【古代】アメリカ先住民カルーサ王国の巨大住居跡を発見、記録と一致[06/18]
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0001しじみ ★
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2018/06/21(木) 21:34:55.43ID:CAP_USER
1566年2月、玉座に腰掛けていたアメリカ先住民カルーサ族の王カーラスは、
奇妙な人々の行列が自分の住居に向かってくるのを見た。

 スペイン人の提督ペドロ・メネンデス・デ・アビレスは、200人の兵士、太鼓や笛の奏者、
歌い踊る道化師を集め、銃の火縄に火をつけ、聖書の文字を掲げながら、
フロリダの人工島マウンドキーを登っていった。
当時、南フロリダの広い範囲を統治していたカーラス王を威圧するためだ。

 このほど考古学者たちは、スペイン人とカーラス王の会見が開かれた建物の痕跡を初めて発見した。
王の住居の復元図は、それがスペイン人の宣教師たちが残した記録どおり、
2000人を収容できる目をみはるような建物だったことを示している。

考古学の学術誌『Journal of Anthropological Archaeology』オンライン版で
6月1日に報告された王の住居の発見は、カルーサ族の暮らしについて新たな洞察をもたらすものだ。
カルーサ族は、人類学の通説に反して、農業を基盤とせずに複雑な社会を形成したことで知られる。

 論文の共著者で、米フロリダ自然史博物館の南フロリダ考古学・民族誌学の学芸員である
ウィリアム・マーカート氏は、「カルーサ族のように漁労・採集・狩猟生活を送り、
複雑な社会を形成した例は非常に珍しく、以前から魅力的な研究対象でした」と言う。

■海辺の強大な王国

 かつて、複雑な社会をもつ集団は、ほとんどが農業を基礎にしていた。
人口と労働力を維持できるだけの食料を生産するためだ。
しかしカルーサ族を支えていたのは、沿岸、河口、マングローブでの、ボラ、サメ、ウミガメ、貝などの漁だった
(つい最近も、フロリダ沿岸で7000年前のアメリカ先住民の埋葬地が発見されている)。

 彼らは主に海産物を食べ、不足分はシカや鳥などで補っていた。
野生の植物も採集したが、小さな家庭菜園でチリペッパー、パパイヤ、
ヒョウタンを育てる以外の畑作をすることはなかった。

それにもかかわらず、16世紀のカルーサ族の文化は、
聖職者、軍隊、網の目のように張りめぐらされた運河、広がる通商路、
各地の村に住む2万人以上から貢物を集める王など、農耕社会に近い特徴を備えていた。
マウンドキーはカルーサ族の人々がカキとハマグリの貝殻を積み上げて作った巨大な人工島で、
いちばん高い場所には王の立派な住居があった。

 カルーサ族は植民地化とキリスト教への改宗に激しく抵抗したことで知られる。
1521年、ヨーロッパ人として初めてフロリダに到達したフアン・ポンセ・デ・レオンを矢で射て致命傷を負わせたのもカルーサ族の戦士だった。


ギャラリー:カルーサ王国の巨大住居跡を発見、写真7点(写真クリックでギャラリーページへ)
上空から見たマウンドキー遺跡の発掘現場。カルーサ王の住居跡の一部が見える。

 メネンデスは、南フロリダを植民地化する任務を負ってこの地にやって来た。
しかし、カルーサ族の敵意が高まってきたり、暗殺計画が不首尾に終わるなどした結果、
着任から3年で撤退を余儀なくされた。その後スペイン人は100年以上カルーサ族に接触することはなかった。
1697年にフランシスコ会士がやって来たが、すぐに追い出され、のちにフロリダキーズ諸島で、
カヌーの中で、裸で死にかけているところを発見された。

 その後もカルーサ族は独立を保ち続けたが、スペインの植民地政策による被害は非常に大きかった。
ヨーロッパ人がフロリダに持ち込んだ病気の蔓延により、カルーサ族の人口は17世紀末には約2000人まで減少し、
銃によって武装したほかの先住民による攻撃にさらされるようになった。

 18世紀末までにカルーサ族の王国は崩壊し、生き残った人々はフロリダキーズ諸島やキューバに逃れた。

続きはソースで

http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/16/b/061500193/00.jpg
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/16/b/061500193/01.jpg
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/16/b/061500193/06.jpg

ナショナルジオグラフィック日本版サイト
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/16/b/061500193/
0002ニュースソース検討中@自治議論スレ
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2018/06/21(木) 21:48:12.19ID:UPC4D+mE
皆殺しにして滅ぼしやがった白人ども。
アーリア系は残虐なDNAが仕込まれている。クロマニヨン人の子孫め。
将来的には人類を滅ぼすことになりかねない。

どうしてくれようかな、ネアンデルタール人の子孫としてな。
0003ニュースソース検討中@自治議論スレ
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2018/06/21(木) 23:44:31.54ID:nny61NBQ
アメリカの先住民は白人に「移民は国に帰れ」と言いましょう
0007ニュースソース検討中@自治議論スレ
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2018/07/09(月) 12:32:24.53ID:9pzrTfRD
 
> カルーサ族は、人類学の通説に反して、農業を基盤とせずに複雑な社会を形成したことで知られる。
> 「カルーサ族のように漁労・採集・狩猟生活を送り、複雑な社会を形成した例は非常に珍しく
> http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/16/b/061500193/01.jpg
これは、縄文時代の日本を思い出させる
つまりは三内丸山遺跡でもおなじような社会があったのではないか

日本でいえば戦国時代に人口2万人というと、
2万石の大名クラスと考えていいのかな、つまりは古田織部クラスの小大名
ああ、1585頃(四国平定) の山内一豊が、ちょうど2万石、近江国長浜城主
やっぱり中心が無かったのが痛い、ユーラシア文明との接触が遅かったのが痛い
0008ニュースソース検討中@自治議論スレ
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2018/07/09(月) 13:11:45.46ID:ehaMmAOW
白人がもたらした病気というが
早い話、その場は銃等の武器が中長期的には
生物兵器が非常に有効だということだろう。
生存者が桁違いに少なくなるしそれも多くが患者で
さらにその付き添いに大きく人数取られるからね。
0009ニュースソース検討中@自治議論スレ
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2018/07/09(月) 13:19:45.13ID:ehaMmAOW
いくら銃を持ってたとして当時の銃で
大人数に囲まれればひとたまりもないはず。
話し合いとか決裂、戦闘があったにせよ
何ヶ月もその場にいれば原住民側に病気によって年月かけて大きな戦力ダウンがあったと思う。
先住民族側がいずれ負ける戦争だったんだよ。
0010ニュースソース検討中@自治議論スレ
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2018/07/09(月) 13:22:52.75ID:ehaMmAOW
もし逆に先住民族側にそういう病気があれば
戻った欧州で大規模な人口減があったと思う。
が性病だけでは即、死とはいかなかったのだろう。
0011ニュースソース検討中@自治議論スレ
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2018/07/09(月) 13:26:52.55ID:ehaMmAOW
なんせ欧州ではペストがあったからなぁ。
その生き残りが行くわけだから。
0012ニュースソース検討中@自治議論スレ
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2018/07/09(月) 15:56:10.40ID:vCfke1RU
悲しいけど、これが歴史なのよね
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