ウィーンで生まれ育ち、そして三十代と四十代をロンドンで暮らしたハイエクは、自由の観念に関し
アメリカが特異な経緯にあったことを、はっきりと見抜いている。

ヨーロッパにおける保守主義とは 「激しい変化に反対する態度」のことであり、この「伝統の擁護」に反対してきたのが、ヨーロッパでは
自由主義者なのであった。ところが、アメリカでは「保守主義者はヨーロッパ的意味での自由主義者なのであった」だから
「アメリカの社会主義者は自分たちをリベラルと呼び始めた」のである。
ちなみに「自由の構成(ハイエク)」はアメリカ滞在中に書かれたものであり、アメリカ人の中で生活していれば
彼が「自分を自由主義者と呼ぶことについて、ますます不安を感じながらそう表現する」と言わずにはおれなかったのであろう。

「思想の英雄たち― ハイエク―自生的秩序への途」  西部邁  (1995)