>>32
あずきちはあずきちである。
そうとしか言えない
厳密に言えばあずきちとはキャラクター、いわば絵だけの存在であって喋っているのは別の【声優】である。
意思を持って居るのも、その声優である。だがこれでは前に進まない
あずきちの存在は単に声優の人格、自我によって形成されているわけではないと思うのだ。
つまりあずきちの絵、バーチャルのあずきちにも何らかの意思のようなものがあるのでは無いか?
到底科学的には筋が通っていないがそうとしか言えないと思う。
なぜなら俺らはそうでなければ
【あずきち】が好きなのでは無くて
【あずきちの絵】【あずきちの声優】【あずきちの声優の性格、人間性、人格】が好きと言うことになる。
つまり俺らは無意識のうちにさっき述べた3つの店以外にも【(概念としての)あずきち】を見出して愛しているのである。 
つまりあずきちは概念である。