【考古学】スペイン征服前の「皮はぎ神」の神殿、発見 メキシコ[01/04]
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【1月4日 AFP】
メキシコ中部プエブラ(Puebla)州にあるンダチヒアン・テワカン(Ndachjian-Tehuacan)遺跡の中から、同地がスペイン人に征服される以前に信仰されていた豊穣と戦いの神シペ・トテック(Xipe Totec)を祭った神殿が初めて発見された。メキシコ国立人類学歴史学研究所(INAH)が発表した。シペ・トテックは、人身御供とされた捕虜の皮をささげられた神として知られている。
INAHによれば、史料から、神官らが二つある円形の祭壇の一方にいけにえをささげ、もう一方の祭壇でいけにえの皮をはぎ、その皮を自分たちでまとったことがうかがえる。
歴史家の間では、シペ・トテック(皮はぎ神)は、現在のメキシコ中部・西部とメキシコ湾沿岸部の地域で多数の民族に崇拝されていたというのが通説だった。しかし、シペ・トテックを祭った神殿が見つかったのは今回が初だという。
また、遺跡発掘現場で見つかった工芸品の中には、シペ・トテックの石像3体が含まれていた。皮をはがれた状態を示す頭像二つとトルソー(胴部だけの像)で、トルソーの背中の部分には、シペ・トテックが着たとされるいけにえの皮が彫り込まれている。
頭部の石像はそれぞれ高さ70センチほどで、重さは約200キロ。トルソーについては「彫刻的に非常に美しい。高さは約80センチで、腹部に穴が一つ開いている。史料では、その穴には儀式のために『命を吹き込む』緑の石が埋め込まれていたとされている」と、プロジェクトの責任者である考古学者のノエミ・カスティーヨ・テヘロ(Noemi Castillo Tejero)氏は説明している。
INAHによれば、神殿が使用されていたのは西暦1000年ごろから1260年前後までとみられている。現在のメキシコに当たる地域は、1519年にスペイン人エルナン・コルテス(Hernan Cortes)が上陸した後、スペインに征服された。(c)AFP
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http://www.afpbb.com/articles/-/3204978 これはピーリングと呼ばれる若返りの技術と少し違うみたいだな。
そんなに深く剥いちゃイヤ!
血が出てるじゃないか。 >>1
スペイン人に征服されても生き残ったメキシコ伝統の技なのですね(・я・`) 当時の宣教師の記録
「世の中におぞましい邪教はいろいろあるが、
マヤの宗教ほど邪教の名にふさわしいなものはない
彼らのあがめる神は悪魔そのものであり
この神がなにより好む供物は、新鮮な人間の心臓である
捕虜を得ると、彼らは神殿で生きた捕虜の胸を切り裂き、
血のしたたる心臓を神に捧げる
そのあとで神官は犠牲者の皮をはぎ
その生皮をまとって踊り狂うのである。
彼らの神はこの禍々しい供物によろこび
より多くの心臓を得る、戦争での勝利を与えるのである
これは虚構ではない、私がこの目で見た事実なのである」
ということだが
イスラム国とあんま変わんないな メキシコは現代でも生きたまま皮剥いだり心臓取り出したりしてるからなw >9
研究だと
「netouyo」とか「hikikomori」とか呼ばれてる下層階級が
主に生贄だったらしいね てぃむぽの皮切りを皮切りに美容外科全般に手を広げ全国展開! ナチスの女性看守イルゼ・コッホも囚人の皮膚でいろいろ作った >>8
スペインは相当悪辣で残虐非道な侵略したみたいなんだけど
真偽はわからない。 南米の文明ってやたら生贄だとか恐ろしいイメージつけられたけど、
征服したキリスト教国を正当化するための印象操作で、
ほんとはそんなに怖いことしてないんじゃないかなあ チチカカ湖と琵琶湖がつながってる伝説は聞いたことがある >>1
なんでトルソーの画像だけ貼らなかった?
タマタマなのか?ん?w スペインの侵略で
男は皆殺しにされて、女はレイプされまくって、生まれたのが今のメキシコ人なわけだけど
皮ハギや人身御供などの風習は、現代でもメキシカンマフィアに受け継がれているね >>24
俺もそう思う
キリスト教徒が侵略して行った残虐非道な所業を、そのまま現地人の風習ってことにしたんじゃないか
発掘年代だって誤差100年200年とかそういうレベルだし >>29
ほう、その珍説は何かそれを裏付ける発掘等のエビデンスはあるの? ぶっちゃけ白人に植民地支配された地域は、邪教に嘘つき文化で、まともに
交易を出来る人間達ではなく、まさに何でも有りのケダモノ土人の地域だった。
今の東南アジアや南アメリカでも未開なのに、数百年前は正に首刈り人食い土人ばかりだったので、最初は普通に交易しようとしたのに、契約を反故にされたり盗まれたりで、結局、銃で支配するしかなかったんだな白人は。
上記の傍証としては、日本は植民地化されなかった、英国とドンパチやった事もあったが、基本的に白人と日本人の間では契約が守られたから、
わざわざ白人も武力に訴えなかった。 >>1
今でもメヒコでやってるじゃない
文化がちゃんと受け継がれてるよ なんで生け贄って下層民だったり捕虜なんだよ
神様に安物まがい物捧げるのは失礼だろ >>28
神にいけにえ捧げる、人身供養とかの風習は、スペインが攻込む以前からあったっぽい
三つ目がとおる 手塚治虫だな >>34
子供捧げるんじゃなかった
神に対して、乞食やオッサン捧げてちゃ失礼っしょ >>25
チチカカ=父と母であって 古代マヤ語=日本語なんだっけ ノノ
〆 ⌒ヽ∩ ブチ!ブチ!
( ゚ω゚)ノ⌒ ミ
ヽ⊂彡(´・ω・`) 生け贄文化はやめてほしいな
奴隷文化とともに
科学ニュースもなんか最近解明したら科学ニュースにされて
区分がわけわかんないわ メキシコの伝統だな 今も残酷な殺人が日常的に行われている 血は争えないね メルギブソンのアポカリプトだっけ
でもアステカ文明もマヤ文明も書物をスペイン人宣教師が焼き払い破壊し記録が残ってないんだよね?異教徒の文字だから焼き払い異教徒は殺していいと
アポカリプトのラストシーンでマヤ帝国から命からがら逃げてきた少数部族の人が海岸でスペイン船と兵士と宣教師の初上陸を見るんだよね ヨーロッパってジャガイモもサツマイモもトウモロコシも大豆も米もヨーロッパには無くて
粒で食べれる作物が空豆ぐらいでそれも収穫多くはなく
粒では食べれない麦を挽いて粉にして水でこねて焼いて食べるけど収穫少ないから小麦粉のパンは特権階級の食事
ジャガイモもトウモロコシもトマトも南米大陸発見して得たものなのに、
ジャガイモが 高緯度のドイツやイギリスアイルランドの食料になったのは南米のおかげなのに
ヨーロッパは 農作物がとれないから肉食もしくは餓死だったくせに
森に豚を放してドングリ喰わせて冬の前に殺して肉にしたり家畜の乳をチーズやバターで保存して肉食で燃費のいい脂質でカロリー摂取するかもしくは餓死するか
南米からジャガイモをもらったお返しが疫病と殺戮 その通り。だからスペインは衰退した。イギリスが繁栄した。 身内から神様の為の生け贄数人を犠牲にしてた宗教と
自分等のものの見方をのみを正義として他国他民族を侵略虐殺する宗教と
どっちが野蛮なんだか >>9
周辺諸国に対して戦争を仕掛ける。これは「花の戦争」と呼ばれた。捕虜を取ることが目的の戦争で、その捕虜が生贄になる。 “アステカの都は水路都市で橋が渡されカヌーや徒歩で都市内移動、住居は水路に面し各家がカヌーをもち
コルテスが来た時人口30万人だったと言われてる”
↑同時期の1500年の10万人以上(10万人台の)のヨーロッパ4大都市は、ナポリ、ベネチア、ミラノ、パリ
イタリアが地中海交易で特にベネチアは強力な海上帝国築いた時に人口17万人)
その時代に30万人
エルナン・コルテスがアステカで歓待され数日間都を案内された時に重要な儀式を見せると生け贄の儀式を見せられ驚く
↑いやいや鉄器と火薬をもたないアステカの王とインディオたちに計略練って襲い金銀を奪い殺戮、全滅させ都市を破壊する方が驚くわ
(byスペインのカトリック司祭バルトロメ・デ・ラス・カサス「インディアス史」「インディアス文明誌」「インディアスの破壊についての簡潔な報告」でスペインの植民・征服事業の不正行為と先住民に対する残虐行為を告発、スペイン支配の不当性を訴え) [生贄の系譜的類型−アステカの生贄を中心にして−
Genelogical typology of human sacrifices―in connection with Aztec sacrifices
高松大学紀要第42号,9-26 平成16年9月]
引用
現地のナワトル語からの直接及び間接の訳により取出してみていく。史料文献は以下
1)フランシスコ会士モトリニーアの見聞・観察内容・調査結果を上司の命により布教活動を中心に編纂した『ヌエバ・エスパーニャ布教史』
(2)フランシスコ会士サァグンの指導で現地ナワトル語でまとめられた『フィレンツェの絵文書』の征服物語の第一二の書
(3)未詳の著者によってアステカ民族の起源から征服されるまでの歴史をメヒコ陥落後わずか7年でアルファベッドを用いてナワトル語で編纂された『トラテロルコ編年史』
(4)ドミニコ会士ディエゴ、ドウランの『ヌエバ・エスパーニャのインディアス史』
引用終わり
の文献資料から皮はぎと生け贄についてわかるけど
ベネチアみたいな水路都市の文化を作っていて30万人もいて栄えていて
その文化も調べて強調してほしい
鉄器と火薬をもたなかったため700人程度のコルテスらに殺戮されてしまう 自分の肌を剥いで食べなよっていうアンパンマン系の神様 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています