ようなことがあっても、この恵深い師の承認を得さえすればそれで沢山だとまで思った。 九月は十月になっ
た。さびしい風が裏の森を鳴らして、空の色は深く碧く、日の光は透通った空気に射渡って、夕の影が濃くあ
たりを隈どるようになった。取り残した芋の葉に雨は終日降頻って、八百屋の店には松茸が並べられた。垣の
虫の声は露に衰えて、庭の桐の葉も脆くも落ちた。午前の中の一時間、九時より十時までを、ツルゲネーフの
小説の解釈、芳子は師のかがやく眼の下に、机に斜に坐って、「オン、ゼ、イブ」の長い長い物語に耳を傾け
た。エレネの感情に烈しく意志の強い性格と、その悲しい悲壮なる末路とは如何にかの女を動かしたか。芳子
はエレネの恋物語を自分に引くらべて、その身を小説の中に置いた。恋の運命、恋すべき人に恋する機会がな
く、思いも懸けぬ人にその一生を任した運命、実際芳子の当時の心情そのままであった。須磨の浜で、ゆくり
なく受取った百合の花の一葉の端書、それがこうした運命になろうとは夢にも思い知らなかったのである。 
雨の森、闇の森、月の森に向って、芳子はさまざまにその事を思った。京都の夜汽車、嵯峨の月、膳所に遊ん
だ時には湖水に夕日が美しく射渡って、旅館の中庭に、萩が絵のように咲乱れていた。その二日の遊は実に夢
のようであったと思った。続いてまだその人を恋せぬ前のこと、須磨の海水浴、故郷の山の中の月、病気にな
らぬ以前、殊にその時の煩悶を考えると、頬がおのずから赧くなった。 空想から空想、その空想はいつか長
い手紙となって京都に行った。京都からも殆ど隔日のように厚い厚い封書が届いた。書いても書いても尽くさ
れぬ二人の情――余りその文通の頻繁なのに時雄は芳子の不在を窺って、監督という口実の下にその良心を抑
えて、こっそり机の抽出やら文箱やらをさがした。捜し出した二三通の男の手紙を走り読みに読んだ。 恋人
のするような甘ったるい言葉は到る処に満ちていた。けれど時雄はそれ以上にある秘密を捜し出そうと苦心し
た。接吻の痕、性慾の痕が何処かに顕われておりはせぬか。神聖なる恋以上に二人の間は進歩しておりはせぬ
か、けれど手紙にも解らぬのは恋のまことの消息であった。 一カ月は過ぎた。 ところが、ある日、時雄は
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たよ、男の友達が来るのは好いけれど、夜など一緒に二七(不動)に出かけて、遅くまで帰って来ないことが
あるんですって。そりゃ芳子さんはそんなことは無いのに決っているけれど、世間の口が喧しくって為方が無
いと云っていました」 これを聞くと時雄は定って芳子の肩を持つので、「お前達のような旧式の人間には芳
子の遣ることなどは判りやせんよ。男女が二人で歩いたり話したりさえすれば、すぐあやしいとか変だとか思
うのだが、一体、そんなことを思ったり、言ったりするのが旧式だ、今では女も自覚しているから、為ようと
思うことは勝手にするさ」 この議論を時雄はまた得意になって芳子にも説法した。「女子ももう自覚せんけ
ればいかん。昔の女のように依頼心を持っていては駄目だ。ズウデルマンのマグダの言った通り、父の手から
すぐに夫の手に移るような意気地なしでは為方が無い。日本の新しい婦人としては、自ら考えて自ら行うよう
にしなければいかん」こう言っては、イブセンのノラの話や、ツルゲネーフのエレネの話や、露西亜、独逸あ
たりの婦人の意志と感情と共に富んでいることを話し、さて、「けれど自覚と云うのは、自省ということをも
含んでおるですからな、無闇に意志や自我を振廻しては困るですよ。自分の遣ったことには自分が全責任を帯
びる覚悟がなくては」 芳子にはこの時雄の教訓が何より意味があるように聞えて、渇仰の念が愈※(二の字
点、1-2-22)加わった。基督教の教訓より自由でそして権威があるように考えられた。 芳子は女学生
としては身装が派手過ぎた。黄金の指環をはめて、流行を趁った美しい帯をしめて、すっきりとした立姿は、
路傍の人目を惹くに十分であった。美しい顔と云うよりは表情のある顔、非常に美しい時もあれば何だか醜い
時もあった。眼に光りがあってそれが非常によく働いた。四五年前までの女は感情を顕わすのに極めて単純で
、怒った容とか笑った容とか、三種、四種位しかその感情を表わすことが出来なかったが、今では情を巧に顔
に表わす女が多くなった。芳子もその一人であると時雄は常に思った。 芳子と時雄との関係は単に師弟の間
柄としては余りに親密であった。この二人の様子を観察したある第三者の女の一人が妻に向って、「芳子さん
が来てから時雄さんの様子はまるで変りましたよ。二人で話しているところを見ると、魂は二人ともあくがれ
Slot >>659
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