巻向で三輪山を祀る新たな祭祀が生まれたところは全く異論ない
前方後円墳はヤマトを祀ったという意思表示のためなのも間違いない

だがそれ以前の三輪山に原始的な神秘性や複層的な祭祀の痕跡が感じられないのが謎でありどうも腑に落ちない

そこをもう少し掘り下げて、別の場所にプロトタイプがあったとしたらと考えてみる
墳墓の形状のモデルとなった吉備と、鏡祭祀の原点となる北九州や久留米あたりの平野に広がる遺跡や伝承はヤマト祭祀のプロトタイプな可能性を示唆している

特に山と太陽に関す原始的な祭祀はもっと研究されてもいいと思うわ