>>69のつづき
尾木ママ、教員生活44年に別れ 今後は広報活動に   [2017年3月23日12時21分 紙面から]


 元々は教師になる気は、みじんもなかった。むしろ嫌いだった。

 「高校1年の時に、ばかばか殴る体育の教師に反抗してね。そしたら『お前、授業受けるな』って言われて。
『はい、受けません』っていって、ずっと受けなかったの(笑い)。そしたらね、単位くれなかったの。
その1月に父親が滋賀から四国に転勤になって、編入試験を受けたんですよ。
そうしたら受けた学校から呼び出されて『君は(編入試験の)受験資格はないですよ』って言われたの。
成績証明を見せられて『前の学校であなたは単位を全部習得してない。1年生を修了できていない』と。2
年に編入させるわけにはいかない、ただし1年生をもう1回やるなら、入ってもいいよ、って言うんですよ。
で、1年生を、もう1回やった。というような事で、とにかく嫌な思い出しかないんですよ。学校の先生に対しては」

 教師になる気は全くなかったが、早大の教育学部に進学した。

 「周りの皆が、4000円出して教職(課程)取るっていう流れになってたから、僕も取った。
就職の時、僕はジャーナリストになりたかったんですよ。
そうしたら、うちのおふくろが『あんたは教師が向いてる』って言うんですよ。先生に嫌な思いをさせられてるから、
不良とか、不登校の子とか、そういう子の気持ちがよく分かる、とね。で、なるほどー、理屈にあってるなあと思って(笑い)」


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