0001名無しさん@お腹いっぱい。2018/08/06(月) 21:21:36.29ID:LMmMg0VZ
死の覚悟と悪運
戦時中の1945年(昭和20年)、座骨神経痛を病み、郷里山口で保養中だった。
ところが同年鈴木貫太郎内閣で内務大臣になった同郷の安倍源基から
「非常時だから何かやってくれ」「新設された(全国8ヵ所に置かれた)地方総監府の長官を引き受けてくれ」と言われた。
岸は「分かった。しかし場所は山口から近い広島にして欲しい」と答えると
「広島は昨夜内務省の先輩の大塚惟精を決めたばかりなので、他はどこでもいいけれど広島は困る」と言われ、この話は流れた。
大塚はこの数ヶ月後広島市への原子爆弾投下で被爆死した。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%B8%E4%BF%A1%E4%BB%8B
すでに安倍晋太郎は生まれてるが、仮にこれで岸信介が死んでたら
創価学会とその二代戸田城聖会長(岸信介の親友だった)は一体どうなってしまってたのか
戦時中の1945年(昭和20年)、座骨神経痛を病み、郷里山口で保養中だった。
ところが同年鈴木貫太郎内閣で内務大臣になった同郷の安倍源基から
「非常時だから何かやってくれ」「新設された(全国8ヵ所に置かれた)地方総監府の長官を引き受けてくれ」と言われた。
岸は「分かった。しかし場所は山口から近い広島にして欲しい」と答えると
「広島は昨夜内務省の先輩の大塚惟精を決めたばかりなので、他はどこでもいいけれど広島は困る」と言われ、この話は流れた。
大塚はこの数ヶ月後広島市への原子爆弾投下で被爆死した。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%B8%E4%BF%A1%E4%BB%8B
すでに安倍晋太郎は生まれてるが、仮にこれで岸信介が死んでたら
創価学会とその二代戸田城聖会長(岸信介の親友だった)は一体どうなってしまってたのか