【軍事技術】日本の戦車100年 始まりは神戸のマークIV、そこから世界有数の「原産国」に至るまで[10/19]
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■今年は日本に戦車が現れて100周年!
2018年10月17日、日本に初めて戦車がやってきてちょうど100周年を迎えました。100年前のこの日、イギリスより輸入されたマークIV戦車が、神戸に到着したのです。
初めて登場したのは1916(大正5)年9月15日、第一次世界大戦におけるイギリス、フランスの連合国軍とドイツ軍による「ソンムの戦い」でのことでした。
この新兵器は各国に衝撃を与えましたが、当然、日本陸軍(当時)も注目し、わずか1年後の1917(大正6)年には早くも戦車の購入に動き出します。そして調査委員として技術仕官を派遣したのですが、この時はまだヨーロッパでは第一次世界大戦が続いており、継戦状態のイギリスで新兵器「TANK」の調査を始めたのです(第一次世界大戦の休戦は1918年11月11日)。
そして早い段階でイギリス側に対して購入を打診しました。当初、日本は最新のマークV戦車を購入しようとしましたが、戦争中だったこともあり最新型は自国軍で必要とされたため譲ってもらえず、日本に対しては一つ前のタイプであるマークIV戦車が引き渡されました。
それでも日本にとってはようやく手に入れた最新兵器であり、教官役のイギリス人将兵5名(少佐1名、兵士4名)と共に貨物船で日本に向けて運ばれたのです。
こうして長い船旅を経てイギリスから日本に運ばれたマークIV戦車は、前述のように1918(大正7)年10月17日に神戸へ到着、ここで内航船に積み替えられて1週間後の10月24日に横浜へ届けられました。そして横浜港で陸揚げされると、鉄道に載せられて新橋(汐留)まで運ばれ、汐留からは信濃町までイギリス人将兵の操縦で夜間に自走して移動し、青山練兵場などで皇族や高級軍人たちにお披露目となったのです。
■自動車も普及していないのに戦車開発を決断
当時、日本はまだ自動車ですら黎明期でした。日本には1890年代末に自動車が入ってきたものの、当時は超贅沢品で1915(大正4)年の国内の自動車保有台数はわずか897台(日本帝国統計年鑑より)でした。
自動車工場も1907(明治40)年に東京で初めてできたものの、技術的には欧米の模倣がほとんどで、軍用自動車としても大阪砲兵工廠(当時)が細々と作っていただけだったのです。そのため日本陸軍が当初、導入/配備すると決めた戦車を輸入で賄おうと考えたのは致し方なかったといえるでしょう。
そこで陸軍は欧米の戦車メーカーと交渉を進めたのですが、本格的に戦車を開発生産していたのはイギリスとフランスしかなく、前者は自国軍向けの戦車供給で手一杯で日本向けのぶんまで生産する余力はないと断られ、後者は大戦中に生産した中古の戦車が大量に残っているので新規に生産する雰囲気ではありませんでした。なおフランスからは大戦型戦車(ルノーFT)であれば喜んで引き渡すといわれたそうですが、技術革新すなわち性能向上が著しい新兵器である戦車の場合、大戦型戦車(この場合、第一次世界大戦期の戦車のこと)では日本で運用を始めた途端に陳腐化し旧式化することは間違いなく、これらを鑑みて陸軍は戦車の国産開発を決断したのです。
こうして日本で国産戦車の開発がスタートしました。とはいえ、軍用自動車を製作していたのは前述した大阪砲兵工廠のみだったため、おのずと戦車開発もそこになりました。それでも初めてながら1925(大正14)年6月に設計に着手し、1927(昭和2)年2月にほぼ完成という、設計着手より完成までわずか1年9ヶ月という短期間で独自に戦車を作り上げたのですから凄いといえるでしょう。
完成した本車は「試製一号戦車」と名付けられ、3か月後の6月下旬に富士山の麓の御殿場で走行試験を行いましたが、問題なく動き、走行、射撃ともに陸軍の要求を満たしました。
この成功で、本格的に国産戦車にゴーサインが出たことにより、その後八九式軽戦車(後に中戦車に区分変更)や九七式中戦車などにステップアップしていったのです。
■100年前、日本に初めて登場したマークIV戦車。日本が導入したのは機関銃装備型の「雌型」で、大砲は積んでいなかった
https://contents.trafficnews.jp/image/000/023/070/large_181018_tank_01.jpg
https://contents.trafficnews.jp/post_image/000/031/425/large_181018_tank_02.jpg
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https://trafficnews.jp/post/81764 >>37
絵に描いたような聴いた話って嘘のパターンだな
74式で既にキャッチアップできているし日本の国土の防衛に最適化できてる 米との戦争が濃厚になって航空機と船舶の開発生産に重点が移されるまでは日本の戦車開発も運用ドクトリンも最先端だったよ
当時の日本の産業基盤考えると頑張りすぎなくらい頑張ってた >>80-81
ノモンハンの頃は、ソ連の戦車も豆タンクみたいなデザインだったのじゃね。
ドイツでさえ、もっとも最初のオーストリア侵攻の頃はそんな感じのデザイン。
日本は、ノモンハンのときには、航空決戦でソ連に対して一方的な完全勝利した。
99式戦闘機だったか、旧日本軍の伝統、零戦と同一に空中戦格闘能力で
はるかに優れていた。一般に思われているのとは逆、日本が制空権を制したので
ソ連軍の侵攻を阻止したのが、ノモンハン事件だった。
日本の兵が、肉弾特攻の火炎瓶を使って 強力なソ連戦車に挑み
ソ連軍の侵攻を阻止、 なんていうのは、これもフェイクニュースだ
日本のほうはノモンハンでは、戦闘機部隊が空中決戦で勝ちさせすれば
陸上戦用の戦車や火砲についてはどうでもよいいう考えを強力に持つんだね。
結果が、あの外見も醜いようなレベルの原始人的な日本陸軍だったと思う。
日本は、 まあ英や米 とは似ている航空機のみ重視で戦車軽視な考え方。
英などは戦車については米軍シャーマン戦車をフルに使ってたからね。
英は空軍については、唯一のかっこいい液冷エンジンの成功例だった
ロールスロイス社、スピットファイア戦闘機 あるいは、ランカスター重爆撃機
などあったのにね。まあその米のシャーマンにしても、独ソの戦車に
比較すると、けっしてそれを上回ろうと考えてないわ。
航空機重視で戦車軽視は、日英米に共通だよ。
実際に戦ったら、航空兵力に優れたほうが圧倒的に有利だったことも間違いない。
映画「遠すぎた橋」などでも、これが歴然としている。 >>95
ソ連のT−34 が ディーゼル・エンジンだったのは、
ノモンハンで 旧日本陸軍から鹵獲したチハ戦車から
ディーゼル・エンジン技術を盗み取ったとオレは考えている。
ソ連T−34のディーゼルエンジン は、ロシアでの冬季の
凍りつく雪の中でドイツ軍のガソリンエンジン戦車に 勝ったんだ
ロシアの冬季では、ディーゼルエンジンが有効
まあ旧日本陸軍はロシアとの北方での戦いを想定していて
これは海軍とは逆だった、いうことだろう >>66
島では大砲が運べなかったんや。弾は兵隊が一発ずつ担ぐ始末。
大砲がないと何やるかというと、弾幕地帯を夜とかジャングルに紛れて突破して、
陣地に白兵突撃をやる。この戦法はビビって逃げてくれる軍隊には一応有効なんだが、
突撃破砕射撃をやる物量とスコップでの殺し合いに応戦する胆力のある軍隊には通用しない >>98
ノモンハンで、ソ連が日本のチハ戦車から盗用したT−34のディーゼル・エンジンならね。
産業用ディーゼルの発明はドイツでだけど、かつての日本はドイツを手本だったので
ディーゼルの優れた技術は保有していた
たしかにT−34は独戦車に勝てた戦車ではある。
大戦を通じて、T−34は10万台以上もの総生産台数に達した、
ドイツ軍包囲下のペテルスブルグ・モスクワ・ボルゴグラードでも
まだ生き残っていた婦人らが中心になってT−34を生産した マジモンのフォード式で航空機が1時間に一つ工場から出てくるレベルだろ
基礎工業力が全然違う >>79
兵站がズタボロなんだから、平成戦車を持って行ってもダメだったでしょ >>64
拳銃はあんまり役に立たんと思うよ
自動小銃が一番いいけど難しいだろうから
せめて狩猟用の散弾銃かライフルだね
これなら民生品で出回ってるから調達も楽かと >>1
日本だけで使ってるなら国産
世界中で使われているなら原産国
さあどっち >>47
どこが?
大砲積んでるくせにU号戦車にも負けるくらいのゴミだろ ブルドーザーや農業トラクターを改造した物ではなく
また、外国の設計だとかライセンス生産でもなく
第二次世界大戦以前から現在に至まで
戦車を国産化出来たってだけでも相当なものなんだろう
戦車だけでなく、大概の兵器を国産化した
アジアを植民地にしていた欧州列強には
それでも何とか歯が立った
しかし流石にアメリカを敵に回しては
国力の差は如何ともし難い 森高千里さんの「渡良瀬橋」は小さな細い鉄橋ですが、
これは1934年に演習の為、戦車が運べる様にと木造橋を急遽で
鉄橋にしました。 >>108
当時は何処でも少数の戦車に戦車で対抗するのは愚策だったし、
そもそも戦車の主敵は歩兵や陣地であって対戦車戦闘が全てじゃない。 もっとも使ってみると実際には対戦車戦闘がもっとも重要になるのよね
これは戦闘機や一部の艦船でも言えることだが
大体においてこの手の兵器ってのは最初は人や建物、陣地といったものを攻撃するのが目的なのだが、
この兵器が主流になってくると相手のそれを攻撃して破壊する事が最も重要、それが勝利への道となる
よく考えてみたら当然そうなるのは自明の理なのだが、最初はみんな気づかないのよね、最初に気づいたもの、
或いは偶然そういう対応もできるような兵器を持った国が最初に優位に立てる >>52
試作車を除くほぼ全ての10式は、改良型履帯に交換しました(^q^) 今現在戦車を1から設計・製造出来る国は両手で数えるくらいしか無いし >>5
司馬遼太郎は戦車兵だった。
もし戦死してたら「竜馬が行く」等は書かれず、日本人の歴史観が違っていたな。
歴史上の憧れの人物は誰になってたかな? >>112
その理屈なら別にチハが特別優れてることにはならんだろう 普通に気づいてないよ、だから日本はもちろん、英国その他一部の国は戦争で戦車で苦労したんだろうが
てか流れ読めよバカじゃないのかと >>113
オマエ馬鹿でないのか、
英スピットファイアの対戦車ロケット弾によって、
独軍戦車は苦も無く破壊されていった
これだけで二次大戦の勝敗は決定していた
英にとって、戦車ていうのは一次大戦のときに使用して
独を降伏させただけで終了した兵器だった
英の地上攻撃用ロケット弾も、英の独自発明だったな >>120
> 英スピットファイアの対戦車ロケット弾によって、
その話は上の話とは基本関係ない、そもそも否定もしてない、
お前は日本語も読めない理解できない池沼
> オマエ馬鹿でないのか、
よって、お前は物凄いバカだよ、小学生以下 戦史を要約すると、
一次世界大戦 :
英軍、こう着状態だった戦線へ、
秘密兵器のタンク(戦車)を 突然に大量投入
戦線を突破し そのまま独国を降伏させた
二次世界大戦 :
バトルオブブリテンで、英空軍が独空軍にたいして
一方的勝利。 その後は、空からの英軍戦闘機による
ロケット弾を使用した攻撃で独軍を戦車は完全壊滅、
英陸軍の進軍を阻むものは存在しなかった ま、どうでもいいが第二次大戦当初はどの国も戦車は歩兵随伴支援のための歩兵戦車として開発、
使用してたのは変わらんけどね。日本もそうだった。ただドイツやソ連などは比較的対戦車戦闘にも向いてたし
また早めに対戦車戦闘が最も重要、と気づいて対応しただけ、他の国は遅れた国もあった、それだけのこと
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A9%E5%85%B5%E6%88%A6%E8%BB%8A >>124
オマエ、自説にまだ必死だな、
やはり極東アジア人種には、特有に脳のはたらきに欠陥がある
立証できる
独軍戦車でも、ブリッツクリーク(電撃戦)のための機械化機動部隊だった。
戦車の用兵方法は、歩兵随伴などで使うものではない。
これは、一次世界大戦時のソンム戦線など、すでに英軍が有効性を実証していた。 >>125
> オマエ、自説にまだ必死だな、
それ、完全にお前のことだがw
大体俺の説じゃないからwウィキでも、いかなる本にもあるしお前の意味不明の話と違って
完全に一般論ね、俺は本やネットの受け売りで言ってるだけ、自分の考えなどない
> やはり極東アジア人種には、特有に脳のはたらきに欠陥がある
だから、それも完全にお前なw俺は大戦当初までは戦車は対戦車戦闘よりも歩兵支援や
第一次的な使い方を考えてた国が結構あった、と当たり前のことを言ってるだけ
それがなんでスピットファイアとか出てくるのやら、ほんと基地外すぎるからw
> 立証できる
できないね、お前は頭がおかしいよw関係ない、違う話を持ってきてそれで因縁つけるとか
基地外ヤクザの所業ですからw
>クリーク(電撃戦)のための機械化機動部隊だった。
> 戦車の用兵方法は、歩兵随伴などで使うものではない。
いや、ウィキにもあるように実際それで作って使ってるし、日本軍とかだから苦労したわけでしてw
大戦後半は対戦車戦闘も実際他国に基地外としか言いようがないねw 最後の一行は訂正ミス&削除忘れだから気にしないでくれ >>128
> ソースは?
つまり、英国や日本は戦車で苦労したという話すら知らず、その上流れも読んでないわけねw
日本や英国が戦車で大活躍、何の苦労もないし最初から対戦車戦闘を想定した戦車ばかり作ってた、
という珍説を信じるなら、俺の方がソースはと言いたくなるよw イギリスは第二次世界大戦直前から
(偶然だが)対戦車戦闘に向いた戦車を造っているのにもかかわらず
大苦戦してるのは第一次世界大戦の戦勝国故の慢心による運用法と搭載砲以外のクソさから来てる
日本の場合は戦車どころか航空機すら手探り状態で欧米の後追いしかできない
ノモンハン事件の戦車戦は小規模な上にそれほど苦戦してないし、戦車の損害理由の大半は歩兵や砲兵との連携を採らずにソ連軍陣地を攻略したから まあ、何を言っても大戦当初は大半の国が歩兵戦車、戦車とは歩兵の支援のためのもの、
という発想で作ってた事実は変わりませんけどね。対戦車は比較的重視してた国もあっただけで
それを最優先で作ってたわけではない、日本は勿論、英国だってWW1の発想から抜けてなかったのも変わらない 電撃戦を意識することと
戦車による対戦車戦闘は万が一遭遇してしまったときを除いて、普段は回避する
という思想はドイツでも(少なくともフランス戦までは)平行して存在していた。 電撃戦思想だと、徒歩行軍より素早いってのがキモなんだから
歩兵に速度を合わせるってのもアレだと思う >>136
> なぜ答えられないのか
いやあれで答えですよwそういう話出来てる流れを無視してるし別に俺が言い出したわけじゃないし
大戦当初は多くが対戦車戦闘専門で作ってたわけじゃないのも変わらん、違うか?
そもそもとっくにWik提示してるしね、
それはなぜ無視するのか、と言えば黙りますかね。 そもそもとっくにWik提示してるしね、無視ですかw ならそれを言えば良いだけなんだよなあ
意味もなく必死になっててキモい 何かどこぞの隣国みたいな記事で嫌だな。
起源を主張してないだけマシだけどさ。 >>140
> ならそれを言えば良いだけなんだよなあ
だから言ってるじゃん、頭おかしいの?
> 意味もなく必死になっててキモい
それ完全に君なんですがねw
人のレスに意味不明で滅茶苦茶なレスを先に付け始めたキモイ粘着くんw
俺からそっちにレスを付け始めたわけじゃないんでね ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています