麺の身長を晒すスレ-第二章
TERU 170
TAKURO 182
JIRO 168
HISASHI 162
KEN 178
YUKIHIRO 165
TETSU 168
HYDE 164 MERRY
結生 168
健一 170
テツ 187
ガラとネロ忘れたwww 鹿児島県・奄美大島沖の東シナ海で23日、鹿児島市の喜入町漁協所属のはえ縄漁船「春日丸」が転覆し、
2人が行方不明になった事故で、救助された乗組員4人の話などから、転覆や漂流の状況が判明した。
乗組員4人と25日に面会した漁協の山崎力組合長(67)らの話によると、
遭難信号が発信された23日午後3時20分の直前、奄美沖を航行中の春日丸を右舷から大きな波が襲った。
当時の波高は2〜2・5メートル。船は大きく傾き、ほんの数分で横倒しになった。
操舵室にいた機関長の村田勉さんは遭難信号を発信。急激に海水が入り込み、北川勝人船長は救命胴衣を着る指示を出す余裕もなく、脱出するだけで精一杯だったという。
転覆直後、北川船長ら乗組員6人は救命いかだに乗り移ったが、転覆の衝撃で破損したのか、少しずつ空気が抜けていった。
いかだを諦め、北川船長と下池力さんは浮輪や木枠をつかんで漂流。村田さんら他の4人は発泡スチロールや漁具などをロープで体に縛り付け、離ればなれにならないように互いに繋いだ。
荒れた海で4人は漁船からどんどん遠ざかり、そのうちにサメの群れに襲われた。
現場海域には、獰猛なイタチザメなどが生息しており、村田さんは両脚を噛まれながらも、体長1メートルほどのサメ2匹と格闘し、両腕で締め付けるなどして殺したという。
村田さんらは「絶対全員で生きるぞ」と声をかけ合って救助を待ち、約7時間後、巡視船「かいもん」のゴムボートに一旦救助された。
しかし、ボートを巡視船に引き揚げる際、松山和則さんと佐々木弘さんが転落して行方不明となった。
一方、北川船長と下池さんは転覆から約15時間後の24日午前6時17分頃、巡視船「くだか」の潜水士に発見、救助された。
アトレティコ・マドリーのウルグアイ代表FWディエゴ・フォルランは、
チャンピオンズリーグ公式マガジンとのインタビューで、
2003−04シーズンまで所属していたマンチェスター・ユナイテッドを退団した当時のエピソードを明かした。
本人の語ったところによると、退団の引き金となったのは“スパイクのスタッド”だったという。
当時、プレミアリーグのチェルシー戦で、芝がかなり濡れていたことを理由にマンUのアレックス・ファーガソン監督が
「長いスタッドを使うよう」選手たちに指示したことがあった。
ところが、長いスタッドを好まなかったフォルランは監督の指示を無視。
短いスタッドのスパイクをはいて試合に臨んだ。
しかし、ゴールチャンスを前に足を滑らせてしまい、これが監督の怒りを買ったという。
本人は当時をこう振り返っている。
「ファーガソン監督の目を欺くことはできない。あの日、選手たちは長いスタッドのスパイクを履くよう指示されていたが、
僕は短いスタッドを使用していた。スパイクを変える理由は納得できるものだったが、結局、僕は指示に従わなかった。
そして試合中、相手ゴールの近くで足を滑らせて、絶好のチャンスを逃してしまったんだ。
ファーガソン監督は僕のスパイクを取り上げ、そのまま捨てたんだ。
そして、あの試合が、僕のマンUでの最後の試合となったんだ」