>>636
こうも書いてあるな

http://yamatai.cside.com/katudou/kiroku365.htm
>中国社会科学院考古学研究所の所長をされた考古学者、徐苹芳氏はのべる。
>「考古学的には、魏および西晋の時代、中国の北方で流行した銅鏡は明らかに、方格規矩鏡・内行花文鏡・獣首鏡、夔鳳鏡(きほうきょう)・
>盤竜鏡・双頭竜鳳文鏡・位至三公鏡・鳥文鏡などです。
>従って、邪馬台国が魏と西晋から獲得した銅鏡は、いま挙げた一連の銅鏡の範囲を越えるものではなかったと言えます。
>とりわけ方格規矩鏡・内行花文鏡・夔鳳鏡・獣首鏡・至位三公鏡、以上の五種類のものである可能性が強いのです。
>位至三公鏡は、魏の時代(220〜265)に北方地域で新しく起こったものでして、西晋時代(365〜316)に大層流行しましたが、
>呉と西晋時代の南方においては、さほど流行してはいなかったのです。
>日本で出土する位至三公鏡は、その型式と文様からして、魏と西晋時代に北方で流行した位至三公鏡と同じですから、これは魏と西晋の時代に
>中国の北方からしか輸入できなかったものと考えられます。」

じゃあ、邪馬台国が受け取った鏡は位至三公鏡かそれより以前の鏡ってことだな
年代観については文字記録がある中国の方が圧倒的に信頼性が高いし
位至三公鏡が北部九州を中心に分布する以上、北部九州が邪馬台国と考えて差し支えないだろう