ドルアン民のアンチ感情の非主体性に就いて

 筆者は、ドルアンに入り浸る以前は「ヤマトイオリ」(以降、ニキと呼ぶ)の配信を普通に楽しんで
視聴していたものであった。しかし、ドルアンを頻繁に閲覧するようになってからニキに対する嫌悪感
や反感が急激に高まり、最早そのガワを見るだけでも苛立ちを感じるほどにまで至った。ところが、筆者
はふと日常の拍子に思ったのである。私は、そもそも元々はガイジの配信を普通に楽しんで見ていた筈
である。その感情の主体性に偽は認められないのである。しかし、ドルアンで「社員」だとか、その他
様々な反対情報を見て、いつの間にか嫌ヤマトイオリの認識に転化されていたのである。
では、果たして、この有吉に対する嫌悪感、反対感情は、真に私の内から生じたものと言えるであろうか。
結局は我々は、自分自身の感情や評価を基準とするのではなく、ドルアンでの評価をあたかも自分自身の
思考処理や検討を経て主体的に演者を評価したかのように錯誤しているのである。ガイジは、改めて同氏
の言動を慎重に検討しても、ただ単に頭が馬鹿なだけであり、そこに悪意などを認める事は恣意的な解釈
と言わざるを得ないであろう。我々は、各々がガイジを主体的に捉え、検討し、評価を下さなければなら
ない事は言うまでもない。ここまで一読下さったドルアン民には、筆者から謝意を述べさせて頂く。