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その後

617年に李淵が隋を滅ぼして翌年に唐を建国し、長安は西アジアやインドからの使節や商人が
集まる国際都市となり、長安を中心にさまざまな商品や知識が日本を始め東アジア各地に広まっていった。
これをうけて遣隋使は遣唐使と改称され、9世紀前半まで交流が続くが、
唐は遣唐使を朝貢として記録した[9]。この間日本は新羅との関係が悪化し、
朝鮮半島をめぐる地域情勢が不安定になると日本は渤海との交流を深めていった。
渤海は薬用人参や毛皮など、日本からは絹・綿などを輸出した。