童貞帝國
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1.
政治というのは時に不可解な結果をもたらすことがある。
それは、これから紹介するとある国でも同じだった。
膣の中に陰茎を挿入することを大罪とし、それを行った全ての男女が裁かれる時代。
特に、処女より童貞が失われる事に重きを置いていた。それは、処女かどうかは処女膜により容易に確かめられるが、童貞かどうかは本人しか知りえない事実だからだ。
そのため、それを厳しく取り締まるために童貞管理法、そしてそれに伴う射精管理法が制定されたのだ。
世界はこの国をこう呼んだ。
“童貞帝國” まさに理想の世界だ
生まれた子供は国の施設で一括して育てるんだよな?
当然家族制度も廃止だ >>7
家族制度は廃止
遺伝的統計に基づき
それぞれの分野の専門教育を各子供に施す。
生体維持に必要な食欲と睡眠欲はともかく、知的活動を全くもって妨害する性的欲求は遺伝的に排除していく。
中途半端な自由主義に塗れた世界はこの国家をディストピアと呼ぶかもしれない。
しかし彼らは自由を感じ、そして人生を謳歌する。
ここには、国家と国民の全体的利益を阻害するような権利を主張し、それを尊重するような人間はそもそも存在しない。
そもそも、そんな意識や欲求を持つものは最初から遺伝的に排除されているからだ。
彼らは幸せであり、彼らにとってここはユートピアだ。
みんなに考えてほしい。本当に、認められるか分からない権利を主張できる自由があるということは「幸せ」と呼べるのだろうか?
帝國は啼いているか。 この国家は最終的にアナキズムの基盤の上に存在していくことになる。
議論する必要も、統率することも、監視することも、抑圧することも必要なくなるからだ。
無益な争いや個人の行動に無意味なものは無くなる。
我々からしたらまるで機械が工場の中で動くように無機質に国家の秩序の中で動き続ける。
それでも、彼らは幸せなのだ。遺伝的にそれが一番の幸せであると意識するようになっているから。
この国家の実現は非現実的だが、これは極端な例だと思ってほしい。
大切なのは現実の話だ。
我々は自由主義の世の中で気ままに生きて、権利が守られているだろう。
でも、実は我々はもう既に「童貞帝國」の国民なのではないか?
ある時作られた民主主義という檻の中で自由に動けるようにすることで彼らのように「それが一番の幸せ」と考えるようになっているのではないか?
映画や小説のように、ディストピア的な支配する黒幕がいる訳では無いだろう。
ただ、ただ彼らのようにある時から自然に出来上がった秩序に従い動き続ける機械になっているのではないか?
だとして、それがなんだというのだ。
そんなこと考えてなんの意味があるのか。
お前は何が言いたいんだ。
もしそういった考えてが生まれ、そこで思考停止に陥るとしたら、もうそれこそが我々が「童貞帝國」の国民であることの証明になってしまうのではないだろうか。
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