彡⌒ミ  独立路線にかける「湘南アイパーク」
 (´・ω・`) 武田薬品から「切り離し」、テナント企業は集まるか

「湘南アイパークについて、『武田の』という書き方はやめていただけないか」
武田薬品に湘南アイパークについて問い合わせると、広報担当者からそのような注文が付くことがある。湘南アイパークとは、武田の旧湘南研究所を改称し、18年4月に開所した「湘南ヘルスイノベーションパーク」(神奈川県藤沢市)のことだ。
開所式には武田のクリストフ・ウェバー社長が出席し挨拶するなど、傍から見れば「武田の」研究所のリニューアルに思えるのだが、違うと言う。
確かに改称して以来、本社とは別に広報があり、報道資料も武田を主語とせず、湘南アイパークとして独自に発表する体制が敷かれている。
この体制が武田にとって重要な研究所なので専門の広報担当者を置きました、という理由ならあまり気にしないのだが、どうやら異なるらしい。湘南アイパークの武田からの「切り離し」。根底にあるのは、そのような動きだ。

■「一石二鳥」の改革

旧湘南研究所が竣工した7年前の11年2月、この施設は紛れもなく武田が誇る世界最大規模の研究所としてスタートした。大阪・十三研究所とつくば研究所を移転・統合し、約1200人の研究者を湘南に集結。
糖尿病薬「アクトス」などの特許切れによる収益落ち込みを補う、新薬創出を担う一大拠点との位置付けだった。
だが、湘南研究所は期待外れだった。当時社長の長谷川閑史氏は、研究所について、外部の技術やアイデアを組み合わせて新たな価値を見出す「オープン・イノベーション」(OI)戦略を掲げていたが、名ばかりで閉鎖的。
そして、その後、相次いだのが抗がん剤や糖尿病薬の開発中止だった。長谷川氏は、ほどなくして所内幹部を中心にしたリストラに踏み切る。

そのような湘南研究所にメスを入れたのが、14年に社長に就任したウェバー氏だった。といっても改革という名の下に断行したのは長谷川氏と同じリストラ。ただし、長谷川氏と違ったのは、研究員をOI戦略に乗せながら、リストラを進めたことだ。
ウェバー氏は16年8月、グローバル研究拠点の再編を発表。研究拠点を日本と米国の2ヵ所に集約する方針を明らかにし、研究の重点領域のうち「がん」「消化器系疾患」を米ボストンの研究所が、「中枢神経」「再生医療」を湘南が担う方針を明確化にした。
そのうえで湘南で関しては、施設を外部に開放。大学やベンチャーにテナントとして入居してもらい、研究員の交流の場にする構想を打ち出した。それが湘南アイパークだった。
創薬の自前主義など過去のもので、米国では新薬の6割は、大学やベンチャーといった外部の研究がもとになっている。本体の研究組織をスリム化し、外部との交流を盛んにすることで創薬に結びつける戦略は当然の流れではある。
目標とする入居企業は23年度までに200社。武田はその入居企業の先例として、湘南研究所で働く研究者らに創薬支援や受託試験、がん治療薬の研究開発など、テーマごとにベンチャーを立ち上げてもらい入居を促す方策をとった。
リストラとOIの推進という一石二鳥の手法だ。
例えば創薬支援を専門とする「アクセリード」は武田の100%子会社として、約250人の研究員を抱えて独立。同じく「スコヒアファーマ」も、武田から糖尿病や高血圧の新薬候補を引き継ぎ約50人が離れた。
そのようなベンチャー設立などで、湘南研究所の頃に約1000人いた武田所属の研究員は半分の約520人にまで激減。一方で、武田発ベンチャーが11社(18年12月時点)誕生し、次々と湘南アイパークへと移った。

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