世間には、本当の相手の気持ちなど考えずに、考えたつもりになっただけで、実際には自分の短絡的な感情のみで善悪、その他の判断する人がいる。

人は間違いを犯す生き物だ。そして冷酷な生き物でもある。
そうならないように、道徳や学問を学ぶ。

間違いをしてしまった場合、人によってはその場から遠ざかったり、触れないでいたりする場合がある。そっとしておいて欲しいのだ。

そして、事実も分からずに、その人を擁護し、反対側の人を非難する人達がいる。
これは、一見すると「正義の味方」に見える。
ところがそれは、擁護されている側にとっては「余計なお世話」でしかない。
多々事由など有り事実を語りたくないのに、擁護者はそれに気付かずに、その人をどんどん追い詰めて行っているのだ。既に反省し過ぎな程反省しているにも関わらず。地獄。

更にも増して、その擁護者達は、謂れのない非難を反対側の人に行った事になる。
つまり、その擁護者達は、双方に最低の行為を行っているのだ。

自分が愚かにも人間の冷酷な部分を剥き出しにしている事や、既に周りにそう思われている事さえ気付いていない。判断力の無さも、理性の弱さも知られてしまう。そう、自分で自分を不幸にしているにも関わらず。

この手の人は、遅きにして気付いた時、「謝るだけ」の場合が殆ど。だが他の心が分からないので、自分で行った行為の回復方法も分からない。
人生その繰り返し。相手の心は戻らないままだ。

正しい世界の中では「最低の人間」と呼ばれないようにしたいものだ。