【金印】「漢委奴国王金印」作ります 謎の製法探る研究者
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約2千年前に中国から伝わり、福岡市東区の志賀島で見つかったとされる国宝の金印「漢委奴国王」を実際に作ることで、謎に満ちた当時の製法を解き明かす試みを、地元の研究者らが進めている。10月中旬に同市で開催予定のシンポジウムで、最新の研究成果とともに報告する。
金印は江戸時代後期の1784年、志賀島で作業中の農民が見つけたとされる。印面は2・3センチ四方で、重さ約100グラム。中国の歴史書「後漢書」に記されている、紀元57年に後漢の光武帝が倭(日本)の奴国からの使者に授けた印と同じだとする説が有力だ。
製作に取り組むのは、鋳造や考古学の専門家ら約20人からなる「九州鋳金研究会」。印の鋳造技術に関する江戸時代の文献をもとに、約2千年前に存在したと考えられる素材を用いた工程を探った。
福岡市博物館が常設展示している実物は、保護の必要上、手に取ることができなかった。そのため、写真資料を提供してもらうなどして参考にしたという。
研究会はまず、松ヤニを混ぜたろうで金印の原型を作製。この表面を砂や粘土で固めた後、ろうを熱して液体にして取り除き、鋳型を作る。これに、木炭の火で溶かした金を流し込んだ。
印面の作り方は、ろうの原型で文字を彫って鋳型として作ってしまう方法と、最後に金印に直接彫る方法の2通りがある。この点も、当時の中国でどちらの方法が主流だったかをうかがわせる史料は見つからない。研究会は両方を試したが、鋳型にする方法は字がゆがみやすいため、実物も直接彫る方法で作られたと推定した。
研究会会長を務める宮田洋平・福岡教育大教授(金属工芸)は「存在は誰でも知っているけれど、謎が多いのが金印。われわれの取り組みが、古代の技術を知る手掛かりになればいい」と語る。
https://www.nikkei.com/content/pic/20180908/96958A9F889DE1E7E3E6E0E5E2E2E2EAE2EBE0E2E3EA93918AE2E2E2-DSXMZO3514268008092018ACX001-PN1-4.jpg
https://www.sankei.com/west/news/180909/wst1809090019-n1.html 「絶対に盗まれない傘」がツイッターで話題 こういうアイデア浮かぶやつってすごいわ やって、やれないことは無いだろうけど
あれだけの完成度のものを作るのは
非常に難しいと思うよ
金印の偽物説もあるけど
江戸時代の日本を含む東アジアで
あれだけの完成度の金印を作れる所は
無かったと思うよ
あれは、金印作りを専門にしている専門家集団が作ったもので
ちょっとやってみました程度の職人が作れるものではない
そういう、金印作りを専門にしている専門家集団があったのは
やはり中国の漢時代で、志賀島の金印は、中国の後漢時代の本物
つまり日本で言えば、弥生時代の本物で間違い無いと思うよ 以前、舛添要一が中国で金の印鑑を貰ったと言って自慢していたな まあとにかく、志賀島の金印は、ものすごい完成度で
職人集めて、ちょっとやってみました程度で出来るもんじゃない
本物に間違い無いよ ウルトラマンの怪獣のタッコングでも金色に塗って台に貼っておけばそっちのヲタに売れる >>4
同感。
だいたい100gも金をつかって偽者を作る集団が想像つかない。
『親魏倭王』ならともかく。 そんな大事に物が田舎の畑に埋まっちやうもんなんだな
時の流れと言うのも悲しいもんだ わざわざ金印なんか作らなくても、インキン持ちならナンボでもおるだろうに。
ところで、2018年9月9日のニュースがなぜ今になって? 本物だとしたら、なんであそこにあったのかという謎が巻き起こるww 長崎の神社にあった金印を
長崎へ遊学した福岡藩の亀井南冥が
盗んで持ち帰ったのというのが真相。 >>17
おそらくそうだろうけど、どういう経路を辿ったのかが分からんとねww >>9
だからそれを水戸藩がつくったってのが偽証説なんだ。当時の水戸なら可能だったろうと
田んぼに落ちてるとかも怪しいだろ。なんで田んぼに落とすんだよ 俺は偽証説一択だね。
・この金印発見で日本考古学研究の権威、水戸藩のせいかが強調される
・莫大な予算を投じた水戸事業には莫大な成果が不可欠であった。じゃなければあの予算継続が難しい。なによりその時代の緊縮財政にあまりにも見合わない巨費の浪費だった
・水戸藩が田んぼに投げ込んだ。ネコババされてもマーケット流通がむずかしいからこそ、ネコババは難しく
むしろ農民がネコババしないのはそれを知ってるから、よって通報確実な案件だった
・なにより金印の印字がおかしい、答えは金印の
印字部の加工工程が当時の漢代よりもあたらしい明代以降の製法で加工されてる。
明代以降の金加工技術は江戸時代の金加工技術であるならば、当然江戸で制作された
・なおその200年あとに中国でも「明以降の製造法」で作られた金印が発見されてる
これも国家の歴史工程あるいは、共産党員の成果のための偽証説を有力視してる
というわけでほんものか調べるには文字の盤面調べればいい、つまり加工精度、工具、技術でいつの年代かわかるからだ 「漢委奴国王金印」
コレ本物?
コレ自体、出処が怪しい一品なんだが・・・ >>9
この金印が出た筑前国那珂郡志賀島村東南部(福岡県福岡市東区志賀島)ってのは
博多湾に浮かぶ5.78 km²の島(砂州で陸地と接続)で、古代に神功皇后の三韓征伐の際に立ち寄った
との記述がある事から、半島との海上交通において重要な地位を占めていた可能性がある。
朝鮮半島と貿易するにあたり、中国から封じられた王の金印があると
貿易上、いろいろ都合が良かったのは想像に難くない。
だから、貿易拠点に置いて公的取り決めの際にポンポン押してた可能性あるな。
あるいは、ホンモノが使ってるうちに目減りしたんで
複製品作ってそっちを実務で使ったとか。ホンモノは内地に置いておいて、出先では
複製品でやってたとか。つまり「ホンモノの公式な複製品」って可能性もある。
ま、今となっては想像するしかない。 金印の成分を調べれば、どの小判から作られたかわかるだろう。 金印の成分を調べれば、どの小判から作られたかわかるだろう。 素材は金だが取っ手は酷く粗雑、紐は何色かわからんが
奴国の微妙なポジションを反映したモンキースペックなんだろ 漢(中国の)委奴国の王様の金印だよ。
委奴国って国が古代中国にあったんだろう。
その金印を積んだ船がきっと難破して、志賀島に流れ着いた。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています