「全体主義社会」の疑似体験をしているようだ

 端的にいえば、今日のネットの息苦しさは、ネットが人びとに対して「全体主義社会がどのようなものか」を疑似的に体験させているからこそ生じている。

 現在のインターネットは、全体主義社会がじわじわと浸透する社会での暮らしがどのようなものなのかを体感させてくれるシミュレーションゲームのような状況になりつつある。
10年前の私に言ったら信じてもらえないだろうが、これが現実だ。

 「現実はクソ、ネットこそ救い」だった世界は遠くに過ぎ去り
「やっぱり現実の方がいいよね」となりつつある。
人びとは、つながりすぎたがゆえに、お互いと手を取り合えなくなった。

むかしはネットの方が自由で、現実じゃ言えないことを言いあえるような空間だと思ってたんだけど、
最近だと 『その話はネットで言うのはまずいから、オフで会ったときに話そう』 ってな具合になってきて、
もうネットをやってる意味なんかないなと思うようになってきた

そう語る彼は、ひと昔前までSNSでもそれなりに発信していた、なおかつそれなりのフォロワー数と知名度のある人物だったが、
最近では数カ月に1回程度の発信になっていた。
彼にかぎった話ではない。
「結局は現実のつながりがどれだけありがたいものなのかわかった」
「ネットのつながりは現実のつながりを代替できない」といった声が、ちかごろ私の周囲でどんどん聞こえるようになってきた。
皆さんの周囲でもそうではないだろうか。