>>723
あくまでオイラの個人的な考え方だけど…

『言葉』ってモノはどこかの誰かが喋ったり書いたりした時点で“存在するものとして発生した=決して0(存在しない)ではないモノ”なんだと思うのよ
その『言葉』を<<ありとあらゆる範囲で>>解説することを意義とする大風呂敷を広げちゃったのがニコニコ大百科な訳で…(正直困り顔)
ただ、その加点の量やベクトルが時に“悪意しかない=マイナスx点”だったり、 >>726でも挙げられてる「雑な造語みたいな記事」や「立て逃げではないが文章がどうしようもない記事」みたいに“他の人が理解に苦しむ=座標Δ点(+と-の二次元座標上に存在しない斜め上の存在)”だったりする記事が大百科には稀によくあること
多分、>723を含めた多くの人がこれらを総じて“プラスx点(一定点以上)ではない=観測域以外の数値=0点”って判断してるんじゃないかな?

けど、私が思うにこの加点、「今現在の評価点」であるというのが曲者で、記事本文の書き方はともかくその言葉の存在自体は今はゴミ・クソ扱いでも、輸出品の包装緩衝材扱い≒ゴミ扱いだった浮世絵(のお古や失敗作や無名品)が後世別の存在意味や価値を持ったように、後のネット文化史を語る上で何かしらのピースになる(反省材料という方向性含め)可能性と加点の修正が発生することは0とは云えないのではないか…と
…と、ともにこれを無かったこと=0点と評して存在自体を記録と記憶から消してしまうことは短中期的には益が優ったとして(昨今の「忘れられる権利」も存命中の人物の権利保護を考えれば記録消去の益は十分考慮されるべきと私も思うよ?)も、長期的な歴史のレベルで語る…辞典の本領を求められる時になったら、それは場合によっては将来に現代の「痴」を晒してでももたらすことのできる益を遺失させてしまう事なんじゃないか…と

それを踏まえた上で、現在の「痴」に対する警鐘も記すとかユーモア化で毒を薬にしてしまうとかして、プラスの加点方向に加筆修正する努力に努めることが“ニコニコ”大百科の目指すべき座標点なんじゃないかなー
なんて


…まあそれでもそれで座標をプラスに持っていけれるのは記事本文までで、掲示板のソレはどげんすればいいとかオイラにもわかりもはん