てられた高層ビル。眼下には、中学生時代に胸躍らせたMM21地区が広がる。

 横製時代に先輩とともに手掛けた社内報は宝物だ。
「薄れゆく造船所時代の記憶と思い出が記録できてよかった。新たな時代になっても、この街の物語を伝え続けたい」 

 ◆六大事業とMM21事業 六大事業とは
(1)横浜都心部強化
(2)港北ニュータウン建設
(3)金沢地先埋め立て事業
(4)高速鉄道(地下鉄)建設
(5)高速道路網建設
(6)ベイブリッジ建設−の各事業。(1)の中核的プロジェクトであるMM21事業は、横浜の自立性の強化▽港湾機能の質的転換▽首都圏の業務機能の分担を目的とし、「24時間活動する国際文化都市」などの都市像を掲げている。
2019/02/07(木) 14:35:00.37ID:x18p6AK9
平成と横浜・みなとみらい 「モノクロの世界がカラーに」
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 「平成」が幕を開けた1989年。横浜・みなとみらい21(MM21)地区に立った少年は、そのまぶしさに心躍らせていた。
色彩豊かな街並み、初めて目にする技術の数々。
目に飛び込む全てが新しい。
光り輝く未来を思い描き、自身の明るい将来を重ねた。

 MM21地区のお披露目を兼ねて、191日間にわたって開催された「横浜博覧会(YES'89)」。
時はバブル景気真っ盛り。
華々しく開幕した3月25日を境に、異国情緒あふれ夜霧が似合う港町から、流行の先端を走る未来都市へと変貌を遂げようとしていた。

 博覧会のテーマは「宇宙と子供たち」。
横浜市制100周年、横浜港開港130周年を記念して催された。
企業や自治体が33館のパビリオンを出展し、20カ国・地域が参加。
開幕直後から市民らが大挙として詰めかけ、入場者数は国際博覧会並みの1333万7千人を記録した。

 三菱グループが立体映像を上映したパビリオン「三菱未来館」の入場を待つ長い列で、少年は期待に胸をふくらませていた。
当時中学3年生の小山慶和さん(44)=横浜市磯子区=は、宇宙へと飛び出してゆく迫力あるコンピューター・グラフィックスの画面に言葉を失った。

 JR桜木町駅から会場までは、当時珍しかった「動く歩道」が新たに整備された。
小山さんは大勢の人に前後を挟まれながら「会場に向かうまでのアトラクションとして乗っていた」。

 それまでの桜木町は三菱重工業の造船所で働く「労働者の街」という印象が強く、小山さんには近寄りがたい雰囲気があった。
それだけに、色とりどりのパビリオンが並ぶ横浜博の会場で見た最新技術に胸が高鳴り、「モノクロだった世界が突然、カラーになったような感覚」。
ものづくりの素晴らしさに触れて、高揚感を覚えた。

 横浜博終了後、MM21地区の大規模開発が始まった。
臨海部では港や海を彷彿(ほうふつ)させる斬新なデザインの建築物や街路が整備され、都市型観光地として華やいだ雰囲気に包まれていった。

 長らく米軍に接収されていた新港ふ頭だったが、横浜冷蔵倉庫(中区新港町)が94年に返還。
臨海部の開発が加速し、戦後横浜に色濃く残っていた「フェンスの向こうのアメリカ」のイメージは薄れていった。

 昭和から平成へと移る激動の時代。小山さんは造船所から横浜博、そしてビジネス都市へと街が生まれ変わる場面に立ち会うことになる。

 小山さんは横浜博の開幕と同じ89年に完成した横浜ベイブリッジに感激し、巨大な構造物を作りたいと三菱重工業横浜製作所(横製)に入社した。
念願かなって横浜ベイブリッジ下層の国道357号部分の構造に関わる製作に携わり、その後、社内報を担当。
資料調査や関係者への取材を通して造船所の歩みを調べ、記録していった。

 印象に残る出来事は、MM21地区のみなとみらいセンタービル建設現場で2008年、造船所で建造された「山汐(やましお)丸」のいかりが発掘されたことだ。
高層ビルが林立する中、造船所時代の記憶を呼び起こす「タイムカプセル」のようだった。
国の重要文化財として保存されている2基のドックなど、地区内に残る造船所時代の面影を社内報で分かりやすく紹介した。

 その後、火力発電などを担う事業会社「三菱日立パワーシステムズ」に転籍し、
18年4月からは、横浜ランドマークタワーや横浜美術館に隣接する三菱重工横浜ビルで広報を担う。
くしくも造船所の跡地に建てられた高層ビル。眼下には、中学生時代に胸躍らせたMM21地区が広がる。

 横製時代に先輩とともに手掛けた社内報は宝物だ。
「薄れゆく造船所時代の記憶と思い出が記録できてよかった。新たな時代になっても、この街の物語を伝え続けたい」 

 ◆六大事業とMM21事業 六大事業とは
(1)横浜都心部強化
(2)港北ニュータウン建設
(3)金沢地先埋め立て事業
(4)高速鉄道(地下鉄)建設
(5)高速道路網建設
(6)ベイブリッジ建設−の各事業。(1)の中核的プロジェクトであるMM21事業は、横浜の自立性の強化▽港湾機能の質的転換▽首都圏の業務機能の分担を目的とし、「24時間活動する国際文化都市」などの都市像を掲げている。
2019/02/07(木) 14:35:23.62ID:x18p6AK9
平成と横浜・みなとみらい 「モノクロの世界がカラーに」
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190122-00032881-kana-bus_all

 「平成」が幕を開けた1989年。横浜・みなとみらい21(MM21)地区に立った少年は、そのまぶしさに心躍らせていた。
色彩豊かな街並み、初めて目にする技術の数々。
目に飛び込む全てが新しい。
光り輝く未来を思い描き、自身の明るい将来を重ねた。

 MM21地区のお披露目を兼ねて、191日間にわたって開催された「横浜博覧会(YES'89)」。
時はバブル景気真っ盛り。
華々しく開幕した3月25日を境に、異国情緒あふれ夜霧が似合う港町から、流行の先端を走る未来都市へと変貌を遂げようとしていた。

 博覧会のテーマは「宇宙と子供たち」。
横浜市制100周年、横浜港開港130周年を記念して催された。
企業や自治体が33館のパビリオンを出展し、20カ国・地域が参加。
開幕直後から市民らが大挙として詰めかけ、入場者数は国際博覧会並みの1333万7千人を記録した。

 三菱グループが立体映像を上映したパビリオン「三菱未来館」の入場を待つ長い列で、少年は期待に胸をふくらませていた。
当時中学3年生の小山慶和さん(44)=横浜市磯子区=は、宇宙へと飛び出してゆく迫力あるコンピューター・グラフィックスの画面に言葉を失った。

 JR桜木町駅から会場までは、当時珍しかった「動く歩道」が新たに整備された。
小山さんは大勢の人に前後を挟まれながら「会場に向かうまでのアトラクションとして乗っていた」。

 それまでの桜木町は三菱重工業の造船所で働く「労働者の街」という印象が強く、小山さんには近寄りがたい雰囲気があった。
それだけに、色とりどりのパビリオンが並ぶ横浜博の会場で見た最新技術に胸が高鳴り、「モノクロだった世界が突然、カラーになったような感覚」。
ものづくりの素晴らしさに触れて、高揚感を覚えた。

 横浜博終了後、MM21地区の大規模開発が始まった。
臨海部では港や海を彷彿(ほうふつ)させる斬新なデザインの建築物や街路が整備され、都市型観光地として華やいだ雰囲気に包まれていった。

 長らく米軍に接収されていた新港ふ頭だったが、横浜冷蔵倉庫(中区新港町)が94年に返還。
臨海部の開発が加速し、戦後横浜に色濃く残っていた「フェンスの向こうのアメリカ」のイメージは薄れていった。

 昭和から平成へと移る激動の時代。小山さんは造船所から横浜博、そしてビジネス都市へと街が生まれ変わる場面に立ち会うことになる。

 小山さんは横浜博の開幕と同じ89年に完成した横浜ベイブリッジに感激し、巨大な構造物を作りたいと三菱重工業横浜製作所(横製)に入社した。
念願かなって横浜ベイブリッジ下層の国道357号部分の構造に関わる製作に携わり、その後、社内報を担当。
資料調査や関係者への取材を通して造船所の歩みを調べ、記録していった。

 印象に残る出来事は、MM21地区のみなとみらいセンタービル建設現場で2008年、造船所で建造された「山汐(やましお)丸」のいかりが発掘されたことだ。
高層ビルが林立する中、造船所時代の記憶を呼び起こす「タイムカプセル」のようだった。
国の重要文化財として保存されている2基のドックなど、地区内に残る造船所時代の面影を社内報で分かりやすく紹介した。

 その後、火力発電などを担う事業会社「三菱日立パワーシステムズ」に転籍し、
18年4月からは、横浜ランドマークタワーや横浜美術館に隣接する三菱重工横浜ビルで広報を担う。
くしくも造船所の跡地に建てられた高層ビル。眼下には、中学生時代に胸躍らせたMM21地区が広がる。

 横製時代に先輩とともに手掛けた社内報は宝物だ。
「薄れゆく造船所時代の記憶と思い出が記録できてよかった。新たな時代になっても、この街の物語を伝え続けたい」 

 ◆六大事業とMM21事業 六大事業とは
(1)横浜都心部強化
(2)港北ニュータウン建設
(3)金沢地先埋め立て事業
(4)高速鉄道(地下鉄)建設
(5)高速道路網建設
(6)ベイブリッジ建設−の各事業。(1)の中核的プロジェクトであるMM21事業は、横浜の自立性の強化▽港湾機能の質的転換▽首都圏の業務機能の分担を目的とし、「24時間活動する国際文化都市」などの都市像を掲げている。
2019/02/07(木) 14:35:52.13ID:x18p6AK9
平成と横浜・みなとみらい 「モノクロの世界がカラーに」
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190122-00032881-kana-bus_all

 「平成」が幕を開けた1989年。横浜・みなとみらい21(MM21)地区に立った少年は、そのまぶしさに心躍らせていた。
色彩豊かな街並み、初めて目にする技術の数々。
目に飛び込む全てが新しい。
光り輝く未来を思い描き、自身の明るい将来を重ねた。

 MM21地区のお披露目を兼ねて、191日間にわたって開催された「横浜博覧会(YES'89)」。
時はバブル景気真っ盛り。
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 博覧会のテーマは「宇宙と子供たち」。
横浜市制100周年、横浜港開港130周年を記念して催された。
企業や自治体が33館のパビリオンを出展し、20カ国・地域が参加。
開幕直後から市民らが大挙として詰めかけ、入場者数は国際博覧会並みの1333万7千人を記録した。

 三菱グループが立体映像を上映したパビリオン「三菱未来館」の入場を待つ長い列で、少年は期待に胸をふくらませていた。
当時中学3年生の小山慶和さん(44)=横浜市磯子区=は、宇宙へと飛び出してゆく迫力あるコンピューター・グラフィックスの画面に言葉を失った。

 JR桜木町駅から会場までは、当時珍しかった「動く歩道」が新たに整備された。
小山さんは大勢の人に前後を挟まれながら「会場に向かうまでのアトラクションとして乗っていた」。

 それまでの桜木町は三菱重工業の造船所で働く「労働者の街」という印象が強く、小山さんには近寄りがたい雰囲気があった。
それだけに、色とりどりのパビリオンが並ぶ横浜博の会場で見た最新技術に胸が高鳴り、「モノクロだった世界が突然、カラーになったような感覚」。
ものづくりの素晴らしさに触れて、高揚感を覚えた。

 横浜博終了後、MM21地区の大規模開発が始まった。
臨海部では港や海を彷彿(ほうふつ)させる斬新なデザインの建築物や街路が整備され、都市型観光地として華やいだ雰囲気に包まれていった。

 長らく米軍に接収されていた新港ふ頭だったが、横浜冷蔵倉庫(中区新港町)が94年に返還。
臨海部の開発が加速し、戦後横浜に色濃く残っていた「フェンスの向こうのアメリカ」のイメージは薄れていった。

 昭和から平成へと移る激動の時代。小山さんは造船所から横浜博、そしてビジネス都市へと街が生まれ変わる場面に立ち会うことになる。

 小山さんは横浜博の開幕と同じ89年に完成した横浜ベイブリッジに感激し、巨大な構造物を作りたいと三菱重工業横浜製作所(横製)に入社した。
念願かなって横浜ベイブリッジ下層の国道357号部分の構造に関わる製作に携わり、その後、社内報を担当。
資料調査や関係者への取材を通して造船所の歩みを調べ、記録していった。

 印象に残る出来事は、MM21地区のみなとみらいセンタービル建設現場で2008年、造船所で建造された「山汐(やましお)丸」のいかりが発掘されたことだ。
高層ビルが林立する中、造船所時代の記憶を呼び起こす「タイムカプセル」のようだった。
国の重要文化財として保存されている2基のドックなど、地区内に残る造船所時代の面影を社内報で分かりやすく紹介した。

 その後、火力発電などを担う事業会社「三菱日立パワーシステムズ」に転籍し、
18年4月からは、横浜ランドマークタワーや横浜美術館に隣接する三菱重工横浜ビルで広報を担う。
くしくも造船所の跡地に建てられた高層ビル。眼下には、中学生時代に胸躍らせたMM21地区が広がる。

 横製時代に先輩とともに手掛けた社内報は宝物だ。
「薄れゆく造船所時代の記憶と思い出が記録できてよかった。新たな時代になっても、この街の物語を伝え続けたい」 

 ◆六大事業とMM21事業 六大事業とは
(1)横浜都心部強化
(2)港北ニュータウン建設
(3)金沢地先埋め立て事業
(4)高速鉄道(地下鉄)建設
(5)高速道路網建設
(6)ベイブリッジ建設−の各事業。(1)の中核的プロジェクトであるMM21事業は、横浜の自立性の強化▽港湾機能の質的転換▽首都圏の業務機能の分担を目的とし、「24時間活動する国際文化都市」などの都市像を掲げている。
2019/02/07(木) 14:36:23.92ID:x18p6AK9
平成と横浜・みなとみらい 「モノクロの世界がカラーに」
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190122-00032881-kana-bus_all

 「平成」が幕を開けた1989年。横浜・みなとみらい21(MM21)地区に立った少年は、そのまぶしさに心躍らせていた。
色彩豊かな街並み、初めて目にする技術の数々。
目に飛び込む全てが新しい。
光り輝く未来を思い描き、自身の明るい将来を重ねた。

 MM21地区のお披露目を兼ねて、191日間にわたって開催された「横浜博覧会(YES'89)」。
時はバブル景気真っ盛り。
華々しく開幕した3月25日を境に、異国情緒あふれ夜霧が似合う港町から、流行の先端を走る未来都市へと変貌を遂げようとしていた。

 博覧会のテーマは「宇宙と子供たち」。
横浜市制100周年、横浜港開港130周年を記念して催された。
企業や自治体が33館のパビリオンを出展し、20カ国・地域が参加。
開幕直後から市民らが大挙として詰めかけ、入場者数は国際博覧会並みの1333万7千人を記録した。

 三菱グループが立体映像を上映したパビリオン「三菱未来館」の入場を待つ長い列で、少年は期待に胸をふくらませていた。
当時中学3年生の小山慶和さん(44)=横浜市磯子区=は、宇宙へと飛び出してゆく迫力あるコンピューター・グラフィックスの画面に言葉を失った。

 JR桜木町駅から会場までは、当時珍しかった「動く歩道」が新たに整備された。
小山さんは大勢の人に前後を挟まれながら「会場に向かうまでのアトラクションとして乗っていた」。

 それまでの桜木町は三菱重工業の造船所で働く「労働者の街」という印象が強く、小山さんには近寄りがたい雰囲気があった。
それだけに、色とりどりのパビリオンが並ぶ横浜博の会場で見た最新技術に胸が高鳴り、「モノクロだった世界が突然、カラーになったような感覚」。
ものづくりの素晴らしさに触れて、高揚感を覚えた。

 横浜博終了後、MM21地区の大規模開発が始まった。
臨海部では港や海を彷彿(ほうふつ)させる斬新なデザインの建築物や街路が整備され、都市型観光地として華やいだ雰囲気に包まれていった。

 長らく米軍に接収されていた新港ふ頭だったが、横浜冷蔵倉庫(中区新港町)が94年に返還。
臨海部の開発が加速し、戦後横浜に色濃く残っていた「フェンスの向こうのアメリカ」のイメージは薄れていった。

 昭和から平成へと移る激動の時代。小山さんは造船所から横浜博、そしてビジネス都市へと街が生まれ変わる場面に立ち会うことになる。

 小山さんは横浜博の開幕と同じ89年に完成した横浜ベイブリッジに感激し、巨大な構造物を作りたいと三菱重工業横浜製作所(横製)に入社した。
念願かなって横浜ベイブリッジ下層の国道357号部分の構造に関わる製作に携わり、その後、社内報を担当。
資料調査や関係者への取材を通して造船所の歩みを調べ、記録していった。

 印象に残る出来事は、MM21地区のみなとみらいセンタービル建設現場で2008年、造船所で建造された「山汐(やましお)丸」のいかりが発掘されたことだ。
高層ビルが林立する中、造船所時代の記憶を呼び起こす「タイムカプセル」のようだった。
国の重要文化財として保存されている2基のドックなど、地区内に残る造船所時代の面影を社内報で分かりやすく紹介した。

 その後、火力発電などを担う事業会社「三菱日立パワーシステムズ」に転籍し、
18年4月からは、横浜ランドマークタワーや横浜美術館に隣接する三菱重工横浜ビルで広報を担う。
くしくも造船所の跡地に建てられた高層ビル。眼下には、中学生時代に胸躍らせたMM21地区が広がる。

 横製時代に先輩とともに手掛けた社内報は宝物だ。
「薄れゆく造船所時代の記憶と思い出が記録できてよかった。新たな時代になっても、この街の物語を伝え続けたい」 

 ◆六大事業とMM21事業 六大事業とは
(1)横浜都心部強化
(2)港北ニュータウン建設
(3)金沢地先埋め立て事業
(4)高速鉄道(地下鉄)建設
(5)高速道路網建設
(6)ベイブリッジ建設−の各事業。(1)の中核的プロジェクトであるMM21事業は、横浜の自立性の強化▽港湾機能の質的転換▽首都圏の業務機能の分担を目的とし、「24時間活動する国際文化都市」などの都市像を掲げている。
2019/02/07(木) 14:36:43.42ID:x18p6AK9
平成と横浜・みなとみらい 「モノクロの世界がカラーに」
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190122-00032881-kana-bus_all

 「平成」が幕を開けた1989年。横浜・みなとみらい21(MM21)地区に立った少年は、そのまぶしさに心躍らせていた。
色彩豊かな街並み、初めて目にする技術の数々。
目に飛び込む全てが新しい。
光り輝く未来を思い描き、自身の明るい将来を重ねた。

 MM21地区のお披露目を兼ねて、191日間にわたって開催された「横浜博覧会(YES'89)」。
時はバブル景気真っ盛り。
華々しく開幕した3月25日を境に、異国情緒あふれ夜霧が似合う港町から、流行の先端を走る未来都市へと変貌を遂げようとしていた。

 博覧会のテーマは「宇宙と子供たち」。
横浜市制100周年、横浜港開港130周年を記念して催された。
企業や自治体が33館のパビリオンを出展し、20カ国・地域が参加。
開幕直後から市民らが大挙として詰めかけ、入場者数は国際博覧会並みの1333万7千人を記録した。

 三菱グループが立体映像を上映したパビリオン「三菱未来館」の入場を待つ長い列で、少年は期待に胸をふくらませていた。
当時中学3年生の小山慶和さん(44)=横浜市磯子区=は、宇宙へと飛び出してゆく迫力あるコンピューター・グラフィックスの画面に言葉を失った。

 JR桜木町駅から会場までは、当時珍しかった「動く歩道」が新たに整備された。
小山さんは大勢の人に前後を挟まれながら「会場に向かうまでのアトラクションとして乗っていた」。

 それまでの桜木町は三菱重工業の造船所で働く「労働者の街」という印象が強く、小山さんには近寄りがたい雰囲気があった。
それだけに、色とりどりのパビリオンが並ぶ横浜博の会場で見た最新技術に胸が高鳴り、「モノクロだった世界が突然、カラーになったような感覚」。
ものづくりの素晴らしさに触れて、高揚感を覚えた。

 横浜博終了後、MM21地区の大規模開発が始まった。
臨海部では港や海を彷彿(ほうふつ)させる斬新なデザインの建築物や街路が整備され、都市型観光地として華やいだ雰囲気に包まれていった。

 長らく米軍に接収されていた新港ふ頭だったが、横浜冷蔵倉庫(中区新港町)が94年に返還。
臨海部の開発が加速し、戦後横浜に色濃く残っていた「フェンスの向こうのアメリカ」のイメージは薄れていった。

 昭和から平成へと移る激動の時代。小山さんは造船所から横浜博、そしてビジネス都市へと街が生まれ変わる場面に立ち会うことになる。

 小山さんは横浜博の開幕と同じ89年に完成した横浜ベイブリッジに感激し、巨大な構造物を作りたいと三菱重工業横浜製作所(横製)に入社した。
念願かなって横浜ベイブリッジ下層の国道357号部分の構造に関わる製作に携わり、その後、社内報を担当。
資料調査や関係者への取材を通して造船所の歩みを調べ、記録していった。

 印象に残る出来事は、MM21地区のみなとみらいセンタービル建設現場で2008年、造船所で建造された「山汐(やましお)丸」のいかりが発掘されたことだ。
高層ビルが林立する中、造船所時代の記憶を呼び起こす「タイムカプセル」のようだった。
国の重要文化財として保存されている2基のドックなど、地区内に残る造船所時代の面影を社内報で分かりやすく紹介した。

 その後、火力発電などを担う事業会社「三菱日立パワーシステムズ」に転籍し、
18年4月からは、横浜ランドマークタワーや横浜美術館に隣接する三菱重工横浜ビルで広報を担う。
くしくも造船所の跡地に建てられた高層ビル。眼下には、中学生時代に胸躍らせたMM21地区が広がる。

 横製時代に先輩とともに手掛けた社内報は宝物だ。
「薄れゆく造船所時代の記憶と思い出が記録できてよかった。新たな時代になっても、この街の物語を伝え続けたい」 

 ◆六大事業とMM21事業 六大事業とは
(1)横浜都心部強化
(2)港北ニュータウン建設
(3)金沢地先埋め立て事業
(4)高速鉄道(地下鉄)建設
(5)高速道路網建設
(6)ベイブリッジ建設−の各事業。(1)の中核的プロジェクトであるMM21事業は、横浜の自立性の強化▽港湾機能の質的転換▽首都圏の業務機能の分担を目的とし、「24時間活動する国際文化都市」などの都市像を掲げている。
2019/02/07(木) 14:37:03.67ID:x18p6AK9
平成と横浜・みなとみらい 「モノクロの世界がカラーに」
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190122-00032881-kana-bus_all

 「平成」が幕を開けた1989年。横浜・みなとみらい21(MM21)地区に立った少年は、そのまぶしさに心躍らせていた。
色彩豊かな街並み、初めて目にする技術の数々。
目に飛び込む全てが新しい。
光り輝く未来を思い描き、自身の明るい将来を重ねた。

 MM21地区のお披露目を兼ねて、191日間にわたって開催された「横浜博覧会(YES'89)」。
時はバブル景気真っ盛り。
華々しく開幕した3月25日を境に、異国情緒あふれ夜霧が似合う港町から、流行の先端を走る未来都市へと変貌を遂げようとしていた。

 博覧会のテーマは「宇宙と子供たち」。
横浜市制100周年、横浜港開港130周年を記念して催された。
企業や自治体が33館のパビリオンを出展し、20カ国・地域が参加。
開幕直後から市民らが大挙として詰めかけ、入場者数は国際博覧会並みの1333万7千人を記録した。

 三菱グループが立体映像を上映したパビリオン「三菱未来館」の入場を待つ長い列で、少年は期待に胸をふくらませていた。
当時中学3年生の小山慶和さん(44)=横浜市磯子区=は、宇宙へと飛び出してゆく迫力あるコンピューター・グラフィックスの画面に言葉を失った。

 JR桜木町駅から会場までは、当時珍しかった「動く歩道」が新たに整備された。
小山さんは大勢の人に前後を挟まれながら「会場に向かうまでのアトラクションとして乗っていた」。

 それまでの桜木町は三菱重工業の造船所で働く「労働者の街」という印象が強く、小山さんには近寄りがたい雰囲気があった。
それだけに、色とりどりのパビリオンが並ぶ横浜博の会場で見た最新技術に胸が高鳴り、「モノクロだった世界が突然、カラーになったような感覚」。
ものづくりの素晴らしさに触れて、高揚感を覚えた。

 横浜博終了後、MM21地区の大規模開発が始まった。
臨海部では港や海を彷彿(ほうふつ)させる斬新なデザインの建築物や街路が整備され、都市型観光地として華やいだ雰囲気に包まれていった。

 長らく米軍に接収されていた新港ふ頭だったが、横浜冷蔵倉庫(中区新港町)が94年に返還。
臨海部の開発が加速し、戦後横浜に色濃く残っていた「フェンスの向こうのアメリカ」のイメージは薄れていった。

 昭和から平成へと移る激動の時代。小山さんは造船所から横浜博、そしてビジネス都市へと街が生まれ変わる場面に立ち会うことになる。

 小山さんは横浜博の開幕と同じ89年に完成した横浜ベイブリッジに感激し、巨大な構造物を作りたいと三菱重工業横浜製作所(横製)に入社した。
念願かなって横浜ベイブリッジ下層の国道357号部分の構造に関わる製作に携わり、その後、社内報を担当。
資料調査や関係者への取材を通して造船所の歩みを調べ、記録していった。

 印象に残る出来事は、MM21地区のみなとみらいセンタービル建設現場で2008年、造船所で建造された「山汐(やましお)丸」のいかりが発掘されたことだ。
高層ビルが林立する中、造船所時代の記憶を呼び起こす「タイムカプセル」のようだった。
国の重要文化財として保存されている2基のドックなど、地区内に残る造船所時代の面影を社内報で分かりやすく紹介した。

 その後、火力発電などを担う事業会社「三菱日立パワーシステムズ」に転籍し、
18年4月からは、横浜ランドマークタワーや横浜美術館に隣接する三菱重工横浜ビルで広報を担う。
くしくも造船所の跡地に建てられた高層ビル。眼下には、中学生時代に胸躍らせたMM21地区が広がる。

 横製時代に先輩とともに手掛けた社内報は宝物だ。
「薄れゆく造船所時代の記憶と思い出が記録できてよかった。新たな時代になっても、この街の物語を伝え続けたい」 

 ◆六大事業とMM21事業 六大事業とは
(1)横浜都心部強化
(2)港北ニュータウン建設
(3)金沢地先埋め立て事業
(4)高速鉄道(地下鉄)建設
(5)高速道路網建設
(6)ベイブリッジ建設−の各事業。(1)の中核的プロジェクトであるMM21事業は、横浜の自立性の強化▽港湾機能の質的転換▽首都圏の業務機能の分担を目的とし、「24時間活動する国際文化都市」などの都市像を掲げている。
2019/02/07(木) 14:37:23.53ID:x18p6AK9
平成と横浜・みなとみらい 「モノクロの世界がカラーに」
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190122-00032881-kana-bus_all

 「平成」が幕を開けた1989年。横浜・みなとみらい21(MM21)地区に立った少年は、そのまぶしさに心躍らせていた。
色彩豊かな街並み、初めて目にする技術の数々。
目に飛び込む全てが新しい。
光り輝く未来を思い描き、自身の明るい将来を重ねた。

 MM21地区のお披露目を兼ねて、191日間にわたって開催された「横浜博覧会(YES'89)」。
時はバブル景気真っ盛り。
華々しく開幕した3月25日を境に、異国情緒あふれ夜霧が似合う港町から、流行の先端を走る未来都市へと変貌を遂げようとしていた。

 博覧会のテーマは「宇宙と子供たち」。
横浜市制100周年、横浜港開港130周年を記念して催された。
企業や自治体が33館のパビリオンを出展し、20カ国・地域が参加。
開幕直後から市民らが大挙として詰めかけ、入場者数は国際博覧会並みの1333万7千人を記録した。

 三菱グループが立体映像を上映したパビリオン「三菱未来館」の入場を待つ長い列で、少年は期待に胸をふくらませていた。
当時中学3年生の小山慶和さん(44)=横浜市磯子区=は、宇宙へと飛び出してゆく迫力あるコンピューター・グラフィックスの画面に言葉を失った。

 JR桜木町駅から会場までは、当時珍しかった「動く歩道」が新たに整備された。
小山さんは大勢の人に前後を挟まれながら「会場に向かうまでのアトラクションとして乗っていた」。

 それまでの桜木町は三菱重工業の造船所で働く「労働者の街」という印象が強く、小山さんには近寄りがたい雰囲気があった。
それだけに、色とりどりのパビリオンが並ぶ横浜博の会場で見た最新技術に胸が高鳴り、「モノクロだった世界が突然、カラーになったような感覚」。
ものづくりの素晴らしさに触れて、高揚感を覚えた。

 横浜博終了後、MM21地区の大規模開発が始まった。
臨海部では港や海を彷彿(ほうふつ)させる斬新なデザインの建築物や街路が整備され、都市型観光地として華やいだ雰囲気に包まれていった。

 長らく米軍に接収されていた新港ふ頭だったが、横浜冷蔵倉庫(中区新港町)が94年に返還。
臨海部の開発が加速し、戦後横浜に色濃く残っていた「フェンスの向こうのアメリカ」のイメージは薄れていった。

 昭和から平成へと移る激動の時代。小山さんは造船所から横浜博、そしてビジネス都市へと街が生まれ変わる場面に立ち会うことになる。

 小山さんは横浜博の開幕と同じ89年に完成した横浜ベイブリッジに感激し、巨大な構造物を作りたいと三菱重工業横浜製作所(横製)に入社した。
念願かなって横浜ベイブリッジ下層の国道357号部分の構造に関わる製作に携わり、その後、社内報を担当。
資料調査や関係者への取材を通して造船所の歩みを調べ、記録していった。

 印象に残る出来事は、MM21地区のみなとみらいセンタービル建設現場で2008年、造船所で建造された「山汐(やましお)丸」のいかりが発掘されたことだ。
高層ビルが林立する中、造船所時代の記憶を呼び起こす「タイムカプセル」のようだった。
国の重要文化財として保存されている2基のドックなど、地区内に残る造船所時代の面影を社内報で分かりやすく紹介した。

 その後、火力発電などを担う事業会社「三菱日立パワーシステムズ」に転籍し、
18年4月からは、横浜ランドマークタワーや横浜美術館に隣接する三菱重工横浜ビルで広報を担う。
くしくも造船所の跡地に建てられた高層ビル。眼下には、中学生時代に胸躍らせたMM21地区が広がる。

 横製時代に先輩とともに手掛けた社内報は宝物だ。
「薄れゆく造船所時代の記憶と思い出が記録できてよかった。新たな時代になっても、この街の物語を伝え続けたい」 

 ◆六大事業とMM21事業 六大事業とは
(1)横浜都心部強化
(2)港北ニュータウン建設
(3)金沢地先埋め立て事業
(4)高速鉄道(地下鉄)建設
(5)高速道路網建設
(6)ベイブリッジ建設−の各事業。(1)の中核的プロジェクトであるMM21事業は、横浜の自立性の強化▽港湾機能の質的転換▽首都圏の業務機能の分担を目的とし、「24時間活動する国際文化都市」などの都市像を掲げている。
2019/02/07(木) 14:37:41.70ID:x18p6AK9
平成と横浜・みなとみらい 「モノクロの世界がカラーに」
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190122-00032881-kana-bus_all

 「平成」が幕を開けた1989年。横浜・みなとみらい21(MM21)地区に立った少年は、そのまぶしさに心躍らせていた。
色彩豊かな街並み、初めて目にする技術の数々。
目に飛び込む全てが新しい。
光り輝く未来を思い描き、自身の明るい将来を重ねた。

 MM21地区のお披露目を兼ねて、191日間にわたって開催された「横浜博覧会(YES'89)」。
時はバブル景気真っ盛り。
華々しく開幕した3月25日を境に、異国情緒あふれ夜霧が似合う港町から、流行の先端を走る未来都市へと変貌を遂げようとしていた。

 博覧会のテーマは「宇宙と子供たち」。
横浜市制100周年、横浜港開港130周年を記念して催された。
企業や自治体が33館のパビリオンを出展し、20カ国・地域が参加。
開幕直後から市民らが大挙として詰めかけ、入場者数は国際博覧会並みの1333万7千人を記録した。

 三菱グループが立体映像を上映したパビリオン「三菱未来館」の入場を待つ長い列で、少年は期待に胸をふくらませていた。
当時中学3年生の小山慶和さん(44)=横浜市磯子区=は、宇宙へと飛び出してゆく迫力あるコンピューター・グラフィックスの画面に言葉を失った。

 JR桜木町駅から会場までは、当時珍しかった「動く歩道」が新たに整備された。
小山さんは大勢の人に前後を挟まれながら「会場に向かうまでのアトラクションとして乗っていた」。

 それまでの桜木町は三菱重工業の造船所で働く「労働者の街」という印象が強く、小山さんには近寄りがたい雰囲気があった。
それだけに、色とりどりのパビリオンが並ぶ横浜博の会場で見た最新技術に胸が高鳴り、「モノクロだった世界が突然、カラーになったような感覚」。
ものづくりの素晴らしさに触れて、高揚感を覚えた。

 横浜博終了後、MM21地区の大規模開発が始まった。
臨海部では港や海を彷彿(ほうふつ)させる斬新なデザインの建築物や街路が整備され、都市型観光地として華やいだ雰囲気に包まれていった。

 長らく米軍に接収されていた新港ふ頭だったが、横浜冷蔵倉庫(中区新港町)が94年に返還。
臨海部の開発が加速し、戦後横浜に色濃く残っていた「フェンスの向こうのアメリカ」のイメージは薄れていった。

 昭和から平成へと移る激動の時代。小山さんは造船所から横浜博、そしてビジネス都市へと街が生まれ変わる場面に立ち会うことになる。

 小山さんは横浜博の開幕と同じ89年に完成した横浜ベイブリッジに感激し、巨大な構造物を作りたいと三菱重工業横浜製作所(横製)に入社した。
念願かなって横浜ベイブリッジ下層の国道357号部分の構造に関わる製作に携わり、その後、社内報を担当。
資料調査や関係者への取材を通して造船所の歩みを調べ、記録していった。

 印象に残る出来事は、MM21地区のみなとみらいセンタービル建設現場で2008年、造船所で建造された「山汐(やましお)丸」のいかりが発掘されたことだ。
高層ビルが林立する中、造船所時代の記憶を呼び起こす「タイムカプセル」のようだった。
国の重要文化財として保存されている2基のドックなど、地区内に残る造船所時代の面影を社内報で分かりやすく紹介した。

 その後、火力発電などを担う事業会社「三菱日立パワーシステムズ」に転籍し、
18年4月からは、横浜ランドマークタワーや横浜美術館に隣接する三菱重工横浜ビルで広報を担う。
くしくも造船所の跡地に建てられた高層ビル。眼下には、中学生時代に胸躍らせたMM21地区が広がる。

 横製時代に先輩とともに手掛けた社内報は宝物だ。
「薄れゆく造船所時代の記憶と思い出が記録できてよかった。新たな時代になっても、この街の物語を伝え続けたい」 

 ◆六大事業とMM21事業 六大事業とは
(1)横浜都心部強化
(2)港北ニュータウン建設
(3)金沢地先埋め立て事業
(4)高速鉄道(地下鉄)建設
(5)高速道路網建設
(6)ベイブリッジ建設−の各事業。(1)の中核的プロジェクトであるMM21事業は、横浜の自立性の強化▽港湾機能の質的転換▽首都圏の業務機能の分担を目的とし、「24時間活動する国際文化都市」などの都市像を掲げている。
2019/02/07(木) 14:38:17.01ID:x18p6AK9
平成と横浜・みなとみらい 「モノクロの世界がカラーに」
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190122-00032881-kana-bus_all

 「平成」が幕を開けた1989年。横浜・みなとみらい21(MM21)地区に立った少年は、そのまぶしさに心躍らせていた。
色彩豊かな街並み、初めて目にする技術の数々。
目に飛び込む全てが新しい。
光り輝く未来を思い描き、自身の明るい将来を重ねた。

 MM21地区のお披露目を兼ねて、191日間にわたって開催された「横浜博覧会(YES'89)」。
時はバブル景気真っ盛り。
華々しく開幕した3月25日を境に、異国情緒あふれ夜霧が似合う港町から、流行の先端を走る未来都市へと変貌を遂げようとしていた。

 博覧会のテーマは「宇宙と子供たち」。
横浜市制100周年、横浜港開港130周年を記念して催された。
企業や自治体が33館のパビリオンを出展し、20カ国・地域が参加。
開幕直後から市民らが大挙として詰めかけ、入場者数は国際博覧会並みの1333万7千人を記録した。

 三菱グループが立体映像を上映したパビリオン「三菱未来館」の入場を待つ長い列で、少年は期待に胸をふくらませていた。
当時中学3年生の小山慶和さん(44)=横浜市磯子区=は、宇宙へと飛び出してゆく迫力あるコンピューター・グラフィックスの画面に言葉を失った。

 JR桜木町駅から会場までは、当時珍しかった「動く歩道」が新たに整備された。
小山さんは大勢の人に前後を挟まれながら「会場に向かうまでのアトラクションとして乗っていた」。

 それまでの桜木町は三菱重工業の造船所で働く「労働者の街」という印象が強く、小山さんには近寄りがたい雰囲気があった。
それだけに、色とりどりのパビリオンが並ぶ横浜博の会場で見た最新技術に胸が高鳴り、「モノクロだった世界が突然、カラーになったような感覚」。
ものづくりの素晴らしさに触れて、高揚感を覚えた。

 横浜博終了後、MM21地区の大規模開発が始まった。
臨海部では港や海を彷彿(ほうふつ)させる斬新なデザインの建築物や街路が整備され、都市型観光地として華やいだ雰囲気に包まれていった。

 長らく米軍に接収されていた新港ふ頭だったが、横浜冷蔵倉庫(中区新港町)が94年に返還。
臨海部の開発が加速し、戦後横浜に色濃く残っていた「フェンスの向こうのアメリカ」のイメージは薄れていった。

 昭和から平成へと移る激動の時代。小山さんは造船所から横浜博、そしてビジネス都市へと街が生まれ変わる場面に立ち会うことになる。

 小山さんは横浜博の開幕と同じ89年に完成した横浜ベイブリッジに感激し、巨大な構造物を作りたいと三菱重工業横浜製作所(横製)に入社した。
念願かなって横浜ベイブリッジ下層の国道357号部分の構造に関わる製作に携わり、その後、社内報を担当。
資料調査や関係者への取材を通して造船所の歩みを調べ、記録していった。

 印象に残る出来事は、MM21地区のみなとみらいセンタービル建設現場で2008年、造船所で建造された「山汐(やましお)丸」のいかりが発掘されたことだ。
高層ビルが林立する中、造船所時代の記憶を呼び起こす「タイムカプセル」のようだった。
国の重要文化財として保存されている2基のドックなど、地区内に残る造船所時代の面影を社内報で分かりやすく紹介した。

 その後、火力発電などを担う事業会社「三菱日立パワーシステムズ」に転籍し、
18年4月からは、横浜ランドマークタワーや横浜美術館に隣接する三菱重工横浜ビルで広報を担う。
くしくも造船所の跡地に建てられた高層ビル。眼下には、中学生時代に胸躍らせたMM21地区が広がる。

 横製時代に先輩とともに手掛けた社内報は宝物だ。
「薄れゆく造船所時代の記憶と思い出が記録できてよかった。新たな時代になっても、この街の物語を伝え続けたい」 

 ◆六大事業とMM21事業 六大事業とは
(1)横浜都心部強化
(2)港北ニュータウン建設
(3)金沢地先埋め立て事業
(4)高速鉄道(地下鉄)建設
(5)高速道路網建設
(6)ベイブリッジ建設−の各事業。(1)の中核的プロジェクトであるMM21事業は、横浜の自立性の強化▽港湾機能の質的転換▽首都圏の業務機能の分担を目的とし、「24時間活動する国際文化都市」などの都市像を掲げている。
2019/02/07(木) 14:38:42.29ID:x18p6AK9
平成と横浜・みなとみらい 「モノクロの世界がカラーに」
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190122-00032881-kana-bus_all

 「平成」が幕を開けた1989年。横浜・みなとみらい21(MM21)地区に立った少年は、そのまぶしさに心躍らせていた。
色彩豊かな街並み、初めて目にする技術の数々。
目に飛び込む全てが新しい。
光り輝く未来を思い描き、自身の明るい将来を重ねた。

 MM21地区のお披露目を兼ねて、191日間にわたって開催された「横浜博覧会(YES'89)」。
時はバブル景気真っ盛り。
華々しく開幕した3月25日を境に、異国情緒あふれ夜霧が似合う港町から、流行の先端を走る未来都市へと変貌を遂げようとしていた。

 博覧会のテーマは「宇宙と子供たち」。
横浜市制100周年、横浜港開港130周年を記念して催された。
企業や自治体が33館のパビリオンを出展し、20カ国・地域が参加。
開幕直後から市民らが大挙として詰めかけ、入場者数は国際博覧会並みの1333万7千人を記録した。

 三菱グループが立体映像を上映したパビリオン「三菱未来館」の入場を待つ長い列で、少年は期待に胸をふくらませていた。
当時中学3年生の小山慶和さん(44)=横浜市磯子区=は、宇宙へと飛び出してゆく迫力あるコンピューター・グラフィックスの画面に言葉を失った。

 JR桜木町駅から会場までは、当時珍しかった「動く歩道」が新たに整備された。
小山さんは大勢の人に前後を挟まれながら「会場に向かうまでのアトラクションとして乗っていた」。

 それまでの桜木町は三菱重工業の造船所で働く「労働者の街」という印象が強く、小山さんには近寄りがたい雰囲気があった。
それだけに、色とりどりのパビリオンが並ぶ横浜博の会場で見た最新技術に胸が高鳴り、「モノクロだった世界が突然、カラーになったような感覚」。
ものづくりの素晴らしさに触れて、高揚感を覚えた。

 横浜博終了後、MM21地区の大規模開発が始まった。
臨海部では港や海を彷彿(ほうふつ)させる斬新なデザインの建築物や街路が整備され、都市型観光地として華やいだ雰囲気に包まれていった。

 長らく米軍に接収されていた新港ふ頭だったが、横浜冷蔵倉庫(中区新港町)が94年に返還。
臨海部の開発が加速し、戦後横浜に色濃く残っていた「フェンスの向こうのアメリカ」のイメージは薄れていった。

 昭和から平成へと移る激動の時代。小山さんは造船所から横浜博、そしてビジネス都市へと街が生まれ変わる場面に立ち会うことになる。

 小山さんは横浜博の開幕と同じ89年に完成した横浜ベイブリッジに感激し、巨大な構造物を作りたいと三菱重工業横浜製作所(横製)に入社した。
念願かなって横浜ベイブリッジ下層の国道357号部分の構造に関わる製作に携わり、その後、社内報を担当。
資料調査や関係者への取材を通して造船所の歩みを調べ、記録していった。

 印象に残る出来事は、MM21地区のみなとみらいセンタービル建設現場で2008年、造船所で建造された「山汐(やましお)丸」のいかりが発掘されたことだ。
高層ビルが林立する中、造船所時代の記憶を呼び起こす「タイムカプセル」のようだった。
国の重要文化財として保存されている2基のドックなど、地区内に残る造船所時代の面影を社内報で分かりやすく紹介した。

 その後、火力発電などを担う事業会社「三菱日立パワーシステムズ」に転籍し、
18年4月からは、横浜ランドマークタワーや横浜美術館に隣接する三菱重工横浜ビルで広報を担う。
くしくも造船所の跡地に建てられた高層ビル。眼下には、中学生時代に胸躍らせたMM21地区が広がる。

 横製時代に先輩とともに手掛けた社内報は宝物だ。
「薄れゆく造船所時代の記憶と思い出が記録できてよかった。新たな時代になっても、この街の物語を伝え続けたい」 

 ◆六大事業とMM21事業 六大事業とは
(1)横浜都心部強化
(2)港北ニュータウン建設
(3)金沢地先埋め立て事業
(4)高速鉄道(地下鉄)建設
(5)高速道路網建設
(6)ベイブリッジ建設−の各事業。(1)の中核的プロジェクトであるMM21事業は、横浜の自立性の強化▽港湾機能の質的転換▽首都圏の業務機能の分担を目的とし、「24時間活動する国際文化都市」などの都市像を掲げている。
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