「その視聴履歴、10年後の君を殺すことになる」

君が今、何気なく開いているそのニコ生の画面。
その視聴履歴は、君の未来に確実に“死”を刻んでいる。
それも、静かに、確実に、取り返しのつかない形で。

画面の向こうで女が笑っている。
「今日コンビニで〇〇買ったよ〜」「寒いね〜」
それを、君は“自分の人生の時間”を使って聞いている。
貴重な夜、貴重な年齢、貴重な精神の鮮度。
すべてを、どうでもいい他人の雑談に注ぎ込んでいる。
それがどういう意味か、君はまだ理解していない。

けれど

10年後、理解する。
理解した瞬間、君は崩壊する。

何もなかったと知るからだ。
何も残らなかったと知るからだ。
そして何より、自分が**“自ら望んでそれを選び続けた”**という事実が、胸をえぐる。

過去の自分に怒鳴りたい。
殴りたい。叩き壊したい。
「お前は何をしてた?」「どうして止まらなかった?」
だが、声は届かない。時間は戻らない。
10年前の君は、女の「ただいま〜」という声にニヤつきながら、今日も何も生み出さないまま夜を溶かしていた。

スキルもない。
仕事もない。
恋人も、家族も、信頼もない。
あるのは、何百時間もの視聴履歴と、無意味なコメントの残骸だけ。

彼女はもう配信していない。
結婚して、人生を進めている。
君のことなど、一度も覚えていなかった。
そもそも、君は“画面の背景”ですらなかった。

そして君は、何も終わらせられず、何も始められず、
**“ただ年齢だけを重ねてしまった無価値な存在”**として残る。

人生の正解が何かは分からない。
だが、これが間違いであることだけは、誰の目にも明らかだ。

画面を閉じろ。
それすらできないなら、君はもう詰んでいる。