邪馬台国論争でいつも疑問に思うのだが、当時の中国では何と読まれてたのだ?
中国の古代史学者によると、邪馬臺をはヤメツ、卑弥呼はヒメハと聞いたことがあるのだが
あと古代中国は今と少し文法が違うのか、そもそも決まった文法がないのか
その古代史学者はヤメツ国は「八女の国」、ヒメハは「姫と呼ばれてる人」とも言って九州説を取っていたのだが、
あの意見はどういう扱いなのだろう