外国人が語る日本の特別感とは @

12月の東京。丸の内のイルミネーションが街を金色に染め、
人々の足音が石畳に軽やかに響いていた。

藤原直樹は東京駅の丸の内口を出て前回と同じ路地裏の居酒屋へと
向かっていた。暖簾をくぐると気の香りと出汁の匂いがふわりと漂う…

既に大学時代の研究仲間が4人が席に着いていた。
「直樹、遅いぞ」と笑ったのは佐伯悠真。

「いや、丸の内の人混みが凄くでさ」直樹が席に着く。

乾杯の後、佐伯が切り出す。
「江戸時代の日本って、外国人から見ると完成された社会に見えた
らしいよな。治安も良くて、庶民が楽しそうに暮らしていたって…」

「あの頃の江戸は世界最大の都市だったし、識字率も高かった。
信頼が社会の前提になっていたから、外国人には驚異的に見えたんだよ」
高橋がグラスを回しながら続ける。

「警戒心がなく正直者でお人よし。よく笑う人々って記録が残っている。
あれは性格じゃなくて、社会の仕組みがそうさせていたんだ」
僕は頷き熱燗を口に運ぶ。

村上が「何を生きる手段にしてきたかということなんじゃないかな。
日本は長い間、外からの侵略がほとんどなかった。社会の中で敵を

警戒する文化が育ちにくかった。相手を疑うよりも、まず信じる。
和の精神や空気を読むといった信頼関係が築きやすかった。

それに比べて大陸は侵略と略奪の歴史。陸続きというのもある。
攻められる前に攻める。奪われる前に奪う。国境が常に変動する」

続けざまに村上は熱ぽく語る。
「大陸は陸続きで常に他国からの侵略、略奪に怯えながら生きる。
統治には軍事力や権力が不可欠。要するに力で秩序を維持する力関係。

平気で嘘をつくのも、嘘をつくことが合理的になる環境下では人は手段
として嘘をつく。騙す騙される正直者がバカを見る環境下ではそうなる。

陸続きで侵略と略奪の歴史的背景、理不尽で不条理な環境を生き延びる
為の手段としての嘘、駆け引き、はったりが生存戦略として発達しやすい。
もうこれは長年の遺伝子レベルで刻み込まれている可能性がある。

それに比べて島国で村社会の共同体の秩序だった社会。日本は嘘をついても、
すぐばれるし評判と信頼関係が優先的に高い社会だったため正直者である

ことが美徳とされた。嘘一つとってもその地域に根差した環境や文化の
違いはある。理不尽で不条理な社会では嘘は武器であり盾にもなる」
と村上が熱弁で語る。