魏志倭人伝の距離は移動しながら書いてるんじゃないかな?
数はすべて10倍ルールに基づき表記されている。

・狗奴韓国から海を渡って対馬を見ながら壱岐に移動
・壱岐から見える唐津-伊都国の陸上距離が500里
・壱岐から博多湾に移動し、東南に奴国を見ながら東の不弥国に入る(海岸から100里)
・不弥国から南に移動し、奴国を経由して邪馬台国入口(鳥栖あたり)に至る
・有明海沿岸を南に水行2日(※)で投馬国(雲仙市 吾妻)に至るという話を聞く
・お迎えが来てすぐ南の邪馬台国に入る
ここが女王のいる12000里の場所(朝倉市-久留米市-うきは市の三角地帯)だろう。

※水行10日、陸行一月については里数変換の定義とみて、水行1涛は1200里、陸麹s1日は400里(該当なし)
 当時の久留米市あたりは有明海の海岸であり、投馬国までの水行は2400里≒104km