ブサヨだった時代に某所で見かけた文章(一連のネトウヨ分析のひとつ)だが、なにか参考になるかな

『ちなみに、いちばん自己愛が肥大しやすいタイプは、小さい頃に「いい子だった」「手がかからなかった」と言われているタイプだ。
もちろん、そう言われているすべての人がそうと言う訳ではないが。

ここで決定的なのは、親や周囲からありのままの自分でいることを否定されるか無視されるかして、
なおかつ大人の言う事をちゃんと聞いた時の「いい子」な時の自分だけを評価されてしまった経験を持つことだ。

そういった人は、「ほんとうの自分」が周囲(社会)では受け入れられないと思い込んでしまい、
次第に「いい子」として評価される「にせものの自分」という仮面を演じるようになる。
「ほんとうの自分」が周囲(社会)から受け入れられないため、「にせものの自分」は承認欲求が強い。
なぜなら、その「にせものの自分」は、誰かしらから「いい子」だと思われていること、
またはそう思われただろうということを確信している時だけが、自己肯定感を得られる唯一の安息の場だからである。
だからこそ、そうした人はますます「にせものの自分」を演じることにのめり込むようになっていく。

なぜそんなことをするのかというと、「ほんものの自分」が傷つかないようにするためである。
しかしアイデンティティーというものは、傷つきながらはじめて成長していくものだから、傷つくことを恐れてそれを回避しつづける、
いわば成長しないままのアイデンティティーは必然的に幼稚で、つねに全能感を感じていたがる(他人からの賞賛を求めたがる)がために、
他者からの眼差しにも敏感にならざるを得ない。また、これが、ある種の人間の傷つきやすさを形成する原因のひとつにもなっているといえる。

そして、とうとう「ほんとうの自分」は、独りで没頭できる趣味か、動物や植物と二人きりの時にしか顔を出せなくなってしまう。
それならまだ良いほうで、それすら無い人は、必然的に「ほんとうの自分」がまったく表に出せなくなってしまう。
しかし、あまりに抑え込まれた自我は爆発せざるを得なくなり、そういった人は精神病のリスクが跳ね上がる。
実際、統合失調症患者は子供時代、「いい子だった」「手がかからなかった」という人が多いそうだ(病前性格)。

そもそも自分を「ほんとうの自分」と「にせものの自分」に分けなければならない時点で、すでに自我の形成には失敗しているといっていい。
なぜならしっかりとした自我を持った人間は、たとえ傷つくことがあっても「それは「にせものの自分」だ、
だから「ほんとうの自分」は傷ついてなんかいないのだ」と現実逃避をする必要はなく、その傷と正面から向かいあって、成長していくことができるからである。』