【津波】「慶長の大津波」東日本大震災規模だった 三陸沿岸北部−中部、東北大チーム調査 [すらいむ★]
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「慶長の大津波」東日本大震災規模だった 三陸沿岸北部−中部、東北大チーム調査
1611年の慶長奥州(三陸)津波が三陸沿岸北部−中部では東日本大震災の津波に匹敵する巨大津波だったことを示す痕跡を、東北大災害科学国際研究所の石沢尭史助教(地質学)らの調査チームが確認した。
巨大津波の発生頻度が最近400年間で増加傾向にあることも判明した。
(以下略、続きはソースでご確認ください)
河北新報 2/26(土) 6:00
https://news.yahoo.co.jp/articles/b12a94da5c70d06e460f2e73de87c0babcb0ae9a 掘った場所の環境がずっと同じはずはないのに、堆積物の厚さと間隔だけで判断してんのか? 太平洋側は定期的に津波あって更地になってそう
昔から内陸側の方が発展してるし これは原発事故の前には、電力会社の連合軍が、邪魔をして潰したがっていた
種類の学問研究だ。 この類の学者の信用度は低い
津波よりも御用学者が増加傾向 >過去に東北太平洋岸を襲った巨大津波の発生頻度についても、
>従来支持されてきた「貞観津波(869年)と享徳津波、東日本大震災の500年周期」とする説を否定。
>「明治三陸地震津波(1896年)なども考慮すると、
>最近400年間は100〜200年間隔の発生頻度」と指摘した。 鎌倉大仏には大仏殿があったが西暦1499年の大津波で崩壊した。
大仏は海岸からの距離880m標高18mの地点にある。
もしも同規模の津波が襲来すると
鎌倉市と藤沢市の沿岸部は壊滅する。
前回襲来時の人口は数百人程度だったが
現在の住居人口は数十万人にのぼる。
この書き込みは津波襲来したときに
ちゃんと予測していた証拠とするためのものである。 仙台市街が内陸寄りに作られてる時点で分かりきってる 〉〉10
マジレスすると長谷寺は海に向けて川が流れていて、川を遡上した津波が真っ直ぐ大仏殿を押し倒したのであって、一体が飲み込まれた訳ではないです。 三陸って名称はどこ由来なんだろ? 津波と関係ありそう。 >>13
ねーよ
陸奥、陸中、陸前の3国まとめて三陸
明治になってからのたいして歴史のない表現 4号線仙台バイパスのラインが昔津波が来た土地との境目
うまく作ったものだ
(実際の東日本大震災ではもっと東に作った海沿いの三陸自動車道の土盛りが防潮堤の役割を果たした) ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています