つづき
では、邪馬台国はどこにあったのか?と言うと、やはり記紀にそのヒントを見出すことができる。

日本書紀、神功皇后の段より。
丙申、轉至山門縣、則誅土蜘蛛田油津媛。
時田油津媛之兄夏羽、興軍而迎來。
然聞其妹被誅而逃之。

筑紫国山門郡に田油津媛と言うと土蜘蛛が出てくる。
土蜘蛛とは大和王権に従わなかった小さな地方集団の通称。
山門郡にいたこの土蜘蛛の女酋長の名前が田油津媛。
卑弥呼本人なのか、台与なのか、またはその後継者なのかまではわからないが、山門郡にいた田油津媛とその兄夏羽を討ったとある。
女王とその男兄弟による姫彦制による集団。
邪馬台国とイメージは一致する。

因みに田油津媛を葬ったとされる墓が、福岡県みやま市の老松神社にある。
卑弥呼なのか台与なのか、更にその後継者なのかわからないが、もしかしたら卑弥呼の墓なのかもしれない。
福岡県を中心に、老松神社と言う神社が多数あるのも、何か関係があるのかもしれない。
吉野ヶ里遺跡のすぐ近くにも老松神社があるし、糸島市にもある。

結論、何が言いたいかというと
1.邪馬台国と大和王権は別物である。
2.邪馬台国は九州北部にあった。
3.邪馬台国は後に大和王権に討伐された。