0001田杉山脈 ★2019/10/14(月) 14:50:43.46ID:CAP_USER
略
私は子どものころ「お前はダメなやつ」と言われ続けて育ったせいか、とにかく自分に自信がなかった。表面的には隠してみるものの、なにかというとすぐ弱気で否定的な自分が現れる。変わってきたのは45歳を過ぎた頃だろうか。自分はダメなやつかもしれないが、ぬぐい切れない劣等感と闘いながら20年以上、何とか自活してきたのである。その実績が自分自身の心の支えとなった。
場所はポーランドに移ったが、「今までも何とかしてきたから、これからも何とかする」という心構えで臨んでいる。30歳のころの自分だったらそうは思えなかったかもしれない。若くないからこそのメリットもあるのだ。
人脈を広げたことの「効果」
もちろん苦労はあるものの、拠点を移して2年半経っても「ポーランドライフ、楽しすぎる」と感動することがある。最大の理由は、友人関係に恵まれていることだろう。ワルシャワはネットワーク作りのためのイベントが充実しており、筆者もスモールビジネスを立ち上げることを目標としているので、特にスタートアップ系のイベントには行きまくっていた。そのおかげで人脈はかなり広がった。
最近は路上、公園、メトロの駅、バス停など街のいたるところで友人と出くわす。共通の知人がいることは珍しくなく、新たに知り合った人が実は知人のいとこだった、ということもあった。
友人の数が増えただけでなく、関係性も深まっている。うっかり愚痴や不満などこぼそうものなら、よってたかっておせっかいをやいてくれる。例えば、ビジネスの提携先探しに腐心していたとき、友人の1人が弁護士を紹介 しようと言い出した。
実はすでに弁護士の友人・知人は13人もおり、そのときに必要なのは弁護士ではないことを伝えたのだが、それでも彼は紹介する、と譲らない。おせっかい気質のポーランド人らしいエピソードだが、自分のことを気にかけてくれる人たちがいるというのはありがたいことだ。
前回の記事を書いてから、「自分も海外で暮らしたいと思っている」という反響がけっこうあり、改めて海外移住の関心の高さを実感した。「できれば××で暮らしたい」というような声が多いのだが、できるかできないかは結果論なので何とも言えない。しかし、やるかやらないかは自分で決めることができる。
私見ではあるが、帰ってくる場所があり、期間が決まっているならば数カ月から1年という長期であったとしても「旅行」の一種。あまり堅苦しく考える必要はなく、チャレンジしてみればよいのではないかと思う。お金や健康の管理、防犯など、留意すべき点は一般的な旅行とさほど変わらない。
ただし、つまらなかったり、飽きたりしたら、帰国するか別の場所に移動するなどフレキシブルに動ける態勢にしておいたほうがいい。合わないのにただ居続けるのは時間とお金の無駄である。
完全移住の場合はインテグレーションが重要
一方、日本の生活を引き払い、完全に海外に移住するとなると話はまったく違ってくる。この場合は「インテグレーション」ということが非常に重要となる。インテグレーションは「融合」「調和」などと訳されるが、要は地元の人たちとどのくらい楽しくやっていけるかということだ。
過去に海外で暮らしたことがあるなら、どういう人たちと友だちだったか振り返ってみるといい。例えば「1年以上海外で生活したけど、友人は現地在住の日本人ばかり」というならば、日本で暮らすのがいちばんしっくりくるはずだ。なんといっても日本人がいちばん多いのは日本なのだから。
自分が生まれ育ち、言葉や活動制限のない国がいちばん性に合うというのはある意味ラッキーなことだ。その場合は移住を目指すのではなく、旅行として長期滞在するほうがよいのではないかと思う。
インテグレーションは努力である程度カバーできることと、努力だけでは何ともできないことがある。なぜかというと「楽しい」という感情は理屈では割り切れないからである。法的な問題は、なんだかんだ言ってもいろいろやり方はある。しかしインテグレーションの問題はもっと複雑だ。私がポーランドにこだわるのは、ここまでガッツリとインテグレーションできる国はほかにはないと感じるからだ。
自分の人生をつくっていくのは一筋縄ではいかないことが多い。海外ではなおさらだ。行動するのは自分だが、行動の原動力となるパワーをくれるのは周りの人たちだ。プライベートにしても仕事にしても、結局は人、人、人なのである。
https://toyokeizai.net/articles/-/308113
私は子どものころ「お前はダメなやつ」と言われ続けて育ったせいか、とにかく自分に自信がなかった。表面的には隠してみるものの、なにかというとすぐ弱気で否定的な自分が現れる。変わってきたのは45歳を過ぎた頃だろうか。自分はダメなやつかもしれないが、ぬぐい切れない劣等感と闘いながら20年以上、何とか自活してきたのである。その実績が自分自身の心の支えとなった。
場所はポーランドに移ったが、「今までも何とかしてきたから、これからも何とかする」という心構えで臨んでいる。30歳のころの自分だったらそうは思えなかったかもしれない。若くないからこそのメリットもあるのだ。
人脈を広げたことの「効果」
もちろん苦労はあるものの、拠点を移して2年半経っても「ポーランドライフ、楽しすぎる」と感動することがある。最大の理由は、友人関係に恵まれていることだろう。ワルシャワはネットワーク作りのためのイベントが充実しており、筆者もスモールビジネスを立ち上げることを目標としているので、特にスタートアップ系のイベントには行きまくっていた。そのおかげで人脈はかなり広がった。
最近は路上、公園、メトロの駅、バス停など街のいたるところで友人と出くわす。共通の知人がいることは珍しくなく、新たに知り合った人が実は知人のいとこだった、ということもあった。
友人の数が増えただけでなく、関係性も深まっている。うっかり愚痴や不満などこぼそうものなら、よってたかっておせっかいをやいてくれる。例えば、ビジネスの提携先探しに腐心していたとき、友人の1人が弁護士を紹介 しようと言い出した。
実はすでに弁護士の友人・知人は13人もおり、そのときに必要なのは弁護士ではないことを伝えたのだが、それでも彼は紹介する、と譲らない。おせっかい気質のポーランド人らしいエピソードだが、自分のことを気にかけてくれる人たちがいるというのはありがたいことだ。
前回の記事を書いてから、「自分も海外で暮らしたいと思っている」という反響がけっこうあり、改めて海外移住の関心の高さを実感した。「できれば××で暮らしたい」というような声が多いのだが、できるかできないかは結果論なので何とも言えない。しかし、やるかやらないかは自分で決めることができる。
私見ではあるが、帰ってくる場所があり、期間が決まっているならば数カ月から1年という長期であったとしても「旅行」の一種。あまり堅苦しく考える必要はなく、チャレンジしてみればよいのではないかと思う。お金や健康の管理、防犯など、留意すべき点は一般的な旅行とさほど変わらない。
ただし、つまらなかったり、飽きたりしたら、帰国するか別の場所に移動するなどフレキシブルに動ける態勢にしておいたほうがいい。合わないのにただ居続けるのは時間とお金の無駄である。
完全移住の場合はインテグレーションが重要
一方、日本の生活を引き払い、完全に海外に移住するとなると話はまったく違ってくる。この場合は「インテグレーション」ということが非常に重要となる。インテグレーションは「融合」「調和」などと訳されるが、要は地元の人たちとどのくらい楽しくやっていけるかということだ。
過去に海外で暮らしたことがあるなら、どういう人たちと友だちだったか振り返ってみるといい。例えば「1年以上海外で生活したけど、友人は現地在住の日本人ばかり」というならば、日本で暮らすのがいちばんしっくりくるはずだ。なんといっても日本人がいちばん多いのは日本なのだから。
自分が生まれ育ち、言葉や活動制限のない国がいちばん性に合うというのはある意味ラッキーなことだ。その場合は移住を目指すのではなく、旅行として長期滞在するほうがよいのではないかと思う。
インテグレーションは努力である程度カバーできることと、努力だけでは何ともできないことがある。なぜかというと「楽しい」という感情は理屈では割り切れないからである。法的な問題は、なんだかんだ言ってもいろいろやり方はある。しかしインテグレーションの問題はもっと複雑だ。私がポーランドにこだわるのは、ここまでガッツリとインテグレーションできる国はほかにはないと感じるからだ。
自分の人生をつくっていくのは一筋縄ではいかないことが多い。海外ではなおさらだ。行動するのは自分だが、行動の原動力となるパワーをくれるのは周りの人たちだ。プライベートにしても仕事にしても、結局は人、人、人なのである。
https://toyokeizai.net/articles/-/308113