文献史学では決められないのは明らか

あとは考古学的出土物、遺跡や遺構から考えていくことになる

古墳時代には日本列島の広い範囲で前方後円墳を作るという合意が為されており、
それが事実上倭国の範囲そのものと見なせる

そして古墳時代の全期間を通じて各時期の最大の古墳は畿内に作られ続け、畿内に
前方後円墳体制の盟主があることは明白

ここまでは、「ごく一部の九州説(九州王朝説:古田史学の一派)」以外は認めること

邪馬台国論争は、邪馬台国の絶対年代が古墳時代に入っているかどうかに焦点がある

そして、学究畑では編年研究の成果から3世紀初頭には前方後円墳体制が成立していたと
考えられるようになっている

これが全てだよ
既に決着済み