【考古学】日本の文字文化は紀元前から? 「すずり」から推測 邪馬台国の有力地の纒向遺跡から出土 [しじみ★]
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弥生時代から古墳時代にかけての石製品のうち、これまで砥石(といし)などとされてきた150例以上は筆記用具のすずりでは? 柳田康雄・国学院大客員教授(考古学)が最新論文でそう指摘している。日本での本格的な文字文化の広がりは5世紀ごろともされるが、石製品がすずりなら、文字の使用が紀元前にさかのぼる可能性を示唆する。
奈良県桜井市の纒向(まきむく)学研究センターの研究紀要で4月23日に公表した。
「魏志倭人伝(ぎしわじんでん)」に登場する「伊都国(いとこく)」の都とされる三雲(みくも)・井原(いわら)遺跡(福岡県糸島市)で2016年、弥生時代後期(1〜2世紀ごろ)のすずりが見つかったことに注目。邪馬台国の有力候補地とされる纒向遺跡(奈良県桜井市、3世紀初め〜4世紀初め)の出土例も含め、中国・近畿地方も含めた西日本一帯で、弥生時代などの石製品の実測や探索を進めた。
https://www.asahicom.jp/articles/images/AS20200503000718_comm.jpg
https://www.asahicom.jp/articles/images/AS20200503000717_comm.jpg
https://www.asahi.com/articles/ASN5340WDN51POMB002.html >>951
むしろ渡来人の痕跡の方がよく残ってるんだが?
それに、あまりニュースなどで騒がずすぐに埋め戻すからな コーラの瓶を巡って争うブッシュマンみたいなもんだろ。
硯?何に使うのか知らんけどオデのだ >>953
各地で出土する土器は渡来人が作ったのか?
そもそも渡来人としてる根拠が薄弱だろと言ってるわけ。 >>956
誰も渡来しなかったら無人島だろw
縄文人を先住民と言うのなら弥生式以後の土器は渡来土器だろ
ちなみにミミアカが乾燥してる人は渡来人の末裔だぞ 邪馬台国は九州の一地方国家で確定だよ
ヤマト王権とは全く関係ない
諦めロン >>957
縄文人でも半数は耳垢が乾燥してる遺伝子だったのが分かってる
古い話すぎるわ >>959
それ縄文系弥生人だろバカ
純粋な縄文人なら湿潤だ
というか湿潤が人類の基本で、比較的後世で突然変異で発生したのが乾燥型だよ >>957
あんたが言ってんのは支那朝鮮じゃないの? >>958
そういう非学問の俗説を言い張っても説得力ゼロ >>961
コーカソイドまでは100%近いが、旧モンゴロイド時点で半減してる
縄文人はコーカソイドではなく旧モンゴロイドなので湿潤な耳垢なんて半数だけだぞ 下図の丸で囲まれた範囲がヤマト政権=狗奴国とも考えられる。
乾燥耳垢:後期渡来人(ツングース系≒現朝鮮人)
湿潤耳垢:縄文系弥生人(本来の日本人)
https://i.imgur.com/wPgk6Bx.png
参考)
DNAの違い
https://i.imgur.com/IbqopHU.png 縄文人の特徴は
白血病ウィルスHTLV−1
母子間、夫から妻へ性交渉により感染する。
中国や朝鮮にはなく、日本人には高頻度で見つかってる。
中国や朝鮮にはなく、日本人には高頻度で見つかってる。
中国や朝鮮にはなく、日本人には高頻度で見つかってる。
日本人以外にこのウィルスを持つ民族は、アフリカ、オーストラリア先住民やパプアニューギニア、
フィリピン、南米先住民、カリブ海住民、イヌイット、スウェーデンサーミー族、南インド、
イラン内陸部、イタリア。
https://www.mhlw.go.jp/bunya/kenkou/kekkaku-kansenshou19/dl/htlv-1_f.pdf
>HTLV-1が発見されたのは1980年と比較的最近ですが、このウイルス自体は
>古くから人類と共存してきたものです。日本では縄文時代より
>前からHTLV-1の感染があったといわれています。
>もともとHTLV-1感染者は、九州などの地域に多いとされていま
>したが、この調査で関東や関西の大都市圏でも増加傾向にあることが
>わかりました。 >>967
>オーストラリア先住民やパプアニューギニア
>イヌイット
>南インド
デニソワ人の影響が大なり小なりありそうな地域だなあ 西郷隆盛も感染した風土病
https://www.j-cast.com/trend/2019/07/24363326.html?p=all
>長崎で発生したリンパ系フィラリアという感染症を、戦後征圧したときの資料を読んでいたんです。
>すると、長崎での治療経験が、韓国の済州島(チェジュド)でリンパ系フィラリアが発生した際に
>生かされた、という話が書かれてありました。済州島の風土病の征圧に長崎大学の研究者たちが
>関わっていたんですね。 記録は中国語なので邪馬台はヤマタイとは読みません
シャマタイと読みます
また、邪馬台国とは書いてありません
邪馬壹(壱)と書いてありますのでシャマイが正解です
よってヤマトは無関係となります >>970
琅邪郡ロウヤグン
秦代から唐代にかけて、現在の山東省東南部と江蘇省東北部にまたがる地域に設置された
呼韓邪單于コカンヤゼンウ=匈奴の王の名前 魏志倭人伝に大和の記載があります。
女王国の市場で使われていた監視役です。
その末裔が奈良に移り住んだのでしょう。
國國有市 交易有無 使大倭監之
(国々には市があり、互いに有無を交易しており、大倭を使ってこれを監視している) 魏志倭人伝に出てくる邪馬(台国)はたったの2回だけ
1)南至邪馬壹國、女王之所都、水行十日、陸行一月。
2)次有鬼奴國、 次有邪馬國
あとは女王国という書き方
自女王國以北、其戸數道里可得略載
自女王國以北、其戸數道里可得略載、其餘旁國遠絶、不可得詳
此女王境界所盡。
等々 >>975
当時の奈良は鉄が流通していない
大倭は奈良から来た出稼ぎだな やまたいこくって語感が可愛いなと思う
きっと可愛らしい国だったのだろう >>979
>>945の図
出ていると言えるほどではない >>981
ゼロ、イチではないって話だよ。
>>978の「鉄が流通していない」は間違いで
「鉄の流通が極端に少ない」が正しい。 >>982
魏志韓伝には、倭人が鉄をとりに来ていた様子が描かれている
そして鉄は価値があり、市場で買い物ができることも書いている
つまり鉄が多く流通した地域が経済共同体なんだよ
それは現代より明確であったと考えられる
(現代のように貧しい田舎を保護する社会では無かった) >>983
それこそ945の図にある通りだと思うが
当時日本の中で九州だけに鉄があったわけではない。
島根も鳥取もある。
大倭が奈良からの出稼ぎであるなんて、一切根拠がない。 >>945
古いデータを使って騙そうとしてるが、邪馬台国と魏が外交をやっていた時期である3世紀中頃で
鉄器が最も多く出土してるのは纒向遺跡にあるホケノ山古墳 >>984
>大倭が奈良からの出稼ぎであるなんて、一切根拠がない。
北部九州で畿内式土器を模倣して作ってたのが大倭だろ
>>985
ホケノ山古墳は4世紀だから無関係
■炭素年代法の課題
国内でも弥生時代や古墳時代の開始時期について放射性炭素年代測定では実際より古く年代が推定されることが判明している。
■ホケノ山古墳の年代
https://i.imgur.com/pEXMJYL.png
「樹齢が15年ぐらいの細い木を測定対象として、いわゆる古木効果が入らないように注意深く試料を選んだ。
これだと、再利用したものではないし、風倒木でもないと言えるので、炭素14年の誤差も15年以内に収まる。」
しかも鉄器が日用品ではなく墓の副葬品だと他所から持ち込まれたと言われればそれまで 〜 女王国(邪馬台国)の位置 〜
■魏志韓伝より
「韓在帯方之南 東西以海為限南與倭接 方可四千里」
韓国はソウルの南に有る4000里四方の国で、東西は海に面し南は倭と接する
■魏志倭人伝より
・帯方郡(ソウル)から南→東と海岸沿いに水行し狗邪韓国(釜山)までの距離が約7000里
・対馬→壱岐→北部九州上陸までの合計が約3000里
・帯方郡から女王国までの総距離が12000里
・女王国起点で紹介されている倭人の国々の方角は北、東、南のみ
・南に4000里航行すると侏儒国(小人の国)がある→種子島
■結論
女王国の位置は倭地の西の端=九州島の何処かである
■参考
1里=100M程度という短い里の単位は日本書紀にも記述されている
崇神記65年「任那者去筑紫国二千余里北阻海以在鶏林之西南」
半島南部の任那から北部九州の筑紫までの距離が約2000里と記されている 〜 邪馬台国の規模 〜
魏志の韓伝、倭人伝に記された各国の領土に関する情報
・三韓からなる韓国領土は4000里四方
・韓国の東西は海で南は倭と接する
・三韓のうちの馬韓の国数は50国
・魏と交流のあった倭の国数は30国
・倭は約5000里で巡回出来る
・女王国の東の海を渡るとまた倭種の国がある
・女王国の南には敵対する狗奴国がある
・女王国から船で南に行くと小人の住む侏儒国がある(種子島)
※女王国=邪馬台国連合
https://i.imgur.com/yLFScGN.png
※馬がいなかった時代なので統治できる領域には限度があったと考えられる >>986
天理市北部櫟本の東大寺山古墳2世紀末期「中平」銘鉄刀他5本の装飾環頭付きの鉄刀が出土してる。
「漢委奴國王」金印も他所から持ち込まれたと言われれば
ハイそれまでよ〜(青島幸男) >>989
副葬品は編年には使えない
考古学の常識だが? >>988
>>977 に書いてある通り
邪馬臺國は女王国=倭国の首都
中国の官僚登用試験に課せられる作詩の発音、押韻を定めた
廣韻(北宋の大中祥符元年=キリスト教紀元1008年)という発音字典に
【倭】は「東海の女王國」という認識が記載されている。
狗奴国も一応倭種とみられるが邪馬臺聯邦には属してない。 >>986
>>大倭が奈良からの出稼ぎであるなんて、一切根拠がない。
>北部九州で畿内式土器を模倣して作ってたのが大倭だろ
それのどこが奈良からの出稼ぎが大倭だという根拠になるん? >>990
誰も東大寺山古墳の造営が2世紀末期とは云ってない。
自己都合的解釈乙
漢の「中平」銘鉄刀は卑弥呼の在世前後の倭国大乱時代に畿内に持ち込まれたかもしれない >>993
畿内は飢饉だったんだろ
卑弥呼の時代(2世紀半ば〜3世紀前半)には異常気象が多発し、大飢饉に見舞われ、多くの倭人が半島に避難したとのこと。
■新羅本記の記録
173年:倭の女王卑弥呼が使者を送った
193年:倭人が飢饉。倭から多くの避難民が新羅へと流入
■当時の気候
1〜2世紀は小氷期だった
3世紀〜4世紀は海面温度が下がり、寒冷化だけではなく干ばつにも見舞われたと考えられる。
『名古屋大学の中塚武教授は、卑弥呼登場前の時代は大雨や旱魃が繰り返された不安定な気候の時代であったという。』
根拠無きバイアス解釈
『飢饉が続いたために銅鐸を用いた過去の祭祀を捨て、新しい宗教をひっさげて卑弥呼が登場した。それが卑弥呼の鬼道だと石野氏(畿内説)らは解釈する。』
■普通に考えられること
・唐古鍵が無人化し、纏向にも住居がほとんど見られない→飢饉を逃れ各地へ避難したためである
・飢饉を逃れるため九州に移住した畿内民族は、筑紫の土で畿内式土器を製作していた >>995
畿内が飢饉だった根拠は?
いちいち出てくる話しに証拠がない。 >>996
書いてるじゃん
■普通に考えられること
・唐古鍵が無人化し、纏向にも住居がほとんど見られない→飢饉を逃れ各地へ避難したためである
・飢饉を逃れるため九州に移住した畿内民族は、筑紫の土で畿内式土器を製作していた
特に唐古鍵はある時期に住民が一斉に引っ越したような形跡が確認されている >>996
卑弥呼時代が飢饉だったという証拠か?
・名古屋大学の中塚武教授による当時の気候に関するデータ解析結果
・三国史記の記録 唐古鍵遺跡は古墳時代でも使用されてたわけだが?
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