「諸侯たのむに足らず、公卿たのむに足らず、草莽志士糾合義挙のほかにはとても策これ無き事と、
私ども同志うち申し合いおり候事に御座候。
失敬ながら、尊藩も弊藩も滅亡しても大義なれば苦しからず」

こう言っていた久坂玄瑞も、最期は公家に頼り、元の関白・鷹司輔煕邸に赴き、
朝廷に上奏して、長州藩の罪を許してくれるよう嘆願するも拒絶され、
鷹司邸で自害して果てたんだから皮肉なものだ。