西暦1419年6月19日 応永の外寇(おうえいのがいこう) ※韓国が「対馬も我が領土」と主張する根拠

朝鮮 精鋭部隊1万3000人 周到に侵攻準備し、さらに対馬へ奇襲上陸、住民を虐殺しはじめる
 vs
日本 対馬防衛隊 600人  領主&主力兵が、中国・明へ渡り不在の時を狙われる

※日本本土(室町幕府)は、対馬に突如現れた軍船を【元寇の再来】と勘違いし、
武士達へ大軍動員令を出すほどの騒ぎに・・・ところが軍隊が対馬へ向かう前に・・・??

◆たった600人の対馬防衛隊に、1万3000人もの朝鮮主力軍が敗走
 報復が怖くて、明治維新まで毎年米200石を対馬に貢ぎ続けた李氏朝鮮
 朝鮮王朝『世宗実録』にも「敗戦」と自ら明記、将官も戦死


ところが、韓国の歴史では敗北が勝利になっている・・・?
▼韓国では戦勝記念日、討伐記念日
 2005年(平成17年)6月17日、大韓民国慶尚南道馬山市では、毎年6月19日を『対馬の日』とする条例が宣布。
 400人以上の市民が参加し宣布式が催された。根拠は西暦1419年6月19日の上記の応永の外寇である。
 6月19日は、『討伐軍』が馬山浦から出航した日である。
▽2008年には韓国国会議員50名による対馬島返還要求決議案が韓国国会に提出され、韓国国民の50%が支持していた。