九州北部は朝鮮半島と継続的に頻繁に行き来があった
半島の豪族とのつながりや、技術や鉄、道具の輸入があったことを考えると
弥生初期〜中期において九州北部は圧倒的な優位性があったと思う
その九州北部勢力は徐々に東へと勢力を伸ばし、瀬戸内一帯から近畿へと到達

3世紀前半、倭国大乱の結果、卑弥呼が諸国連合の女王となり
その都を九州北部のヤマト国(邪馬台国)とする

ただ遺跡から見るに近畿にはすでに大きな都市が発達しており
卑弥呼の死後、3世紀後半には諸国連合は再編され都を近畿に移すこととなる

てことじゃないか?