先述のアーサー・クロック記者はFDRの対日禁輸政策を責めている。
あの政策が両国間の緊張を高め、日本を対米戦争に追い込んだ。そう主張しているのである。

イギリスが日本に対して禁輸などすれば、東アジアの植民地の防衛などできるはずはなかった。香港も、シンガポールも、マラヤも、北ボルネオも
イギリスは守ることなどできない。それにもかかわらず、米、石油、錫など日本の必要とする商品の供給を止めたのである。
そうした原料の輸入が止まってしまえば、日本は一等国としての地位を保全できなくなる。

たしかに日本は中国との間で宣戦布告なき戦いを4年にもわたって続けていた。
しかしソビエトも、日本と同じようにフィンランド、ポーランドそしてバルト三国に侵攻しているではないか。
わが国はそのソビエトには何も言わず同盟関係を結んだ。

これに比べ日本は満州を除く中国そしてベトナムからの撤退も検討していた。南下政策採らないという妥協の準備もあった。
あれほど強力な国である日本にこれ以上の条件をわが国は要求できただろうか。
天皇裕仁も近衛首相も和平維持のために信じられないほどの譲歩をしようとしていたのである。

日本は小さな国である。人口は8千万ほどで、その国土はカリフォルニア州にも満たない大きさである。
日本は天然資源が乏しく、その上、つねにソビエトの脅威に晒されていた。
天皇は道義心にあふれていた(a man of honor)。そして平和を希求していた。