会津戊辰戦争・戸ノ口原の戦い
日向内記と白虎隊の真相
富田国衛著

白虎隊は敵の襲撃で散り散りとなり
戦死した者5名。隊長以下17人は
無事に城に帰還した。飯沼氏のグループは
飯盛山にたどり着きその内、飯盛山で
自刃したのは飯沼氏を含めて7人だけ。
他は「城に帰ろう」と山をおりたが 滝沢口で官軍に遭遇して撃たれて戦死した者
「捕らえられるよりは」と他の場所で
自刃した者。無事帰還した者もいた。
飯盛山の「建碑・慰霊祭」の発起人には 白虎隊士の生き残り6人も名を連ねているが
その趣意書には「戸ノ口原に屍をさらし 生き残った者僅かに19名。全員が飯盛山で
自刃した」となっているという。
生存者も全員戦死、自刃になってしまったのだ。
これは、白虎隊の悲劇をことさらに
宣伝するための作為だったと言わざるを得ない。
太平洋戦争の映画で「全員玉砕と本部に
通信したのに、生存者がいてそれは困ると
自決を強要する」ドラマがありました。
白虎隊も「全員自刃でなければ困る」
というのです。全くアホらしい。