とも出来ずに、終夜運転の電車に一夜を過したということ、余り頻繁に二人が往来するので、それをそれとな
しに注意して芳子と口争いをしたということ、その他種々のことを聞いた。困ったことだと思った。一晩泊っ
て再び利根の河畔に戻った。 今は五日の夜であった。茫とした空に月が暈を帯びて、その光が川の中央にき
らきらと金を砕いていた。時雄は机の上に一通の封書を展いて、深くその事を考えていた。その手紙は今少し
前、旅館の下女が置いて行った芳子の筆である。先生、まことに、申訳が御座いません。先生の同情ある御恩
は決して一生経っても忘るることでなく、今もそのお心を思うと、涙が滴るるのです。父母はあの通りです。
先生があのように仰しゃって下すっても、旧風の頑固で、私共の心を汲んでくれようとも致しませず、泣いて
訴えましたけれど、許してくれません。母の手紙を見れば泣かずにはおられませんけれど、少しは私の心も汲
んでくれても好いと思います。恋とはこう苦しいものかと今つくづく思い当りました。先生、私は決心致しま
した。聖書にも女は親に離れて夫に従うと御座います通り、私は田中に従おうと存じます。田中は未だに生活
のたつきを得ませず、準備した金は既に尽き、昨年の暮れは、うらぶれの悲しい生活を送ったので御座います
。私はもう見ているに忍びません。国からの補助を受けませんでも、私等は私等二人で出来るまでこの世に生
きてみようと思います。先生に御心配を懸けるのは、まことに済みません。監督上、御心配なさるのも御尤も
です。けれど折角先生があのように私等の為めに国の父母をお説き下すったにも係らず、父母は唯無意味に怒
ってばかりいて、取合ってくれませんのは、余りと申せば無慈悲です、勘当されても為方が御座いません。堕
落々々と申して、殆ど歯せぬばかりに申しておりますが、私達の恋はそんなに不真面目なもので御座いましょ
うか。それに、家の門地々々と申しますが、私は恋を父母の都合によって致すような旧式の女でないことは先
生もお許し下さるでしょう。先生、私は決心致しました。昨日上野図書館で女の見習生が入用だという広告が
ありましたから、応じてみようと思います。二人して一生懸命に働きましたら、まさかに餓えるようなことも
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書いてあって、父母に願って許可を得たならば、東京に出て、然るべき学校に入って、完全に忠実に文学を学
んでみたいとのことであった。時雄は女の志に感ぜずにはいられなかった。東京でさえ――女学校を卒業した
ものでさえ、文学の価値などは解らぬものなのに、何もかもよく知っているらしい手紙の文句、早速返事を出
して師弟の関係を結んだ。 それから度々の手紙と文章、文章はまだ幼稚な点はあるが、癖の無い、すらすら
した、将来発達の見込は十分にあると時雄は思った。で一度は一度より段々互の気質が知れて、時雄はその手
紙の来るのを待つようになった。ある時などは写真を送れと言って遣ろうと思って、手紙の隅に小さく書いて
、そしてまたこれを黒々と塗って了った。女性には容色と謂うものが是非必要である。容色のわるい女はいく
ら才があっても男が相手に為ない。時雄も内々胸の中で、どうせ文学を遣ろうというような女だから、不容色
に相違ないと思った。けれどなるべくは見られる位の女であって欲しいと思った。 芳子が父母に許可を得て
、父に伴れられて、時雄の門を訪うたのは翌年の二月で、丁度時雄の三番目の男の児の生れた七夜の日であっ
た。座敷の隣の室は細君の産褥で、細君は手伝に来ている姉から若い女門下生の美しい容色であることを聞い
て少なからず懊悩した。姉もああいう若い美しい女を弟子にしてどうする気だろうと心配した。時雄は芳子と
父とを並べて、縷々として文学者の境遇と目的とを語り、女の結婚問題に就いて予め父親の説を叩いた。芳子
の家は新見町でも第三とは下らぬ豪家で、父も母も厳格なる基督教信者、母は殊にすぐれた信者で、曽ては同
志社女学校に学んだこともあるという。総領の兄は英国へ洋行して、帰朝後は某官立学校の教授となっている
。芳子は町の小学校を卒業するとすぐ、神戸に出て神戸の女学院に入り、其処でハイカラな女学校生活を送っ
た。基督教の女学校は他の女学校に比して、文学に対して総て自由だ。その頃こそ「魔風恋風」や「金色夜叉
」などを読んではならんとの規定も出ていたが、文部省で干渉しない以前は、教場でさえなくば何を読んでも
差支なかった。学校に附属した教会、其処で祈祷の尊いこと、クリスマスの晩の面白いこと、理想を養うとい
うことの味をも知って、人間の卑しいことを隠して美しいことを標榜するという群の仲間となった。母の膝下
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