神との合一の真理こそパウロの信仰の中核だ 
2021-03-13 04:00:00 | ローマ帝国滅亡の先を見たパウロの生き方
https://blog.goo.ne.jp/biblelandtakasima/d/20210313

>律法を守らないのは、呪われるのですから、神から忌み嫌われ、呪われたくはありません。

※この人の“フリップフロップ”系の発信には同意しないが、今回のこの箇所には同意。

↓ちなみに、

聖霊の働きの確証
2020年01月30日 22時32分37秒
https://ameblo.jp/leo085/entry-12571352172.html

神を愛しているなら、神の掟も守るはずです。そのことを直弟子のヨハネも書いていました。神の律法、掟、戒めを守るのは神に服従している結果なのであり、自分自身を義としたいがためではないからです。
逆に、神の律法、掟、戒めを守らないのは神に従っていない証拠となり、口先だけで信仰を言い表しても嘘つきの反キリストでしかないのです。
主イエスはモーセの律法を廃止するためではなく完成するために地上に来られ、天地が消えるまで律法から一点一画も消えることはないと断言されたにも拘らず、自称キリスト者らは勝手にモーセの律法がすべて廃止されたものとして信じ、
地上の諸教会の教理を信じ、キリストや直弟子たちが行うように命じてもいない異教由来の行事(クリスマスやイースター等)を嬉しそうに行い、日曜日が安息日と勘違いして本物の安息日を破って蔑ろにして太陽神崇拝に繋がる日曜礼拝をして背教しています。
このように、世間に多くいる自称キリスト者らは主イエスの教えに留まらないどころか真逆のサタンの教理を信じて虚偽を吹聴する反キリストなのです。
キリスト者であるからには主イエスに従う者で、主イエスの御言葉や御命令を守って行いで示している者でなければならないからです。
しかし、世の多くの自称キリスト者らは肩書きばかり主張し、地上の諸教会の教会籍や役職等を自慢したり、中身がまったく伴わない虚飾ばかりの人間です。
多くの人間は信仰と声高に言いながらも、行いが伴わず、信仰と行いは表裏一体なのに、それを違うものとして切り離していますが、これは大きな間違いです。信仰と行いは別物と性懲りも無く言い続ける人間は悪霊に支配されています。
しかし、主イエスの羊である兄弟たちは、私が言っていることに同意するでしょう。なぜなら、これが真理だからです。