国会図書館や岩手県立図書館に所蔵されている『南部藩参考諸家系図』によると、藤原秀郷を祖とし、藤原秀郷十一代孫である小山七郎左衛門朝光から系図が記されている。源頼朝公に仕え、後に子孫は甲斐の南部光行公に仕え、代々の南部家の歴代の当主に仕える。承久元年(1219年)の暮れに南部光行公が家族と家臣を連れて由比ヶ浜から出航し、奥州糠部(現在の青森県から岩手県にかけての地域)に至ったという。途中、木村の邑を賜い、木村姓を名乗る。
南部光政公(生没年:1440-1462)に仕えていた木村又六郎政秀の時に戸来郷を賜い、以後戸来姓を名乗り始める。
江戸時代に入り、戸来又左衞門国秀の子たちが六家に分流し、盛岡の南部藩と八戸藩の二つの藩に仕えた。
現在青森の新郷村、五戸町、八戸市、岩手の二戸市、花巻市、盛岡市にみられる名前。
【投稿日】2018/09/26 14:45:05
【投稿者】ぽんたさん
青森県にも多い。青森県の新郷村というところにイエスキリストの墓があり一説によると、ヘブライ語を由来として「へらい」と読む様になったという説がある。
しかし謎が多く本当かはわからない。
【投稿日】2015/11/08 12:51:22
【投稿者】だいまるさん