しかし今のままじゃあくあは1年後くらいにはこのコピペ見たいな感じで語られそうだな

條辺剛さん 【あの人は今こうしている】
東武東上線・上福岡駅近くで讃岐うどん屋を

 22日、巨人が東京・銀座で優勝パレードを行った。原監督が就任1年目で日本一に輝いた
02年以来だったが、その年、現レッドソックスの岡島秀樹投手とともに“勝利の方程式”の
一翼を担い、優勝に大きく貢献した中継ぎ投手がいた。條辺剛さんだ。肩の故障から、
05年に24歳の若さで引退した條辺さん、今どうしているのか。

●暖簾の屋号の文字は長嶋茂雄終身名誉監督の手によるものだ

「いらっしゃ〜い」。東武東上線上福岡駅東口から歩いて3分。「讃岐うどん 條辺」のえび茶色
の暖簾をくぐって店内に入ると、白いタオルを頭に巻いた條辺さんの元気な声に迎えられた。

「何にしましょう? ウチは本場の讃岐スタイルのセルフ店なので、揚げたての手作り天ぷらを
お好みで取っていただいて、レジで精算します」

 ツユは冷・温2タイプ、手打ちうどんは1玉380円から。100円からある天ぷらはこの日、
12種類並んでいた。

「去年の4月にオープンしました。暖簾の『條辺』という文字は長嶋茂雄終身名誉監督に左手で
書いていただいたものだし、開店に合わせてスポーツ紙やテレビでも取り上げてもらった
おかげで、県外から足を運んでくださるお客さんが多かったのはうれしかったですね」

 とはいえ、その分、プレッシャーも大きかったという。

「讃岐うどん好きは飛行機に乗って本場・香川県まで食べ歩きに出かける時代でしょ。ボクが
修業した高松の老舗『うどんのなかにし』はコシが強くてモチモチ感があるのが特徴だから、
硬いくらいに歯応えがあるのが讃岐うどんだと信じ込んでる人にはモノ足りないようなんです。
それで怒られちゃったこともあるけど、それも修業のうち。我慢、我慢です」

●朝7時から午後3時まで。「夜までは体がもちません」

 店を訪れたのは午前10時過ぎ。中途半端な時間にもかかわらず、客足は途切れない。
「朝7時開店の午後3時店じまいも讃岐スタイルです。“夜もやってよ”と常連さんに
よくいわれるんですが、うどんを練るのも打つのも、ツユを作るのもボクひとり。
野球で鍛えたといっても、夜までは体がもちません」

 ちなみに、上福岡からは夫人の実家が近い。

 さて、00年、徳島県立阿南工業高校からドラフト5位で巨人に入団した條辺さんは、
2年目には早くも開幕一軍入り。翌02年には当時の守護神・岡島までの中継ぎとして活躍し、
原・巨人初の日本一に貢献した。

「でも、その頃からフォームが原因の肩の故障に悩まされていましてね。
何度も改造を試みては失敗。05年、泣く泣く引退しました」

 そんな折、徳島県出身の先輩で評論家の水野雄仁さんに紹介され、「うどんのなかにし」で
未入籍だった夫人と1年半のうどん修業。その後、開店にこぎつけた。

「去年の11月に長男が生まれ、仕事が終わったら自宅直帰です。子供と毎日遊べて、成長を
肌で感じる喜びを実感してます。地方回りが多いプロ野球選手よりも、うどん屋の店主になって
正解だったんじゃないでしょうか」

ぶっちゃけこのコピペ改変すれば今のあくあに当てはめられるんじゃね?