【軍事技術】日本の戦車100年 始まりは神戸のマークIV、そこから世界有数の「原産国」に至るまで[10/19]
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■今年は日本に戦車が現れて100周年!
2018年10月17日、日本に初めて戦車がやってきてちょうど100周年を迎えました。100年前のこの日、イギリスより輸入されたマークIV戦車が、神戸に到着したのです。
初めて登場したのは1916(大正5)年9月15日、第一次世界大戦におけるイギリス、フランスの連合国軍とドイツ軍による「ソンムの戦い」でのことでした。
この新兵器は各国に衝撃を与えましたが、当然、日本陸軍(当時)も注目し、わずか1年後の1917(大正6)年には早くも戦車の購入に動き出します。そして調査委員として技術仕官を派遣したのですが、この時はまだヨーロッパでは第一次世界大戦が続いており、継戦状態のイギリスで新兵器「TANK」の調査を始めたのです(第一次世界大戦の休戦は1918年11月11日)。
そして早い段階でイギリス側に対して購入を打診しました。当初、日本は最新のマークV戦車を購入しようとしましたが、戦争中だったこともあり最新型は自国軍で必要とされたため譲ってもらえず、日本に対しては一つ前のタイプであるマークIV戦車が引き渡されました。
それでも日本にとってはようやく手に入れた最新兵器であり、教官役のイギリス人将兵5名(少佐1名、兵士4名)と共に貨物船で日本に向けて運ばれたのです。
こうして長い船旅を経てイギリスから日本に運ばれたマークIV戦車は、前述のように1918(大正7)年10月17日に神戸へ到着、ここで内航船に積み替えられて1週間後の10月24日に横浜へ届けられました。そして横浜港で陸揚げされると、鉄道に載せられて新橋(汐留)まで運ばれ、汐留からは信濃町までイギリス人将兵の操縦で夜間に自走して移動し、青山練兵場などで皇族や高級軍人たちにお披露目となったのです。
■自動車も普及していないのに戦車開発を決断
当時、日本はまだ自動車ですら黎明期でした。日本には1890年代末に自動車が入ってきたものの、当時は超贅沢品で1915(大正4)年の国内の自動車保有台数はわずか897台(日本帝国統計年鑑より)でした。
自動車工場も1907(明治40)年に東京で初めてできたものの、技術的には欧米の模倣がほとんどで、軍用自動車としても大阪砲兵工廠(当時)が細々と作っていただけだったのです。そのため日本陸軍が当初、導入/配備すると決めた戦車を輸入で賄おうと考えたのは致し方なかったといえるでしょう。
そこで陸軍は欧米の戦車メーカーと交渉を進めたのですが、本格的に戦車を開発生産していたのはイギリスとフランスしかなく、前者は自国軍向けの戦車供給で手一杯で日本向けのぶんまで生産する余力はないと断られ、後者は大戦中に生産した中古の戦車が大量に残っているので新規に生産する雰囲気ではありませんでした。なおフランスからは大戦型戦車(ルノーFT)であれば喜んで引き渡すといわれたそうですが、技術革新すなわち性能向上が著しい新兵器である戦車の場合、大戦型戦車(この場合、第一次世界大戦期の戦車のこと)では日本で運用を始めた途端に陳腐化し旧式化することは間違いなく、これらを鑑みて陸軍は戦車の国産開発を決断したのです。
こうして日本で国産戦車の開発がスタートしました。とはいえ、軍用自動車を製作していたのは前述した大阪砲兵工廠のみだったため、おのずと戦車開発もそこになりました。それでも初めてながら1925(大正14)年6月に設計に着手し、1927(昭和2)年2月にほぼ完成という、設計着手より完成までわずか1年9ヶ月という短期間で独自に戦車を作り上げたのですから凄いといえるでしょう。
完成した本車は「試製一号戦車」と名付けられ、3か月後の6月下旬に富士山の麓の御殿場で走行試験を行いましたが、問題なく動き、走行、射撃ともに陸軍の要求を満たしました。
この成功で、本格的に国産戦車にゴーサインが出たことにより、その後八九式軽戦車(後に中戦車に区分変更)や九七式中戦車などにステップアップしていったのです。
■100年前、日本に初めて登場したマークIV戦車。日本が導入したのは機関銃装備型の「雌型」で、大砲は積んでいなかった
https://contents.trafficnews.jp/image/000/023/070/large_181018_tank_01.jpg
https://contents.trafficnews.jp/post_image/000/031/425/large_181018_tank_02.jpg
https://contents.trafficnews.jp/post_image/000/031/426/large_181018_tank_03.jpg
https://contents.trafficnews.jp/post_image/000/031/427/large_181018_tank_04.jpg
https://contents.trafficnews.jp/post_image/000/031/428/large_181018_tank_05.jpg
https://contents.trafficnews.jp/post_image/000/031/429/large_181018_tank_06.jpg
https://trafficnews.jp/post/81764 またしじみはスレチのスレ立てかよ
せめて、戦車の科学技術について、的なものにしろや
あんまり舐めたことしてると記者資格はく奪されるぞ 最近戦車ネタが科学N板で多いのはそういうことだったのかw あのね
その百年の内
世界標準に追いついたのは
90式になってからだぞ いや殺人専用の道具だぞ
めでたいことのように言うな そろそろヒトマル君も、二代目チハタンを襲名しても良いと思うの。 >>6
戦車は、対人目的の兵器じゃないぞ
対人用兵器というのは、小銃や機関銃、毒ガスや火炎放射器 港湾の、陸揚げ設備(クレーンとか)の重量制限で、日本の戦車は・・・
軽量装甲車輛しか 作れなったとか
日本国内の道路の地下の上下水他ライフラインが マークW移送中の重量に耐えられるか 一発勝負の移送だったり
作っても国内で使えない陸揚げ出来ないとか技師たちを鍛え、作った後のインフラ含め、様々な分野の基礎工業力を底上げした 教材だね
歴史に埋もれているが、様々な基礎を学んだ 一品ですね で実践での評価は?
ディスプレイ用で何台作ったの? >>10
中国と朝鮮とアジアでの港湾設備が貧弱で、重量優先で豆タンク量産運用が効率的だと 落ち着いたんじゃね?
重戦車開発しても、荷卸しできる港が殆どないから、現地生産する なんてアホだし
マークWは、アジアの貧相な所では運用できず 結局 クズ鉄で 消えたんじゃね? >>11
設計が陸軍技術本部、試作が陸軍造兵廠ってのが日本戦車の最大の欠点だった
このために競争原理が働かず、駄目な戦車が製造されることになった >>9
ばらして陸揚げした後に組み立てるって発想はなかったのかな? >>5
確か機関銃で撃たれただけで装甲のリベットが内部を跳ね回り乗員が死ぬとか聞いたな >>15
実際はどうだったのだろうね?
飛行機は搭乗員が書いた戦記物が一杯あるけれど、戦車は戦車兵が残した実情の戦記は見かけない >>14
豆タンク 3〜6t
九七式中戦車チハ 15t
マウス 188t
ティーガーU 70t
マークW 28t
M4シャーマン 30t
近代戦の朝鮮戦争の事は詳しくは知らないけど、その頃でも、40tの現地改修のスーパーパーシングは不動の野砲、移動できるインフラが無くて戦車戦は、あったの?です
むかし、web図書館でチハの荷揚げ出来る港湾設備を調べた時に知りましが(たぶん小学館発行)、当時は荷揚げ設備の重量制限して設計したそうです
輸送、物流面からの視点だけど 戦争だから、組み立てたら使える兵器より 今からから使える兵器なんでは?
そして・・・物流面から見た 当時のアジアの荷揚げ能力が低いのは、日本以外が植民地で機械より激安の奴隷だったからか?
現地労働者が組み立てることができる、教育や基礎工業力も無かったかもですね >>16
防衛研究所には当時の戦車兵のクレーム集が残ってるらしい
ライフル弾が隙間から破片になって入ってきて負傷者が出たとか >>16
やられメカのチハタン(九七式中戦車)でも敵に戦車がいなければ無双できた
マレーの戦いではイギリス軍より少ない兵力でシンガポールを落としたよ >>16
日本では、戦車は完璧に秘密兵器。
戦後になってからでも、戦記とかにも秘密。
戦記で、遊撃軍というような名前で移動速度が
早いものは、戦車集団のことだ。読者各自で
かってに想像するように。マレー半島の銀輪部隊
という名前で、自転車部隊のことも戦車集団のことだ。
日本の戦車は戦後しばらく長い間は、写真すら
出版されなかった。 >>21
いや、そういう種類の運用方法ではない。側面から
戦車集団が最前線を突破、そのまま高速で後方の
補給基地を奪取する。すると、中国軍の最前線は
補給が途絶えるので浮き足立って、簡単に逃走。
この運動を繰り返して、中国大陸を高速に進軍して
いった。もちろんそれと前後して、飛行機からの
地上攻撃も行っていた。
オマエラ、けっして銃剣と日本刀で突撃した勇気で
勝っていたのでは、なかったぞ。 >>17
> 輸送、物流面からの視点だけど 戦争だから、組み立てたら使える兵器より 今からから使える兵器なんでは?
米軍は製造した航空機をバラして箱詰めし、欧州戦線に送って組み立てていたヨ >>22
> 日本では、戦車は完璧に秘密兵器。
https://www.youtube.com/watch?v=wrLUq_QLOfU&feature=youtu.be&t=27
普通に見せていたと思うけれど? >>28
スゲー、数の戦車だな それは、勝つわ
おれなんか、そういうフィルム見たの初めてだ
インパール作戦で、動物の象に乗って進軍する
写真はよく知ってるけどな。これもフェイクだったようだ >>23
> オマエラ、けっして銃剣と日本刀で突撃した勇気で
> 勝っていたのでは、なかったぞ。
確かにw
そういった誤解をする奴って実際に機関銃を撃っているところを見たことがないんじゃねーかなァ
アレを体験したら銃剣突撃なんて無理だと悟るワ >>29
インパール作戦って大半は山岳戦だったからなァ
牛や馬も程なく脱落した見たいだね 戦車が活躍する物語造りたいからって、国内に司馬遼太郎元戦車乗りがいるのに、
わざわざドイツのオットー・カリウスに戦車乗りの体験談聞きに行った
のが左翼ミリオタ宮崎駿。 戦前の戦車のサイズが小さいのは輸送の関係である。
貨物列車の幅に合わせて設計をする。
情けない好い話だなあ〜 >>16
鉄の棺桶の中の人がどうなったか、わかるだろ 陸軍の予算の4割程は戦車だったんだよなァ
それであの体たらくって何なの?って思うゾ
特に対戦の後期になると、なんら活躍することはなかった
予算をパンツアーファウスト的な対戦車兵器につぎ込んだら遥かに有用だった >>35
うむ。日本軍こそパンツァーファウスト系を開発して大量生産すべきだったな。
勇敢な日本兵に一番向いてる兵器かも知れん。 戦車大隊長までやった元陸将補に聞いてみたことがある(^o^)
「戦闘ドクトリンの話をしていて、「何で90式を作ったんですか」って
するといやな顔をして「それまで日本は追いつけ追い越せだったじゃないか」と言われた
まぁ、本格的に日本の地勢を元に戦闘ドクトリンを考えて作ったのは10式からだろうよ、、、 >>32 宮崎駿は、ミリオタこじらせて左に行ったんだよね。日本軍の戦車何ぞ描く気は全く無い。中島飛行機の末裔スバルも大嫌い。 >>31
インパール作戦は、英本国から飛来したスピットファイア戦闘機部隊による
空からのロケット弾と8門の7.7mm機銃だよ。これで、日本軍は
地獄の戦場、インパールになったわけだ
欧州でも、空からの攻撃で簡単に撃破されまくった
https://www.youtube.com/watch?v=OJQBeNoCS_E
オマエラ、戦争の勝敗は、科学技術力が全てだ。
精神力や天皇力で、勝つんだ、など馬鹿なことを言うなよ
そういうことを教えたのが、戦時中の朝鮮人韓国人軍部独裁指導者らだよ
教育勅語を教える????また、朝鮮人か! 有数の原産国とかw
戦って性能を証明出来ない
高価なオモチャの間違いやろ… 田宮からモーターライズで出たやつかな
あれは動きが面白いかった >>15
因みに日本戦車のリベットの先端は
銃弾を弾き飛ばす跳弾効果をねらった円錐状に成型されている >>4
チハタンだって世界水準には追いついてたぞ、登場したばかりの時は。
日本戦車はその後は大戦中ろくすっぽ進化しなかっただけで。 >>25
そのとおり!
アジアの植民地奴隷より、欧州由来で生まれた乞食の方が 教育が行き届いていたんだね
日本以外のアジアの植民地って、基礎が無いからモノマネすら出来ないほどの 悲惨な奴隷だったんだろう
ご指摘の通り、だね >>41
オモチャで済んでるならいいじゃないか
お前さんは戦車が獅子奮迅の活躍する大戦争を望んでるのかな? スラローム射撃させられすぎて履帯外れる10式が可哀想です 主戦場が、日本より兵器で劣る中国で、南方の方は戦車が使えないジャングルじゃ
戦車なんて無くてもなんとかなったんやなかろうか >>51
一般的な性能を確かめるだけなら
「自分達が使って」確かめる必要はないんだよ?(by国際的ビジネスマン) >>35
トイレのスッポンみたいな手で押し付けろとか日本軍ずれすぎ まともな国産ガソリンエンジン作れなかったのでディーゼルエンジン使ってたのは軍事機密です
(ガソリンエンジンだとガソリン漏れてエンジンかけると爆発炎上するから) >>57
普通、戦車のエンジンはディーゼルなのでは? 第2次大戦期だと、ソビエトがノモンハン戦以後、ディーゼル化。
アメリカとドイツはガソリンだったと思う。
ディーゼルの取り柄は燃費と対火災耐性。高圧燃料ポンプが大変で、別に技術的に易しくはないよね。
日本は、シール材の工業が特に未熟だったと言う事かなあ?
航空エンジンでも柿シブを染み込ませた紙だか布だかをシール材にしていた話があった気がする。 >>59
そんな予算余裕がない
なによりも、90式は日本の防衛&PKFに必要性が少ない兵器
90式の改修よりも、16式の軽量小型化の方が必要 下町の戦闘機 X-2改希望する
戦車なんか忘れてしまえ 軍事費なんて削って年金増やせよ。いざとなったら国民全員に拳銃くばれ >>1
日本の戦車の起源は韓国にあるのは世界の常識ニダ
それを知らないのは『私はネトウヨです』と言っているのと同じニダ >>53
それが沖縄戦の肉弾攻撃・・・
他に歩兵による対戦車戦法が・・・
野砲に頼るしか・・・ >>63
自走砲は、動かない目標の攻撃には良いけど、動く目標の攻撃は不向き
敵戦車群と戦うには、戦車がないと厳しい
航空優性が有れば、上から叩けば良いけど、
相手が戦車を出す=こちらの航空優性はない、状態ですからね >>37
本職は大局から論じることが苦手(というか意図的に封じられてる)からね
原則、想定される戦場=東アジア一帯(戦後は国内)の地勢を元に考えて作ってるよ
オイ車みたいなバカは除いてw
ただ61式以後大戦中のトラウマで重量が増大する傾向があったのは事実だけど対ソ連=北海道専用に特化した90式は異端
装甲化された両用部隊の奇襲侵攻という悪夢から醒めた現代で基本に立ち返った10式が(相対的に)軽量なのは当然 >>68
現代のFCSならば遠距離から移動目標に必中させるのは容易い(特に我が軍wは)
ただ十分にアウトレンジするためには大口径対戦車砲の搭載が必要になるが各国でその開発が停滞してる現状では難しい 10式とレオパルド2の何れかで戦うならどちらに乗りたいか >>4
だよね。
ロシアがT34とか作ってるときに平べったいダンボールみたいな戦車作ってたよね。 >>70
道路を定速移動してる車両は当てれても、
戦闘で回避運動してる戦車は無理でしょ
奇襲はできても、戦闘状態になったら、
自走砲は逃げ切るか、全滅するかの戦いかと
>>71
戦場による >>74
知ってると思うが10式はスラロームしながら移動目標に遠距離狙撃で初弾を当てる
つまり定常的な見越し角で射撃してないって事
単に派手に見せてるわけじゃなくてFCSの優越を(地獄でうめくチャーチルに)見せつけてるってわけだ
加えて現実の戦車はアニメみたいに俊敏な動きが出来ないから発砲炎見てから避けるなんてこともできない
射程に余裕のある砲が使えれば適当に削ってから後方へ下がるという戦法が使える
実際WW2はそれでやりあった >>4
何で書いてあることをわざわざ妙に偉そうに書いてるんだ? >>63
自走砲じゃなくてC-2輸送機に搭載可能なタイヤ8輪の16式機動戦闘車 だった ノモンハン事件の時点ではまだ日本の戦車は使い物にならなかった。 ,rニ)
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ヾ゛il、シ、0ノ、Oト、r'ー―r'(_X_i__Y_i_Y_Yr_i_-__r__シ三r'"´ >>35
でも肝心の和製パンツァーファウストは
本家のドイツ製と比較して
発射できない可能性大だわ
傾斜してると不発するわ
命中率はクソでどれだけ活躍できたか怪しいものだ
そもそもパンツァーファウストやバズーカ系統の武器は
ドイツ側からの技術提供が遅すぎて、戦車の予算回しても間に合わないし
現物がないからコピーという近道もできない。 >>79
日本国内の戦闘なら、相手国も重量級戦車の大量輸送は不可なのでOK
海外での大規模戦闘は、当分参加しないだろうし、
あるとすれば、PKFで戦闘に巻き込まれる程度なので、これもOK
ただ、PKFで10式を持ち出すことはないでしょう
極低い可能性としても16式でしょうね
PKFには、16式を更に小型軽量化した戦闘車両かと 左巻きは蒋介石を追放した毛沢東のハー軍の原動力となったチハ車を評価すべき >>57
それ大分事実と違うからw(大体、空冷ディーゼルエンジン作るのは結構技術力いるのよね
もっともガソリンで作っても日本の戦車がどうにかなったとも思えないけどさ 戦車は撃つとき砲台さらさないとだから熟練者じゃないとただの鉄屑
ミサイル型の方がまだいい >>64
何でイエローモンキーは一般庶民に肉弾戦やらせようとする基地外が多いのかな? >>71
> 10式とレオパルド2の何れかで戦うならどちらに乗りたいか
10式は不明な点が多いからね、何とも
時速80キロ以上出せてかつ運転手と砲手が優秀なら
例え装甲がやや劣っていても乗ってみたい、とは思うよw >>86
技術的にはガソリンエンジンのほうが作りやすくて軽量に作れた。
というかチハの後継車の初期案は重くて造りづらいディーゼルエンジン辞めてガソリンエンジンにする案もあった。
ただ、ガソリンエンジンにすると月々の燃料費がディーゼルの3倍に高騰するわ
ディーゼルエンジンとは違って質の高いガソリンじゃないと動けないと問題だらけ >>37
絵に描いたような聴いた話って嘘のパターンだな
74式で既にキャッチアップできているし日本の国土の防衛に最適化できてる 米との戦争が濃厚になって航空機と船舶の開発生産に重点が移されるまでは日本の戦車開発も運用ドクトリンも最先端だったよ
当時の日本の産業基盤考えると頑張りすぎなくらい頑張ってた >>80-81
ノモンハンの頃は、ソ連の戦車も豆タンクみたいなデザインだったのじゃね。
ドイツでさえ、もっとも最初のオーストリア侵攻の頃はそんな感じのデザイン。
日本は、ノモンハンのときには、航空決戦でソ連に対して一方的な完全勝利した。
99式戦闘機だったか、旧日本軍の伝統、零戦と同一に空中戦格闘能力で
はるかに優れていた。一般に思われているのとは逆、日本が制空権を制したので
ソ連軍の侵攻を阻止したのが、ノモンハン事件だった。
日本の兵が、肉弾特攻の火炎瓶を使って 強力なソ連戦車に挑み
ソ連軍の侵攻を阻止、 なんていうのは、これもフェイクニュースだ
日本のほうはノモンハンでは、戦闘機部隊が空中決戦で勝ちさせすれば
陸上戦用の戦車や火砲についてはどうでもよいいう考えを強力に持つんだね。
結果が、あの外見も醜いようなレベルの原始人的な日本陸軍だったと思う。
日本は、 まあ英や米 とは似ている航空機のみ重視で戦車軽視な考え方。
英などは戦車については米軍シャーマン戦車をフルに使ってたからね。
英は空軍については、唯一のかっこいい液冷エンジンの成功例だった
ロールスロイス社、スピットファイア戦闘機 あるいは、ランカスター重爆撃機
などあったのにね。まあその米のシャーマンにしても、独ソの戦車に
比較すると、けっしてそれを上回ろうと考えてないわ。
航空機重視で戦車軽視は、日英米に共通だよ。
実際に戦ったら、航空兵力に優れたほうが圧倒的に有利だったことも間違いない。
映画「遠すぎた橋」などでも、これが歴然としている。 >>95
ソ連のT−34 が ディーゼル・エンジンだったのは、
ノモンハンで 旧日本陸軍から鹵獲したチハ戦車から
ディーゼル・エンジン技術を盗み取ったとオレは考えている。
ソ連T−34のディーゼルエンジン は、ロシアでの冬季の
凍りつく雪の中でドイツ軍のガソリンエンジン戦車に 勝ったんだ
ロシアの冬季では、ディーゼルエンジンが有効
まあ旧日本陸軍はロシアとの北方での戦いを想定していて
これは海軍とは逆だった、いうことだろう >>66
島では大砲が運べなかったんや。弾は兵隊が一発ずつ担ぐ始末。
大砲がないと何やるかというと、弾幕地帯を夜とかジャングルに紛れて突破して、
陣地に白兵突撃をやる。この戦法はビビって逃げてくれる軍隊には一応有効なんだが、
突撃破砕射撃をやる物量とスコップでの殺し合いに応戦する胆力のある軍隊には通用しない >>98
ノモンハンで、ソ連が日本のチハ戦車から盗用したT−34のディーゼル・エンジンならね。
産業用ディーゼルの発明はドイツでだけど、かつての日本はドイツを手本だったので
ディーゼルの優れた技術は保有していた
たしかにT−34は独戦車に勝てた戦車ではある。
大戦を通じて、T−34は10万台以上もの総生産台数に達した、
ドイツ軍包囲下のペテルスブルグ・モスクワ・ボルゴグラードでも
まだ生き残っていた婦人らが中心になってT−34を生産した マジモンのフォード式で航空機が1時間に一つ工場から出てくるレベルだろ
基礎工業力が全然違う >>79
兵站がズタボロなんだから、平成戦車を持って行ってもダメだったでしょ >>64
拳銃はあんまり役に立たんと思うよ
自動小銃が一番いいけど難しいだろうから
せめて狩猟用の散弾銃かライフルだね
これなら民生品で出回ってるから調達も楽かと >>1
日本だけで使ってるなら国産
世界中で使われているなら原産国
さあどっち >>47
どこが?
大砲積んでるくせにU号戦車にも負けるくらいのゴミだろ ブルドーザーや農業トラクターを改造した物ではなく
また、外国の設計だとかライセンス生産でもなく
第二次世界大戦以前から現在に至まで
戦車を国産化出来たってだけでも相当なものなんだろう
戦車だけでなく、大概の兵器を国産化した
アジアを植民地にしていた欧州列強には
それでも何とか歯が立った
しかし流石にアメリカを敵に回しては
国力の差は如何ともし難い 森高千里さんの「渡良瀬橋」は小さな細い鉄橋ですが、
これは1934年に演習の為、戦車が運べる様にと木造橋を急遽で
鉄橋にしました。 >>108
当時は何処でも少数の戦車に戦車で対抗するのは愚策だったし、
そもそも戦車の主敵は歩兵や陣地であって対戦車戦闘が全てじゃない。 もっとも使ってみると実際には対戦車戦闘がもっとも重要になるのよね
これは戦闘機や一部の艦船でも言えることだが
大体においてこの手の兵器ってのは最初は人や建物、陣地といったものを攻撃するのが目的なのだが、
この兵器が主流になってくると相手のそれを攻撃して破壊する事が最も重要、それが勝利への道となる
よく考えてみたら当然そうなるのは自明の理なのだが、最初はみんな気づかないのよね、最初に気づいたもの、
或いは偶然そういう対応もできるような兵器を持った国が最初に優位に立てる >>52
試作車を除くほぼ全ての10式は、改良型履帯に交換しました(^q^) 今現在戦車を1から設計・製造出来る国は両手で数えるくらいしか無いし >>5
司馬遼太郎は戦車兵だった。
もし戦死してたら「竜馬が行く」等は書かれず、日本人の歴史観が違っていたな。
歴史上の憧れの人物は誰になってたかな? >>112
その理屈なら別にチハが特別優れてることにはならんだろう 普通に気づいてないよ、だから日本はもちろん、英国その他一部の国は戦争で戦車で苦労したんだろうが
てか流れ読めよバカじゃないのかと >>113
オマエ馬鹿でないのか、
英スピットファイアの対戦車ロケット弾によって、
独軍戦車は苦も無く破壊されていった
これだけで二次大戦の勝敗は決定していた
英にとって、戦車ていうのは一次大戦のときに使用して
独を降伏させただけで終了した兵器だった
英の地上攻撃用ロケット弾も、英の独自発明だったな >>120
> 英スピットファイアの対戦車ロケット弾によって、
その話は上の話とは基本関係ない、そもそも否定もしてない、
お前は日本語も読めない理解できない池沼
> オマエ馬鹿でないのか、
よって、お前は物凄いバカだよ、小学生以下 戦史を要約すると、
一次世界大戦 :
英軍、こう着状態だった戦線へ、
秘密兵器のタンク(戦車)を 突然に大量投入
戦線を突破し そのまま独国を降伏させた
二次世界大戦 :
バトルオブブリテンで、英空軍が独空軍にたいして
一方的勝利。 その後は、空からの英軍戦闘機による
ロケット弾を使用した攻撃で独軍を戦車は完全壊滅、
英陸軍の進軍を阻むものは存在しなかった ま、どうでもいいが第二次大戦当初はどの国も戦車は歩兵随伴支援のための歩兵戦車として開発、
使用してたのは変わらんけどね。日本もそうだった。ただドイツやソ連などは比較的対戦車戦闘にも向いてたし
また早めに対戦車戦闘が最も重要、と気づいて対応しただけ、他の国は遅れた国もあった、それだけのこと
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A9%E5%85%B5%E6%88%A6%E8%BB%8A >>124
オマエ、自説にまだ必死だな、
やはり極東アジア人種には、特有に脳のはたらきに欠陥がある
立証できる
独軍戦車でも、ブリッツクリーク(電撃戦)のための機械化機動部隊だった。
戦車の用兵方法は、歩兵随伴などで使うものではない。
これは、一次世界大戦時のソンム戦線など、すでに英軍が有効性を実証していた。 >>125
> オマエ、自説にまだ必死だな、
それ、完全にお前のことだがw
大体俺の説じゃないからwウィキでも、いかなる本にもあるしお前の意味不明の話と違って
完全に一般論ね、俺は本やネットの受け売りで言ってるだけ、自分の考えなどない
> やはり極東アジア人種には、特有に脳のはたらきに欠陥がある
だから、それも完全にお前なw俺は大戦当初までは戦車は対戦車戦闘よりも歩兵支援や
第一次的な使い方を考えてた国が結構あった、と当たり前のことを言ってるだけ
それがなんでスピットファイアとか出てくるのやら、ほんと基地外すぎるからw
> 立証できる
できないね、お前は頭がおかしいよw関係ない、違う話を持ってきてそれで因縁つけるとか
基地外ヤクザの所業ですからw
>クリーク(電撃戦)のための機械化機動部隊だった。
> 戦車の用兵方法は、歩兵随伴などで使うものではない。
いや、ウィキにもあるように実際それで作って使ってるし、日本軍とかだから苦労したわけでしてw
大戦後半は対戦車戦闘も実際他国に基地外としか言いようがないねw 最後の一行は訂正ミス&削除忘れだから気にしないでくれ >>128
> ソースは?
つまり、英国や日本は戦車で苦労したという話すら知らず、その上流れも読んでないわけねw
日本や英国が戦車で大活躍、何の苦労もないし最初から対戦車戦闘を想定した戦車ばかり作ってた、
という珍説を信じるなら、俺の方がソースはと言いたくなるよw イギリスは第二次世界大戦直前から
(偶然だが)対戦車戦闘に向いた戦車を造っているのにもかかわらず
大苦戦してるのは第一次世界大戦の戦勝国故の慢心による運用法と搭載砲以外のクソさから来てる
日本の場合は戦車どころか航空機すら手探り状態で欧米の後追いしかできない
ノモンハン事件の戦車戦は小規模な上にそれほど苦戦してないし、戦車の損害理由の大半は歩兵や砲兵との連携を採らずにソ連軍陣地を攻略したから まあ、何を言っても大戦当初は大半の国が歩兵戦車、戦車とは歩兵の支援のためのもの、
という発想で作ってた事実は変わりませんけどね。対戦車は比較的重視してた国もあっただけで
それを最優先で作ってたわけではない、日本は勿論、英国だってWW1の発想から抜けてなかったのも変わらない 電撃戦を意識することと
戦車による対戦車戦闘は万が一遭遇してしまったときを除いて、普段は回避する
という思想はドイツでも(少なくともフランス戦までは)平行して存在していた。 電撃戦思想だと、徒歩行軍より素早いってのがキモなんだから
歩兵に速度を合わせるってのもアレだと思う >>136
> なぜ答えられないのか
いやあれで答えですよwそういう話出来てる流れを無視してるし別に俺が言い出したわけじゃないし
大戦当初は多くが対戦車戦闘専門で作ってたわけじゃないのも変わらん、違うか?
そもそもとっくにWik提示してるしね、
それはなぜ無視するのか、と言えば黙りますかね。 そもそもとっくにWik提示してるしね、無視ですかw ならそれを言えば良いだけなんだよなあ
意味もなく必死になっててキモい 何かどこぞの隣国みたいな記事で嫌だな。
起源を主張してないだけマシだけどさ。 >>140
> ならそれを言えば良いだけなんだよなあ
だから言ってるじゃん、頭おかしいの?
> 意味もなく必死になっててキモい
それ完全に君なんですがねw
人のレスに意味不明で滅茶苦茶なレスを先に付け始めたキモイ粘着くんw
俺からそっちにレスを付け始めたわけじゃないんでね ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています