使い回しというか、他の角度から何度も同じ映像にたどり着くことによって、より映像の核心を際立たせる手法ね。
素人がまず敬遠する時系列の横断みたいな表現にも意欲的に取り組んでて、映像手法的にはディゾルブとかオーバーラップと呼ばれたりするけど、そういうのも段々と上手になってるんだよ。
初期は稚拙な部分があったけどね。そういうところが好感持てるんだよな。映画的話法の原初というか、物語を作りたい意欲を強く感じる。
だからこそ、いろいろな反応に気をつかって、温泉に入ったり、試食の動画作ったりする今の感じが残念だと思ってる。
ドキュメンタリー映画におけるフィクションかノンフィクションかの論争には既に答えが出てる。
どれだけ作り込まれたフィクションにも必ず今そこにあるメタ的現実が露呈しているものだし、どれだけ現実をありのままに伝えようとしても、カメラのレンズが対象を捉えた段階から現実は虚構性の中に内包される。
フィクションとは虚構の中の現実。ノンフィクションとは現実の中の虚構なんだよ。
ことの真偽なんかどうでもいい。いい映像を獲得することに全力を挙げるべきだし、既成の映像にもどんどん手を加えて試行錯誤して行くべきだ。